
注:文中[]は書評者の追記です
「再考の努力、この事後的なものの努力、この反復、それが分析の経験が発見するものの基礎なのです」[講演(セミネール)でのラカンの発話](「ラカン的思考(以後、ページ数のみで省略)」P168)。本書は、上記のように、第一章のはじめから終章まで、仏の精神分析家ジャック・ラカンの仏でも正規版が未刊行であるものもある1965年以降から70年後半までのセミネール等からのラカンの発話を中心に、ラカン研究者や他の思想家の批評など博引旁証しながら「「他者(別のもの)の創出・侵入」[デリダ書サブタイトル](P144)として、その「他者・別のもの=異様なもの=見知らぬもの=不気味なもの」(P144-145)を「介入・侵入」する/されることで、フロイト/ラカンが提出した精神分析的言語(用語/概念)を、著者自身の遊歩者的「思考像(「…それぞれの思考像が、他の思考像とつながり…「星座」を構成し…以前には見えなかったものが浮き上が(P191)」る物)」(ベンヤミン)として、その意味を、事後的に到達されるものとして、また記憶を事後的に新たに創造し、過去の傷(記憶)に距離を置き得る追想(破壊)=反復として、ラカン(他者)的且つ宇波(主体)的且つ思想史的に「思考」を実践したものとなっているものと思われる。


