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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

戦争と人種差別

 アメリカで起きた白人警官による黒人男性殺害事件に端を発する黒人人種差別抗議デモは、大きなうねりとなり、アメリカだけでなく、イギリス、オーストラリア、ドイツといった国々にも広がっていった。この差別反対運動には黒人だけではなく、多くの白人も参加しており、また被害者である黒人男性を殺害した白人と同じ職業に就いている多数の警察官も参加している。しかし、何故ドイツでも大規模な抗議デモが起きているのか。私は最初にその点に疑問を持った。更に、抗議デモのニュース画像をいくら見ても人種差別問題に対するアジア諸国での積極的なデモのニュースは殆ど見つけ出すことはできなかった。その理由は何か。それが二番目に思った疑問点であった。
 このデモ活動の動きと関連して、私は次のことを思い出した。6月4日は連合国軍がローマに入場した日である。1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦の二日前、この年の1月にイタリア本土に上陸していた連合国軍は4カ月に及ぶモンテ・カッシーノの激戦に勝利し、それから約一月後、やっとローマを解放した。編集プロダクションの知り合いに頼まれて、モンテ・カッシーノの戦いについての原稿を書くために、私は文献や動画などの参考資料を漁っていたが、そこで気付いたことがあった。この大激戦に参戦した連合軍はアメリカ軍、イギリス軍、ニュージーランド軍、自由フランス軍、ポーランド軍、南アフリカ軍などであるが、今述べた殆どの国の軍隊には白人以外の多数の有色人兵士が参戦し、それもモンテ・カッシーノ修道院跡など、最も激しい戦闘が繰り広げられた前線に派遣されたのだ。
 現在行われている黒人差別反対運動と第二次世界大戦中の白人以外の部隊の激戦地への投入という問題は無関係なものではなく、実は根本的な部分で繋がっているよう私には思われた。それがこのテクストを書く大きな動機となった。 

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暴力的リゾームと横断性:パンデミックが露わにするもの

 パンデミックが踊っている。流動性と多様性が止まった世界の上で、パンデミックが高笑いをして踊っている。資本主義帝国の中で絶えず流れ、動いていた世界。欲望の実現がダイナミズムの中にある世界。その強固な信仰の下で、われわれはモノを動かし、消費し、より多くの、より様々な事象が溢れかえることが正しき道であると確信して、食べ尽くし、捨て去り、次の獲得物を探し、休むことなく漁り続けた。停止は死。動き、接触し、多くの物を所有することが善である。それが現在のわれわれが生存している社会の基本体制である。そして、それは資本主義という経済システムを背景とした巨大な機構である。日々われわれはその機構の中で、自分自身が可能な範囲内で、貨幣という記号装置を用いることで、必要とするもの、欲するものを手に入れることができた。ところが、その基盤は様々な記号体系を用いて高度な思考をすることなどまったく不可能なウィルスという生体によって、簡単に崩されてしまうものであることが明白となったのだ。われわれの誇る現代のシステムとは何と弱く、脆く、粗雑なものなのか。
 現在の世界が置かれている状況を見て、このように感じる人は少なからず存在するであろう。だが、今、世界中を席巻している新型コロナウィルス感染による危機は、われわれが通常の生活の中では見えていなかった政治、経済、社会、科学、思想的な諸問題をはっきりとした形で写し出した。それゆえ、このテクストでは、今回のパンデミックによって理解することができた根本的ないくつかの問題について考察していこうと思う。だが、私は政治学者でも経済学者でもない。自然科学者ではまったくないし、社会学も哲学も専門外である。ここで私が述べようと思うことは、私の専門分野の記号学に依拠した脆弱な小さな探究に過ぎない。そんな考察に意味はあるのかという疑問がない訳ではない。しかしそうであったとしても、それが如何に多くの曖昧性を含んだものであったとしても、この考察によって獲得できる何物かがあるのではないか。それを信じて私はこの拙論を書くこととする。
 先ず述べておく必要があること、それはここで探究しようとする主要問題は以下の三点であるということである。一つ目は「多数性の否定」、二つ目は「欲望の多様化と交流という装置」、三つ目は「リゾーム的な拡大」という問題である。もちろん、これら三つの視点に基づく私の分析が今回のパンデミックに関する深刻な問題性の一部にしか光を当てていないものであることは否まれない事実である。だが、この三つの視点に絞ることによって、かえって見えてくる地平があるように私には思えるのだ。
 何故なら、第一の視点は資本主義体制が高度に発展した現代において今回のパンデミックに対抗するために必要とされている反三密戦略がいずれも多数であることを否定するものであるからである。第二の視点はウィルス感染に対しては単に多数であることが問題なのではなく、多数の人間が交流することが問題となるが、現代社会における交流とは如何なるものなのかという点について検討しなければならないと思われるからである。そこにはまた、多数の人間の交流の基盤である資本主義社会における欲望増幅装置の問題が横たわっている。この増幅装置に完全に対立する公的権力が主張している欲望の自粛という要請あるいは命令は、従来のわれわれが信じていたイデオロギー装置を如何に変容するのかという課題もわれわれに投げかけられているからである。第三の視点は垂直的あるいは樹木図的に階層化している現代の社会、政治、経済システムに対して、新型コロナウィルスの広がりは、国という閾を超えて水平的にあるいはリゾーム的に拡大している事実が存在している点に焦点を当てるものである。このリゾーム的拡大による攻撃に対して垂直的な機構が如何に貧弱で、無力であるかいう問題は極めて大きな意味を持つと考えられるからである。それゆえ、この三つの視点はわれわれがここで行う探究にとって避けては通れぬ課題であり、これらの視点を通して、今回のパンデミック現象によって明らかになった現在の世界の実情について詳しく検討していくことが重要であると思われるのである。 

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戦争画とプロパガンダ

 1月18日から3月1日まで埼玉ピースミュージアムで「描かれた戦争―絵に託した思い―」というテーマ展が行われていた。川口市立図書館にあったフライヤーをたまたま見つけた私は、この展覧会が非常に意味のあるものであると思った。何故なら、私は今迄に戦争画についての拙論を十本程書いたが、戦争プロパガンダとしての絵画という視点からの探究とその波及効果に関する探究は殆ど行っていず、この展覧会を見て、この問題に対する詳しい検討を行いたいと考えたからである。
 東武東上線の高坂という駅を降り、バスに乗り10分程、更にバス停から歩いて10分。展覧会の会場である埼玉ピースミュージアムは小高い丘の上にあった。このミュージアムのウェブサイトのトップページを見ると平成5 (1993) 年に開館したと書かれているが、埼玉県にこのような施設があることを私はまったく知らなかった。展望台からの見晴らしはとてもよく関東平野が一望できるが、ミュージアムの周りは木々に囲まれていて、人家はまったくなかった。
 テーマ展自身は小規模なものであったが、興味深い発見が幾つかあった。その発見についてここでは、«戦争プロパガンダポスター»、«絵葉書になった戦争画»、«戦争画家の描いた雑誌の表紙画» という三つの視点から考察していきたい。 

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責任と贖罪:虐殺の記憶を語ること

  1月13日、文京区区民センターで憲法を考える映画の会が企画した「自主制作・上映映画見本市#3」が行われ、総計7本のドキュメンタリー映画が上映された。私はその中で「靖国・地霊・天皇」(2014年)、「9条を抱きしめて―元米海兵隊員が語る戦争と平和―」(2013年:以後サブタイトルは省略する)、「反戦を唱う女たち」(1988年)という三本の映画を見たのだが、ここで書こうと思う事柄は「9条を抱きしめて」と関係する問題である。映画の完成度から言うならば、この映画よりも他のニ本の方が完成度は高かったが、この作品が提示する問題について考察する必要性を私は強く感じたのだ。それには以下の理由があった。
 この上映会の数日前、私はある大学の図書館で多木浩二の『進歩とカタストロフィ:モダニズム 夢の百年』という本を見つけた。この本の冒頭で多木は、「ニ〇世紀を後にしたわれわれは、その歴史を書かねばならない。それはほとんど義務といってよい。それには政治、経済、社会関係、文化などが複雑に組織化された領域を横断せねばならない」という言葉を書いている。この言葉を読みながら、私は20世紀について何かを語ることの一つの大きな意味は、世紀の変化と共に忘れ去られようとしている小さな出来事をもう一度確かな目で見つめ直すことではないかと思ったのである。
  そして、私は「9条を抱きしめて」を見た。この映画の元海兵隊員の物語とその物語に関係した歴史性について何かを書くことも、歴史の波間に消え行こうとする問題に再び光を灯すことではないだろうか。そう考えたのである。それゆえ、このテクストでは最初にアレン・ネルソンという元海兵隊員の人生に関して検討する。それに続いて、やはりアメリカの軍人で、ヒロシマの原爆投下にゴーサインを送った先導機の機長だったクロード・イーザリーについて書いていく。そして二人の元アメリカ軍人が引き受けようとした戦争責任と彼らの行為の歴史的意味という問題について考えていきたい。 

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そこにアフリカはあるか?:異なる世界を見つめる視線について

 アフリカ開発会議 (TICAD) は日本政府の主導の下、国連、国際連合開発計画、アフリカ連合委員会、世界銀行の協賛を得て、1993年から開催されている国際会議である。この会議は現在、三年に一度開かれており、第7回である今回は横浜で8月28日から30日まで開かれた。ここではTICADの意義や問題点について話そうという訳ではない。今回の開催と連動して都内にある某大学の八王子キャンパスで11月13、14、15日にアフリカ映画祭という企画が行われたのだが (最初の日はマイケル・マシソン・ミラー監督の「ポバティー・インク~あなたの寄付の不都合な真実」、二日目は小林茂監督の「チョコラ!」、最終日はティエリー・ミッシェル監督の「女を修理する男」が上映された)、この企画についてのポスターを13日にその大学に出講していた私が発見したのだ。ここで考察する事柄はこのことと関係する。
アフリカ映画祭と銘打った企画にはフライヤーがあり、そこには「××大学は国際化を推進するため、キャンパス全体をグローバルな学びの場とすべく「インターナショナル・ウィーク」を開催しています。今年のテーマは「アフリカとアジア途上国」。有望なビジネス市場として注目される一方、世界の最貧困層の半数強がサブサハラ・アフリカ地域に集中するなど、多くの人々が未だ根深い貧困に喘いでいる地域です。私たちに何ができるのでしょうか。まずはアフリカの姿を一歩知ることから始めてみませんか?」と書かれてあった。文科省のお達しに迎合するお決まりの「国際化」、「グローバル」、「インターナショナル」というプラスチックワードが並び、最後に「アフリカを知るための第一歩」という言葉。鼻につく文面だ。だが、この映画祭の二日目、つまりは今日上映される「チョコラ!」という映画に興味が沸いた。小林茂監督が2009年に、ケニアのナイロビ近郊の小都市でゴミ拾いをして暮らすストリートチルドレンを撮ったドキュメンタリー映画である。日本人が見つめたアフリカとは何かその点が気になったのである。
 一月程前、私は多摩美術大学美術館で開催されていた「エターナル・アフリカ*森と都市と革命―アミルカル・カブラルの革命思想とジョージ・リランガの芸術―」という展覧会でリランガが制作したヒロシマに関するパネル作品を見た。それは日本人が捉えることが決してできないであろう被爆地ヒロシマのイメージを表したものであった。創造的精神は自らとは異なる歴史や社会や文化の中で起きた大きな出来事を同一空間内の共同性を超えて表現することができ、異化効果によって、その創造された作品はわれわれに確かに語り掛けることが可能である。リランガの作品はそうした認識を強く抱かせるものであった。偶然にも一月後に、リランガとは逆に日本人がアフリカというものをテーマとした小林の映画が上映される。この点に私は強く引き付けられ、詰まらない講義をいつもよりも早く切り上げて上映会場に急いだのである。
 このテクストで問題となる探究視点は三つある。一つ目は現在のアフリカという問題、二つ目はドキュメンタリー映画の困難さという問題、三つ目は異文化を見つめる目という問題である。この三つの視点からの探究によって異なる社会や文化をどのように捉えることが可能かという問いに対して答えていこうと思うのである。では、それぞれの視点からの考察を開始しよう。 

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