宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

一夫多妻制としての資本主義家族とラカンの『家族コンプレックス』

ラカンの「家族」についての議論では、家族一般ではなく、家族の特殊歴史的な近代家族が対象とされている。生物学的な意味での種の世代的再生産に必須の条件は、オスとメスの性交→妊娠→出産→育児を保障する何らかの人間集団の存在であるが、この人間集団のパターンは一つではない。成人の人間が生存可能な条件と自立的な生存が不可能な乳幼児の生存条件は、異なる二つの構造が節合する形でひとつの社会構造に組み込まれる。

つづきを表示

PageTop

ラカン「無意識の位置」『エクリ』メモ

「無意識の位置」と題されたラカンの講演は、無意識の概念をめぐる混乱の根源には、「意識」の定義をまず与えた上で、その定義にあてはまらないものを無意識に配当するという考え方そのものにある、というところからは語り始められている。ラカンは、「黒色」という色の定義を例に出して、まず「黒色」の定義を与え、この定義にはずれる色を「黒ではない色」と定義するという方法の問題を指摘している。言うまでもなく、首尾よく黒色が定義できたとしても(レヴィ=ストロースが指摘しているように、色の概念は、文化によって異なるから、「黒色」一般の定義を、文化を越えて与えることは必ずしも容易なこととはいえないのだが)、そのことによって、黒から排除された黒ではない「何か」の存在を暗示することができるだけであって、これだけでは「黒ではない何か」が何であるのかを説明したことにはならなない。同様に、何らかの方法によって「意識」を定義できたとしても、この定義から外れる精神作用を「無意識」と呼ぶことにしかならず、無意識とは何なのかをめぐる議論に貢献できることは何もない。日本語の「意識」に関連して意識に含まれない概念を考えるとすれば、「無意識」以外にも、「前意識」のようにフロイトによって既に定義されているものだけでなく、「未意識」「非意識」「否意識」「被意識」「共意識」などなど様々な意識をめぐる「造語」がありうる。こうした意識にあらざる対象を指示する概念の「開発」は、言語の作用をふまえれば、決して軽視すべきではないし、検討に値する魅力的なことだが、それによって「無意識」の包囲網が緻密になりはしても、「無意識」それじたいを明らかにしたことにはならない。

つづきを表示

PageTop