宇波彰現代哲学研究所

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不気味なエクリチュール

 6月11日から7月3日まで三鷹市美術ギャラリーで太宰治資料展Ⅱが開催されていた。展示物の中に「水仙」と名づけられた太宰の油絵があった。それは薄気味悪さや違和感を覚えるものである一方で、哀れさと儚さを内包しているような不思議な印象を抱かせるものであった。「この絵を描いた一年後に太宰は短編小説『水仙』を発表した」。解説文に書かれていた言葉が気になった。小説の存在を知らなかった私は絵と小説との連関性を探ってみたいと考えた。だが雑事に追われ、すぐにこの作品を読むことができず、7月の終わりになり、やっと『水仙』を手にすることができた。強く惹きつけられるような魅力ある作品ではなかったが、探究すべきいくつかの重要な問題が内在している。そう感じた私はこのテクストを書き始めた。
 『水仙』が雑誌『改造』に掲載されたのは1942年5月のことであるが、そこに描かれている物語は歴史の中に埋もれた小さな出来事をテーマとしている。静子という名の上流婦人が周囲の人間の言葉を信じ、天才画家と思い込むが、それが嘘であると判り、絶望し、自分の絵を捨て去る。彼女の周りの人間は本当に嘘をついていたのかと疑問に思った主人公の小説家が、それを確かめようとする。しかし、事実を確かめる前に夫人が天才であることを証明するはずの一枚だけ残されていた水仙の絵を引き裂く。その後、耳が聞こえなくなっていた夫人は自殺する。
 これだけの内容のものであれば、私は関心を持つことはなかっただろう。だが、小説を取り巻く間テクスト性、言語と行為との関係、真か偽かを巡る問題が、考察すべき課題として頭に浮かんできたのである。『水仙』に係る間テクスト性は冒頭で述べた絵と小説との間にあるものだけではない。この作品は画家の林倭衛の夫人だった秋田富子が太宰に送った手紙を基にして書かれたもので、そこには手紙と小説との間の結びつきも存在している。さらに、『水仙』の最初の部分で太宰は菊池寛の『忠直卿行状記』について言及している。三つの大きな間テクスト性がこの作品と関係しているのである (もちろん細かな繋がりに関しては際限なく語ることが可能であるゆえにここでは取り扱わない)。次に言語と行為との関係は以下の問題を提起する。ある言表は発話されただけでその役割を終える訳ではない。それ以前の言表とそれ以降のものとの連続性に依拠しながら何らかの行為へと向かって行く。このことに対する検討はディスクールの動きを考える上で欠くことのできないものとなる。最後に『水仙』という作品の中には真と偽を巡る問題が存在する。それは論理学的な真偽値の問題ではなく、他者の言説を信じることとは何かについての分析を必要とするものである。以上三つの問題はテクスト構築とも、言語行為論とも、確信や信念とも密接に関連する重要な探究課題である。それゆえ以下のセクションではこの三つの問題を順次考察していきたいと思う。

間テクスト性
 先程も述べたように『水仙』には注目すべき三つの間テクスト性が存在している。そこには手紙と小説、絵と小説、小説と小説という差異があるだけではない。最初のものは作者が異なるだけではなく、どちらも言語記号を用いてテクスト生産がなされているが手紙と小説というジャンルの違いがある。二番目のものは作者が同一であるが表現手段 (用いている記号) が異なるものの繋がりが問題となる。三番目のものは言語という同一の記号を用い、小説という同一のジャンルの下に構築されたものであるが、作者が異なる (もちろんそこには文体の違いや、プロットの違いなどが内含されている)。では、『水仙』の創作方法やテーマと深く係るそれぞれの間テクスト性について詳しく検討していこう。
 秋田富子の手紙と小説との関係は娘である林聖子の証言に基づくものであるが (『風紋二十五年』参照)、手紙そのものはもはや残ってはいない。そのためこの間テクスト性の詳しい分析は不可能である。しかしながら、モチーフとしての手紙の存在は小説の背景となっている時代性や人間関係を思い起こさせるだけでなく、太宰の描いた水仙の絵と富子との結びつきをも想起させるものである。
 小説に水仙の絵が登場するのは終わり間際になってからである。主人公の「私」は唯一残った夫人の描いた水仙の絵を引き裂き、細かく千切り、捨て去るのであるが、その絵は「バケツに投げ入れられた二十本程の水仙の絵」であると書かれている。太宰が描いた絵は八本程の水仙にしか過ぎず、小説に描かれたものとは異なり、「水仙の絵は、断じて、つまらない絵ではなかった。美事だった」というようなものではない。だが、太宰の絵は静子夫人のようではないだろうか。冒頭で示したように、薄幸の夫人の姿に重なり合う哀れさと共に薄気味悪さが内包されているからである。そこにはテーマ的類縁性が存在している。
 『忠直卿行状記』は菊池寛の小説であるが、太宰は小説のタイトルだけを記して、作者に関してはまったく何も記していない。つまりは曖昧性を帯びた間テクスト性の問題が見出されるのである。菊池の小説のあらすじが述べられている箇所の終わりには、「殿様は、狂いまわった。すでに、おそるべき暴君である。ついには家も断絶せられ、その身も監禁せられる」という言葉がある。しかし、それは『忠直卿行状記』のストーリーとは異なる。六十七万石の大大名から、一万石に国替えさせられるが、「御身はよろず、お慎み深く、近侍の者を憫み、領民を愛撫したもう有様、六十七万石の家国を失いたる無法人とも見えずと人々不審しく思うこと今に止まず候」と記載された史料が挙げられ、忠直卿の後半生が示されているからである。監禁されたという訳でも、狂ったままであった訳でもなく、よき君主として領民に慕われ、穏やかな後半生を送ったことになっているのだ。太宰は昔の記憶だけを頼りにこの小説を作品の中に挿入しているような書き方をしているが、この曖昧性を帯びた間テクスト性の導入は以下のように解釈できるのではないだろうか。すなわち、真か疑かを問うことが重要なのではなく、他者の言葉を信じたり、疑ったりすることによって人生が一変することがあり得るということが重要なのだ。そこにはこうした暗示がある。私にはそう思えるのである。この問題は後続するセクションで考察する事柄と深く関連する。

言語と行為との関係
 ジョン・ラングショー・オースティンの言語行為論においては、あらゆる言表が三つのレベルに分割可能な行為を表明できるとされている。このことを端的に示しているフランスの言語学者オズワルド・デュクロが語っている例を挙げよう。一人の客がレストランでウエイターに、「この魚は不味い」と言ったとする。その客がただ単に自らの感想を述べたとするならば、それは発語行為となる。だが、「料理を変えろ」という要求のためにこの言表を発したならば、発語内行為となる。もしもこの言表を述べることで実際に料理を変えさせたのならば、発語媒介行為となる。では、同じ言葉が語られたとしても、どのような場合に、発語行為にとなり、発語内行為となり、発語媒介行為となるのか。それは、その言表が如何なる言表連鎖の中で、いつ、何処で、誰によって、誰に対して語られたのかによって、すなわち発話された状況やコンテクストによって決定されるのである。
 『水仙』における言語行為はどうなっているだろうか。夫人に対して語られた称賛の言葉は作品の中にまったく書かれていないが、その言葉が如何なる言表行為として機能したかは理解できる。夫人の作品を褒め称えた言説はただ単に発せられただけではなく、発言への同意を求めるというように作用し、さらには夫人がその言葉を強く信じるようにも作用した。その作用によって彼女は周囲の人間が語った事柄を狂信してしまった。そこには発語媒介行為があると同時に語られた言表から行為への連続があり、それが静子の死まで繋がっている。言表が行為を生み、行為が別の行為を生み、自殺にまで至ったのだ。
 こうした展開を不条理と呼ぶことは容易である。しかし、語られた言表によってもたらされる行為がどこまで続くのか、どのような行為がどのような行為をもたらすのかといった連続性は、前もって予想できない。ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインは『確実性について』の中で、「言語ゲームはいわば予想不可能な何ものかであることを君は心に留めておく必要がある。それはそこには根拠がないという意味のものである。それは道理に適ったものではないのだ (また、道理に適っていないものでもないのだ)」と述べているが、予想不可能なのはディスクール展開に限定されるものではない。ある発言がある行為に対してどのように影響するのかも予想可能ではないのだ。ある行為の根拠を問うことには意味がある側面がある一方で、他の側面から見れば意味がないだ。言表行為には論証的問題として処理できない暗部が存在している。それゆえ発話されたものには不気味さがつきまとう。

言葉を信じるということ
 「この本は厚い」、「フランスの首都はパリである」、「関東大震災は1921年に起きた」といった言表はそれぞれのものが指し示している現実との係りに基づき、言表が真か疑かを決定することができる。それだけであれば形式論理学の考察対象に過ぎないが、真か偽かが明確に判断できない場合でも、われわれは他者の言葉を信じたり、疑ったりすることができる。たとえば「ジャンは親切だ」という発言は、もしも聞き手がジャンを知っていれば真偽値の判断はできるが、知らなかったならば、話し手の発言を信じるか疑うかの判断は聞き手に委ねられる。人間が嘘や、冗談を言うことができる以上、聞き手は受信したメッセージの真偽値が不明な場合でも、それを信じることも可能であるが、疑うことも可能なのである。問題は何故信じたり、疑ったりできるのかという事柄である。
 『水仙』の話に戻ろう。静子夫人は、夫や画塾の教師、生徒などが語る自分の絵に対する称賛の言葉を信じ、自分は絵の天才であると強く思った。ところが、ある時それに疑いを抱き、遂には自殺する。しかし、夫人はどのような発言を信じたのか。前述したように彼女が信じた発言は作品にはまったく書かれていない。自分が信じた言葉が本当かどうか確かめるために彼女は小説の語り手である「私」を訪ねるが、絵を見ることを拒否される。「私」は耳が聞けなくなった静子から自分は天才などではなかったという手紙を受け取り、絶望しきった彼女に会いに行く。ここでも何故夫人が周囲の言葉を信じなくなったかその理由が明確には示されていない。作品の物語展開を考えるならば、前のセクションでも指摘したように、他者が実際に何を語ったのか、何故その語りを信じるようになったか、あるいは、疑うようになったのかは重要な事柄ではない。信じたり、疑ったりすることによって何かが決定的に変わることがこのテクストにとっては重要なことなのだ。  
 サミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』は、ゴドーという謎の人物の到着を信じることによってある場所から動くことができなくなった二人の男の物語である。男たちは何故ゴドーの到着を信じ続けるのか。その訳は語られない。男たちは何度も話し合うが、最後には、「もう行こう」、「だめだ」、「なぜだ?」、「ゴドーを待つんだ」という言葉が発せられるだけである。そこには理由がない。信じることに理由はいらないのだ。だからこそ信じるという行為は理性的であるよりもはるかに狂気に近いものとなるのではないだろうか。では疑うという行為はどうであろうか。デカルト的懐疑であれば理性的なものであろう。だが強く信じていたものに対して疑問が湧いたならばどうか。静子夫人は他者の言葉を強く信じ、そして、強く疑った。不安と絶望。懐疑から生まれた絶望も理性の道にではなく、狂気の道に通じている。

 『水仙』の終わりの箇所で小説の語り手は夫人が実は天才画家であったのではないかと考え、「(…) 奇妙な疑念にさえとらわれて、このごろは夜も眠られぬくらいに不安である。二十世紀にも、芸術の天才が生きているのかもしれぬ」と語る。その不安には不気味さが漂っているが、そこには二つの異なる側面が存在している。
 一つ目は静子夫人の変化を巡る不気味さである。夫人は他者の言説を信じて自分を天才だと思ったが、それだけではなく自分が天才ならば、すべてが可能であり、すべての人間が自分に跪かなければならないと考えたのではないだろうか。だからこそ、物語の書き手である「私」を訪ね、絵を見せ、「私」を平伏させようとした。しかし、周囲の言葉を信じられなくなった夫人は退廃的な生活によって耳が聞こえなくなり、絶望し、自殺してしまう。虚構が真実となったり、真実でさえも虚構に思えるようになってしまう状況の中に投げ入れられた時、われわれは大きな不安を抱き、その状況に不気味さが感じる。不気味さはしばしば自己という堅固な城を破壊するのではないだろうか。
 フロイトは『不気味なもの』の中で「不気味なものとは慣れ親しんだものが一度抑圧され、それが再び戻ってきたものである」というように述べている。すなわち、それは無意識の中に沈殿していた幼少期のあるコンプレックスが何らかの原因で突如意識に現れたものであると説明されているのだ。この考えに従うならば、静子夫人は自分が他者とは違う特別な人間であるという思いを無意識の中にずっと隠し持っていたのであるが、他者の発言によってそれが意識の上に顕在化していったと解釈することができるだろう。さらに夫人は特別というだけではなく、特別であるのだから他者が自分を畏怖し、拝跪することを強烈に望んだ。だが、その欲望と現実との大きなギャップに耐え切れずに自己破壊の道へと進んでいった。こう分析することが可能であろう。自己破壊に至る欲望は悲劇を感じさせる以上に不気味さを、人間の心の暗い闇の部分で蠢いているドロドロとしたものを感じさせる。
 もう一つの不気味さは真実を明確に語ることができなくなった時代性と関係する。この小説は最初に述べたように第二次世界大戦中の1942年に書かれた。日本国内は連戦連勝に湧き、来るべき敗北の予兆はまだ見えていなかったであろう。しかしながら、太宰は自分の生きている時代に対して不気味さを覚えていたのではないだろうか。この小説が5月に『改造』に掲載された約一月後にミッドウェー海戦が起き、日本海軍は大損害を受け、その後戦況は悪化する一方となり、敗戦へと突き進んで行く。そのような状況下で、何が本当で何が嘘かを問うことを許さない時代的雰囲気があったはずである。理性的な行為は否定され、非合理な行為が強制される。狂気の時代。そう形容しても間違ってはいないだろう。歴史的展開を知るわれわれは静子夫人をそうした時代のシンボルと見なすことができる。夫人の耳が聞こえなくなったのは生殖不可能性の隠喩となっているではないだろうか。生み出すことができず、朽ちていくだけの姿を表していると考えられるのである。それと同時に、彼女の姿は不毛な時代性を、何も作ることができず崩壊へ向おうとする不気味さを内包する時代性を表しているとも考えられるのではないだろうか。
 「天才である誰かがさらに少なくとも二つの天分を有さない限り耐え難い人間となる。その二つとは感謝の念と純粋さである」とフリードリッヒ・ニーチェは『善悪の彼岸』の中で語っている。静子夫人は天才であったかもしれないが、彼女は感謝の心も、純粋な精神もまったく持ち合わせてはいなかった。それゆえに、彼女の自殺は当然であったとも語り得るだろう。だが、問題はそうなってしまうような強い欲望が彼女の無意識の暗い奥底に潜んでいたことである。それはまさに不気味な怪物が心の中に隠れ住んでいたようなものである。それだけではない。その怪物は天才の天才性を破壊するものとして時代の中にも住み着いていた。絵の中に描かれた水仙の薄気味の悪さと小説の中に示されていた不気味さ。その連関性は個人的な欲望を超えて、時代が絶望的色彩に染まっていく予兆を示していたのではないだろうか。不気味な時代が不気味なエクリチュールを生んでいった。私にはそう思われるのである。

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今村仁司『交易する人間』を再読する

 すぐれた思想家であった今村仁司(1942~2007)が亡くなって、まもなく10年になる。彼が2000年に刊行した『交易する人間』が、最近になって講談社学術文庫として再刊された。この機会に本書の意義を考えたい。
 「交易」は物の交換・売買を意味するが、今村仁司はそれをもっと広い意味で使っている。基本にあるのは、贈り物とその返礼というかたちの交易である。それは単に人間相互の交易に限られるものではない。本書を通じて感じられるのは、宗教的な意味での交易の重要性が論じられていることである。
 今村仁司は、フランスのインド思想研究者シャルル・マラムーが、「古代インドの人々にとっては負目は人間の本性と見なされている」と述べたことに注目する。「人間は現世のなかに到来した瞬間から<負の目的に、負目として>ある。」人間は、生まれてきたことそれ自体が、超越的なものに対する負目であり、それを返していくのが人間の生活である。
 「交易する人間」は、単に物や情報を他者と交易して生きているのではない。今村仁司のことばを借りれば、「人と超人間的存在との交易こそが、他の交易のすべてを規定する」のである。「交易する人間」は、政治的人間、経済的人間でもある。しかしその根底にあるのは「聖なるもの」に動かされている人間である。「人間自身の存在も、神々からの贈与」にほかならず、人間はこの贈与に「お返し」をすることによって「交易する人間」となる。
 今村仁司は多くの著作を残したが、この「交易する人間」には、特に魅力的なものがある。
(2016年8月12日)

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日本会議について

 近代国家が成立して以降、どんな時代にも、どんな国の中にも、愛国心の重要性を叫ぶ思想は存在していた。また、愛国心をイデオロギー的中核とし、自国中心主義を主張する思想も存在していた。それゆえ、日本おける反共産主義を基盤とした右翼思想に言及する発言には目新しさはない。だが、今までマスコミにほとんど取り上げられることがなかった日本会議という謎の右派組織について語るとなると事情は大きく異なる。
 今年の4月以降、日本会議に関する本が続々と刊行されている。主なものを挙げると、4月30日に菅野完の『日本会議の研究』(扶桑社) が、5月18日に上杉聰の『日本会議とは何か:「憲法改正」に突き進むカルト集団』(合同出版) が、6月17日に俵義文の『日本会議の全貌 知られざる巨大組織の実態』(花伝社) が、7月8日に青木理の『日本会議の正体』(平凡社) が、7月15日に山崎雅弘の『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社) が発刊された。なぜこのように突如として、日本会議を考察する本が次々と出版されるようになったのか、それがこの小論を書こうと思った第一の動機であった。また、日本会議とはどのような組織で、何を目指しているのかを知りたいと思ったことが第二の動機であった。第三の動機はこの組織の運営方針や活動の問題点が何かを探る必要があるというものであった。もちろん、この小論の中で、こうした事柄すべてを網羅的に、厳密に論述することは不可能である。ここでは日本会議が掲げる「皇室の尊重」(1)、「新憲法制定」(2)、「靖国参拝」(3)、「愛国教育」(4)、「国防の充実」(5)、「世界各国との共存共栄」(6) と要約できる6つスローガンにおいて、(1) と (3)、(2) と (5)、(4) と (6) の枠組みの中で、これらのスローガンに内包されている問題の危険性を分析し、そこから見えてくる日本会議のブレーンたちが持つ戦前の軍国主義体制への強烈な回帰願望について検討していきたいと思っている。

日本型ナショナリズムの大組織
 『サンデー毎日』の7月17日号に、「日本会議の正体を暴く!」のタイトルで、前述したジャーナリストの青木理と歴史研究家の山崎雅弘が日本会議に関して対談している記事が掲載されていた。短い記事であったが、日本会議を巡る問題が端的に指摘されていた。山崎は「日本会議に代表される今の政治的潮流の方向性は、戦前の価値観に近い」と語り、青木は日本会議の政治的特徴を「宗教とナショナリズムが結びついた全体主義」と語っている。両者に共通する認識は、この右派組織が宗教的な繋がりをベースとして結合した復古主義的で、国家主義的なイデオロギー色が極めて強い団体と見なす点にある。また、日本の戦後民主主義全体を否定する野望を抱いているだけではなく、安倍晋三を首相とする現政権を下支えし、政権に絶大な影響力を及ぼしている団体という点でも一致している。
 ところで、この組織はどのように誕生したのか。公的には1997年5月に反共色の強い宗教人が中心となって作った日本を守る会と保守系文化人が中心となって作った日本を守る国民会議が統合されてできたものである。だが、日本会議の根幹を形成する事務総長の椛島有三、政策委員の伊藤哲夫 (政治評論家)、高橋史郎 (教育学者)、百地章 (法学者) といったメンバーが生長の家学生会全国総連合 (生学連) の運動員であったことは、日本会議について研究しているすべての本に書かれている事実である。生長の家は、谷口雅春によって1930年に創設された新興宗教で山梨県北杜市に本部がある。あらゆる宗教はその根本において一致すると考える「万教帰一」を説いているが、戦中は日本が国家的使命として遂行した戦争を全面的に支持した。また、日本の中心は万世一系の皇室であり、天皇であるとする「日本国実相顕現」を主張し、戦後も妊娠中絶反対、憲法改正、靖国神社の国家護持などを強く訴えた。こうした谷口雅春の見解は、現在の生長の家においては継承されていないが、前述した日本会議の中核にいる旧生学連メンバーたちは、未だに、谷口の思想を完全に継承する発言を行っている。
 もちろん日本会議は生長の家と深く繋がっていた関係者によってのみ構成されてはいない。神社本庁、伊勢神宮、明治神宮、靖国神社などの神道系の団体、霊友会、佛所護念会教団、国柱会などの仏教系の団体、諸教系では解脱会や崇教真光などが日本会議に参加し、活動しているとされている。日本会議の活動資金の多くはこうした宗教団体が出資している。また、宗教界以外でも、現会長は杏林大学名誉教授の田久保忠衛で、副会長に声楽家の安西愛子などが、顧問に石井公一郎ブリヂストンサイクル元社長などが、代表委員に石原慎太郎元東京都知事、城内康光元警察庁長官、横倉義武日本医師会会長などが名を連ねている。さらには現在の閣僚のうち安倍晋三、麻生太郎など12名が日本会議を支援する超党派の国会議員連盟の一員であり、その連盟には2015年9月時点で281名の議員が参加している。その他にも、地方議会の多数の議員も日本会議を支援している。この団体はいわば日本の右派メンバー大集合組織なのだ。
 右翼の大組織であるだけではなく、日本会議はその行動方針においても特徴がある。それが草の根右翼運動である。日本会議の設立以前から、この団体の事務総長の椛島が中心となり組織したキャラバン隊が保守系の全国の地方議員団を訪問し、元号の法制化、建国記念日の祝日化、国旗国歌法の制定、教育基本法の改正といった日本会議が重視する政治問題を地方議会で国政の場での緊急討議必要議題として決議するように働きかけた。そして、その地方議会の請願決議文が国会議員に強い圧力をかけたのである。ボトムアップ方式に見せかけた下からの圧力を最大限に生かした保守系組織の市民運動が草の根右翼運動であり、その方法は日本会議が最も得意とする政治方法である。こうした特色を持つ日本会議の問題点について、前述した三つの視点から以下のセクションでは考察していく。

機械仕掛けの天皇と靖国参拝問題
 日本会議は日本の中心が天皇であると主張しているが、その中心となる天皇とはこの組織のメンバーにとってどのようなものなのだろうか。天皇は実際に存在する人間として位置づけられる以上に、抽象化され、個人性を排除された機械人形のようなモデルとしての存在性が強調されているものではないだろうか。
 1992年10月の訪中の際に開かれた楊尚昆主席主催晩餐会で、天皇は、「我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時、我が国民は、このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたって、平和国家としての道を歩むことを堅く決心して、国の再建に取り組みました」と述べた。しかし、訪中前、日本会議現政策委員長の大原康男 (宗教学者)、同組織現顧問の宇野精一 (国語学者)、日本会議国会議員懇談会現会長の平沼赳夫などが当時の官房長官だった加藤紘一に対して、天皇訪中中止を求める強い圧力をかけていた。天皇の個人的意見よりも、自分たちの要求を通すことが如何に重視されているかを端的に示す出来事である。
 また、2013年12月の80歳誕生日記者会見の中で天皇は、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」と述べている。だが、日本会議のメンバーたちの考えは異なる。青木は『日本会議の正体』の中に、1993年に日本協議会・日本青年協議会の『祖国と青年』に椛島が書いた「天皇が国民に政治を委任されてきたというのが日本の政治システムであり、西洋の政治史とは全く歴史を異にする。天皇が国民に政治を委任されてきたシステムに、主権がどちらにあるのかと二者択一論を無造作に導入すれば、日本の政治システムは解体する。現憲法の国民主権はこの一点において否定されなければならない」という言葉を載せている。そして、それが今も日本会議の中心的イデオロギーの一つであることを示しているが、こうした意見は近代国家の条件である国民主権を完全否定すると共に、日本会議のメンバーが最大の敬意を払うべき対象としている天皇の平和主義思想をも否定するものである。日本会議のメンバーは自分たちの思うようになるデウス・エクス・マキナとしての天皇のみを必要とし、主体的に考え、正しいと思うことを個人として発言する天皇を必要としていないのではないだろうか。
 靖国神社問題に関しても、追悼機関が靖国神社でなければならない絶対的な理由はあるのだろうか。2001年12月に小泉内閣は国立の宗教性のない追悼施設の必要性を議論し始めたが、日本会議は猛反発した。椛島は2002年7月号の『祖国と青年』に掲載した論文の中で、「今回の「国立追悼施設」建設の策動は、中国・韓国の外圧に屈し、靖国神社が体現してきた「君民一体」の国体を破壊しようとするところに、最大の問題がある」と書いているが、軍国主義時代の国家神道政策が未だに続いているようなこの言葉はアナクロニズム以外の何ものでもなく、日本会議の政治運動が戦後民主主義を無視した運動であることがはっきりと示されている。また、菅野は『日本会議の研究』の中で、「(…) 日本会議にとっては、A級戦犯合祀の是非という「歴史認識」より、いかにして宗教性を保ったまま靖国神社で慰霊行事を行うかという「政治と宗教」の問題こそ重要ポイントだと言えまいか」と語っている。このように考えるならば、日本会議の、一宗教法人に過ぎない靖国神社を公的追悼施設として認めさせようとする要求、終戦記念日の首相による靖国神社参拝の要求などは、靖国神社を宗教的に特別視し、現憲法に明示されている政教分離の原則を破壊しようとするものと思わざるを得ない。

改憲と国防
 日本会議と安倍政権の最大の目標が改憲である。日本会議と深い関係にある改憲組織であり、政治ジャーナリストの桜井よしこが代表を務める「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会 (民間憲法臨調) の第15回大会 (2013年5月3日開催) の「民間憲法臨調緊急提言」の中には、「日本国憲法が制定されて以来、すでに六十六年が経過した。占領下において制定されたという異常な立法経緯を有しているにもかかわらず、日本国憲法はこの間一度も改正されず、その結果、国家社会の現実と憲法とのギャップは拡大の一途をたどってきた。そして外交や防衛・安全保障といった国家主権、国民の生命・財産にかかわる重要問題においてすら与野党間に共通の土俵が形成されないまま、わが国の国益は損なわれ続けてきた」と書かれているが、現憲法は本当にGHQによって押しつけられただけのものなのか。さらには、基本的人権の尊重、国民主権、戦争放棄の三大原理を中心とした現在の憲法は本当に国益を損なってきたものなのか。こうした問いに対して日本会議は明確な説明を行ってはいない。さらに、青木は『日本会議の正体』の中で、「天皇中心主義の賛美と国民主権の否定。祭政一致への限りない憧憬と政教分離の否定。日本は世界にも稀な伝統を持つ国家であり、国民主権や政教分離などという思想は国柄に合わない――そんな主張を、たとえば日本会議の実務を取り仕切る椛島は、平気の平佐で口にしてきた」と語っているが、それは現在の憲法を無視し、日本会議の野望である明治憲法の復活を端的に表しているものであろう。この危険性は限りなく大きい。青木はさらに続けて、「それは同時に、日本会議の運動と同質性、連関性を有する安倍政権の危うさをも浮き彫りにする」とも書いており、日本会議が現内閣に与えている絶大な影響力に関する強い懸念も示している。
 集団的自衛権の行使が現在の憲法においても解釈上可能であると述べている憲法学者は、菅義偉官房長官によれば、長尾一紘中央大学名誉教授、西修駒澤大学名誉教授、百地章日大教授の三名にしか過ぎない。僅か三人。それも問題ではあるが、三人はいずれも日本会議と深い関係にある美しい日本の憲法を作る国民の会と民間憲法臨調の役員であることを菅野は『日本会議の研究』の中で指摘しているが、これは大問題である。政府が特定の政治組織に属する憲法学者の意見のみを聞き、他の多くの憲法学者の意見を聞かないのは甚だしく不合理である。憲法第九条の規定に基づけば、外国への武力行使は原則として違憲であり、例外的に外国に対して武力を行使しようとする場合、その根拠を明確に示す必要が出てくる。九条があらゆる交戦権を認めないとするならば、個別的自衛権も日本は持っていないことになるが、国民の生命、財産などが脅かされている場合に自衛措置が認められていると考えれば、現憲法においても個別的自衛権を有しているという解釈が可能となる。しかしながら、現憲法の何処を読んでも、日本の国益を守るために、さらには、同盟国を援助するために交戦可能性の高い外国に自衛隊を派遣することができると解釈することは論理的に不可能である。論理性も、客観性もない憲法解釈を行う三名の憲法学者の意見のみを尊重している集団自衛権に対する政府の解釈は異常であり、日本会議の意向のみに耳を貸していると言わざるを得ない。

愛国心という名の全体主義
 日本会議の論理展開は二項対立概念を提示して、そのどちらか一方が正しいとするものである。そこには対立する二つの事項を止揚しようとする意図はまったく感じられない。Aが正しいか、Bが正しいかの二つに一つの選択があるだけである。こうした二項対立図式に基づく極めて単純な論理展開には潜在的ファシズム性が内在している。ここでは、まずこの事柄について検討し、さらに愛国心や他国との関係といった問題について分析していきたい。
 日本会議が強く訴えているものを、よいとされるもの [A] と悪いとされるもの [B] に分割してみると以下のようになる。[A]:男系男子継承による天皇制 (1)、戦前の政治体制 (2)、伝統主義・国粋主義 (3)、直系家族主義 (4)、靖国神社公式参拝 (5)、集団的自衛権 (6)。[B]:女系天皇 (7)、戦後の政治体制 (8)、共産主義 (9)、夫婦別姓 (10)、国立の宗教性のない追悼施設建設 (11)、個別的自衛権 (12)。(1) と (7)、(2) と (8)、(3) と (9)、(4) と (10)、(5) と (11)、 (6) と (12) は、ほぼ二項対立関係にあると言ってよいだろう。これらの対項目の中で、一番目のものと三番目のもの以外はすでに検討した事柄を多く含むため、ここではこの二つに連関する問題を中心的に考えていく。
 (1) と (7) の二項対立事象は日本会議の主張する男性中心主義的直系家族的な社会重視の立場をよく表している。女系天皇について、日本会議と日本会議国会議員懇親会が2006年3月に主催し、日本武道館で行われた皇室の伝統を守る一万人大会の決議文において、「我が皇室は、百二十五代、二千年以上にわたって断絶することなく男系によって皇位を継承し、その淵源が神話にさかのぼる世界に比類なき存在である。しかるに今般、政府は、「皇室典範に関する有識者会議」の報告に基づき、女系天皇の導入及び長子優先主義の採用という、皇位継承の伝統に重大な変更をもたらす皇室典範改正を行おうとしている」と述べているが、こうした考えはまさに男女平等や、国民の平等性を根底から否定し、皇室の特殊性だけが強調されている民主主義とはまったく無縁のイデオロギーを示している。
 (3) と (9) の対立図式も日本会議にとって重要なものである。日本会議は夫婦別姓に強く反対しているが、これも男女平等の意識からはほど遠い考えであり、この問題と反共産主義が融合したものとして、青木は『日本会議の正体』の中で椛島が『祖国と青年』1996年3月号で書いた、「旧ソ連が何故家族制度の廃止に取り組んだのか (略)、それはソ連政府が家族を革命遂行の最大の敵の一つと見なしたからである (略)」という言葉を引用している。日本会議がこれまでに語ってきた言説を考えれば、この言葉は家族を守る伝統主義対共産主義の二項対立図式を提示し、共産主義は家族制度を破壊する敵であり、家族を守れるものは日本の伝統的な制度しかないと断言していると解釈できるものである。
 こうした二項対立図式に基づく愛国心とは具体的にはどのようなものだろうか。国旗国歌法に基づく国歌斉唱の義務、美しい日本を尊ぶ愛国教育の実践、自虐的歴史観によって作られた戦後教育や制度の否定、戦後を象徴する現憲法の改正などが重視されるものではないだろうか。それはまさに日本会議が強く求めているのである。2006年12月に教育基本法が改正されたが、同年4月14日の『琉球新報』には、「沖縄は多数の住民が犠牲になった戦争体験をした。「愛国心」を植え付ける動きには「戦前の歩みを連想させる」と警戒したり、批判したりする人が多い」と書かれている。愛国心という言葉には、復古主義的ニュアンスがこびりついているだけではなく、実際に日本会議が希求し、実現しようとしている戦前のレジームへの復帰を思い起こさせる事象が数多く内在している。今示した『琉球新報』の文章の後には、「法律で「愛国」を求めるべきではない」と述べられているが、国家としての愛国心の強制はまさしく戦前の教育を彷彿させる。それだけではなく、愛国心はしばしば自国中心主義を激しく要求するものである。そこには (2) を尊び、(8) を否定する姿勢がはっきりと現れている。さらにそこには他国との共存共栄よりも、自国のシステムに他国を服従させようとする力が働いている。戦前の八紘一宇の思想は元々他国との協調による世界平和を目指すはずのものであったが、侵略の戦争の口実となっていった。日本会議の持つ敗戦前の体制への憧憬はこうした危険性を常に宿している。

 日本会議の主張している政治イデオロギーの様々な疑問点に関して論述してきたが、この小論のまとめとして、日本会議が否定する近代西洋社会が確立したシステムが、本当に今の日本社会にとって必要のないものなのかという重要な問題について考察してみたい。
 大澤真幸は『近代日本のナショナリズム』(講談社、2011) の中で、「ナショナリズムとは、普遍主義と特殊主義との共存と交叉によってこそ特徴づけられる (…)」と語っているが、それは以下のような理由による。世界的な近代化の波の中で、普遍的である国民国家設立の志向性が強く打ち出される。特殊性を示す民族性は国民国家と異なる性質のものであるが、一旦、国民国家への志向性がしっかりと根付き、国民国家が完成へ向かって動き出すと、国民国家を具体化する大きな要素として民族性がクローズアップし、ナショナリズムが生まれるのである。だが、普遍主義と特殊主義とが融合されたものはナショナリズムだけではない。大澤は宗教的原理主義者やオタクと呼ばれる人々の考えの中にも同質的な融合を見ている。そして、こうした異なるレベルの特質が融合された思想を有する集団が誕生した理由として、「かつて普遍的であると信じられていた、啓蒙思想に由来する近代的理念も、特殊に西洋的な――つまりはローカルな――ものに過ぎないと見なされている。要するに、普遍性は、今日では、不可能なのだ。人権や平等といった、近代的な「普遍概念」が、攻撃的な印象を与えるのはこのためである」と書いている。さらに、「普遍性が不可能であるとするならば、そこにできあがった空白は、普遍性をあからさまに否定し、蹂躙するような価値によってこそ埋められるであろう。「普遍性が不可能であること」、これだけが、残された唯一の普遍性だからである。(…) ナショナリズムや呪術的な信仰は、まさに、そうした「普遍性の代理」として機能する特殊性に他なるまい」という指摘は、青木がカルト的特質を持つ組織として、菅野が生長の家原理主義の団体と見なした日本会議の考えに対しても同様に述べ得る事柄である。
 しかし、デカルトが方法的懐疑によって真理の探究を開始し、コギトを中心として確立した西洋近代の思想にはもはや普遍性がないとはっきりと断言できるものなのだろうか。大澤は普遍性のレベルについては論述してはいない。普遍性は一つのレベルによって成り立つものではなく、正と誤、善と悪、信と疑といった異なるレベルのものが結合することによって成立するものである。西洋近代主義が作り出した概念が否定されるのは、真理のレベルとしてではなく (善悪のレベルもあまり考慮されてはいないだろうが、ここでは真理のレベルに注目したい)、信じられないというレベルからではないだろうか。何故なら真理は客観的、合理的、論理的といった条件がなければ真理として認められないが、信仰は主観的、非合理的、非論理的であっても構わないからである。それゆえ、大澤が語っている普遍性から特殊性への移行にはレベルチェンジがある。真理は信仰とは異なり、今示したような条件を含むゆえに個人の主観性を超えることができる。個人は主観性を持ち、変化し続けていくために、真偽を判断するには絶えず反省しなければならない。思想的真理の探究は、数学のように真が一度決定したならばそれで終わりとなるものではなく、問いを繰り返したり、考え直したりする必要性がある。信じることは主観性に身を任せるだけでも成立し、思考停止をして、何があっても疑わずに信じ続けることも可能なものである。だが、それは永遠に問い続けなければならない真理を安易に放棄してしまう危険な行為ともなり得る。普遍的なものがなくなったのではない。真偽値の領域のものとして究明すべきものにさえ、主観的な信か疑かによる判断がなされるようになったのである。
 日本会議の主張する事柄にも今述べた問題性が明確に存在している。真を信に変えて普遍を追求するとき、そこには狂信という特殊性が現われる。真偽値を確定しようとする探究を放棄した狂信者にとっては、それこそが普遍となるのである。われわれは狂信者やナショナリストに従うのではなく、もう一度デカルト的な方法的懐疑の試みを断固として再開しなければならない。もしもそうしなければ、ファナッティックなものだけが普遍的であると思える恐ろしい世界が到来してしまうから。近代性の回復と修正。それこそが今のわれわれにとって重要なことなのではないだろうか。

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二項対立図式の罠     

 6月23日に行われた国民投票の結果、イギリスがEUを離脱することが決定した。この結果が政治的、経済的、社会的に見て、計り知れないほどの大きな影響を世界に与えると至る所で語られている。政治学者でも、経済学者でも、社会学者でもない私にはそうした大問題について語る資格も、能力もない。だが、この選択がEU離脱か残留かという二項対立図式に基づく国民投票によって行われたこと、すなわち、選択肢がAかBかでしかなかったという問題は論証性や対話性、主体性の表明といった私が日ごろ研究している課題と深く係っている。この小論では現代社会において自由選択の名の下に実施される制限された選択という問題や、二項対立図式によって導かれる言説の中で示される多様性を排除した論理展開といった問題について考察していく。
 この探究課題を検討するために非常に興味深いテクストがある。それはミシェル・ウエルベックとエリック・ゼムールというフランスの二人の右派知識人の書いたテクストである。ここでは後に述べる彼らのテクストを分析しながら、上述した問題性、すなわち、言説内の論理展開の中に隠されたファシズム性の罠について語っていきたいと思う。

ウエルベックとゼムール
 フランスの雑誌L’Obsの2016年4月28日号に『ジャック・ラカン伝』の著者として知られている精神分析家のエリザベート・ルディネスコの「この国にはファシズムへの無意識的欲望がある」というタイトルがつけられたインタビュー記事が載っていた。そこではフランスにおける近年の知識人の右傾化傾向に対する的確な指摘がなされていたが、残念なことに右派の知識人たちの発言の中に実際に表明されているファシズム的要因についてのはっきりとした分析はなされていなかった (それこそがこの小論のテーマであるのだが)。しかし、彼女が挙げていた代表的な4人の右派知識人は、現代のフランスのオピニオン・リーダーとして、重要な位置を占めていることは確かである。その4人とは、哲学者のミシェル・オンフレーとアラン・フィンケエルクロート、作家のウエルベックとジャーナリストで作家のゼムールである。彼らの中で、特に後の二人は専門家だけではなく、一般のフランス人にもよく知られており、文化人としてかなりの人気があり、一般大衆への影響力が強い。二人の言説には後で述べるような興味深い共通点があり、それを追うことによって導入セクションで述べた問題に対して厳密な分析を行うことができると考えられる。だがこの考察を行う前に、まず分析の補足説明のために必要な二人の大まかなプロフィールを示すべきであろう。
 ウエルベックは1958年、インド洋にあるフランスの海外領レユニオン島で生まれ、2010年にゴンクール賞を受賞し、数多くの小説が日本語にも翻訳されている。代表的な小説としては、『素粒子』(Les Particules élémentaires, 1998)、『プラットフォーム』(Plateforme, 2001)、『地図と領土』(La carte et le territoire, 2010)、『服従』(Soumission, 2015) などがある。最後に挙げた『服従』は2022年フランスにイスラム教徒の大統領が誕生するという内容であるが、発刊当日の1月7日にパリでシャルリ・エブド襲撃事件が起こったことによって世界的なベストセラーとなった。
 ゼムールも1958年生まれで、フィガロ・マガジンにコラムを執筆しつつ、テレビやラジオにもレギュラー番組を持っている。数多くの評論テクストがあるが、Le Premier sexe (2006) はベストセラーとなり、日本でも『女になりたがる男たち』というタイトルで翻訳されている。2010年に書かれたMélancolie française (『フランスの憂鬱』) もフランスでベスト・セラーとなった。また、1999年からは小説家としても活躍している。右派の代表としての度重なる反フェミニズム、反移民発言は、左派からの激しい反発を招いている。
 この二人の作品には、«男と女»、«聖と俗»、«自国民と外国人»、«支配と被支配» という二項対立概念を提示し、どちらか一方のみを選択することによって物語の流れや、論理展開を進めるという共通点がある。以下のセクションでは彼らのこの言説的な特徴とそれが孕む問題性について考えてみる。

ウエルベックの二項対立図式
 ウエルベックのテクストの中に登場する上述した二項対立図式の使用を分析するために、この対立図式が最もよく示されていると思われる『服従』(河出書房新社、2015、大塚桃訳) をコーパス (煩雑さを避けるためにここでは邦訳本をコーパスとする) として考察を行っていきたい。この小説のおおよそのストーリーは先ほども少し触れたが、2022年にフランスにおいてイスラム教徒の大統領が誕生する中、活力を失った西洋社会で、政治意識をほとんど持つことがなく生きる知識人フランソワを主人公として物語が進行するというものである。19世紀フランスの代表的なデカダン作家とされるユイスマンスの専門家であり、パリ第3大学教授のフランソワの視点から政治・社会・文化的激変によって混乱するフランスの様相が描かれているが、注目すべき点はこの小論の探究課題である二項対立概念を巡って設定された言説の多用である。それゆえここでは前のセクションで指摘した4つの二項対立図式が『服従』の中でどのように示されているのかを具体的に見ていこうと思う。
 «男と女» はウエルベックだけでなくフランスの右派知識人が必ず言及する対立概念である。この小説では男性の理想形としてマッチョ (macho:この言葉については次のセクションで詳しく述べる) が称賛され、女性はまるで男性の性的な対象以外の価値を有さないような描写が多々現れる。そして女性の民主主義的権利は否定される。たとえば、「実際のところ、女性が投票できるとか、男性と同じ学問をし、同じ職業に就くことがそれほどいい考えだと心から思ったことはない。今はみんな慣れっこになってるけど、本当のところ、それっていい考えなのかな」というフランソワの発言は、男女平等を批判し、男性中心主義の家父長制度によって維持されていた過去の時代を肯定する復古主義的な側面が強調されている。
 «聖と俗» という問題について『服従』の中には、「カトリックの教会は、進歩主義者に媚び、おべっかを使い甘やかすことで、恥ずべきことに、退廃的な社会の傾向に対抗不可能になり、同性愛者の結婚や、妊娠中絶や女性の就労の権利をきっぱりとそして厳格に否定できなくなったのだ」という指摘がある。この小説においては、西洋の先進国であるフランスの社会をリードしてきたキリスト教は凋落し、もはや聖なるものを背景とした指導原理としての地位を失い、それに代わってイスラム教がフランス社会をリードするようになるという設定がなされている。そこには西洋市民社会の進んだ側面であると見なされてきた様々な権利を否定しようという態度が明確に表明されている。
 «自国民と外国人» の問題は外国人が厄介事を起こす移民という視点からだけ述べられている訳ではない。ヨーロッパ文明が末期的症状を呈しており、オイルマネーをふんだんに持つイスラム教国の経済的優位という側面が強調されている。小説には「何週間か前から、ソルボンヌ大学の分校をドバイ (…) にも作ろうという、少なくとも四、五年前からの古いプロジェクトがまた表面化していた。同様のプロジェクトはオックスフォード大学も検討中で、この二つの大学の歴史の古さがオイルマネーの豊かなどこぞの国を魅了したに違いなかった」という言葉が書かれている。こうした設定は経済力をバックにした強力な外国勢力と、自国の文化を切り売りするヨーロッパの年老いた国というイメージが増幅されたものとなっている。
 «支配と被支配» という点に関して、小説の主要登場人物の一人であるルディジェが「『O嬢の物語』にあるものは、服従です。人間の絶対的な幸福が服従にあるというのは、それ以前にこれだけの力を持って表明されたことがなかった。それがすべてを反転させる思想なのです」と語っている点は重要である。力のあるものに従うことこそがよいことであり、それこそが幸福であるという考えは、いわば家父長制に基づく旧体制的な社会システムが善であり、そこにこそ安定と未来があることが全面的に肯定されているからだ。それは保守主義であり、西洋社会においては復古主義であり、男性中心的原理が支配原理となることを望むものである。

ゼムールの二項対立図式
 ゼムールの二項対立図式を分析するためにここでは『女になりたがる男たち』(新潮社、2008、夏目幸子訳) をコーパスとして、前のセクションで行ったように、«男と女»、«聖と俗»、«自国民と外国人»、«支配と被支配» という4つの二項対立概念に対するゼムールの立場を考察していこうと思う。だがその前に、この本の概要について述べておく必要性があるだろう。この本はフランスの現代社会を批判した評論で、フェミニズム理論に対して特に強く反論し、かつての男性中心社会の復活を強く主張している。こうした論調はもちろんフェミニストから大きな反発を招いたが、二項対立概念を提示してどちらか一方を選択することが正しいと直接的、間接的に読者に迫る論証法を数多く用いていることが大きな特徴となっているテクストである。では、この論証について具体的に見ていこう。
 «男と女» という性的な違いは、恋愛、家族、教育など多くの社会問題を考えるための基本的差異である。だが、現代においては、フェミニストと同性愛者の増大によって、この二つの差異は消えかかっているとゼムールは述べている。そして男性が元来は女性的であると思われていたものを尊び、女性化していくことによってユニセックスの社会が理想とされるようになったと指摘している。男性像は現代においてはマッチョ型とゲイ型に分類され、力強いが暴力的と見なされるマッチョ型の男性はフェミニストに指導された女性たちに嫌厭され、女性的なゲイ型の男性が尊重されるようになったと書かれている。「ゲイはマッチョと対をなし、コインの裏と表に相当する。ゲイは光でマッチョは影。ゲイは善でマッチョは悪。女性化され、もてはやされるのがゲイ。粗野な男らしさゆえに否定され、軽蔑されるのがマッチョ。そしてマッチョは社会から追放だ」というように現代社会の様相をラディカルに示し、そうした社会を否定し、従来の男性像の復権をゼムールは声高に語っている。
 «聖と俗» という二項対立もこの本の中では性的な問題と関連づけられながら書かれている。聖性の象徴としての愛と俗性の象徴としての性欲という対立項の葛藤の中に置かれた白人男性についてゼムールは以下のように話している。「彼らは妻を愛している。愛しているのだが、愛しすぎていて、尊敬しすぎていて、崇拝しすぎていて、恐れすぎていて、性欲を抱けなくなってしまったのだ。」それゆえ、社会的、経済的な様々な要因が絡み合う男女関係を考察した後に、ゼムールは「今日の社会はこうした男女関係の複雑さを認めようとはせず、平等と尊敬でもってあらゆる欲望を無化している」として、聖なるものに対立する俗なものとしての性欲の重要性を強調している。
 «自国民と外国人» という二項対立図式に関して自国の善良な人々に対立する野蛮な外国人の移民として登場するのがアラブ人男性である。「彼らは男が女性化されていない世界の出身で、衝動に従って行動するが、同時にその衝動は宗教や家族の掟という枠組みによって抑制されている。ところが彼らが住む国フランスでは枠組みはすでに破壊されてしまっているので、無防備な都市における征服者のように振る舞う」と語られている。無教養で、白人男性がかつて有していた暴力性が全身に満ちている野蛮人、フェミニストに牛耳られたフランス社会に巣くう異邦の悪魔がアラビア人だと断言しているのである。しかしながら、その野蛮人の持つファルスの力に匹敵する力こそが、中性化して生殖能力を失った現代フランス社会を打破するために必要不可欠なものであるとゼムールは主張している。
 «支配と被支配» の関係はフランスにおいては移民問題における支配方法の変更によって大きく変化したと述べられている。フランス政府が移民に従来求めていたフランスのシステムへの同化という政策を変え、移民が持っている社会的、文化的慣習を捨てずともフランス社会へ参入できるというより寛容な統合という政策を実施するようになったのだ。「(…)「統合」という言葉は、呪文となり宗教となった。「統合」は、それまでのフランスの伝統だった「同化」モデルに取って代わった。移民とその子どもの同化をあきらめるということは、すなわち男性的権威でもってフランスの文化を彼らに受け入れさせることをあきらめるということだ」という言葉は、支配の弱体化という側面を指摘しているだけではなく、移民に対する政府の弱腰を批判し、強いフランスを再び目指せという暗黙の要求が隠されている。「権力とは、悪であり、死であり、男根であり、男だ」という発言はまさにこの要求の根拠となるものである。

止揚なき対立
 『服従』は小説であり、『女になりたがる男たち』は評論であるというジャンルの相違がある。異なるジャンルのテクストを安易に比較して某かの結論を出すことは賢明なことではない。しかしながらこの小論ではウエルベックとゼムールの語りが、小説と評論というジャンルの違いを超え、共通のイデオロギーとそれを擁護するために用いられる同じ論理に基づいていることを問題としている。それゆえ、この点にだけに焦点を当てて二つのテクストに底流するものは何かを考えていく試みは正当化されるものであると思われる。
 二つのテクストの共通点を検討する前に、これらのテクスト内で提示されている論証性の特質をよりよく理解するために、二項対立概念を駆使して理論体系を構築したフェルナン・ド・ソシュールの論証方法について考えてみたい。言語体系と個人的使用言語を示す «ラングとパロール»、言語の歴史的変化を考察しようとする学的姿勢と特定期間内の言語体系を考察しようとする学的姿勢である «通時態と共時態»、音的な側面 (音声言語以外の手話という言語体系においては動素の側面であるが) と意味的側面を示す «シニフィアンとシニフィエ»、記号が他の記号と意味的・形態的な何らかの類縁性を有するという問題と記号が時間軸に沿って並置されていく問題である «連合関係と連辞関係» といった二項対立概念は、相互に依存しながら言語システムの成り立ちを厳密に解明するために提示された分析装置である。それゆえそこにはAかBかの選択という論理は存在しない。また、言語システムの基本単位の抽出という問題に対しても、ある言語記号と他のある言語記号との差異によって基本単位が導かれる。そこにあるものは、排除の法則ではなく統一の法則であり、弁証法的発展であり、それによってラングというシステムの根幹が構成されるのである。
 二項対立概念を用いながらもその対立する二つの要素を止揚させることによって論理展開を行っていく論証方法が弁証法であるが、ウエルベックの論理展開にもゼムールの論理展開にもこうした弁証法的な発展性はまったく存在していない。スイスの論理学者ジャン=ブレーズ・グリーズは、アリストテレスが論理を示す方法として「三段論法」、「弁証法」、「レトリック」の三つを提示していると主張している。三段論法が真偽値と係り、弁証法が蓋然性と係り論理展開するのに対して、レトリックは論理展開する語る主体の主観的な判断が優先される。それゆえグリーズに従えば、レトリックにおける論理展開は客観的根拠も、論証がより発展的に進行する可能性も存在していなくとも基本的には何の問題もないものなのである。このように考察すると、ソシュールの二項対立図式とはまったく異なり、ウエルベックとゼムールの論理は体系化の試みとも客観化の試みとも大きく隔たったレトリックによる論理を多用することによって、何らかの方向性に読者を導くような操作を行っていることに気づかされるが、多用されたこの論理の中に隠されているイデオロギーとは何かということについては次のセクションで検討していく。

原ファシズム
 上記したルディネスコの記事のタイトルにある「ファシズムへの無意識的欲望」という言葉は重要である。ウンベルト・エーコは『永遠のファシズム』(岩波書店、1998、和田忠彦訳) の中でファシズムの基本的な特徴 (Ur-Fascismo:原ファシズム) を14挙げているが、それらの特徴と、ウエルベックとゼムールの論証性とがいかなる関係性を持っているかという点についてこのセクションでは考察していきたい。まず14の特徴を提示しよう。それは、1. «伝統崇拝»、2. «モダニズムの拒絶:非合理主義»、3. «「行動のための行動」の称賛»、4. «混合主義»、5. «異質性の排除»、6. «個人もしくは社会の欲求不満からの発生»、7. «ナショナリズム»、8. «敵の力を客観的に把握する能力の体質的な欠如»、9. «闘争のための生»、10. «大衆エリート主義:階級主義»、11. «英雄主義»、12. «マチズモ (男性中心主義)»、13. «質的ポピュリズム»、14. «「新言語」の使用» である。
 ウエルベックとゼムールの論証の中には、少なくとも、上記したものと関連する以下の特徴を有している。家父長制への復権を支持する点で伝統崇拝が見られる (1:これ以降の括弧内の数字は上記したどの項目と関係するかを示す)。近代市民社会の成果を否定することによるモダニズムの拒否が存在している (2)。混合主義は批判に耳を傾けないとエーコは述べているが、二人の考えにおいてフェミニズムはまったく認められていない (4)。同性愛の否定などには異質性の排除が見られる (5)。二人の発言の基盤となっているものはまさに現代社会への不満である (6)。国家単位での問題に依拠する以上そこにはナショナリズムが垣間見られる (7)。男性の暴力性への称揚は闘争のための生の問題を孕んでいる (9)。弱者軽視という階級主義を根幹とした思想が存在している (10)。強き父の代表としての偉大なリーダーに対する崇拝は英雄主義そのものである (11)。二人の言説の大きな論拠の一つがまさにマチズモである (12)。大衆の質的差異が無視され、多数決に従わなければならないという点だけが強調される数への還元が重視されている (13)。
 エーコが指摘した14のうち11の特徴が二人の言説の中に現れている。この点だけ見ても彼らの言説にはファシズム性が隠されており、その原ファシズム的言説を正当化するために二項対立図式が多用され、対立する概念のAかBかの選択を読み手に暗に強要するレトリックが使われていることが理解できる。ルディネスコが言うようにそこにはまさに「ファシズムへの欲望」が隠されているのである。だがそれが必ずしも「無意識的」である訳ではなく、それが「この国」すなわちフランスだけの問題である訳でもないという修正が必要ではあるが。この点に関しては結論部分で述べることにする。

 20世紀の後半以降、文化相対主義、多言語多文化主義などの必要性が強調される一方で、資本主義経済に基づくグローバリゼーションが急速に世界に広がっていった。だが、この相反する二つの指導原理は多くの混乱や対立を生み出した。その狭間に登場したものがファシズム性であり、こうしたファシズム性を正当化するために用いられる典型的な論証が、二項対立概念を提示し、AかBかの選択を迫るという方法ではないだろうか。その典型例として、ここではウエルベックとゼムールの言説の分析を行ったが、ウエルベックの言説は小説であるために、そこに現れたファシズム性はルディネスコが指摘したように無意識的と語られ得るかもしれないが、ゼムールの言説は意識的なファシズム容認として十分に捉えられるものである。それゆえ、現代のフランスにおけるオピニオン・リーダーとしての右派知識人の未来に対する一つの方向性が、意識的にも、無意識的にもファシズムの方向に向かっていると言えるのではないだろうか。
 また、潜在的にファシズムの方向に向かっているのはフランスだけではない。アメリカ大統領候補のトランプの言説にも、冒頭で述べた自国中心主義を背景としたイギリスのEU離脱問題における離脱か残留かという二項対立図式にも、日本の現政権の中にも、ファシズムに至る危険性を孕む言説が多用されている。そのすべてをここで提示することはできないが、自民党が2014年の衆議院選挙で用いたスローガンともうすぐ行われる参議院選挙のスローガンだけは考察してみたい。「景気回復、この道しかない。」これが2014年のスローガンであるが、「この道」とはもちろんアベノミックスであるが、経済回復政策にアベノミックスとそれ以外の政策を対立させ、前者の選択のみが正しいというように選挙民の選択を暗に導こうとする言説的操作が見られる。そこにはウエルベックやゼムールが用いた二項対立図式と共通するレトリックが存在する。つまり、意識的か無意識的かは判らないが、潜在的なファシズム性が隠されていると述べ得るのではないだろうか。さらに、選挙公約の中ではほとんど言及されていなかった安保法制に関する法案が国民の多くの反対にも係らず強行採決された点なども併せて考えるならば、尚更ファシズム的なものとの関連性が指摘できるだろう。そして、今回の選挙スローガンは「この道を。力強く、前へ。」この道がアベノミックスの推進だけではなく、潜在的ファシズムの道ではないとはっきり断言できるのかと疑問に思うのは私だけであろうか。
 いずれにせよ、われわれはファシズム性を孕みながらもそれにベールを掛け覆い隠す巧妙なレトリックの正体をしっかりと見極める必要性がある。世界が多様性を認めながらも一つの理想の下で調和的に発展しようという方向性から外れ、自国中心主義を掲げるポピュリストたちが世界中で跋扈している現状がある。われわれは彼らの語る言説の中にあるファシズム的レトリックを正しく嗅ぎ分け、二項対立図式を使った言説の罠に嵌り込まないように十分に警戒しなければならない。もしもそうしなかったならば、われわれの時代の弱くて脆い希望は、暗い闇の中に、少しずつ確実に引きずり込まれていくからである。

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透明なメルヘン:松本竣介の世界

49日から619日まで板橋区立美術館で開催されている展覧会、「絵画・時代の窓 1920s‐1950s」に行く。この展覧会には沢山の日本の画家の作品が並んでいたが、代表作とは言えない作品が一、二点飾られているだけという不満な点がある一方で、およそ40年に及ぶ絵画の歴史を概観できるという利点があった。こうした機会に日本の現代美術の流れに関して考えることも確かに興味深い問題ではある。だが、ここでは展覧会の中で最も気になった松本竣介の「鉄橋近く」という絵と、松本竣介の作品について述べていきたいと思う。

 

「鉄橋近く」という作品を巡って

そこに展示されていた「鉄橋近く」は木炭と墨によって描かれた作品であるが、この絵とまったく同じ構図を持つ油絵が二枚ある。一つは画面全体が青緑色によって描かれたもので、もう一つは黄褐色によって描かれたものである。新潮日本美術文庫の『松本竣介』の中で美術評論家の浅野徹は一連の絵の真ん中から少し右にある二つのシルエットについて、「これを人物とみた土方定一は時代の監視者としての竣介と解し ()、一方織田達朗は「固有な国家意志の体現者」とみて「迎え撃つ者」と解した ()」という二つの異なる考えを紹介している。さらに、「この絵の取材場所が山手線五反田駅近くの線路が目黒川をまたぐあたりと同定し、ふたつの黒いシルエットが人影ではなく、ベンチレーターか何からしいと指摘したのは丹治日良と洲之内徹である (」とも語っている。土方と織田との考えの方向性は全く違うが、二つのシルエットを画家の、あるいは、時代精神のシンボルとして解釈している共通点がある。それに対して丹治と洲之内はこの絵が実際に何を描いているかという問題、すなわち絵と描かれた対象とのインデックス関係が問題となっている。ここで三つの見解の相違を細かく検討するつもりはないが、解釈という問題について一言述べておく必要がある。

記号が指し示すものが一義的に了解されることによって意味が開示されるケースが存在する一方で、記号が指し示すものが多義的に了解されてもなお意味空間の広がりが展開されるケースが存在する。言語記号を例に取るならば、われわれが普段会話する場合に用いる日常言語 (langage ordinaireにおいては言葉の一義的意味が重要となる。それに対して、詩的言語 (langage poétiqueにおいてはいくつもの解釈空間が広がっていく多義性が重要となる。どちらの意味作用も言語記号を用いるわれわれにとっては必要不可欠なものである。だが、こうした意味レベルの違いは言語記号のみに特異的に見られるものなのではなく、すべての記号に見られるものである。絵画記号における絵とその対象との関係を考えたとき、「鉄橋近く」に対する異なる観察がこの問題を解明するための一つのよい分析対象となる。唯一の正しい解釈があるのではなく、多くの解釈があるからこそ絵画記号の解釈空間は開かれていくのであり、そこには絵画とそれを見つめる者との対話関係が存在しているのである。

 しかしながら、松本竣介の作風という問題を考えた場合に、この絵の別な側面に注目できるのではないだろうか。それは、向かって見て、左側の隅に小さく描かれている自転車に乗った人のシルエットである。絵の中心から外れてぽつんと一人描かれたこのシルエットは松本竣介の作品が持っている儚く淋しげな側面をよく表しているように思われるのだ。

 

水晶のような男

 1912年に生まれ、13歳のときに聴力を失い、36歳でこの世を去った夭折の画家、松本竣介。岩手県で幼少年期を過ごし、宮沢賢治の詩や童話をこよなく愛し、池袋モンパルナスの時代に生き、数多くの友人に恵まれた。軍国主義一色に塗り固められつつあった1941年に雑誌『みずゑ』に「生きてゐる画家」を書き、軍部の圧力に抵抗した芸術家。松本竣介は短い生涯の中で様々な物語を織りなした。それゆえ、彼の絵画作品はその生涯と重ね合わされて語られることが多い。彫刻家の船越保武は追悼のための詩の中で、この友人を「水晶のような男だった」と述べているが、作品そのものの魅力と共に、彼の人生の中の多くの逸話が間違いなく松本竣介像を形作っている。画家の人生と作品とを重ね合わせることがよいことなのかどうかは判らないが、このセクションでは、画家自身と彼の作品とを共に知った私が、そこから導き出した三つのキータームによって (この三つは「記号の横断性」のセクションで語る事柄と深く関わるものである)、 彼の作品の印象を語ろうと思う。三つのタームは、 «ソリスト»«透明性»«エチュード» である。

 松本竣介の作品の物悲しさは «ソリスト» としての孤独。実際に応答する声は聞こえず、心の中で声を重ね合わせるしかない孤独。私にはそう思える。聴力を失った疎外感があり、軍国主義の時代精神にまったく迎合できずに騒然とした社会に一人背を向けようとした画家。その姿勢は彼の絵の中にも見出せるものである。宇佐美承は『求道の画家 松本竣介』の中で、「議事堂の前には黙々と荷車を曳く男をおいた。丸の内にも、池袋の工場の前にも、横浜の月見橋にも、御茶ノ水の聖橋にむかう坂道にも人を描いたけれど、人はひとりぽつんと、ほんとうに淋しそうに立っていたり、歩いていたりした。人はひそやかな道を、どこからきてどこへいくのか、とぼとぼと歩いていた。ときには証人のように立ちどまっていた。この人たちは竣介だったのだろうか」と述べている。この一人、何処かに向かおうとする «ソリスト» としての姿勢は «透明性» へと通じている。

 彼の作品の «透明性»、確かにそれは孤独さゆえの «透明性» である。宇佐美は風景画の中の寂し気な人影についてのみ語っているが、自画像などの人物画においても、遠くを見つめるような眼差しを持った人物が描かれている。そこには容易に孤独な姿を見つけ出すことができる。だがそれだけではなく、目の前の誰かと視線を合わせることを避け、どこか別の世界を見つめ続ける清純な画家の視線も感じる。また、都市の幻想風景のように描かれた複数の人物が描かれた絵においても、人物は淡く、実体がなくなっていきそうで、透き通った空間へと向かって進んでいく途上にあるように思える。途上であるものは未完である。宇佐美は松本竣介を「求道の画家」と述べているが、それは未完であるゆえの «エチュード» としての求道ではないだろうか。

そう、完成途上にあるものは完成へと向かうための «エチュード» としてのトレースが印されている。もちろん、松本竣介の絵の一つ一つは完成されているのだが、そのあまりに短い生涯と作風とが彼の作品を完成や円熟という形容から遠く離れたものとしており、それこそが彼の絵の清浄さの源泉となっている。「様式の探究、技術の習慣的練磨、それは、作家であることのしるしです」と松本竣介は日記に書いている。彼は探究しようと望み、その途中で旅立った。だが、彼の «エチュード» としての作品には寂しげだがどこまでも透き通った世界が、メルヘンの世界が映し出されている。

 

記号の横断性

 ジュリア・クリステヴァが提唱した概念である間テクスト性 (intertextualitéは、時間的にも空間的にも異なる言葉が対話関係を結ぶことが可能であるというミハイル・バフチンの考えを発展させたものである。バフチンやクリステヴァは言語記号を用いたテクスト内の連関性についてのみ言及しているが、間テクスト性という概念は絵画記号の問題を考える上でも有効な分析装置である。それだけではなく、異なる記号によって表現されたテクストの間にも間テクスト性は存在する。ある写真が一冊の本を生むことがあり、ある音楽が一枚の絵を生むことがある以上、そこには間テクスト性が存在する。しかし、ここではそうした創造という側面からこの概念を検討するのではなく、解釈の地平から見た松本竣介の作品の持つ間テクスト性について語ろうと思う。

 松本竣介と宮沢賢治との関係性について語られることは多い。二人が岩手県と深く係っている点、画家が36歳、詩人が37歳という短い生涯であった点、明治の後半から昭和までの同時代に生きていた点、前者が生長の家の信者 (1936年に決別しているが)、後者が法華経の信者であって両者とも宗教的なものに影響された点、松本竣介が宮沢賢治の作品を愛読していた点などから二人の関係性がしばしば強調されている。しかし、そうした指摘は二人の人生を重ね合わせようという逸話的、伝記的、物語的連続を基盤とした間テクスト性について語っているのではないだろうか。私の個人的な印象では、松本竣介の絵画作品は宮沢賢治の詩や童話との類縁性に彩られているというよりも、中原中也の詩との連関性を強く意識させるものである。宮沢賢治の作品にはメルヘンとしての色彩がある一方で、義務的で、命令的な、使命を要求する宗教的倫理観が色濃く反映されている。そこにはメルヘンの持つ透明感よりも原色を塗り込むような強いタッチが存在している。だが、松本竣介の絵は遠くの世界を静かに求めており、それは激しい情念世界と正反対の、あくまでも澄んでいて、純粋なものだ。中原中也もそうした世界を求めていた。

 

あれはとおいい処にあるのだけれど

おれは此処で待っていなくてはならない

此処は空気もかすかで蒼く

葱の根のように仄かに淡い (「言葉なき歌」)

 

 遠く離れた何処かにあるもの。その存在を信じ、それを求めて、作り上げられた二人のテクスト。二人が作り上げたテクストの清浄さはメルヘンの世界の持っている透明性だったのでないだろうか。二人の作品はメルヘンの世界を見続けることによって共鳴しているように私には思えるのだ。異なる記号を横断する間テクスト性。

 透明なメルヘン。それが二人の作品を結びつけるテーマであり、二人の作品を結びつける私にとっての間テクスト性の第一テーゼであった。ここにあっても、それはあそこを目指し、上昇しようとする。現実世界には存在しないが、メルヘンの世界には存在する夜の陽射し、音のない河のせせらぎ、肉体の消えてしまった私が見つめる風景。

 

秋の夜は、はるかの彼方に、

小石ばかりの、河原があって、

それに陽は、さらさらと

さらさらと射しているのでありました。(「一つのメルヘン」)

 

竣介の絵を見つめる私。中也の詩を口ずさむ私。私のイメージ空間の中で二つのテクストは交叉していった。

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