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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

戦争画とプロパガンダ

 1月18日から3月1日まで埼玉ピースミュージアムで「描かれた戦争―絵に託した思い―」というテーマ展が行われていた。川口市立図書館にあったフライヤーをたまたま見つけた私は、この展覧会が非常に意味のあるものであると思った。何故なら、私は今迄に戦争画についての拙論を十本程書いたが、戦争プロパガンダとしての絵画という視点からの探究とその波及効果に関する探究は殆ど行っていず、この展覧会を見て、この問題に対する詳しい検討を行いたいと考えたからである。
 東武東上線の高坂という駅を降り、バスに乗り10分程、更にバス停から歩いて10分。展覧会の会場である埼玉ピースミュージアムは小高い丘の上にあった。このミュージアムのウェブサイトのトップページを見ると平成5 (1993) 年に開館したと書かれているが、埼玉県にこのような施設があることを私はまったく知らなかった。展望台からの見晴らしはとてもよく関東平野が一望できるが、ミュージアムの周りは木々に囲まれていて、人家はまったくなかった。
 テーマ展自身は小規模なものであったが、興味深い発見が幾つかあった。その発見についてここでは、«戦争プロパガンダポスター»、«絵葉書になった戦争画»、«戦争画家の描いた雑誌の表紙画» という三つの視点から考察していきたい。 

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小泉明郎作『縛られたプロメテウス』を観劇して

去る2020337日、芸術公社主催「シアターコモンズ’20」において、小泉明郎作、VR演劇『縛られたプロメテウス』が上演された。昨年101014日(12日は中止)、「あいちトリエンナーレ2019」において上演され、好評を博した作品の再演である。前回は台風に見舞われ、中止を余儀なくされた日もあったが、今回は、新型コロナウイルスの感染が拡大する中、慎重な防止対策をとった上での上演となった。
 初演のあと、私は、市原佐都子作『バッコスの信女ホルスタインの雌』の劇評をこの欄に公表したが、その際、小泉のこの作品にもふれ、作品に仕掛けられたトリックを公にすることのデメリットに言及し、再演を考慮してここでは扱わないことを書いた。しかし再演が終わり、とりあえずそうした制約がなくなった今、記録の意味をこめて、初演の「あいちトリエンナーレ2019」後に書いておいたレビューを公表することにする。
なお、「シアターコモンズ’20」における再演については、諸般の事情で私は見ることができず、配布資料など、初演から一部変更があった可能性はあるが、それをフォロウしていないことをあらかじめ断っておく。また、この劇を再現、記録するにあたり、一回限りの観劇だったため、詩的テキスト(ナレーション)の再構成が難しかったこと、そして私自身の記憶のあいまいなところは、他のレビュアーの記事を参考にして補ったが十分とはいえないことも記しておきたい。 

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責任と贖罪:虐殺の記憶を語ること

  1月13日、文京区区民センターで憲法を考える映画の会が企画した「自主制作・上映映画見本市#3」が行われ、総計7本のドキュメンタリー映画が上映された。私はその中で「靖国・地霊・天皇」(2014年)、「9条を抱きしめて―元米海兵隊員が語る戦争と平和―」(2013年:以後サブタイトルは省略する)、「反戦を唱う女たち」(1988年)という三本の映画を見たのだが、ここで書こうと思う事柄は「9条を抱きしめて」と関係する問題である。映画の完成度から言うならば、この映画よりも他のニ本の方が完成度は高かったが、この作品が提示する問題について考察する必要性を私は強く感じたのだ。それには以下の理由があった。
 この上映会の数日前、私はある大学の図書館で多木浩二の『進歩とカタストロフィ:モダニズム 夢の百年』という本を見つけた。この本の冒頭で多木は、「ニ〇世紀を後にしたわれわれは、その歴史を書かねばならない。それはほとんど義務といってよい。それには政治、経済、社会関係、文化などが複雑に組織化された領域を横断せねばならない」という言葉を書いている。この言葉を読みながら、私は20世紀について何かを語ることの一つの大きな意味は、世紀の変化と共に忘れ去られようとしている小さな出来事をもう一度確かな目で見つめ直すことではないかと思ったのである。
  そして、私は「9条を抱きしめて」を見た。この映画の元海兵隊員の物語とその物語に関係した歴史性について何かを書くことも、歴史の波間に消え行こうとする問題に再び光を灯すことではないだろうか。そう考えたのである。それゆえ、このテクストでは最初にアレン・ネルソンという元海兵隊員の人生に関して検討する。それに続いて、やはりアメリカの軍人で、ヒロシマの原爆投下にゴーサインを送った先導機の機長だったクロード・イーザリーについて書いていく。そして二人の元アメリカ軍人が引き受けようとした戦争責任と彼らの行為の歴史的意味という問題について考えていきたい。 

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バロック王・寺山演劇の“いま・ここ” (後編) 

 考察◉20世紀芸術の転換
 
バロック演劇や寺山演劇に特徴的な「劇中劇」やフィクショナルと現実的な身体という二重性を持つ「パフォーマンスの身体」の提示は、「時間をこの場へ変えること」つまり「現在の顕在化」を促している。それは額縁絵画やプロセニアムアーチの中で括られた表現の境界に対する挑発であり検証であるが、時として冒涜やテロリズムでもある。
かつて芸術作品としての絵画や彫刻は芸術家の手を通してこの世に現れた。プラトンのイデア論を引用するならば、様々な物に分化する前の統一体「一者(ト・ヘン)」から「ヌース(知性、精神、理性。イデアを認識するための理性的能力)」が「魂」を経て、段階をふんで「質料(物質的な存在)」に行き着く。そこにあるのはラファエロのような偉大な芸術家が生み出した芸術作品でさえも、作品(物質)化以前の上位の内的形相やイデア界にそれ以上の洗練された根源的な善や美があるというものである。マルセル・デュシャンは大量生産品を提示することにより機械化・大量生産化されたモノはイデア界から無縁という意味で、あらかじめ「腕が折れている」という芸術観をアイロニカルに示した。それは新プラトン主義的芸術観の終焉に対して捧げたオマージュ作品「折れた腕の前に」(1915)である。このデュシャンのレディ・メイドの登場は古典的な芸術の終焉を意味するとともに、新たな現在“いま・ここ”への示唆に満ちている。芸術は歴史や神話の物語の再現ではなく“いま・ここ”で生まれて消えていく「現在というものごと」への問いであり、芸術家の手がイデア界からの触手ではないことへの表明である。
21世紀に入った現代では展示表現空間としての美術館・劇場・ギャラリーなどに限らず市街や野外での作品制作や設置表現まで違和感がなくなり、ランドアートやインスタレーションなどサイトスペシフィック(その場所固有の設置)な作品を多々目にする。それは“いま・ここ”性が顕在化する試みでもある。この20世紀からの動向は美術や音楽に限らず演劇も同様に試みられている。寺山修司の演劇は、演劇を成り立たしめている容れ物としての劇場や観客席そのものを題材にし、そこの場所をも台本に取り込みながら固有(サイトスペシフィック)の演劇的な行為を行う。逆遠近法的な劇中劇のようである。
次に仮説としての「寺山修司の演劇は“いま・ここ”を探す演劇」であり「“本当の現実”とは何か?を問う演劇である」といった部分の例をあげたい。
 

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バロック王・寺山演劇の“いま・ここ” (前編)

 ◉はじめに
 寺山修司の芸術活動領域は多岐にわたる、短歌から始まり俳句に詩、随筆・評論に小説、ラジオやテレビドラマ、芝居の戯曲、映画監督から演劇脚本・演出などなどで、そのメルヘンからアングラ、超現実主義的でありながら知的・論理的なセンスに同時代人たちは魅了された。論者も青年期に「家出のすすめ」や「書を捨てよ、町へ出よう」など読み漁ったのち、やがて上京し1977年「中国の不思議な役人」で寺山修司の演劇初体験をする。その後、78年に「身毒丸」「観客席」、79年に「レミング」「こども狩り」「青ひげ公の城」、81年に「百年の孤独」へと寺山演劇を体験するのだが、体験した1979年渋谷西武劇場の「青ひげ公の城」や渋谷ジャンジャンにおける「観客席」は衝撃的であった。その衝撃とは何だったのか?一言で言うなら「何が本当で何が嘘なのか?」という堂々巡りの思考の渦に飲まれたという他ない。あらかじめ仕組まれた偶然性を装ったセリフや出来事の中で、どこから芝居が始まりいつ終わったのか?どこからが台本上の出来事でどこからが現実の出来事なのか?その虚構と現実の不確かさの中で途方にくれたまま帰路につくといった具合であった。そのカルチャーショックは数日から数十年、意識の底に沈んだり、ふとしたきっかけで顕在化したりと伝染病のように論者の現実に感染していた。つまり寺山修司にとって演劇はラジオ・テレビや映画と違い革命にも似た表現行為であったということだろう。それは舞台の上の出来事も、観客の座る椅子も同じ時空間に存在する現実であるという自明性であり、翻って舞台上の演劇表現も観客の日常的現実もまた人間の作った虚構であるといった寓意であった。

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