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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

カブラルの遺産とリランガの絵画

アフリカは歌う。アフリカは踊る。アフリカは跳躍する。アフリカは喜びを、あるいは、悲しみを爆発させ、新しい希望の光となり輝く。アフリカのリズムは軽快だ。深さを求め、根底を求め、沈潜しようなどとはしない。上空へ、魂の住処へ向けて飛翔する。アフリカの色は鮮やかで、ダイナミックだ。アフリカの線は強く、逞しい。アフリカは抑圧され、搾取され、虐げられてきた。だが、アフリカはもう一度光輝く。新たな芸術の創造と共に。

727日から1014日まで、「エターナル・アフリカ*森と都市と革命―アミルカル・カブラルの革命思想とジョージ・リランガの芸術―」という展覧会が東京都多摩市にある多摩美術大学美術館で行われていた。カブラルはアフリカの多くの国の独立運動に大きな勇気を与えたギニアビサウの作家・革命家である。彼はアフリカの多くの国々の独立運動の精神支柱であっただけではなく、伝統文化とそれに基づくこれからのアフリカ文化の発展の意義を強調し、独立闘争の混乱期にアフリカの希望の声となった人物である。リランガは現代アフリカ絵画における大きな潮流の一つであるティンガティンガ派を代表する画家であり、彼の作品は世界中で極めて高く評価されている。

この展覧会では現代アフリカ美術に多大な影響を与えた二人の人物を関連づけながら、リランガの作品と彼の周辺に位置する現代画家の絵画を展示していたが、その中でも一際異彩を放つ作品はやはりリランガのものであった。それゆえ、このテクストではカブラルの意志を継ぎ、独立運動以降に花開いたアフリカ現代絵画におけるリランガの位置とその特異性、さらには、アフリカ絵画の可能性と彼の作品の魅力について考察していきたい。

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岩田専太郎と小川原脩の戦争画

 201964日から1020日まで、東京国立近代美術館のMOMATコレクション展で、5点の戦争画が展示されている。藤田嗣治の「血戦ガダルカナル」(1944年:以後初出時に制作年をタイトルの後に表記する)、中村研一の「北九州上空野辺軍曹機の体当たりB29二機を撃墜す」(1945)、岩田専太郎の「小休止」(1944)、小川原脩の「成都爆撃」(1945)、三輪晁勢の「ツラギ夜襲戦」(1943) である。MOMATコレクション展では、戦争画が3点しか飾られないことが一般的であるが、今回は終戦記念日を挟む期間の展覧だからであろうか、5点飾られている。

 私は最初、藤田の暗く重い絵と、中村の青空の下で墜落する三機の軍用機が描かれた絵という極めて対照的な光度の絵が向かい合って展示されている点が気になった。この二枚の絵を巡る問題をじっくりと検討してみたいという欲求もあったが、このテクストでは、それ以上に気になった岩田と小川原の戦争画に関する問題について考察していきたいと思う。何故なら、先ず岩田に関しては、彼は挿絵作家として有名であると共に、美人画作家としてもよく知られていたが、彼の画家としてのそのキャリアと戦争画との関係性を理解することが難しかったからである。小川原に関しては以下のような理由があった。戦後すぐに彼は軍国主義政策に協力したという責任を負わされ美術文化協会から除名処分を受けたが、同じように日本画壇の中心から追放された藤田嗣治とは異なり、小河原が自らの描いた戦争画の責任問題を生涯問い続けた画家であり、この点について詳しく検討していきたいと考えたからである。

 二人の画家は十五年戦争中の戦争画制作を積極的に牽引した画家であったとは言い難い。だが、今回展示されたこの二人の画家の二枚の絵を中心的に見つめながら、彼らの戦争画を考察することによって、戦争画の持つ社会的な、また、歴史的な重さと意味とが浮き彫りにできるのではないかと思ったのである。すなわち、藤田や中村のような当時の戦争画制作活動をリードしていった画家の作品だけでは捉えることができない戦争画の問題点にスポットを当てることができると考えたのである。

 

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弁証法的アナクロニズムと絵画

7月25日から8月3日まで神奈川県民ホールで開催されていた「プレイバック ザ・カナガワビエンナーレ!:カナガワビエンナーレ国際児童画展開催20回記念特別展」内企画展示「《帰国した80年前の児童画たち》について」という展覧会に足を運んだのには以下のような理由があった。
上野の東京都美術館でクリムト展が開かれていた時のことだった。この展覧会を見終えた私は、地下の展示室が偶然目に入ってきた。そこでは都美セレクショングループ展2019「星座を想像するように――過去、現在、未来」が開催されていたが、その一つとして日独伊親善図画という展示があった。80年以上前に描かれた児童画を私はその時初めて目にしたが、飾られていた絵の多くに函館市弥生尋常高等小学校という表示がなされていた。その小学校は叔母が30年程前に勤務していた学校のかつての名前であり、その学校の近くにあった市立函館病院には祖父が入院していた。祖父はそこで亡くなったが、火葬場は小学校の近くにあった。弥生小学校の傍を火葬場に向かうわれわれ家族を乗せたバスが通り過ぎて行ったおぼろげな記憶がある。だが、80年前の親善図画と弥生小学校とを結びつけるものが私に思い浮かばなかった。展示場にはこの関係性を示す詳しい情報は何もなかった。受付の女性に尋ねてみると、連絡先を教えてもらえれば、この展示の企画者から何らかのコンタクトがあるようにするという答えが返ってきた。私は名刺を置いて会場を出た。
 10日程してから、企画者の東京芸術大学院生の田中直子さんからメールがきた。そこには彼女がこの児童画と出会ったきっかけや展覧会を行うようになった経緯などが書かれてあった。しかし、弥生小学校と日独伊親善図画との関係性は判らなかった。メールには「カナガワビエンナーレ国際児童画展開20回記念特別展」での親善図画の展示について、さらには80年前に描かれた児童画をもっと多く、約200点展示するということについても書かれていた。運悪く編集プロダクションからきた原稿書きの仕事のため、私はなかなか時間が取れなかった。しかし、展覧会が終わる二日前に何とか最後の原稿を書き上げ、翌日、展覧会に行くことができ、田中さんにも直接会うことができた。これから述べようと思う事柄は以上のような背景の下に書かれるものである。それゆえ、ここで行う考察はある歴史的出来事を巡る学術的な厳密な研究といったものではなく、個人的な問題を多く含んだ試論と言うべきものであることを先ず断っておかなければならないだろう。 

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政治空間内のブラックホールについて

 「現代ビジネス」の7月4日の記事としてネット配信された政治学者の中島岳志とフリーライターの武田砂鉄による「「安倍首相は空虚である」自民党政治家を徹底分析して見えた「実像」」という対談には、安倍晋三の政治家としてのイマージュについての考察がなされていた。私は政治学も、経済学も、社会学も専門外ではあるが、この対談の中で語られている安倍空虚説に強い興味が沸き、この説を更に深く検討していこうと考えた。それがこのテクストを書こうと思った動機である。それゆえ、これから行う論述の中で私は安倍晋三という考察対象を分析していくが、それはこの人物の個人史を追うためのものでもなければ、彼の政治イデオロギーについて解明していくためのものでもない。ここで私は考察対象の政治的言説及びそれに伴った言表的行為を言語学的及び記号学的視点から観察することを通して、日本における政治的無責任性への暗黙裡の了解と非合理性への憧憬という問題について明確化していこうと考えている。 

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目の呪縛からの解放:池田龍雄の絵画について

 京王線仙川駅近くにある東京アートミュージアム (TAM)という小さな美術館で4月6日から6月30日まで、「池田龍雄展―場の位相」が開催されていた。展示されていた作品はオーナー所蔵のものだけで多くはなかったが、ドキュメンタリー映画監督の孝壽聡が制作した「The Painter」と「華開世界起」という映画のビデオが上映されていた。時間の都合で前者の作品しか見られなかったが、このビデオは大変興味深いものであった。
 池田龍雄の絵は昨年の4月から6月まで練馬区立美術館で行われた「戦後美術の現在形:池田龍雄展-楕円幻想」というタイトルの展覧会ですでに見ていたが、そのときは彼の絵画について十分に検討することができなかった。今回は上記した池田の作品制作過程を映像化した「The Painter」を見ることもでき、彼の絵画に関して何らかの考察ができると思い、このテクストを書き始めた。
 「The Painter」の中にはアメリカ軍空母に体当たりする特攻機の記録映像が挿入されている。1928年に現在の佐賀県伊万里市で生まれ、16歳のときに特攻隊員となった池田の過去を示すための挿入である。終戦後、彼は徹底的に戦争反対を訴えるようになる。彼の反戦的主張はその後も変わることはないが、池田の絵画スタイルとテーマは時間と共に大きく変わっていった。彼の絵画スタイルとテーマは、「揺籃期」、「ルポルタージュ絵画期」、「目による呪縛期」、「目からの解放期」というように四つに区分できると私には思われる。第二期と第三期は重なるのではないかという反論や、第三期と第四期との境界を厳密に設定できるのかという批判が出るかもしれないが、この区分は池田の作品を年代的視点から見た区分というよりも、彼の絵画スタイルとテーマとを分類するという探究視点に基づいた区分であり、この分類によって池田の絵画変遷を十分に分析できると思われる。
 最初の「揺籃期」は池田の画家人生の中で習作と呼んでよい絵が描かれた時期である。第二期の「ルポルタージュ絵画期」の作品には戦争の直接的経験と現実の不条理さへの憤怒の感情が大きく反映している。私の意見では、第三期の特徴は目の持つ強烈な語りである。この時期は異常な身体を持つ化け物じみた生物たちを描いた作品が登場する時期であるが、その異様さの中でも、特に目は注視しなければならない強いメッセージ性が込められているように私には感じられる。第四期は目という特異な対象が次第に消えていき、新たな創造世界を構築するように制作方向が転換した時期である。ここではこの四つの時期を追いながら池田龍雄の絵画作品の展開について検討していくが、先ずは画家としての創作の基盤ができた彼が画家になる以前の体験も含めた「揺籃期」について次のセクションで考察することとする。 

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