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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

映画「あぶない母さん」と「嘘はフィクサーのはじまり」を見る

 去る2018年9月4日に,私は試写でジョージア映画「あぶない母さん」を見た。そのあと、9月12日に、やはり試写でアメリカ•イスラエル合作映画「嘘はフィクサーのはじまり」を見た。
「あぶない母さん」には、小説を書くことに情熱を傾けている家庭の主婦、彼女の作品を傑作だとして、それを出版社に売り込もうとする文房具屋の主人が登場する。彼は出版社の編集者に刊行を断られると、自分で中古の印刷機を買ってきて、文房具屋の一角に備え付けてしまう。自分で印刷して本にしようとするのである。このふたりが抱き合うシーンは感動的•喜劇的であるというだけでは言い尽くせない。
 同じジョージア映画でも、しばらく前に公開された「花咲くころ」では、パンを買うために列を作らなければならず、そこへ兵士が割り込んでくるような時代が描かれていたが、「あぶない母さん」では、経済がかなり好調になったらしいジョージアの都市が舞台である。あぶない母さんを支えようとする男の店はセンスのいい作りで、文房具の品揃えも、並べ方も気が利いているように感じられる。あぶない母さんの家族が住むマンションもこぎれいである。
 あぶない母さんが熱中して書いているのは、非常にきわどいポルノ小説である。彼女はパソコンを時間貸しする店で画面に向かうこともある。「あぶない」というのは、精神的に不安定ということで、彼女はしばしば妄想に取り付かれ、壁のタイルを見ているとそこに奇妙なイメージが浮かんで来たりする。また自分がフィリピンの妖怪めいた動物であるという妄想を抱いたりする。しかしこの映画を、精神に異常を来たした女性の行動を描いた作品とみなしてはならない。この映画は、どうしても小説を書きたいという押さえきれない情熱にかられ、その情熱の力動に押されるままに作品を書き続ける女性を見つめた作品である。さらに彼女の作品の出版のためにあらゆる努力を傾ける男を配して、その情熱を彼女の情熱に連帯させる。小説を書こうとする彼女の欲望と、それを出版しようとする男の欲望が結合して燃え上がる。この映画の監督は、20代の女性であるというが、その手腕は並のものではない。多くのジョージア映画にあるコミックなものが、この映画でもいたるところに見られる。

 他方、「嘘はフィクサーのはじまり」は、あらゆる機会を捉えて、人をだまして歩くノーマンという男の行動を描いた、まことに不思議な映画である。(原タイトルはNorman:the moderate rise and tragic fall of a New York fixerという面白くないものである。)リチャード・ギアが演ずるノーマンの活動の舞台はニューヨークであるが、のちにイスラエルの首相になる政治家に取り入っていろいろ画策し、彼の息子を「裏口」からハーヴァード大学に入学させたり、破産しかけた礼拝所を再建するための寄付金を集めようとしたりする。それらの詐欺、またはフィクサーの仕事は、成功するときもあり、失敗して落ち込むこともある。彼はいつも同じ服装をしているし、食べるものはオイルサージンを載せたクラッカーだけである。彼は「フィクサー」であるが、その仕事で金儲けをしているとは到底思えない。第一、どこに住んでいるのかも不明であり、彼の「家庭生活」はまったく描かれていない。イギリスの新聞「ザ・ガーディアン」(2016年9月5日)に載ったベンジャミン・リーによる映画評では、ノーマンは「ホームレス」だとされている。彼は娘がいるといっているが、イスラエルの諜報機関の調査では、それもどうやら嘘らしい。
 映画はそのようなフィクサーの私生活は、一切無視して、ひたすら彼の「舌三寸」の所行をたどる。それは嘘に満ちあふれ、はったりに終始している。初対面の他人に対して、彼はすぐに行動を開始する。電車の隣席に座っていた女性にも、とにかく話しかけ、繋がりを作ろうとする。しかし、ニューヨークにあるイスラエルの機関で働いている彼女の方がはるかに「うわて」で、結局のところ彼の素性が調べられてしまう。それでも彼はめげないで、次のフィクシングを試みる。ただひたすら「フィクサー」としての仕事に励むことが、彼の生き甲斐であるように見える。そのような彼の情熱、彼の欲望は、「あぶない母さん」の女性と、彼女を支える文房具屋の男の情熱・欲望と、どこかでつながっている。
(2018年9月20日)

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藤田嗣治あるいは戦争画の巨匠

 彼女は頬杖をつきながら、一人カフェで手紙を書いている。大きなインク染みがある手紙。インク壺を倒したのか。苛立って文字を消したのか。どちらの予想も外れているだろう。何故なら彼女の表情は朧気で、視点は定まっていないからだ。片方の目はそこに、もう一方は向こう側に向けられている。いや、そうではない。この絵をしっかりと見つめると、彼女が斜視であることに私は気づいた。藤田嗣治が1949年に描いた「カフェ」という作品を、私は7月31日から10月8日まで東京都美術館で開催されている「藤田嗣治展」で初めて、実際に目の前で見た (「カフェ」には三つのバージョンがあるが、彼女の斜視が一番はっきりと判るものは今回展示された作品である)。この絵に描かれた彼女が斜視であったこと、それが藤田の戦争画に関する謎を説く一つの手がかりになるのではないか。私はこの発見によって、一般的に見れば、「カフェ」という絵とは直接には関係しないであろう藤田の戦争画 (展覧会には戦争画である「アッツ島玉砕」と「サイパン島同胞臣節を全うす」とが展示されていたが、この二点の戦争画は異端的なものとしてぞんざいに、その意味を厳密に問うこともなく展示されていたことも注記しておこう) について改めて真剣に考えてみたいと思ったのだ。
 藤田や彼の描いた戦争画が論じられているテクストは多数存在している。藤田の絵について特別に研究している訳ではない私でも、菊畑茂久馬の『フジタよ眠れ』や『天皇の美術:近代思想と戦争画』(副題のあるものは、二度以上表記する場合、副題を省略して示す)、田中比佐夫の『日本の戦争画』、田中穣の『藤田嗣治』、司修の『戦争と美術』、近藤史人の『藤田嗣治:「異邦人」の生涯』、河田明久監修の『画家と戦争:日本美術史の空白』、柴崎信三の『絵筆のナショナリズム:フジタと大観の“戦争”』、平山周吉の『戦争画リターンズ:フジタ嗣治とアッツ島の花々』、富田芳和の『なぜ日本はフジタを捨てたのか?:藤田嗣治とフランク・シャーマン 1945~1949』などには一度は目を通した。これらのテクストを読むと、藤田の戦争画の問題は極めて複雑な様相を呈していることが理解できる。藤田は、元々は良家の末っ子として生まれ、甘やかされ、自分の名を売ることに長け、確固とした思想基盤はなく、軽妙に世の中を渡り歩いた画家であった。だがこうした個人的側面に反して、彼の描いた絵画、特に戦争画には軍部への追従と率先して軍国主義プロパガンダに協力した側面が多々ありながらも、現存する作品では『アッツ島玉砕』以降、鬼気迫るものがあり、さらには神聖な威厳さえ感じさせる力がある点を、どのテクストも一致して強調していた。
 しかし、何故このような戦争画を藤田が描いたのか。また、戦争画制作以前の藤田の作品と戦争画との関係性、戦争画と戦後の彼の作品の関係性とは何かという問題について詳細に考察しているテクストは見つけられなかった。それゆえここではこの問題について以下の三つの側面から検討していこうと思った。最初の側面は藤田の戦争画を前期と後期に分けてその特質を探るというものであり、第二のものは藤田の戦争画と無残絵の巨匠である月岡芳年の浮世絵との連続性を考察しようとする側面である。第三のものは冒頭で語った「カフェ」と藤田の戦争画との関係を探ろうとする側面である。

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インド映画「ガンジスに還る」を 見る

    去る 2018 年 8 月 9 日に,私は試写でシュバシシュ・ブティアニ監督のインド映画「ガンジスに還る」を見た。ブティアニは、1991 年にコルカタで生まれた若い監督である。死期の近いことを自覚した老人(78 歳ということになっている)が、ガンジス川のほとりにある「解脱の家」で、解脱(死)を待つという話である。「解脱の家」には、15 日間だけ滞在が認められているが、名前を変えれば更新できるので、18 年間もいる女性も現われる。死を待つ老人の物語であるが、少しも暗いところがない。むしろ喜劇的でさえあり、試写室で隣席に座っていた女性は、しばしば大声で笑っていた。
    解脱を待つ老人には、息子が付き添っている。その息子は、かなりのエリート・ビジネスマンであり、解脱の家にいても、携帯電話を使って仕事に励んでいる。彼には年頃の娘がいるが、その結婚話がこわれたりして、「家族の物語」の要素もある。しかし、それととともにガンジス川の悠々とした情景が写されていて、それを見るだけでも意味がある。もちろん現代のガンジス川であるから、観光の場所にもなっていて、そのことも瞥見できる。
    いまのインドの人口は 13 億 5 千万だという。インドの経済成長は目覚ましいといわれているが、「貧困」がこの国の重要な課題であることは想像できる。この映画に登場する家族は恵まれた方であり、おそらく一般の「庶民」は「解脱の家」などに滞在できないであろう。それでも現代インドの一端を見ることは可能である。
   ガンジス川は、「聖なる川」である。インドの神話では、元来は天にいた女神ガンガーが、地上に降りてきたのがガンジス川だということらしい。インド神話の最高神シヴァがガルーダという巨大な鳥を乗り物に使っていたことはよく知られているが(ガルーダの変形は京都の三十三間堂にもあるし、またインドネシアの代表的航空会社はガルーダ航空である)、立川武蔵によると、女神ガンガーが乗り物として使っていたのは、「伝説上の海獣マカラ」である。マカラはワニに似ているが、鳥・蛇にも似ていて、「クムビーラ」と呼ばれることもあるという。立川武蔵によれば、「日本の金比羅(こんぴら)はこの語の音訳であり、香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)もクムビーラを祀っている」し、名古屋城の金の鯱も「マカラの一変形」である(立川武蔵『ヒンドゥーの神話と神々』せりか書房、2008、p.309)。つまりガンジス川は、日本とも繋がっているのである。
  ユングの有名な概念の一つに「共時性」(シンクロニシィティ)がある。「偶然の一致」と関連する考え方である。この映画を見た数日後、若い友人が読んだあと毎号送ってくれるイギリスの週刊科学雑誌「ネイチャー」の 8 月 9 日号を読んでいると、"Indian scientists race to map Ganges river in 3D"(「インドの科学者たちが、ガンジス川の 3D マップを作ろうと競っている」)という記事が目についた。これこそまさに共時性ではないかと思った。その記事にはガンジス川で沐浴しているインド人たちの姿と、川岸のおびただしいゴミとを写した写真が添えられているが、そのキャプションは「世界で最も汚染されている川のひとつ」である。その記事によると、6億人のインド人がガンジス川の水を使っているという。汚染されたガンジス川を浄化するため、まずその地図を作ろうということである。「聖なる川」は、同時に「汚染された川」でもある。

(2018 年 8 月 17日)

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希望の光はもう消えたのだろうか―『立ち上がる夜:‹フランス左翼› 探検記』を読む

 1987年7月7日夜、パリ=シャルル・ド・ゴール空港に着く。今迄に海外に出たことは一度もなかった。それに加えて英語もフランス語も覚束ない私は、何とかRER (地域急行鉄道網) の駅まで行く停留所を見つけ、バスで駅に向かった。駅の切符売り場でパリ行きの切符を買ったはずだが、フランス語で言ったのか英語で言ったのかはっきりとした記憶はない。電車に乗り込むことができた時は夜の9時半を過ぎていたが、日はまだ落ちてはいなかった。私はその時初めて真夜中まで日の落ちない夜というものを経験したのだが、感動はなかった。言葉も地理も判らない外国に来て、3ヵ月間のビザはあったが、語学学校にしばらく通った後のことはまったく決めていなかったからだ。
RERの車両には乗客の姿は殆どなかった。窓の外には広大な農地が見え、人家はポツポツと点在しているだけだった。この電車は本当にパリに向かっているのだろうか。私は不安で仕方なかったが、そのことを確認するためのフランス語が思いつかず、黙って座っていた。それから十数分して建物の数が増えてきて、さらに何分かして、モンマルトルの丘の上に建ったサクレ・クール寺院が見えた。確かにパリに向かっているのだ。サン=ラザール駅に着いたが、人影はまばらだった。夜の10時を過ぎてはいたが、パリという大都会の中心駅の一つが、このように閑散としているとは意外であった。だが、そんなことよりもまずは今夜のホテルを探さなければならない。私は駅を出て明るい夜に包まれたパリの道を歩き始めた。
30年も前の個人的な詰まらない経験を最初に書いたのには訳がある。1987年は第一期フランソワ・ミッテラン政権が終わろうとする年であった。翌年の4月の大統領選挙では最終的に社会党のミッテランとRPR (共和国連合) のジャック・シラクとの決選投票になるだろうと予想されていた (実際にそうなり、二人による決選投票が同年5月に行われた)。左右二大陣営が政権を争うという構図はフランスの伝統的な選挙戦の構図であるが、左派の中心政党は社会党 (PS) であった。私はミッテラン政権時代の数年間を外国人として、パリで過ごした。だが、これから検討しようと思う村上良太の『立ち上がる夜:‹フランス左翼› 探検記』(以下『立ち上がる夜』と表記) の中で示されているパリやフランスの様相があまりにも30年前と異なっているように感じられた。それがこの本についての何かを書こうと思った理由の一つである。
この本の中心テーマである「立ち上がる夜 (Nuit debout)」という社会運動それ自身も大変興味深い運動である。だが、日本人である私はほぼ同時期に日本で起きたSEALDsによる安部政権の安全保障関連法案に対する国会前での抗議運動との比較を行いたいと思った。二つの運動は多くの相違点がある一方で、新自由主義と右傾化する世界への抵抗運動という類似点を持っている。それゆえ、この二つの運動を比較することで世界の現状が見えてくるのではないかと考えたことが第二の理由である。
また、立ち上がる夜も、SEALDsの運動も、ある特定期間に起き、消えていった大規模な社会運動であったが、それが何故起き、何故消えていったのか、二つの運動の遺産はどのように受け継がれようとしているのかという点にも大きな関心がある。この点もこのテクストについて書こうと思った理由の一つである。前書きが長くなってしまったが、ここでは今述べた点を中心にしながら、『立ち上がる夜』というテクストの中で示された論点を考察することによって、フランス及び世界の現状について探究していきたい。 

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忠臣というフィクション:富岡鉄斎の「南朝忠臣図」について

 早稲田大学構内にある會津八一記念会館で510日から616日まで「【富岡展示】近代の日本画」という企画展が開催されていたが、そこに富岡鉄斎の描いた「南朝忠臣図」が展示されていた。これは12枚で一つのシリーズを構成する作品で、一枚の絵に一人ずつ、総計12名の忠臣が描かれたものである。鉄斎の絵の代表作ではないが、この作品は明治期の知の巨人の一人である鉄斎と当時の思想状況を考える上で重要なものであると共に、「忠臣」という歴史的フィクションを考える上でも興味深いコーパスとなるものである。それゆえ、ここでは鉄斎の忠臣図から派生していく歴史的、イデオロギー的な問題を中心として考察していこうと思う。
 

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