宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

第8回ラカン読書会のご案内

期日:12月6日(土)15:00‐21:30、12月7日(日)10:00‐16:00
会場:駒澤大学駒沢キャンパス本部棟6階中会議室2
   http://www.komazawa-u.ac.jp/cms/campus/c_komazawa2
   田園都市線駒沢大学駅下車徒歩約15分
会場費:無料

テキスト:
1)ラカン『Autres ecrits 』所収「ローマ講演」
2)ラカン『エクリ』(1966年度版)所収「ローマ講演」(通称)「精神分析におけるパロールとランガージュの機能と領野」
1)に関しては「東京精神分析サークル」ホームページ掲載の向井雅明訳を使用
2)に関しては、本会の有志6名による邦訳を使用
参加希望の方は、吉沢meisan46@kind.ocn.ne.jpまでご連絡ください。邦訳テキストを添付ファイルでお送りします。

読書会の方法:
12月6日(土)15:00‐18:00『Autres ecrits 』「ローマ講演」1/2
12月6日(土)19:00‐21:30『Autres ecrits 』「ローマ講演」2/2
12月7日(日)10:00‐12:30『エクリ』「ローマ講演」の「前書きPreface」 および 「序文Introduction」
12月7日(日)13:30‐16:00『エクリ』「ローマ講演」(「パロールとランガージュの機能と領野」)の 第1章
1テーマ3人発表制に基づいて発表(発表の内容、形式は各自の自由、持ち時間30分/人)。4テーマ×3人=12人(発表者)

参考:原文のインターネットからの入手方法
1)『Autres ecrits 』「ローマ講演」
http://www.psychaanalyse.com/pdf/lacan_bibliographie_livre_Autres_Ecrits.pdf
PDF版『Autres ecrits』の原書ページP133-P164、 印刷ページP123-P153
2)『Ecrits』(1966年度版)「ローマ講演」
www.clas.ufl.edu/~burt/Lacan.pdf
PDF版『Ecrits』 の原書ページP206-P268、印刷ページはP214- P285
注)『Ecrits』のフランス語原文は、1953年度版はインターネットで入手可能ですが、改訂された1966年版はインターネットでは公開されていません。原文希望の方は、上記のアドレスまでご連絡ください。

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2014年9月の近況報告

 去る8月下旬に、駒澤大学の部屋をお借りして、二日間にわたって「ラカン研究会」を開いた。テクストは、ラカンの1938年の論文「個人の形成における家族コンプレックス」である。これはまだ邦訳がないので,向井雅明さんの訳を使わせて頂いた。多数の参加者があり、報告と討論が活発に行われた。また向井さんもこの論文についての考えを述べて下さった。参加者のひとり小倉利丸さんは、その場での報告を修正してご自分のブログにアップされた。それを当研究所のブログに転載させて頂くことにした。

 私は去る7月下旬に、インド東北部のアッサム州を訪れた。アッサム州は、1985年まで「アッサム王国」だったところで、田舎風のレストランなどには、元国王の写真が掲げてあったりした。たまたまそのあたりでは、デング熱と日本脳炎が流行していて、州政府は蚊の駆除に苦労していた。ホテルでも「ベーブ」に似たものが置いてあった。アッサム州は、紅茶の産地であり、茶畑が拡がっていて、ちょうど茶摘みをしていた。日本の茶畑と違うのは、畑のなかに樹木があることである。ダージリンの駅のホームの売店で紅茶を飲んだが、10ルピー(20円)だった。
 また9月中旬には、日光を訪れた。日光へは何度も行っているが、東照宮の奥にある「滝尾神社」へは初めて行った。弘法大師が820年に創建したという神社である。弘法大師は関東に来たことがないので、それはもちろん「伝承」である。弘法大師の「足跡」は、関東のあちこちにある。埼玉県の所沢には、弘法大師が掘ったという「三つ井戸」があり、かつてその近くにあった銭湯は「弘法の湯」という名前だった。秩父の山奥にも弘法大師が爪で彫ったという石仏があり、50年ほど前に行ったことがある。日光を最初に開いたのは空海より40年ほど前に生まれた勝動上人であり、中禅寺を創ったのも、そこに安置されている立木観音を彫ったのも勝動上人だとされている。その勝動上人の墓が、神橋から滝尾神社へ行く途中にあった。この道に沿って、北野神社があるのも面白いことであった。とにかく歩いて行くと思いがけないものにぶつかることがあり、それが旅の楽しみである。(2014年9月13日)

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一夫多妻制としての資本主義家族とラカンの『家族コンプレックス』

ラカンの「家族」についての議論では、家族一般ではなく、家族の特殊歴史的な近代家族が対象とされている。生物学的な意味での種の世代的再生産に必須の条件は、オスとメスの性交→妊娠→出産→育児を保障する何らかの人間集団の存在であるが、この人間集団のパターンは一つではない。成人の人間が生存可能な条件と自立的な生存が不可能な乳幼児の生存条件は、異なる二つの構造が節合する形でひとつの社会構造に組み込まれる。

ラカンや精神分析の歴史において、しばしば言及されるアルカイックな社会は、文字通りの「原始的な」社会というよりも、人間が言語と象徴的な次元を獲得して社会構造の安定を欠きはじめた時代と重なるように思われる。しかし、この時代は、人類史の文字通りの端緒を意味していない。個体発生が系統発生を繰り返すという仮説を受け入れるとすれば、まずもって念頭に置かれなければならないのは、人類が人類となるギリギリの端緒の時代にまで遡ることが必要だろう。しかしまた、個体発生が文字通りの意味で系統発生を繰り返すかどうかは、疑問の余地の多い仮説であるように思われる。新生児や乳幼児を太古の人間と重ねあわせられるという発想は、もし、そうだとすると、アルカイックな社会の人間の個体発生はどのように系統発生を繰り返すことになるのか、アルカイックな社会の人間が成人として生存の自立を獲得していることは確実なことであり、乳幼児の生物学的に自立しえない状態との差異は無視できないほど大きいように思われる。フロイトはしばしば、心的な状態に関しては、この両者の間に共通するものがあるとみなし、乳幼児の心的装置あるいは性的な欲動の特異な構造の根拠をアルカイックな時代に重ねあわせることで人類の普遍的な特性としての性の秩序の形成(その中核をなすのが乳幼児の多型的な性の欲動からエディプスコンプレックスと抑圧を経て異性愛へと収斂させる過程)を指摘しようとしたように思われる。ラカンの初期のテクスト「家族コンプレックス」もまた、こうした観点を前提としている。ラカンはこの後、アルカイックな社会への言及が消え、同時に「イマーゴ」の概念も用いなくなる。家族コンプレックスをはじめとして多様なコンプレックスの概念が捨てられエディプスコンプレックスだけが残されたように思う。加えて、鏡像概念が(その内容の変遷は別にしても)この初期のテキストの重要な論点をなしている。したがって、こうしたラカンのその後の展開を念頭に、以下の私のコメントも、アルカイックな社会における人間の心的装置を現代のそれとの関係には深く立ち入って、ラカンの家族コンプレックスの是非を論じようとはしていない。また、精神分析に限らず、「精神」を対象とする科学や社会科学一般にみられる「家族」という観念を再審に付すことを念頭に置きながら、ラカンの初期のテキストの意義を明確にしてみたい。

というのも、わたしの資本主義的な家族の概念は、いかなる意味においても通説とは異なっており、家父長制的な一夫一妻制を前提とするほとんどの精神分析、精神医学、心理学から社会学や哲学に至る議論の土台を与件とすることができないからだ。わたしの場合、資本主義的な家族は一夫一妻制と一夫多妻制の二重の構造を有するものだと考えており、男にとっての家族構造と女にとってのそれは一致しないと考えている。これは主観的な家族を唯一の家族とみなすのではなく、家族を生から死へと至る欲動の構造を「市場」の特異な欲望生産過程と不可分なものとしてのみ成り立つ(つまり性の市場)とみなすからである。ここには、エディプスコンプレックスによって抑制された想像的なロマンチックラブを象徴化する構造とともに多型倒錯の欲望を超自我の検閲から解除する想像的な性の離散的な欲動を象徴化する構造が輻輳するところで家族コンプレックスがなりたつと考えているからだ。ここには心的な犠牲の構造があり、その最大の犠牲を担うのは、家族コンプレックスの周縁に排除されるセックスワーカーである。このことは、精神疾患の現実の課題にも関わることであるから、思想の課題であると同時に実践的な解放の課題でもある。いずれにせよ、二重の家族構造からなる資本主義的家父長制家族という前提を置くことは、なかなか困ったことではある。無視できない重要な理論的な成果(ラカンもそのひとつであることは疑いえない)をこの複雑なパラダイムへと移植するという作業を引き受けなければならないからだ。

●「歴史」は人類の進歩ではなく危機と混沌の弁証法的過程である

マーシャル・サーリンズが『石器時代の経済学』で述べたことが正しいとすれば、200万年近くの人類史全体のなかで、その大半を占めるのが最も安定した「豊かな社会」としての旧石器時代であった。この時代の人類がどのような自我の構造を持っていたのかは考古学的な研究でも不明なところが多いが、根本的なところでいえば、この最も繁栄した豊かな社会の時代を終えて、文明化の過程に進んで以降の人類の歴史は、「発展」や「進歩」の歴史ではなく、むしろ社会構造の不安定が恒常化した時代、言い換えれば、人類の衰退の可能性を秘めた歴史であるということである。この意味で、精神分析が「太古」へと遡及可能なものとしてのイマーゴの仮説がこの旧石器時代にまで包含するのであるとすれば、支持できないように思われる。むしろイマーゴと呼びうるものが、かつて旧石器時代にも存在したものにその原型があるとしても、それは、文明化の過程のなかで、破壊され、その痕跡を残す何かがあるとしても、それは人間の意識や感情、あるいは精神分析が対象とする人間の心的装置に実質的な役割を担うことはありえないほどに退化しているのではないか。

歴史の概念は時系列に沿った社会変化の概念である。したがって、この意味での社会変化が生じるようになって初めて社会における歴史が記述(あるいは口述)可能になる。これは、神話であってもある種の「現実」の記憶であってもどちらでも同じである。定常的で変化を自覚あるいは記憶しない場合、今ここに生きる現実以外の現実は存在しないから、これをあえて記録(記憶)する意味はない。もし歴史が変化を本質とするのであるとすれば、変化の意味をどのように理解すべきなのだろうか。変化には三つのベクトルがある。進歩か衰退か混乱か、である。しかし、このいずれのベクトルであっても、歴史の時代は、社会構造の恒常的不安定の時代であり、だからこそ時間軸に沿った「変化」を余儀なくされ、弁証法的な過程を辿るのだが、この不安定性は、種の安定した再生産の回復へのあがきでもあって、それは歴史に進歩を期待し理想の社会へと向うことを一義的には意味せず、逆に、より混沌とした崩壊へと向う可能性も秘めていることを軽視すべきではないだろう。この意味で、人類は、文明化以降、危機を生きざるをえなかったのであり、この危機は、出口が不明であるが故に、人類は不安感情を基礎に置くある種の神経症的な心的状態を「正常」とみなすことによって、この変化を強いる「歴史」的な現在を正当化した。つまり、文明的な人間の本質は不安を抱えこみ、これが時には暴力の生成に帰結し、この変化には混沌や衰退の潜在性がありながら、こうした変化を「進歩」と言い換えることによって、この混乱を正当化して、肯定的に受け入れべきものとしてきた。

百数十万年に及ぶ定常状態から歴史と呼ばれる変化の時代へと移行したときに、人類は、大きく自然の環境から逸脱しはじめ、固有の心的装置を形成することによって、生理学的生物学的な適応に必要な心的な適応を模索しはじめたのではないだろうか。いわゆる本能や欲動の始原的な部分は変容と抑圧を必要とされ、多分、無意識はこの時点で、数万年の長い世代的な変化を通じて徐々に形成されてきたのではないか。無意識は、文明化以降の異常をきたした心的装置が混沌と危機の歴史のなかを生きる上で適応・形成されてきたものだと位置づけることができる。言い換えれば、文明化以前の(旧石器時代の定常状態を百数十万年にわたって生きた時代)人類は無意識を必要とはしなかったと思われる。言い換えれば、人類は、自己自身を含む自然的世界への適応を象徴的な次元を介在さることによってかろうじてその存続を維持させたのであり、無意識は、混沌、危機、あるいは衰退の過程に伴う混乱のなかで、心的装置が編み出した適応の産物だと思われる。同時に言語の次元が肥大化し、言語が果す役割が他のコミュニケーションの手段に比べて極度に過剰な機能を負わせられる状況が文明化以降の時代に特徴的なこととなり、これらと無意識は不可分な構造として心的装置を構成してきた。

このように、無意識の構造を含む心的装置(そこには同時に言語の次元が含まれるのだが)は、歴史的な構築物であり、歴史の変化(衰退や混沌への適応のための試行錯誤、あるいは悪あがき)に対応してその構造もまた変容するはずのものである。そうでなければ心的装置は十分にその機能を発揮できず、それが機能不全へと至れば人類の存続も不可能になるが、しかしまた、心的装置の世界への完全な適応もまたありえず、社会の変化との弁証法的な過程をとらざるをえない。

●無意識の再編

200万年近い人類史全体のなかから、ほんの数世紀の歴史しかもたない近代という時代だけを抽出するのは無意味なことだろうか。そうは思わない。むしろ、この数世紀の歴史の意味こそがわたしたちにとって最大の課題であり、現代という「瞬間」の意味を問うことを諦念させるような気の遠くなるような時間の大海のなかの一滴なのではない。むしろ現代の「一滴」を問題とするために大海を見ることが必要なのである。宿命論とは無縁であるべきであり、いかに膨大な時間を射程にいれようとも、わたしたちの数十年の一人一人の人生が果しうる事柄は決して小さいわけではない。

19世紀末から20世紀にかけてフロイト(たち)が無意識を発見したのは、この時代に無意識が露呈せざるをえないほどにまで心的装置が追い詰められ、時代への適応を迫られた時代だったからだろう。こうした心的装置の再編を人類は何度か経験していると思われる。それはトーテミズムであったり、古代ギリシアの形而上学の創案であったり、諸々の神話や神観念であったり、あるいは理性と科学による世界認識であったりというところにあらわれており、これらは無意識の再編の意識的な次元での表出であるのだが、一見すると知の進化(深化)のようにみなされ、こうした変化を経験していない多くのアルカイックな社会を、文明化された社会からは、哲学も科学も不在の野蛮な社会として見下してきた。しかし、果してどちらが通俗的な意味で「野蛮」なのだろうか?あるいは、「野蛮」は文明よりも野蛮だと言えるのだろうか?

19世紀末になるまで、こうした無意識の再編の歴史が無意識を無意識として見出すことはなかっが、19世紀は無意識すら自覚化させざるをえないほどにまでの危機を経験した時代だったといえる。無意識の露呈は無意識の危機であり、この危機は、変動する社会への人間の適応の限界を意味しているとすれば、19世紀を通じて、無意識への抑圧によって調整されることができないような心的装置の不具合が資本主義社会の中枢を襲ったということである。この時期に無意識の再編が行なわれたはずであり、ここには欲動と「神」をめぐる問題が伏在しているのではないかと思うが、この点には今ここではこれ以上言及できない。この無意識の再編は、主体が他者のと間に(ということは主体が、ということと同義だが)特異な社会構造を介在させざるをえなくなったことを意味している。この特異な社会構造は、直接的には「家族」(資本主義的家父長制家族)であり、商品関係の浸透にともなう特異な欲望の生成、性と所有の秩序による全く新たな「抑圧」の構造である。19世紀を通じて、正常と異常の境界が再編を迫られ、ここに無意識を自覚化させる契機が生じた。フーコーやクレペリンが論じた「狂気」は、むしろこの時代の「正常」をこそ問われねばならない問題の根本があることを示唆した。20世紀は、この新たな事態、即ち、無意識を自覚化する方向と無意識をなきものにしようとする方向との闘争に時代であった。この闘争は現在まで継続している心的装置をめぐる弁証法的な過程であるが、同時に、これは個人としての主体の問題ではなく、混乱と混沌の衰退過程を正当化する支配的な文化=イデオロギーを支える無意識の再編をめぐる問題でもある。現実世界は混沌としており、混乱した断片の集合であって、そこに一貫した秩序は存在しない(王様は裸だ!)が、他方で秩序を構築しようとする力にも作用するために、この両者の間の矛盾が「歴史」と呼ばれる変化をもたらす。だから、裸の王様を見る者たちをことごとく、異常な者とする力は、政治的な力なのである。

●家族について

ラカンは「文化は社会的現実そして心的生活において新しい次元を導入する。この次元が、人間の家族を、そしてさらに、人間におけるすべての社会的現象を、特徴づけている」と述べている。また、「父性の感情の発達をしるしづけた精神的公準にこの感情が依存しているものについて考えるだけで、この分野では文化的審級が自然的なものを支配しているということが理解できる。」とも指摘し、家族は自然的なものといようりも文化的な審級によって特徴づけられるとした。これには完全に同意できる。

それでは「文化」は、人類の時間的空間的な拡がりにおいて、普遍的な現象なのか、それとも、複数の多様な文化を普遍的な文化に還元することができない固有の特徴をもつものとみるべきなのか。少なくとも、これまでの知見をもとにすれば、普遍的な文化一般の定義は見い出しえていないと思われる。この点は、「太古性」として指摘されている事柄に関わる。つまり、「太古性」が現代にまで維持されるような側面があり、精神病はこの側面を示すものだというラカンの解釈が妥当であるとすれば、「太古性」は歴史を超越する文化的な要素だということになるのだろうか。

「人間の家族の文化的構造は観察と分析という具体的心理学の方法によって完全に解明できるのであろうか。たしかに、このような方法は家族の階層的構造のような本質的特性を解明するのに十分であろうし、また、家族において、子どもにたいする大人のあの強制の特権的機構を認めるに十分であろう。人間は、この強制に、自らの道徳的形成の太古的基盤と根源的段階を負っているのだ。」

とくに、「離乳コンプレックス」については「心的機制のなかで、授乳関係を人間の乳児期の欲求が要求する寄生的様式のもとに固定し、母親的イマーゴの本源的形態を表す。したがって、それは個人を家族に結びつける最も太古的で最も安定した感情の基礎となる」のであり、しかもこれが「心的発達の最も原始的なコンプレックス、以後の全てのコンプレックスと共に成立するコンプレックス」ということになれば、ここに文化の普遍的側面を見出しうるようにも解釈できる。しかし、そうだろうか?問題は、授乳‐離乳の生物学的な過程ではなく、この過程を実現する家族コンプレックスとこの家族コンプレックスを可能にしている「物質的基礎」にある。ここでの家族コンプレックスは一義的には決まらない。授乳‐離乳における〈母〉役割は、伝統的な社会では生物学的な母か「乳母」といった現実の人間だが、近代化以降(資本主義化以降)の工業化のなかで、「人口栄養」に代替できるようになった。つまり「解剖学的に分化した器官によって行使されるひとつの生物学的機能」が外部化されることになった。このことが、従来の心理学の俗説(母乳神話)とは逆に、母乳による授乳から離乳段階での心理的な危機に影響を及ぼすことは理論的には考えにくい。なぜなら、乳幼児にとっての最大の関心は、授乳による欲求の満足であり、それが誰(何)によって達成されようと問題にはなりようがない(問題にしうるような主体、あるいは自我の形成に至っていない)からである。むしろこの離乳における危機は、母役割の側に、ある種の不安とて生起する可能性がある。分娩時の不安こそがむしろ問題であり、離乳は母子関係の転換を意味し、その意味を母役割を担う女は体感するので、自覚と実行行為との関係の危機を意識せざるをえないからだ。精神分析は、この分娩から授乳へと至る母役割の女が直面する生存の危機(分娩による「外傷」から新生児の生殺与奪の力を自覚せざるをえないように作用する「家族」的責任の強制に伴なう不安)の問題を軽視し、逆に新生児の生存の危機に着目してきたのは私には理解に苦しむことだ。危機は二重に存在しいることが重要なことであると思う。

そもそも、妊娠の段階から、親子関係は、純粋な生物学的な関係ではなく、病院によって媒介される社会的な過程のなかに統合されている。これは制度としての統合であるだけでなく意識の上でもそうである。家族は閉鎖的な親密空間ではなく、制度が深く関与する。「家族に介入する社会」はどの社会にもいえることだが、近代社会の場合、家族は、より大きな制度、国家と市場に節合される。妊娠の段階から、産むか産まないかの選択にはじまり、出産後の授乳を母乳にするのか人工栄養にするのかという選択、人工栄養の場合はどの人工栄養を選択するのか(商品選択行動)が意思決定に影響する。この全体が、出産・育児の文化と家族をめぐる文化のなかで、男と女に非対称的に配分された家父長制権力を背景に遂行されるのである。

こうして出産段階から、近代家族は特殊歴史的な環境のなかで親子関係を構築する。ここでいう「特殊歴史的」とは、一方で、親子関係を規定する法制度など国家の制度か家族という私的な関係に介入するありかたであり、もう一つは、市場が供給する商品の使用価値が親の欲望にもたらす固有の機能である。この近代家族の意識の根源には、排他的な「所有」の観念があり、これがエディプス・コンプレックスの形成に影響する。そもそも伝統的な家族は、世代的再生産と共同体の生産単位を統合的に担い、この機能を前提として主体を構築していたが、近代社会はこの家族の機能を市場(資本)の側に奪いとることによって新たな物質的な生産の余地を市場の内部に取り込みながら近代家族を形成してきた。従って、近代的な主体(個人)は、近代以前のそれとは連続性はない。この近代的な家族の形成に伴って、近代に固有の心的装置が形成され、無意識の構造もまた、固有のものとなる。ここで排他的な所有は重要な位置を占める。母は誰のものか、父のものであれば〈私〉のものではありえない、という父あるいは夫の所有の観念は、市場経済に固有のものである。父が〈私〉とともに母を共有するという選択可能性を排除する理由は、所有の概念を介在させなければ説明できない。後述するように、この排他的な所有は市場において逆転されて、性産業における所有を通じて、共有を達成するのだが。

●エディプスコンプレックスと市場――資本主義的一夫多妻制

こうしてエディプス・コンプレックスもまた、市場と国家に節合された家族を前提に理解されるべきものである。乳幼児期の多型倒錯的な性欲は、思春期まで抑圧されるが、思春期以降親以外の異性へと向うような調整も、この市場と国家の節合という特異な構造を前提とすると、全く異なる「解決」のメカニズムが存在することがわかる。とりわけ、市場が性的欲望に介入するありかたは、資本主義が制度的な一夫一妻制に収斂せず、特異な一夫多妻制の構造を持つことを明かにする。つまり、性的な欲望は、家族関係の内部で完結せず(人工栄養のそれ同様)市場の介入を通じて選択的に調整される。つまり、性産業の介入である。性産業は、 原初的な性的欲望を引き受ける装置として機能するということである。

近代家族における夫婦関係は、ロマンチックラブの幻想を支えとして、制度として世代の再生産を担うが、ここにはそもそも根本的な矛盾がある。近代社会では伝統的な社会のような婚姻規則は衰退し、カップリングの基本は、個人の自由な契約に委ねられる。他方で、市場は個人の欲望を最大化し、自由とは「選択の自由」であり、選択肢の多様性を保障することが自由の意味であるとする市場が生成する欲望は、ロマンチックラブから婚姻へというプロセスと矛盾する。多様で選択の自由を最大化するような性的欲望は家族関係の内部では抑圧されるが、同時に、市場がこの抑圧を解除する役割を引き受けるのである。この解除の機能を性産業が担い、所得の大きさに応じて、この性産業における「自由」を享受することが可能になるから、性産業の需要者は主として男性ということになる。労働=生産機能を大幅に資本に奪われた近代家族において妻役割の重要な機能のひとつが、世代の再生産と相対的に切り離された男性の性的な欲望の充足(ここでは資本が供給する避妊のテクノロジーが重要な意味を持つ)という性労働にあるが、この機能の一部もまた市場に外部化される。男性は、性産業を通じて、妻役割の一部を獲得するのであるから、これは、特異な一夫多妻制なのである。(これは、性産業に固有なことではなく、あらゆる家事サービスの外部化や機械化もまた一夫多妻制の構造として理解できる)

こうして家族は二重化するのだが、最大の特徴は、市場による無意識の代替機能にある。幼児期の多型倒錯的な性欲は、そのほとんどが性産業によって代替される。反復可能なロマンチックラブからオーラルセックス、アナルセッス、同性愛、サドマゾヒズム、近親相姦のロールプレイ、窃視行為などなどまで、ほとんどの欲望のリストがここには見出せる。市場がこうした性欲の充足機能を果しうることによって、エディプス・コンプレックスは、資本主義においては、市場では「一夫多妻制」による抑圧を回避し、原生的な欲望を解除しつつ、他方で、「一夫一妻制」としてエディプス・コンプレクスを愛と世代的再生産の家族制度として確保するという特異な家族コンプレックスのシステムを男女の間に非対称的に配置する構造をもつものだとみるべきであろう。この非対称性はもっぱら所得に依存するので、理論的には一夫多妻制は、自由に処分可能な所得を女性が獲得すれば、一妻多夫にも多夫多妻にもなりうるが、これは資本主義ではほぼ実現不可能であろう。こうして、男性の心的装置における無意識は、家族コンプレックスと市場の性産業とでは、その範囲も内容も異なるものとなる。無意識に抑圧された欲動は、選択的に意識化される。超自我は選択的に機能し、自我理想もまたその姿を家族コンプレックスと市場とでは異なる相貌を呈する。市場はタブーを意識化化して抑圧から解除する機能を担い、家族の聖性と共存することができるのも、こうした超自我と自我理想の選択的な機能を有する家族コンプレックスによる。こうした選択的な機能は、無意識が男性の心的装置であるだけでなく、これを社会構造の内部で処理する機構があるからではないか。他方で、女性は男性とは異なる家族コンプレックスの構造を持つ。性産業のなかで多型倒錯的な妻役割を性産業でになうセックスワーカーは、資本主義的な家族の二重構造がもたらす断層によって主体の解体の危機を常に引き受けざるをえない位置に置かれることによって、一夫一妻制の聖性を支える役割を担わされることになる。これは、特殊資本主義的な家族の構造が死の欲動を性の局面において表出させる特殊なありかたである。構造としての妻機能と主観的な妻役割と制度的な妻役割が分断されながら奇妙な主体に結実する。この点で、セックスワーカーが直面する精神的な問題は、この重層的な家族の構造を視野に入れなければ、精神分析の主体として位置づけることもできないだろう。

もし資本主義が一夫多妻制という隠された構造を家族コンプレックスに持つのだとすれば、ラカンの次の指摘をどのように理解したらいいだろうか。

「精神分析家の研究の対象になるのは、たしかに、近代人の心理と一夫一婦制家族との関係である。このような人間が、まさしく分析家がみずからの実践のもとに置く唯一の対象である。分析家がこの人間に人間の最も根源的な諸条件の心的反映を見いだすとしても、この人間を彼に最高の要求を課する文明のなかで理解することなしに、そして同じく、この人間を前にして科学的態度の限界における分析家自身の立場を理解せずに、彼を心的諸問題から開放すると主張できるのだろうか。」25

ラカンは一夫一妻制を前提とした家族について論じており、市場と国家に節合された資本主義的な一夫多妻制を前提としていない。近代家族のなかの〈私〉は、閉鎖的な空間としての家族ではなく、社会的な外延をもつ家族のなかでかろうじてちぐはぐな統合を維持するにすぎず、これは〈父〉であれ〈母〉であれ〈夫〉であれ〈妻〉であれ変らない。〈父〉等はある個体に付与されるものではなく、ある種の記号として複数の個体に拡散して配分されながら、個人の自我理想(あるいはイマーゴというべきか)を通じて自覚されるばあいには特定の個人のなかで擬制的に統合された像を形成するが、これは構造的な観点からすれば現実の父等々を意味するわけではない。付言すれば、家父長制とは父の支配のことだが、父とは誰だろうか?誰にとっての「父」だろうか?妻が呼ぶ「お父さん」、愛人が呼ぶ「パパ」はいずれも「父」の構造をもっている。こうした構造が意識に表出する文化とそうではない文化の違いは無視すべきではないとしても、家族は人々の常識や道徳からなされるパロールの世界からは見えない構造を持つのであり、これこそが、生から死へと至る欲動の構造を担う心的装置が前提しなければならない構造だということなのである。

●家族と精神病・神経症

ラカンは次のように述べている。

「家族コンプレックスは精神病において形式的機能を果たしており、家族的主題は、精神病が自我と現実において構成する停滞に応じて妄想のなかで優位を占めている。神経症においてこのコンプレックスは原因的機能をはたす。つまり、家族に起きた出来事や家族の構成が、症状と構造を決定するのである。これらの症状と構造に従って神経症は人格を分裂させ、内向化もしくは反転させる。」

あるいは神経症に関連して次のように述べている。

「家族の役割はエディプス・コンプレックスの二重の役割からきている。つまり、ナルシシズム的発達におけるその偶発的な影響によって自我の構造的完成にかかわり、この構造にエディプス・コンプレックスが導入するイメージによって、現実のある種の情動的な活性の原因となる。これらの効果を調整する役割は、われわれの文化における社会的協調の形態が合理化するにしたがって-コンプレックスが自我理想を人間化して相互的に決定する合理化であるが-、コンプレックスのなかに集中する。他方、創造的活力と一貫性に関してこの文化そのものが自我に出すますます増大する要求のために、これらの効果は変調をきたすようになる。
ところで、こうした調整の偶然と不安定さ、同じ社会的進歩が家族を一夫一婦的形態に変え、より個人的な変動にまかせるにつれ増大していく。」35

精神病や神経症が「家族状況の異常さの相関関係」であるということは、一夫一妻制を前提とする場合と私のように資本主義に固有な一夫多妻制を家族コンプレックスに組込むとするのかで、どのような違いをもたらすのかは今後の検討課題である。家族的状況の制度的な閉鎖性と矛盾する外部との節合のなかで、資本主義に固有のメカニズムによってリビドーを処理するのだとすれば、精神病・神経症についての理解にどのような修正が必要になるのか。多分、資本主義に固有の自己調整機能が市場と家族の間で成り立ってきたのだとすれば、それは常に完全に成功するわけではない不完全で矛盾を孕んだものでしかないのだから、この過程の分析はかなり複雑なものにならざるをえないだろう。

しかしラカンは、動物恐怖症に関連して次のような示唆的なことも述べている。

「それは、大きな動物は妊娠する者としての母親、威嚇する者としての父親、侵入者としての弟を直接表すかぎりで、凋落したエディプスの代用的形態にすぎない。しかしそれには注目すべき点がひとつある。なぜなら、個人はそこで不安にたいする防衛として、自我理想の形態そのものを再び見いだすからである。われわれはトーテムにおいてこの形態を認めたが、それによって未開社会は主体により安定し余裕のある性的形成を保証するのである。とはいえ、神経症者はいかなる「遺伝的記憶」の痕跡に従うわけでもなく、ただ、人間が自然的関係のモデルとして動物について抱く-深い理由がないわけではないのだが-直接の感情に従うだけである。」36

近代社会ではこのトーテムに代替する機能を果すものは何なのか?実はこれこそが論じられるべきことではないだろうか。性産業における多様な(従って倒錯した)欲望の選択、貨幣(所得=富)による女の交換、自然的関係ではなく社会的自然状態としての市場(共同体にとっての外部)を伴うのが近代の家族コンプレックスである。トーテムは市場の「性的秩序」と同一の構造をもつとはいえないだろうか。もし、このように、市場の機能をトーテムがアルカイックな社会で果していた機能と共通なものの何かであるとすれば、ここから市場を家族に媒介しつつ家族コンプレックスを意識のレベルでの〈父〉等々ではなく、構造のレベルでのそれとして再定義し、個人ではなく、機能によって近代的個人が主体として不完全かつ矛盾を内包させつつ統合される動態的な存在であることも理解可能になるかもしれない。

このことは、近代社会が、文明化以降の混沌とした衰退を「進歩」や「発達」として正当化する矛盾の特殊歴史的なあらわれの一端に関わり、ラカンが正当にも家父長制的な家族的な紐帯に批判的な態度がいかなる解放の射程を持ちうるのかについても、新たな解釈を可能にするかもしれない。しかも、ラカンの基本的な枠組は、家族構造が二重性を持つとしても、基本的には有効な側面をもつと思う。なぜならば、ラカンの枠組は、今回引き合いに出した初期のテクストでは、その来歴の制約(百科事典の「家族」の項目のために執筆された)から家族という枠組に縛られているが、その後のラカンの関心は、必ずしも家族にはなく、むしろ個人としての主体の問題へと展開されていったからである。ラカンの「父」の概念はフロイトのそれとは根本的に異なる次元を有している。これは、精神をめぐる近代社会の人間の危機を「家族」に還元するのではない方向をもつものだと思う。この点は別に論じなければならないだろう。

付記:本稿は、2014年8月31日に「ラカン読書会」(駒沢大学)で報告した内容に加筆したものである。なお、私のラカンへの言及については以下も参照してください。

ラカン「無意識の位置」『エクリ』メモ(2014年5月20日、宇波彰現代哲学研究所)
http://uicp.blog123.fc2.com/blog-category-21.html

ラカンからの引用は「個人の形成における家族コンプレックス、心理学的一機能の分析試論、1938年に『フランス百科事典』の項目として発表」、向井雅明訳、東京精神分析サークルのウェッブ。http://psychanalyse.jp/information.html

参考文献(ラカンを除く)
マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』、山内昶訳、法政大学出版局、2012年。
小倉利丸「売買春と資本主義的一夫多妻制」 田崎英明編『売る身体/買う身体 セックスワーク論の射程 』、青弓社、1997年所収。
小倉利丸「性の商品化」、近藤和子編『性幻想を語る』、三一書房、1998年所収。
小倉利丸、人間の安全保障・人身売買・搾取的移住研究会報告、2006年。
http://alt-movements.org/no_more_capitalism/modules/documents/index.php?content_id=4&page=print

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チェリー・ピッキングに抗するラカン読解――向井雅明「ジャック・ラカンの理論的変遷」書評

 チェリー・ピッキングという言葉をご存知だろうか。チェリー、つまりサクランボの中から熟したものをえり好みして、自分が気に入るものだけをピックアップする、という意味で、数多くの事例の中から自分の説に有利なものだけをピックアップすることである。
 人文系の学問では、フィールドワークやサンプリングの際に問題になりそうなやり方である。「全ての凶悪犯はパンを食べている。パンは危険である」、ということも主張できてしまう。
この場合、えり好みというのは、何と何を関連付けるかということをも意味している。たとえば、犯罪の発生率の低下を説明する際に、ある者は政策によって警察官が増員されたことと関連付けて考えるかもしれないし、別の者は景気回復などの経済的要因と結びつけて考えるかもしれない。どの観念とどの観念が関連付けられて世界観が形成されていくのかという過程についての考察や、そのとき一見すると単なる観察者のように思われる、人間の側からの働きかけがあってこそ世界観が生み出されているという観点は、ジャック・ラカンの精神分析にとって重要な考察対象のひとつであろう。
 また、サンプリングやフィールドワークとは無関係で、テクスト読解を中心とする哲学研究や思想研究でも、このチェリー・ピッキングは起こりうる。なぜなら、たいてい哲学や思想についてのテクストは、難解で晦渋だからだ。
「哲学者Aは○○を重視していないが、哲学者Bは○○を重視している」。こうして二者の対立を際立たせる際に、ある種のえり好みが行われることは大いにありうる。
 論敵との対立を明確にするために、相手の論点を誤解してみせたり、あるいは誇張したりすることをストローマン論法と呼ぶそうだ。ストローマンとはわらで出来た人形のことで、架空の存在を作り上げるという含意がある。相手の論点を誇張して架空の存在を作り上げている、ということである。日本語では「わら人形論法」と訳すようだが、日本でわら人形と言えば、丑三つ時に釘を打ち込まれるマジックアイテムなので、この訳語はなんだか別のイメージが付加されてしまって、あまり適切ではないように思える。
 ストローマン論法は、方向性は逆でも、えり好みという点でチェリー・ピッキングと同じことをしている。

 さて、ジャック・ラカンの思想、あるいはテクストは、これまで凄まじいほどにチェリー・ピッキングされ、また、論敵にはストローマンにされてきただろう。
 なぜならば、ラカンの語り口というのはとてつもなく晦渋で、その理論たるやとてつもなく難解だからだ。哲学者の内田樹は以下のように述べている。

 ラカンは一九五〇年代には精神分析の新しい方法論として臨床医たちを驚愕させ、六〇年代には時代を領導する精神的導師として五月革命世代の人々を熱狂させ、そして八〇年代以降は世界の大学院生たちの表象読解のための必読文献になった。これはひとつの思想のたどった旅程としてはかなり特異なものである。
 その汎用性の高さは、「ラカンがほんとうはなにを言おうとしていたのか、だれにも確定的なことが言えない」というラカン理論の超絶的な難解さに裏づけられている。あまりに難解であるために、だれにでも使える理論というものがこの世には存在するのだ。(1)

 また、英国で文化理論について研究するキャサリン・ベルジーは以下のように述べている。

ラカン自身の謎に満ちた語り口は、無意識の発話を模倣している。賞賛者にとってみれば、このスタイルのためにラカンのテクスト自体が欲望の対象となる。わたしはいつも思う。「今度こそは、きちんとわかってみせる」。それができさえすれば……。(2)

 このように語られる難解さと複雑な文体のせいで、ラカンを読み解き、そして、何かを論じる際に概念的ツールとして用いるとなると、恣意的なえり好みにならざるをえないのだ。ラカン理論の全容を把握した、と言い得る者はいるまい。
 また、ラカン自身も、この難解さと語り口には、狙うところがあったようだ。あまりに難解であれば、聞く者は、真剣に耳を傾け、自分がその意味を捉えたかどうか、自問自答を繰り返さざるをえない。こうして、ベルジーが述べているように、聞くものの中で、ラカンが蔵する知への欲望が生まれる。これこそが、「想定的知の主体」に対する転移関係である。このようなラカンの語り口について、「プラトンの時代から、口述による伝達が愛を生じせしめるということ、愛と知識は無関係ではないということは明らかだった。(…)彼〔ラカン〕はまた、生徒たちの中に、自分で吹き込んだ転移性の愛を切望し、それを強力に進展させるようにも見えた。」(3)と精神分析の臨床家であるブルース・フィンクは述べている。
 また、ラカン自身が、多産的な誤読を許容していたとも言える。多産的な誤読、と言ってしまうと、どこかに正解があるような印象になってしまうので、それは精密な言い方ではない。「想定的知の主体」の持つ知をあてにして、これが正解だと誰かに保証してもらうという期待から決別して、我々は我々自身の責任において思考し、決断(結論)せねばならない。ゆえに、向井雅明がこの連載の第五回で示しているように、「ラカンは、それぞれの精神分析家は自分自身で精神分析を作り上げなければならない、と言った」(第五回p.202.)のである。
 さて、前置きが長くなりすぎたが、ようやく本題に入ろう。
この、向井雅明「ジャック・ラカンの理論的変遷」という連載は、チェリー・ピッキング的で恣意的な読解に陥らず、かつ、自分自身で精神分析を作り上げるという、そのせめぎ合いを受け止め、いかにラカンのテクストに真摯に向き合うかという、苦闘が結実したものである。
 そのために向井は、ラカンの理論の歴史的変遷を丁寧に追っていく。向井は以下のように述べる。

その理論展開は常に常に矛盾に満ちたパラドクシカルなものであり、これがラカン理論だ、と言えるような、体系的にまとまった一つの理論的コーパスとして提示することはできない。ラカンの考えを把握するには、やはり年代を追って、その変遷を追っていくしかない。
(第五回p.197.)

 ラカンの案出した用語は、ひとつひとつがかなりの幅を持つ。その幅広さの中で、ある概念は別の概念と重なり合い、近似的な意味を持つ。かと思えば、どこにアクセントを置いて理解するかによって、さっきまで近いものとして並立していた諸概念が、まったく異なる相を見せて反発する。
 ラカンが思考の主要な軸としているかに見えた図式や、対立構図が、ある時期を過ぎると重視されなくなるということもあれば、それに変わって別の区分が導入されたりもする。
 なぜこうしたことが起きるかと言えば、それはラカン自身が自らの理論体系を疑問に付し、大胆な再構築の運動を決して止めなかったからである。著者はこうしたラカンの姿勢を砂の城を作っては崩す子供にたとえており(第一回p.8.)、ラカンが70代になり、晩年と呼ぶべき年齢にさしかかっても、「最も大きな地殻変動」と呼ぶべきものが起き、それは、「それまでの理論とのギャップのせいで、ラカンを学ぼうとする者を困惑させ、しばしば途方に暮れさせてきた」(第五回p.197.)。
 このようなラカンの理論に真摯に取り組むために、著者は、運動し続けるラカンを追跡していく。
 ラカンに対するこうしたアプローチは数多くあるが、一例を挙げれば、ラカン派の哲学者であるスラヴォイ・ジジェクは処女作『イデオロギーの崇高な対象』で、1950年代から、1970年代に至るまでに、「トラウマ」がラカン理論においてどのように扱われているかの変遷に手短に触れている。(4)本邦における比較的最近の例では、『現代思想』2013年6月号(特集フェリックス・ガタリ)掲載の松本卓也「人はみな妄想する」という論文も、1950年代と1960年代以降で、ラカンにおける精神病の概念がいかに変遷しているかを丁寧に追う好例であり、その帰結としてラカン理論がドゥルーズ=ガタリと単純な対立関係にあるものではないことを示している。
 向井雅明は、かつて1988年に上梓した『ラカン対ラカン』(金剛出版)から既に、ラカンの運動を通時的に追っていくという姿勢を表明しており、今回完結した連載「ジャック・ラカンの理論的変遷」は、あらためてその姿勢を鮮明に打ち出したものだ。
 ある概念について、ときに日常的で分かりやすい例を持ち出しながらも、時代を経てその概念がいかに変化していったか、他の概念との整合性はどうなるのか、そうしたことを著者はその場その場で丹念に問い続ける。
 たとえば、ファルスΦについて検討する際は、「後で出てくる対象aとの差別化が難しくなる。」(第二回p.44.)と他の概念とのすり合わせを考えている。また、ラカン理論における重要な概念である「対象a」については、

 ところが、これほど彼〔ラカン〕が入れ込んでいた概念であるにも関わらず、またもや砂のお城のように、ある時あっさりとそれは崩され、その地位を失ってしまう運命にあるのだ。
(第二回p.62.)

 と述べる一方で、「異次元のものをつなげるという機能はずっと残されているのだ」(同p.63)と、継続された要素についても記す。
 また別の箇所では、ある時期までのラカンが享楽(ジュイッサンス)と、快(プレジール)をはっきりと区別し、享楽は〈もの〉に由来し、快はシニフィアンに由来しているとしていたことを説明するが、後期ラカンにおいてこの図式が結局捨てられてしまうという流れを示唆する(第三回p.167~168.)。著者によると、ラカンにとって享楽とシニフィアンは相容れないものであったはずなのに、後期に至ってシニフィアンと享楽を直接結び付けようとする。そして続く連載第四回、第五回で、そのためにどのように理論が練り直されていったかを追っていく。
 ラカンは自分がフロイト主義者だと述べていたが、著者はこの、フロイトとラカンとの関係にも丹念にメスを入れる。フロイト理論とラカン理論がどのように接合されるのかは大きな問題だが、著者はチェリー・ピッキング的な無理やりの接合を試みずに、通じ合う部分と相違点を峻別していく。連載第三回では、現実原則/快楽原則の二項の扱いについて、フロイトとラカンではどのような違いがあるかについて述べられ、また、著者は、1964年の『精神分析の四基本概念』の講義のあたりの時期をもって、ラカンの「フロイトへの回帰」は幕を閉じたとしている。
 向井が『ラカン対ラカン』の劈頭で示したところによれば、フロイトのテクストを読むためにラカンを参照するとなれば、フロイト対ラカンという構図になるが、では、ラカンを読むために誰を参照すべきかといえば、それはラカン自身の変遷を追うことによって、その時々の思想的な特徴と差異を捉えるほかない。すなわち、ラカン対ラカンである。
 ラカンとフロイトを比べたとき、たしかに、ラカンのような、意図された蠱惑的な難解さや、どこまで本気かわからない洒落のような表現、そういうものはフロイトには少ないように思われる。しかし、フロイトの文体もまた、分かりづらいものだし、読解に苦労させられる。フロイトもまた、自らの着想を疑い、逡巡しながら筆を進めていくからだ。三歩進んで二歩戻る、百歩進んで九十九歩戻る、というような文体であると私は思う。つまり、フロイトもまた、思考の運動を決して緩めなかった人だ。
 永遠の事物というものは無い。概念や観念ですら永遠ではない。しかし、それらの案出にかかわる思考の運動こそは永遠なのである。少なくともラカンの精神分析においては。
 向井雅明が1988年出版の『ラカン対ラカン』から、2008年に始まり2014年に完結した「ジャック・ラカンの理論的変遷」まで一貫して追求し続けている姿勢は、この運動の永遠性、終わらなさを示しているとも言えるだろう。
 ラカンは、『精神分析の四基本概念』において、「すでに出来上がった概念」と、「形成途上の概念」との対比を前景化し(5)、「無意識には一つの知があるが、それは仕上がって完結した知とは決して考えるべきではない」(6)と述べている。
 しかし、治療としての分析は終わりを迎えることもありうる。終わりなき分析もあれば、終わりある分析もあるだろう。運動の副産物にしかすぎなかったとしても、症状が寛解し、患者の苦しみが軽くなることはあるのだ。また向井は、分析を受けずとも、より実り豊かなものを産出した例として、ラカンが文豪ジェイムス・ジョイスを挙げていることについても述べている。
 症状との折り合いがつくときに何が起こっているのだろうか。そうしたことを考えるために、この連載を読み、ラカンを読み、自分自身で精神分析について考えるために、読者ご自身が運動の中に身を投じてみてはどうだろうか。
(文中敬称略)
(文責 土佐巌人)

向井氏の著作以外での参考文献・引用箇所は以下の通り。
(1) 難波江和英・内田樹『現代思想のパフォーマンス』(光文社新書、2004), p.282
(2) Belsey, Catherine, Poststructuralisme : A Very Short Introduction, (Oxford University Press, 1984), p.62. 邦訳『1冊でわかる ポスト構造主義』(岩波書店、2003), p.95.
(3) Fink, Bruce, “Reading ‘The Instance of the Letter in the Unconscious’ ”, Lacan to the letter : reading Écrits closely, (University of Minnesota Press, 2004), p.68.
(4) Žižek, Slavoj, The Sublime Object of Ideology, (Verso, 1989, Fifth impression1995), p.162. 邦訳『イデオロギーの崇高な対象』(河出書房新社、2000)p.247.
(5) Lacan, Jacques, Les quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse, (Seuil, 1973), p.15. 邦訳『精神分析の四基本概念』(岩波書店, 2000),p.14.
(6) 同書p.122. 邦訳p.176.

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2014年6月の近況報告

 去る5月中旬に、3泊4日で熊本県の山都町に出かけた。1854年に造られた「通潤橋」という石造の水道橋を見るのがおもな目的であった。あらかじめ山都町の観光係に連絡して、資料をお願いすると、たくさんのパンフレットなどが送られてきた。この水道橋は、温度差で石が伸縮することなどを計算に入れて造られたものだそうで、当時の技術水準の高さに感心した。
 九州には、多くの石橋があるらしく、山都町の「通潤橋資料館」に事務局がある「日本の石橋を守る会」の会報「日本のいしばし」(84号)には、九州で1500の石橋を訪ねた方のエッセーが載っている。
 山都町には幣立(へいたつ)神宮というちょっと変わった神社もあると聞いていたので、宿の人にお願いして連れて行ってもらったが、なかなか面白い神社だった。山都町の観光協会に立ち寄ると、全員が親切に応対してくれた。山都町はおいしい矢部茶の産地でもあることを知って新茶を買ってきた。

 ところで、私は1996年に『映像化する現代』という著作を刊行したが、今回その中国語訳が四川大学出版社から刊行された。中国でのタイトルは『影像化的現代』である(定価25元)。訳者は李璐茜さんという日本語に堪能な女性で、四川大学大学院の院生である。
 また、南京大学副学長の張一兵教授の著作『マルクスへ帰れ』(中野英夫訳、情況出版、2013)について、私は雑誌「情況」にコメントを書いたが、今回それが中国語に訳され、中国の学会誌「学海」の創刊号に掲載された。おもいがけず、中国とのつながりが重なった感じである。(2014年6月4日)

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