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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

サリンジャー:エクリチュールの向こう側へ

 僕がこの導入部分を、こんなふうに書き始めたことには、ちょっとした訳がある。訳と言ってもたいした訳ではなく、小さなコメディーと言った方が正確なのだけども。そのコメディーという奴はこうだ。僕は、もうすぐこの近くでは見られなくなるある映画の、多分とてもシリアスだと予想される映画の情報をたまたまキャッチした。上映は朝一回目だけ。そのため僕は早起きをして、髪の毛に櫛を入れ、いつものダウンジャケットをひっかけ、速足で駅に向かい、電車に乗り込み、目的の映画館を目指したんだ。
開演10分前きっかりに目的地に到着。よし、OK。でも、受付のアルバイト野郎は一発お見舞いしたくなるくらい不愛想。それでも、一応、上映ホールの場所を確認するために「ホールはどこですか?」と聞いた。「あっちです」とやはり不愛想にジェスチャーもなく、不親切に答えた。僕は目でホールの方を見た。まずはトイレに行き、携帯の電源を切って、準備万端整えて、席につく。さて、どんなストーリーが展開されるのか。期待と緊張。
 予告編が始まり、いよいよ本篇。「エロスインターナショナル配給」。聞いたことがない配給会社だ。インド映画の予告か。高い山々を上空から撮った風景。ヒマラヤ山脈だろうか。山間部のある村。テレビでクリケットの試合を見る村人たち。パキスタンの勝利。そして口のきけない少女が誕生した。しかし変だ。予告にしては長い。終わるだろう。もうすぐ終わるだろう。だがその期待は、インド映画特有のあの明るく、ダイナミックな、喜びに満ちたダンスシーンが開始されたときに、完全なる絶望に変わった。退室して、正しい上映ホールに向かおうか。でも両端の席は女性客がしっかりとブロックしている。二人とも真剣な眼差しで物語を見ている。僕にはそう思えた。
 こうして僕はインド映画史上世界興行収益第三位の「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を2時間39分間見ることとなった。メインキャラクターの女の子は、チャーミングで愛くるしい少女だったけども、見ようと思った映画が見られなかった失望感の大きさにはかなわなかった。例のバイト野郎に本当に一発お見舞いしたかった。でも、奴は僕の怒りに気付いたために、受付から逃走していた。それで、翌日、僕は改めて目的の映画、「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」(以後副題は省略する)を見るために映画館に向かったんだ。二日連続の早起き。春休み期間の新記録更新さ。 

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歴史展開における変化と連続:『私の1968年』について

 『私の1968年』のエピグラフに書かれたラテン語の格言「verba volant, scripta manent (語られた言葉は消え去るが、記された言葉は残る)」を読んだとき、私は不思議な印象を抱いた。急激に移り変わる時間の流れの中で、自らが語った言葉は忘れ去られ、消えていく。ある人がある時、何かを思い、誰かに向かって誰かのために語った言葉をいつまでも語り継ぐことの困難さ。だから人は自らの言葉をはっきりと残すために白い紙の上に文字を綴っていくのだろう。しかし、そこには悲しい風景が印されている。そんな印象を持ったのだ。
 鈴木道彦が書いたこの本を読んだとき、私はもう一つ別の印象も抱いた。1968年。私は小学生になったばかりだった。この年とその前年の出来事の中で、鈴木の本に書かれている第三回アジア・アフリカ作家会議、羽田闘争、イントレピッド4人の会、パリ五月革命に対する明瞭な記憶はない。ただ白黒テレビの画面に映し出された金嬉老の顔だけは、何故かは判らないが、鮮明に記憶に残っている。多分、テレビの過去の事件特集で何度かその顔を見たためであろう。1967年と1968年に起きた出来事で、小学生の私にとって衝撃的だったものは、ケネディ暗殺とメキシコオリンピックと三億円事件。そして、「仮面の忍者赤影」のテレビ放映だった。少年期のセピア色の思い出が静かに流れて行った。
1968年とそれに前後する抵抗の季節。その時そこに確かにいたと感じる多くの人々がまだ沢山生きている。生の、直の体験を持つ彼らこそがこの本について語ることができ、その季節とは無縁だった私には1968年について論じる資格はまったくない。そんな批判の声が何処からか聞こえてくる。確かにそうだろうと思う。しかし語るという行為は、過去の実際に経験したことを語るという行為と一致する訳ではない。体験しなかったゆえに敢えて述べ得ることもある。そう思い直した私は、この書評を書くことに決めた。
 だが、異なるいくつもの事件が、1968年というキーワードによって一つにまとめられているテクストを、どのように考察していけばよいだろうか。何かの導き糸が必要である。私は導き糸として「暴力」、「非ヨーロッパ性」、「マルチチュード」という三つの問題を選んだ。何故なら、この三つのものは『私の1968年』の中で大きな役割を担っている出来事と深く関係するからである。「暴力」という言葉はこの本において多用されているが、「非ヨーロッパ性」という語も、「マルチチュード」という語も登場していないではないかという反論があるかもしれない。しかし、この本の中で何度も語られている「植民地主義」という語は植民地化された国やその国の人々の「非ヨーロッパ性」という問題が前提とされている (例えば、エドワード・サイードが語った「オリエンタリズム」という語を思い浮かべてみればよいだろう)。また、度々この本に書かれている「第三世界」という語は、その世界で展開された、展開されている社会運動の流れによって「マルチチュード」と連続している。すなわち、鈴木の1960代的な用語をここではより現代的な用語に変えて、分析装置として導入しようと思うのである。もちろん鈴木はこの三つの側面以外にも今も変わらずに蔓延しているジャーナリズム界における自己批判の欠如と自己保身の問題や、羽田事件を始めとする日本における学生運動を巡る問題などに関しても興味深い論述を行っている。だがこれらの問題を的確に分析する能力を私は持ち合わせていない。それゆえ、ここでは前記した側面からの考察を行おうと思うのである。前置きはこのくらいにして、三つの分析装置に基づく検討を開始しよう。 

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ムンクの生きた時代

 ムンク展 (2018年10月27日から2019年1月20日まで上野の東京都美術館で開催されていた)は沢山の人でいっぱいだった。何故これほど多くの人がここに集まっているのか。私には理解できなかった。ここに集まった人々の関心はムンクの代表作と言われている「叫び」に集中していた。確かにこの絵は一時代を築いた表現主義の先駆者に彼を押し上げたという意味で、注目すべき作品である。だが、不気味で、グロテスクとも言い得る絵を見たいと何故これほど多くの人々が思うのか。そこに宣伝効果に載せられた大衆心理以上のものを探し出すことができるのだろうか。私にはそれが理解できなかったのだ。
2018年12月12日の毎日新聞の文化欄に美術評論家の高階秀爾のムンク展への批評が掲載されていた。その中で高階は、「(…)「叫び」は「不安と絶望」の表現であると同時に「孤独と憂鬱」の表れ (…)」と書いている。そう述べることも可能かもしれないが、高階はムンクの絵の示す時代精神とノルウェーの持つヨーロッパにおける辺境的空間性という重要な問題については一言も語ってはいなかった。高階の言う「不安や絶望」や「孤独と憂鬱」は個人的な問題だけを示した言葉に過ぎないのではないだろうか。
19世紀後半から20世紀後半のノルウェーというヨーロッパの北の果ての国。そこに生きたムンク。その背景を知ることなくムンクの作品を語ることは可能であろうか。イギリスの美術史家スー・プリドーは『ムンク伝』の前書きで、「ムンクは作品全体を自身の影、終わりのない進行形の告白、生理的な成長に寄り添う芸術成果にしようと目論んだ」と語り、ムンクにおいては、「絵画は人生に導かれる」(木下哲夫訳:以後プリドーの発言はこの本に基づく) ものであると主張している。プリドーの主張にはムンクの人生 (そこには彼の生きた時代と国という問題が当然含まれる)が彼の描いた絵と深く関係していることが端的に表わされている。
それゆえ、このテクストにおいては、ムンクの生きた時代と彼の作品の持つ北欧性という側面について最初に分析し、次に、ムンクの作品の特異性について検討してく。さらに、ムンクがそのパイオニアの一人である表現主義と彼の絵画作品との関係について考察する。そして最後にこれらの探究を総合化していこうと思う。 

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ある詩人の肖像

 「確か 英語を習い始めて間もない頃だ。/ ある夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。」という言葉で始まる詩や、「二人が睦まじくいるためには / 愚かでいるほうがいい / 立派過ぎないほうがいい / 立派過ぎることは / 長持ちしないことだと気付いているほうがいい」という言葉で始まる詩を読んだことはないだろうか。ありふれた些細な出来事が誰にでも判る平易な言葉で物語られた詩。これらの詩の作者である吉野弘の展覧会が桶川市にあるさいたま文学館で10月6日から11月25日まで開催されていた。吉野の詩を初めて読んだのは中学生の頃だったと思う。彼の「夕焼け」という詩が国語の教科書に載っていたのだ。その詩の小さな物語性に私は心を打たれた。小さな物語性。そう、彼の詩にはいつも、日常的なささやかな物語が語られている。彼の詩の物語性は長く記憶に残るものである。
展覧会には吉野の詩集、手紙、写真、愛用の万年筆などが展示してあったが、私をとくに引きつけたものは雑誌『手習帖』昭和63年11月号に載った「“I was born” を作った頃のこと」という肉筆原稿であった。このテクストの冒頭で引用した「I was born」は、吉野の詩の中でも私にとって強く印象深い作品であるが、その詩がどのように生み出されたかということがそこに書かれていたのだ。普段、作品誕生の逸話などに興味を持たない私が几帳面そうに柔らかく書かれた文字に目が留まり、その手書き原稿のタイトルが「“I was born” を作った頃のこと」であることに驚いたのだ。そして、あの詩がどのようにできたのかを知るためにその原稿を夢中で読んだ。
 吉野弘について何か書こうと思ったのはその時であった。家に帰った私は本棚の奥で埃を被っていた吉野の詩集をもう一度手に取り、ページを開いた。それだけでは物足りないと感じた私は近くの市立図書館に行き、彼の著作を何冊か借りて熟読した。吉野弘という詩人について本格的に研究ができると思ったわけではない。だが、彼の詩や詩作に対する姿勢といったものを検討することによって、彼の詩の持つ小さな物語性という問題についてほんの僅かでも理解できるではないかと思ったのだ。 

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香港映画「誰がための日々」を見る

 去る2018年12月12日に、私は黄進(ウォン•ジン)監督の香港映画「誰がための日々」(2016年)を見た(原タイトルは「一念無明」)。香港のある家族の物語である。父親はトラックの運転手をしている。母親は病気であるが、この夫婦は別居生活をしていた。次男は結婚していて、アメリカで働いているので、親の面倒を見ることはできない。長男(彼がこの映画の主人公である)は、献身的に母親の介護をしていたが、彼女の死後、疲労からか鬱病になって一年のあいだ入院していた。退院した彼は父親の家に行くが、家とはいっても、それは香港の裏通りにある、エレヴェーターのない粗末なアパートの一室である。父親は、「二歩しか歩く空間のない」その狭いワンルームの部屋に長男を迎え入れる。
 長男は再就職しようとするが、一年間の「入院歴」のために、なかなか就職先が見つからない。その間に友人の結婚式に出かけて、異様な内容の挨拶をしたり、スーパーの一角にうずくまってチョコレートを多量に食べたりするが、その情景は携帯•スマホで撮影されて、ネット上に広がり、多くの人たちの眼に触れて、たちまち「街の噂」になる。これはきわめて「現代的な」状況である。
 父と長男が住むアパートの住民は、貧しい人たち同士で、一種のコミュニティを作っている。香港の居住証を持たない中国の女性、インド系の青年など、今日のいわゆる「ダイヴァ-シティ」そのものの世界である。その中国人の女性は、隣室に住む運転手の足の痛みを心配して親切なことばをかけたり、また長男も彼女の息子と屋上で遊んだりする。しかし、彼の病気が再発して、その行動のありさまがネットで広がると、アパートの住民たちは、「投票によって」、父と息子をアパートから排除する。
 この映画にはさまざまな問題が含まれている。主人公の青年は、心の病のために、異常な行動を繰り返す。それらの行動は、彼の病気の「症状」であるが、症状とは元来は「私的」なものであり、もしもチョコレートの大量摂取が「病状」であるとしても、それは彼個人の領域、あるいは彼の家族、医師、病院といった狭い範囲で処理する問題のはずである。しかし、いまや時代が「私的なもの」を「私的」な領域に限定しないくなっている。彼の私的•個人的な行動は、ただちにその場にたまたま居合わせて携帯•スマホでそれを撮影した人によって「拡散」し、「衆目」の対象になる。
 デイヴィッド•ライアンとの対談集である『私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について』(伊藤茂訳、青土社、2013)において、ポーランド生まれのイギリスの社会学者ジクムント•バウマン(1925~2017)は、バンクーヴァーでの暴動を撮った写真に、たまたま写っていたカップルを特定するのに一日しかかからなかったという例をあげて、「すべてのプライベートな事柄が、今では公の場で行われているようなもの」になったと指摘している。これはまさに「誰がための日々」で描かれている現代人の状態である。
 今日の日本には500万台の防犯カメラが設置されているという。しかし、今日では、防犯カメラだけではなく、普通の人びとが持っている携帯•スマホが、同じような機能を発揮している。ミシェル•フーコーが論じた「一望監視装置」(パノプチコン)の概念は、今日でももちろん有効である。しかし、現代のパノプチコンは、権力が上の方から見ているものではなくなっている。私的な行動は、ただちに映像化されて、「公」のものになる。この映画は、そのような現代的パノプチコンの実態をも見せてくれた。
(2018年12月21日)

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