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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

『短歌で読むユング』山口拓夢著

ユング思想への新たなアプローチ  
日本におけるユング思想の受容には複数の系譜がある。「精神分析の大家」としての側面を日本での臨床に活かそうとした河合隼雄氏を代表とする研究者たち、コリン・ウィルソンが強調した「神秘思想家・オカルティストとしてのユング」からインスピレーションを得た数多くの作家・批評家たち、以上の2者を両極として、ユングの言説に影響された研究者・思想家・作家・芸術家は数多い。
 山口拓夢氏の著書も上記の「両極」の間にあって、「神話・伝説・物語的叡智、宗教的叡智、の探究者(伝承者)としてのユング」の姿を読者に伝えようとするものだ。
 「短歌で読む○○」シリーズはおそらく「短歌」部分が注目を集めているのだろうが、私は詩歌の素養がないため、「解説」部分にも大きな魅力があるという点についてまずは紹介させていただきたい。
第一の魅力は、ユング思想に興味を持つ者にとって、本書は「入門書の次」に読むにふさわしい情報量を持っているということである。『精神分析入門』『心理学入門』『ユング入門』と名乗る多くの書物は、紹介するユングの著作を2~3冊に絞り込み、簡略化・図式化し解説する点に特長がある。
たしかに、それら入門書はユング思想の概略をつかむには有益だが、「もう一歩踏み込んだ内容」を求める読者には物足りない。その点、『短歌で読むユング』で紹介されるユングの著書は16冊(!)を超え、概ねユングの執筆順に各著作のエッセンスが解説されており、ユング思想の深化・発展の軌跡を追体験できるという点で類書がない。コンパクトなサイズに学術的に濃厚な内容を凝縮しつつも、山口氏の語り口は奇をてらわず読みやすいものなので、入門書ばかりを読んできた読者は長年の渇きを癒されるにちがいない。入門書と専門書をつなぐ一冊として推薦したい。
 
想像力の美術館  
第二の魅力は、本書に掲載された大量の図版である。それら図版の中で、各年代のユングのポートレート(ユングの若い頃の顔は見ものである)、関係者の肖像(フロイトやアドラーを含む)、ユングの著作の各訳書の表紙(日本でのユング受容の歴史のドキュメントである)も興味深いのだが、それに加えて素晴らしいのは、ユングが研究・言及した様々なシンボル・イコンや、ユング思想の理解を助けるために引用されている絵画・図像の図版類が実に豊富で魅力的なのだ。これは凄い。
「内なるアニマ」を解説する箇所で引用されるディートリッヒの写真やセイヤー画「天使像」、「対立物の結合」の解説箇所で引用されるルーベンス画『聖母の被昇天』、ユングが生前は公開を禁じていた「自分の夢の記録」の中に登場する「サロメ」の解説のために引用されるピアズリー画のサロメ像、ユング自身による夢の読み解きに出てくるグノーシス教の生と死の神アブラクサス像(中世写本の挿絵から引用)、東洋西洋に関わらず人類に共通な集合的無意識から生ずる心の全体性の視覚的表現の例としてユング自身が著書に引用した患者の描いた様々なマンダラ、ユングの芸術論中のゲーテ作『ファウスト』に関する記述のところで掲載されているドラクロア画「ファウスト像」など、読者である我々は眺めているだけでもユング思想から文学・芸術へのイマジネーションが広がっていく。これらの図版の選択には、著者の山口氏と相談の上で編集者の方々の貢献が大きいそうだが、著者・編集者の学問・芸術に関する博覧強記ぶりには驚かされる。
圧巻はユングの錬金術研究を解説する箇所で引用される様々な図版である。ユング自身の錬金術への興味は、臨床における患者の「無意識と意識の統合 = より全体性をもった人格を育てるプロセス」を象徴するイメージが錬金術に関する資料に豊富に発見できたところから始まっているそうだ。本書は、ユングの臨床理論を解説するために、ユング自身が著書の中で引用した10個の図像を(明らかに大きなサイズで)引用している。「メルクリウスの泉→王と王女→裸の真実→浴槽の水に浸かること→結合→死→魂の上昇→浄化→魂の帰還→新たな誕生」と題された10個の図像の周囲には、ユング自身の引用の原典である『哲学者の薔薇園』という16世紀の書物の原文(ラテン語やドイツ語)が少し写り込んだ状態で引用されているのだが、引用元となった書物の元の所有者の書き込み(アンダーラインやマーク)が残されており、「どの時代の人がどんな環境でこの図像を見ながら、どのような想像を巡らせたのだろう…」と考えながら眺めることで我々の想像力も数百年の時を越え、「薔薇の名前」的なマニア心を刺激してやまない。
山口氏の前著『短歌で読む哲学史』も、イマジナティヴな図版の数々と痒いところに手が届くような親切な欄外注の魅力が際立っていたので、著者のこだわり・編集者の執念・田畑書店の本作りへの情熱が結びついた好企画・好シリーズなのだと思う。一人でも多くの人に、良書を手に取って頁をめくる喜びを味わってほしい。
 
「短歌で読む」必然性はあるか? 
最後に、私にとって印象深かった「短歌」を紹介して筆を置きたい。
 
「無意識に閉じ込められた願望が神経症や夢に吹き出す(フロイト)」
 「人間は劣等感を乗り越えて自分を磨き社会で輝け(アドラー)」
 「無意識と意識をうまく統合し深みに降りて自己に近づけ(ユング)」
 
 御存知のとおり、フロイトはユングにとっては精神分析の先達であり、一時期は師弟関係にありながらも、フロイトの「性的な欲動に焦点を置いた無意識解釈」についての意見が合わずに2人は決裂している。アドラーはユングより5歳年上であり、これまたフロイトの弟子であったが、フロイト的な「欲動理論」ではなく「自己実現の心理学」を追究するためにフロイトと決別している。
ここで、もう一度上記の3首を見比べてほしい。見事なのは、3首の短歌によってフロイト・アドラー・ユングたちの「無意識」理解の相違点が明快に示されているということだ。このように複数のアイデアの間に入り組んだ影響関係がある場合、山口氏は「短歌」部分において簡潔にして要を得た分析を実現している。したがって、山口氏にとっては、複雑な対象を分析・整理・要約するために「短歌」形式の力を借りる必然性があるのだと推測できる。
 本書を読んで、私個人にとってユングは「歳を取ってから肯ける」ところの多い思想家になった。
 
  「反発しときに手を取る無意識と統合すれば個性化に至る」
 「心とは自分を癒す手掛かりを探し求めてはたらいている」
 「人生が半ばを過ぎて感性が枯渇したときアニマを生かせ」
 「人格の深みからくる呼びかけが自我のひずみを夢で補う」
 「人生が袋小路を抜けるとき共時性かつ偶然が起こる」
 
 以上の5首などを声に出して読むと、抱えている不安や苦しみが複雑すぎて「どれからどのように対処してよいかわからない」状態で日々を生きている大人にとってこそ、「ユングの言おうとしていたことが伝わって来る」と感じる。何度読んでも、その度に味わいが深まる「人生の友」になりそうな一冊である。
(田畑書店 2019年4月25日発行 1500円) 

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