宇波彰現代哲学研究所

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長谷邦夫論 ブラックホール的世界/宇波彰

はじめに

この長谷邦夫論は『長谷邦夫パロディ漫画大全』(水声社、2004年)の解説として書かれたものである。初出のまま掲載する。
(2007年11月6日)


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長谷邦夫の作品の最大の特徴は、作者自身のオリジナルなイメージが存在しないということである。すべてが既成のイメージの合成であり、モザイク化である。彼の作品に登場する人物の姿は、彼の作品が書かれた当時において、いずれもひとびとがよく知っているマンガの主人公たちや、実在の人物や、映画のヒーローたち、そして漫画家たちである。それらの人物たちについて無知な読者でも、もちろん作品を楽しむことはできるが、長谷邦夫の仕事には、一種の「同時性」のようなものがあり、読者の記憶の中にないものがあるときには、作品から得られる楽しみが減少するであろう。ただし、それらの架空の人物も、実在する人間も、長谷邦夫の作品のなかでは、同一の価値しか持っていない。ヒトラー、東条英機、佐藤栄作も、あるいはほとんど忘れらていたが、最近話題になった金嬉老(その問題を取り上げた福田恒存の戯曲があった)も、手塚治虫も、美濃部都知事も、もともと持っていたすべての価値を剥奪され、単に「引用のモザイク」の一断片として現れている。しかし、その断片に元来はどのような価値があったのかを知らない限り、長谷邦夫の真の読者になることは困難である。
長谷邦夫の作品はしばしばパロディマンガといわれている。長谷邦夫の作品が先行するマンガのパロディという概念もしくはフレームで考えるのは、きわめて正統的な長谷邦夫論の方法であると思われる。しかし、長谷邦夫の作品を、単にいままでのマンガのパロディという概念で規定することが実は非常に困難であることは、作品に接すればただちにわかってくる。パロディという限りにおいては、パロディの対象になるものが存在するはずであり、またパロディの本質として対象を「批判」するものでることが必要である。しかし長谷邦夫の作品を、「批判マンガ」として読むことは困難である。たしかに、のちにも言及する「風立たぬ」が堀辰雄的な別荘文学・高原 学を揶揄しパロディ化しているといえないことはないが、批判的な要素はないと見るべきである。つげ義春の作品を下敷きにした「紅い花血」のなかで、長谷邦夫はつげ義春の作品から借りてきた少女につぎのように言わせている。「われはつげ義春の<ねじ式>のパロディー<バカ式>を書いた長谷邦夫じゃろう 盗作ばかりしておらんでたまにはわれの作品をかいてみなせえ。」「われの作品」とは長谷邦夫のオリジナルなイメージということである。しかし、少女にそのよう言わせたからといって、ここに長谷邦夫の自己批判を読みとることはできない。これはあえていえば、このせりふは長谷邦夫が自分自身の作品が「盗作」だからこそ独自の価値があるのだという自信の表明である。長谷邦夫の作品の特徴は、「批判」ではなく、新たな映像表現の確立にある。
長谷邦夫の作品は、マンガの世界だけではなく、文学も、映画も、そして現実世界も含めて、すべてを引用・盗用で構築している。『マヌケ式』のあとがきで、長谷邦夫は、田中角栄の「五つの大切」をパロディ化して、「五つのバカを大切にしよう」と書いている。それは有名人・有名漫画家・愛読者・編集者、そして国や社会をバカにすることである。簡単にいえば、すべてを「バカ」にして、相対化してしまうということである。この「マンガ世界」は、いままでのマンガ世界を相対化したものであり、異なったレベルに存在している。世界全体をバカにしてパロディ化しているのが長谷邦夫のマンガの世界である。そうなると、もはやそれはパロディの域を超えてしまう。私はそれを「超パロディ化」と名付けたいが、その超パロディ化を可能にしているものが、徹底的な引用・盗用なのである。ジャック・ラカンの基本的な考え方は、その鏡像段階理論を出発点にしているが、この理論を展開していくと必ず、「私とは他者の言語である」というテーゼに行き着く。ウンベルト・エーコがラカンの理論をまとめて、人間を「他者性の囚人」と規定したことも想起される。つまり、われわれは、自我の確立とか、自己同一性というようなことを言ってはいるが、自分のオリジナルな見解と思っているものが、実はマスメディアの言語の引用にすぎないことは、日常的に経験していることである。長谷邦夫の作品は、人間の自己同一性の成立、言語の他者性といった現代思想のキーワードを先取りしたもののように見えてくる。
それでは具体的に長谷邦夫の作品のなかで、引用や盗用がどのようなかたちで行われているか、それにどういう意味があるのかを考えてみる。作品集『アホ式』に収められている「野豚の如き君なりき」では、「明治年代の千葉県」と最初に指示されていて、「野菊が美しく咲き乱れていた」のであるが、実は伊藤左千夫の原作『野菊の如き君なりき』の存在は最初からどうでもいいことになっている。作品のタイトルだけが引用されているといってもいいはずである。つまり、場面にはたちまち「マリリン・モンロー」、「家畜人ヤプー」、「月光仮面」、「寅さん」が登場して、カーニヴァル的な状況が描かれることになる。カーニヴァルの原型はすでに紀元前2000年のバビロニアにあり、そこでは王の衣装を着た一人の囚人が、玉座に着き、最高の食事をし、王の側女たちと交わり、5日後に殺されたという。カーニヴァルではこのように価値の転倒が行われるが、長谷邦夫の作品では、カーニヴァ をも超えているというべきであろう。すべてをパロディ化しているから、既成の価値にはいかなる敬意も払われないからである。さまざまな要素は、相互に優劣の差異がない状態で作品のなかにぶち込まれる。ブリューゲルの有名な作品「カーニヴァルと四旬節の戦い」のなかに、豚も魚も教会もホテルもそしてキリストもブリューゲル自身も、すべて投げ込まれるようにして描かれているのが想起される。また、カーニヴァルの最中に実際に反乱が起きて祭りと現実が混在した状況を描いたルロワラデュリーの『ロマンのカーニヴァル』が想起される。しかし、長谷邦夫の作品にはもはやカーニヴァルとかパロディといった概念では処理しきれないものが存在する。
長谷邦夫の作品においては、彼自身のオリジナルな「絵」を見いだすことができないのも、彼の作品がパロディの領域を超えているからであるといえよう。すべてが、手塚治虫、藤子不二雄、つげ義春、石森章太郎、赤塚不二夫などの「有名漫画」の引用・盗用・合成・総合である。それのマンガを「引用のモザイク」として作り直し、モンタージュしていくのが、長谷邦夫の方法である。バフチンの理論がきわめて有効に応用されているということさえできるかもしれない。それらの「有名マンガ」は徹底的に相対化され、「バカ」にされてしまう。そして、「バカにする」対象は、単に漫画にとどまらない。堀辰雄の高原別荘的文学『風立ちぬ』は『風立たぬ』へと変形され 、その表紙には「分譲別荘地」などの看板が見える。別荘文学・結核療養文学 、表紙の部分ですでにパロディ化{れているのようにも見えるが、長谷邦夫はもちろんそんなことをもくろんでいるのではない。『風立たぬ』はあくまでもタイトルのレヴェルでのもじりにすぎないからである。それは既成の文学に対する徹底的な「無視」である。相手にもせず、ただタイトルだけを借りるという態度である。また、『アッシャー家の崩壊』『ねじの回転』『白鯨』『黒猫』を初めとする世界文学の名作・傑作が、いたるところで「マンガ化」され、長谷邦夫の世界に引き入れられてしまう。それは原作のマンガ化というレヴェルの問題ではない。長谷邦夫は、名作をマンガで表現しようとしているのではない。名作を新たな作品のモンタージュのための前提となる一種の「場」として使っているにすぎない。それが「超パロディ化」にほかならない。
長谷邦夫が作る異様な「場」は、一種のブラックホールであるといえる。その世界に吸い込まれたもとの作品は、その古典的・芸術的価値をすべて捨て去られる。作品だけではない。歴史上の人物である、亡霊のように登場して、子どもたちに「のらくろ」のイメージを描かせる背景として使われているヒトラーと東条英機の姿も、佐藤栄作も、赤旗を振って「はしれはしれコータロー、ついでにハタノを振り落とせ」と歌っている美濃部都知事も、そこで歌われている元警視総監の秦野章も、モザイクの一断片の価値しかない。それらの人物がいかなる価値の差異も認められないまま、長谷邦夫の作品でいうブラックホールに吸い込まれている。このように、彼の作品のパロディの対象は、世界全体であるとさえいうことができる。すべてを吸い込むのが、長谷邦夫の作品の力であり、この力を理解して考察することが、長谷邦夫の作品についての批評になるであろう。
長谷邦夫の作品を読んでまず感じるのは、その想像力の行使の仕方が、通常の記号表現のばあいとはまったく異なっているということである。私はこれが長谷邦夫の作品のブラックホール的力の源泉であると考える。たとえば、すでに言及した『アホ式』に収められている「風立たぬ」について考えてみる。ここでは、柴又の寅さんが、3001年のマリリン・モンローに会うという設定になっている。タイムトンネルをすぎると江戸川になり、「矢切の渡し」の渡し船に乗った寅さんが、おぼれているマジリン・モンローを救助する。月並みなことばを使えば、「奇想天外」であり、「荒唐無稽」である。しかし、ことばを換えていえば、飛躍する想像力の運動である。通常の連想をはるかに超えた、意外なものとの結びつきがいたるところに存する。精神分析載の領域での「連想」と似たものがある。あるいはカーニヴァル的な、多様なものの混在が重層的に作られているのである。
もうひとつ、『バカ式』に収められている「盗作世界名作全集」の「白鯨」を例にして考えてみよう。もちろん、この作品はメルヴィルの『白鯨』を下敷きにしていて、そのパロディということになるのかもしれないが、けっしてそのように単純に考えてしまうだけではすまされない。長谷邦夫のこの作品が、メルヴィルを批判するものでないことは当然である。パロディであるというのではなく、作品それ自体が長谷邦夫の想像力の運動の場になっている。パロディである限りにおいては、この作品は一種のミメーシスもしくは引用の作品であり、『白鯨』がその引用のためのプレテクスト(引用されるテクストのことを引用論ではプレテクストという)になっている。ところがこの作品は、メルヴィルや石森章太郎を前提にして考えることなどを拒否してしまっている。普通の引用論の方法ではほとんど処理しきれないテクストである。
まず第一に、すでに述べたように、長谷邦夫の想像力の展開には特異なものがある。この作品においても、プレテクスト、つまりパロディもしくは引用の対象になっているもとのテクストが一応は『白鯨』であるから、そこにはモービー・ディックと呼ばれる巨大な白い鯨(私は以前に「モービー・ディック」というこの鯨の名前そのもに、何か運動的なもの、急な速度で動いていくものがあると『メルヴィル全集』の月報に書いたことがある)と、それを執念を持って追いかけるエイハブ船長が登場するのは当たり前である。やがてただひとり生き残って物語を伝える役割を演ずる石森章太郎が登場しているのも理解できることである。しかしなぜか、パイプをくわえ、黒いめがねをかけたマッカーサー元帥も姿を見せている。一つの場面と全く無関係な人物や物を不意に登場させるのも、長谷邦夫の方法の一つであるが、しかし、それが本当に「無関係」で「不意」であるかどうかはあいまいなままである。あるいはむしろ、無関係であるのは外見上のことであり、実はどこかで、見えないところでつながっているかもしれないのである。それは、のちに述べるように、エイハブ船長と座頭市が重層的に描かれているところに感じられる。それにしても、さまざまな登場人物や物がでてくる根拠は不明なばあいが多い。「白鯨」では石森章太郎が「まんが家生活にあきがきて、世界の放浪の旅に出て、この北アメリカ マサチューセッツ州ニューベットフォードにたどりついた」という設定である。そこにはアメリカなのになぜか「深夜スナック鯨亭」の看板が見える。しかしこのスナックの場面のあとはすぐにホテルの一室になるから、あるいはこのスナックはホテルもやっているのかもしれない。その部屋には「安保賛成」のビラが貼ってあり、ホテルの係員は佐藤栄作の顔をしている。そこに銛打ちの女とルームメイトになった石森章太郎は、彼女の口利きで捕鯨帆船ビックフォード号の「見張り役」になる。メルヴィルの原作(?)において真のヒーローである隻脚のエイハブ船長は長谷邦夫の作品にも当然描かれるが、彼はエイハブであっても、アメリカ人のエイハブではない。エイハブ船長のイメージが、まずその隻脚と義足の部分のクロースアップで描かれているのを見るとき、読者はその次に描かれているイメージが「座頭市」であるという予測を、ほとんてることができない。エイハブは座頭市だったのである。勝新太郎による「座頭市」のイメージが現れると、われわれはエイハブ船長と座頭市とに、強力な敵に向かってただ一人で立ち向かう人間という共通の要素があることを感じとる。(ついでながら書いておくが、私は勝新太郎の「座頭市シリーズ」をビデオで全部見て、最初のころの作品には何かホモセクシュアルなものを感じた。)私は、エイハブ船長を座頭市として描くことがけっして全面的に恣意的ではないと思う。この二人の人物には、共通なもの、似ている部分が存在する。また座頭市が盲目であり、エイハブ船長が隻脚である いう二人の身体に障害があることも、似ているところかもしれない。長谷邦夫が、この「類似」を契機にして、エイハブ船長と座頭市を結びつけたのかどうかは不確定であるが。エイハブ船長の座頭市への変身は、意外ではあるが同時に完全な「飛躍」ではない。われわれ、はおそらく無意識的にはこの変身を予測していたのである。しかし、このような解釈は、むしろ自然であるかもしれない。長谷邦夫が座頭市を登場させたのは、このような関係とは無縁な発想である可能性があるからである。ただ、解釈する側からは、そのような深読みを可能にさせるものが、彼の作品に存在している。何かを連想させる力が、つねに長谷邦夫の作品のいたるところに潜在しているように思われてならない。
長谷邦夫の作品は、このようにイメージを意外なところで結合し、分離させる。白鯨は座頭市によって仕留められ、キングサイズの「鯨肉缶詰」として甲板に置かれている。このような想像力の行使は、私には、それはアメリカの哲学者パースが構想し、イタリアの記号学者・小説家ウンベルト・エーコが展開していた「無限記号連鎖」(iunlimited semiosis)の概念と似たところがある。パースは次のように考えていた。記号には対象があり、記号がどういう対象を指示しているかはは解釈項によって理解できる。しかし、その解釈項は、実は別の記号であり、その記号をまた解釈しなければならない。このプロセスは無 に継続される。エーコはこのパースの考え方を展開して、解釈には「辞書的解釈」と「百科事典的解釈」があるとした。そして、パースとエーコは、実在する記号表現について、それを解釈していくと、解釈が求められている記号の元来の対象にはなかなか行き着かず、時にはあいまいなものに到達したり、あるいはどこへも到達できずに、「漂流」してしまうことがあるとした。これは『白鯨』を生んだアメリカ的意識構造の現れであるといえるかもしれない。どこへ行き着くかもしれないまま、船を運航させるという行動のパターンが思考にも現れていると解釈できるであろう。百科事典の「関連項目」をつぎつぎに追いかけていくのは、パソコンにインストールした百科事典を持っている者の快楽の一つであるが、エーコは、解釈の作業に潜在的に含まれている「漂流」をむしろ積極的に評価して、そこに「快楽」があるとさえ考えた。長谷邦夫の作品を読んでいると、パース、エーコのいう「無限記号連鎖」が逆に存在しているように感じられる。つまり、メルヴィルの作品を出発点にして、そこから「漂流」が始まり、読者がその漂流に向きあうという状況が生まれてくるように思われる。(エーコに「無限記号連鎖と漂流」というパース論があり、そこでここに述べた辞書的解釈と百科事典的解釈の問題が論じられている。)パース、エーコの理論と方法を知ると、世界のすべてを記号と見立てて論じていく彼らの方法がわかり、それによって記号としての世界についての見方が変わってくるが、長谷邦夫の作品を読むと、マンガというものの世界を見る眼が変わってくる。長谷邦夫のマンガの世界は、すでに存在するマンガと世界全体を自らの場に引き入れてカーニヴァル的にかき混ぜ、パロディ化し、否定しつつ、それによって彼自身のマンガを生み出すという異様な世界である。
このように長谷邦夫の作品は、現代の記号論の立場から読んでも、きわめて面白いものである。そして、その読解は決してたやすいものではない。すでに少 触れておいたように、「風立たぬ」といっても、それが堀辰雄の作品をもじったタイトルであることは、現代の若い世代には必ずしも自明のことではないであろう。また、長谷邦夫の作品には政治家として砂糖栄作がしばしば登場している。美濃部都知事の姿も見える。そうしたイメージは、しだいに日本人の集団記憶から消えつつある。樋口一葉の小説に注釈が必要なように、長谷邦夫の作品も注釈・解説がそろそろ必要になりつつある。しかし、長谷邦夫の作品は、そうした「解釈」のすべてを拒絶するか、あるいは飲み込んでしまうようなような不思議な力を持っている。
(2001年7月1日)



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万博の終焉/宇波彰

名古屋万博論について

 名古屋万博のような巨大な催しは、国家と大企業の管理の下でのみ可能となる。しかしその実態はなかなか見えてはこない。名古屋万博は(旧)通産省の指導によって計画されたものであり、最初の事務総長は、通産省の審議官の職にあった有能な官僚の天下りであった。トヨタが全面的に支援したのも当然である。国家と大資本に協力したのが、中沢新一などの「知識人」であり、菊竹清訓のような保守的な建築家であった。
 名古屋万博は、まさにアルチュセールのいうイデオロギー的国家装置であり、そこから支配階級の支配的イデオロギーが発信されていた。それは巨大な国家的・大資本的祭典であり、そこに集まってきた人々の顔は、みな同じように見えた。 (2007.11.11)


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       万博の終焉
                     宇波彰

かつては博覧会は訪れる者にとって未知の「情報」を提供する場所であった。アントナン・アルトーは、20世紀演劇に画期的な革新をもたらしたとされる。そして彼の「残酷演劇」の発想はバリ島の芸術に由来する。しかしアルトーはバリ島に実際に行ったのではなかった。岡谷公二は、「シュルレアリストたちと南方」(「ユリイカ」)1988年2月号)で、アルトーが「1931年の植民地博覧会で見て深い感動を受け、その演劇観の上で甚大な影響を蒙った」バリ島の劇と舞踊について論じている。アルトーはバリ島に行かなくても、「博覧会」でバリ島の演劇に接し、その意義を理解したのである。同じようにアンリ・ルソーも博覧会で見た熱帯の植物に魅せられて、その作品にエクゾチックなイメージを与えた。そのような例はほかにもたくさんあるであろう。しかし、現在は未知の世界の情報を得るのに博覧会を必要とはしていない。実施、名古屋の万博を見ても、それを計画し、運営している側に「未知の国も情報を提供しよう」という意志が存在するとは思えなかった。現代の情報は、博覧会経由でなく、マスメディアやインターネットで、もっと正確に、もっと迅速に得ることができる。その意味では博覧会はもはや不要である。実際に、名古屋万博のそれぞれの建物のなかには、たしかにその国の産物・観光などについての情報があり、特産品を「土産」としてう販売したりしているが、海外に旅行する人の多い現代では、その効用は薄れている。北海道の土産を品川駅で売っているが、万博の各国の館にある売店は何となくそのことを想起させた。かっては、万博は訪れたことがない異国の情報を提供する場であったが、時代の変化はそうした機能を万博に求めなくなったのである。実際、人気の高いトヨタ館に行ってみると、そこはトヨタの自動車についての宣伝の場所ではなく、精巧に作られたロボットたちの「パフォーマンス」の舞台であった。円形劇場のように作られた会場でロボットたちが行進しながら音楽を演奏する(本当に演奏しているのではない)。それはきわめて現代的な情景であった。とはいうものの、そこではロボット自体が非常にモダンな美しさを示していてそれを見ているわれわれが新しい時代の到来を実感することはできるが、トヨタ館でトヨタの自動車のことにつて知ることができるわけではない。トヨタの製品の宣伝を万博がするのではない。もっと違ったのが見せられているのである。トヨタの技術が単に自動車を作るだけではなく、ロボットも作ることができ、そのロボットたちをこれからどういう領域で活躍させるかというメッセージがそのショーには込められているように見えた。ある意味ではそれも情報であるのかもしれない。しかし、会場にいる「観客たち」は単純にロボットたちの演技を楽しんでいるように思われた。「情報」が提示されているのではなかった。

名古屋の万博の会場では移動は基本的には徒歩であるが、電気自動車、人力による二人乗りのタクシー(東南アジアのリキシャに少し似ている)、ゴンドラなどが使われている。化石燃料を消費しないで、地球の温暖化を防ごうという意志の表現である。この催しの主体である「2005年日本国際博覧会協会」が発行したパンフレットによると、名古屋の万博のメーンテーマは「自然との調和」である。反対運動があったにもかかわらず、里山をかなり破壊して作られた会場そのものが自然との調和を破っているが、何とか緑の部分を残したいという意識は感じることができる。問題は「自然との調和」というメーンテーマが「理念」として掲げられるだけで、それがどれだけ参加者の意識に浸透していくかということになると、それはまた別の問題だというほかはないであろう。「自然との調和」という理念を嘲笑するかのように、アメリカではハリケーン「カタリーナ」が、日本でも各地に集中豪雨が襲って大きな被害をもたらした。それらの災害が「天災」であるというのなら仕方がないであろうが、どのばあいも人間自身にも責任のある災害であることがしだいにわかってきた。産経新聞(9月6日)の社説は、都市水害をテーマに論じている。それによると、都市の豪雨がこの10年に激しくなったのは、地球温暖化で、海面の温度が上昇し、水蒸気が増えたためにそのエネルギーが蓄えられて台風やハリケーンが巨大になる。他方、大都市ではヒートアイランド現象が進んで、その地域の上昇気流が雷雨・集中豪雨を招くということである。つまり、ニューオーリンズを襲ったハリケーンも東京の下町のマンションを水浸しにした集中豪雨も「自然との調和」を忘れた人間が責任を負うべき部分が大きいのである。名古屋の万博はその「調和」を回復するためにどういう」ことをしたのであろうか。たしかにフランス館に入ると、そこではフランスの観光案内をしているのではなく、ゴミのなかから使えるものを探している少年たちの姿など、世界各地の汚染の状況を伝える映像を巨大なスクリーンに投影している。環境保護を訴える映像と思われる。ただし、わかりやすい説明があるわけでないから、来訪者たちは暗い会場に腰を下ろし、大きな音の音楽を聞きながら茫然としてその映像を眺めているだけであった。彼らは屋外の暑さにすっかり参ってしまい、涼を求めてフランス館の中に入っているようにしか見えなかった。環境が悪化しているという映像を説明もなく流すことが「自然との調和」になるのかどうか疑問である。そこから考えると、およそ万博のようなイヴェントがひとつの「理念」を掲げても、それはたんなることばの上だけの「理念」に終わり、現実はそうした理念をはるかに超えたところで動いているのである。名古屋の万博が「自然との調和」をモットーにしていたそのときに、それを怠った人間にハリケーンや集中豪雨が襲ったのは皮肉なことである。それは「理念」が空虚であることをはっきりと見せつけるできごとであった。

名古屋の万博は、正式には「2005年日本国際博覧会」である。「万国」とか「国際」とはインターナショナルのことである。いままでの「万博」は世界のさまざまな国が集まって博覧会を開いてきたからそういう名称が与えられているのだが、インターナショナルという概念そのものが、いまや危機にある。私はアントニオ・ネグリ、マイケル・ハートが2000年に刊行し、世界各国で大きな話題になった『帝国』のことを念頭に置いているのであるが、今日の国際情勢は「国民国家」の概念をしだいに薄めつつある。もちろん現在でも国家間の紛争はたえることがないが、少なくとも経済の面では「帝国化現象」が進んでいる。また、多くのひとたちが国境を越えて移動しつつある。ネグリ、ハートはこれを「越境の時代」として規定しようとした。「帝国」が現実化しつつあるという彼らの論点には無理なところもあるが、名古屋の万博を見て感じたのは、彼らのいう「帝国」がこの万博で縮小されたかたちで見えているということであった。つまり「国際」もしくは「万国」という概念が急速に色あせているとことが、この万博で感じられたのである。

 名古屋の万博は1500億円の予算で行われた「国家行事」である。したがって、日本政府が指導権を握っているのはいうまでもないことである。この万博の名誉総裁は皇太子であり、事務総長のポストは以前の高級通産官僚が持っていた。(皇太子が来訪するときは、当然のように厳重な警戒と交通規制がされ、来訪者の行動は制限される。)この万博の総合設計は菊竹清訓である。彼の作った有名な建築作品の一つが、東京の両国にある「東京都江戸博物館」である。下駄を履いたような異様に高いこの博物館の下のあたりは、時たま強い風が吹く。建物が高いからである。それは62メートルあるが、設計者によると、かつて存在した江戸城の天守閣の高さと同じにしたからであるという。東京都江戸博物館は、江戸時代の国家権力の記号をまともに再現しているのである。私はかつてその東京都江戸博物館が、江戸時代に民衆をパノプチコン風に監視していた江戸城天守閣の再現であるのは問題だとしてこの建築を批判したことがある。建築家が巨大な建築物の設計を求めるとき、しばしばそれは権力の記号になる。(最近の話題の映画「ヒトラー 最期の12日」にも登場しているナチス・ドイツの建築家シュペーアのことが想起された。)名古屋の万博もまた、日本という富裕で巨大な国家権力が、民衆と外国からの訪問者に権力の大きさを示そうとした国家行事にほかならなかった。1970年の大阪万博は、その国家行事を一種の「祭典」として行いたいという思考が存在していた。しかし今回の名古屋の万博では、「祭典」という傾向も希薄である。ここに述べてきたことをまとめて考え直すと、「万博の終焉」とつぶやくほかはない。




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反デモクラシー的建築/宇波彰

丹下健三論について

 先日、新宿の東口のあたりを歩いていると、カナダ人だという中年のカップルに東京都庁舎への道を尋ねられた。彼らは「丹下健三の作品を見に来た」といっていた。確かに、海外で最も知られている日本の建築家は丹下健三である。しかし私は彼の建築を支える「思想」に疑問を持ち、批判の論文を書いたことがある。ここに示す文章は、2005年の「建築ジャーナル」に発表したものに、多少の加筆訂正を行なったものである。私がこの論文を発表してまもなく、丹下健三は亡くなった。 (2007.11.11)


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 丹下健三の建築とデモクラシーの関係というテーマは、きわめて重要である。それは基本的には、政治と建築の関係の問題になるからである。2007年に刊行された、ディアン・スジックの『巨大建築という欲望』(紀伊国屋書店)は、権力・財力を持つ者がどれほど建築を重視してきたか、また建築家がいかに権力・財力を持つものにすり寄ってきたかを描いた注目すべき著作である。パソコンの画面で丹下健三の仕事についての情報を検索していてすぐに気付くのは、1942年にプランが作られた「大東亜建設造営計画」や「バンコク文化会館」については何も記されていないということである。それらの建築を支える思想は、全体主義的・国家主義的なものであった。それらの建築は設計の段階で終わったものではあるが、そこには明らかな反デモクラシー的、権力志向的なものがある。しかし、少なくともインターネット上での情報では、それらの建築に関する情報は隠されている。
戦後に実際に作られた広島平和記念館が、実は戦時中の丹下健三のそうした帝国主義的思想と連続し、かつ断絶していることについては、「建築ジャーナル」(1995年12月号)で論じたことがあるが、結局、丹下健三の建築は、時代の風潮に迎合していくことによって成立するように見える。そうすると、丹下健三が二度にわたって手がけた戦後の東京都庁舎は、デモクラシー的な建築になる可能性もあったあはずである。
 しかし、私が新宿西口にそそり立つ新しい東京都庁舎に最初に入ったときの印象は、「冷たい」の一語に尽きる。この巨大な建築はどこが入口なのかよくわからないし、入っても職員の誰かが、「いらっしゃいませ」といって迎えてくれるわけではなく、帰り際に「またどうぞお越しくださいませ」とコンビニの店員のようなお世辞をいうわけでもない。それは建物のせいではないかもしれないが、そういうお世辞をいってくれる人が配置できる構造ではない。もちろんひとりひとりの都の職員は親切に応対し、仕事を熱心にしている。しかし、彼女たち、彼らが働く職場の建物はどう見ても威圧的である。
 この庁舎に、石原慎太郎の東京政権の中心がある。そこでは例えば君が代を歌わず、日の丸の掲揚に反対する都の教員の「処分」が決定される。アルチュセールのいう抑圧的国家装置の典型である。山口二郎は、『戦後政治の崩壊』(岩波新書、2004年)の中で、石原慎太郎について次のように書いている。「彼は<三国人>発言など、外国人、女性、障害者などに対する差別、偏見を公然とすることで悪名高い。これは民主主義国ではありえないことである。」山口二郎は、このような人物を知事に選ぶ東京都民の行動を「暗澹たる」思いで、見ていると書いているが、とにかく丹下健三の都庁舎は、都民によって選ばれた石原慎太郎が都民に向かって権力を行使する装置になっている。それはデモクラシーに反する建築ではないか。この建築が石原知事を生み出したのだともいえる。
 この超高層のスカイスクレーパーの周辺には多くの高層建築物がある。したがってそれは、周囲を睥睨してそそり立つという存在ではない。かつて江戸城の天守閣は、62メートルの高さの建築物であることによって、江戸という都市全体を監視する機能を、少なくとも象徴的には持っていた。(菊竹清訓の東京江戸博物館が高さ62メートルになっているのは、「一望監視設備」としての江戸城天守閣のアナロジー的再生産の試みである。)しかし、現代の都庁舎はもはや周囲に群生している高層建築物の存在によって「高さ」を主張できなくなっている。都庁の「大きいこと」は、すでに相対化された。権力を持つ者や権威あるものが、例えば城や大聖堂のような物理的に巨大な建築物を象徴的に使う時代はすでに終わった。民衆を管理し、監視するためには、すでに庁舎など不要である。そのことはカフカの『城』で立証済みである。
東京都庁で恐ろしいのは、この建物の大きさではない。そこに内蔵されているコンピュータ・システムである。そこには東京都民のあらゆるデータが内蔵されている。現代は「監視社会」である。現代の監視は高い天守閣からの直接的・パノプチコン的監視ではない。監視する側はまったく姿を見せない。個人のあらゆるデータが、都庁のどこかに隠されている。そうだとすると、都庁舎はそんなに大きくなくてもいいはずである。いまの都庁はこけおどしであり、その建築物は保守系政治家と深いつながりのある赤坂プリンスホテルとともにきわめて反デモクラシー的である。(2007年11月7日改稿)




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ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』を読む

ジャック・デリダの『マルクスの亡霊たち』(増田一夫訳、藤原書店、2007,以下NBと略記し、そのあとに引用したページ数を示す)の原書は1993年に刊行されている。邦訳が待ち望まれていた、1990年代におけるデリダの代表的な著作である。デリダの他の著作と同じように、本書もかなり難解ではある。しかし元来は講演の記録であり、読み返しているうちに、しだいにデリダの情熱のようなものが伝わってくるであろう。この情熱は、本書のあとに刊行された『マルクスの息子たち』(国分功一郎訳、岩波書店、2004、MMと略記)にも継承されている。
本書にはデリダのいくつかの基本的な概念が示されているが、評者はそのなかで特に「遺産相続」(héritage)の概念を取り上げておきたい。デリダのいう「遺産相続」は、与えられた遺産をそのまま引き継ぐことではない。それは遺産を「濾過し、選別し、差異化し、再構造化」(MB.129)することであり、デリダの概念である「脱構築」そのものである。デリダは「遺産相続とは、かたちを変える作用をするフィルターである」(MB.221)とも書いているし、「批判的相続」ということばも使っている。「濾過し、ふるいにかける」という操作は、現在が過去を作り直していくという、うでにフロイトが1890年代から考えていて、ラカンが展開した「事後性」の概念とも深くかかわっている。そのことは、1990年に崩壊寸前のソ連を訪れたデリダのソ連紀行『ジャック・デリダのモスクワ』(土田知則訳、夏目書房、1996)の冒頭でも論じられている。そこでは「合理的な物語」(récit raisonné)という概念が示され、「濾過し、フィルターにかける」(cribler, filtrer)という動詞が使われている。このモスクワ紀行にも、1990年代のデリダの思考方法が明白に現れている。つまり、『マルクスの亡霊たちと『ジャック・デリダのモスクワ』には、共通の方法がある。「事後性」については、拙著『力としての現代思想 増補新版』(論創社、2007)で増補した「事後性論」で詳しく論じてあるが、簡単にいうと、あることがらを「あとから」構成する操作のことである。フランス語では事後性をapres-coupと訳している。米盛裕二のパース論(『アブダクション』勁草書房、2007)第6章で、「仮定が事実を作る」という考え方が示されているが、それは一種の事後性である。
ついでに触れておきたいが、アメリカの哲学者パースは、まだ十分な評価を与えられていない。アブダクションというパースの中心的な概念も、まだ一般に浸透していない。ショシャーナ・フェルマンの『ラカンと洞察の冒険』(森泉弘次訳、誠信書房、1990)は多くのラカン論のなかで注目すべき著作であるが、そこではパースはまだ「ピアス」と表記されていた。つまり、そのころパースはまだわが国では、知的世界に浸透してはいなかったということである。米盛裕二は、沖縄でこつこつとパースを研究し、人工知能の問題とパースの思想を結びつけようとしてもいた方である。勁草書房から1982年に刊行された『パースの記号学』、三巻からなるパースの論文の翻訳はいずれも米盛裕二の仕事であるが、きわめて価値が高い。

・存在としての遺産相続

遺産はそのままに受け継がれるのではなく、未来のために脱構築され、変形されていく。デリダは、『マルクスの亡霊たち』のなかで「われわれの存在が第一に相続である」(MB.130)と述べているが、そのばあいの「相続」には重要な意味が含まれている。存在するとは相続することであるが、その相続は、すでに述べたように「濾過すること」「フィルターにかけること」を必要とする「批判的相続」である。デリダの基本的な認識では「われわれはマルクスの遺産を刻印された世界に住んでいる」のである。「望むと望まざるとを、知ろうと知るまいと、地球上のあらゆる人間は、今日、ある度合いでマルクスとマルクス主義の相続人なのだ」(MB.196)とデリダは断言する。マルクスに対するデリダの「愛」が感知できる印象的なことばである。そしてその遺産のひとつは、「世界を変革する」という思想である。「来たるべき未来」ということばが反復される。存在と遺産相続は等置されている。2007年にアメリカで刊行されたデリダ論集(Mitchel, Davidson ed.,The late Derrida, The Univeristy of Chicago Press, 2007、LDと略記)に収められた論文において、ロドルフ・ガシェ(Rodolph Gache)は、「デリダは、存在が遺産相続の意味であると指摘した」と書いている(LD.73)ここにある「To be is to inherit.」(「ある」ということは、遺産を相続することである)という考えの重要性をガシェがよく認識しているということである。存在は相続であるが、それは必ず批判的相続でなければならず、そこに「責任」が生じている。

・言語遂行論の介入

『マルクスの亡霊たち』でもうひとつ注目しておきたいのは、デリダがオースチンの言語理論を導入していることである。オースチン(1911~1960)の言語遂行論(speech act theory)は言語の機能を「記述的・事実確認的」(constative)と「言語遂行的」(performative)とに分類することであった。デリダはマルクスの言説が、まさに言語遂行的であるとし、その典型的なものが「フォイエルバッハに関するテーゼ」の有名な一節であるとする。「哲学者たちは世界の解釈をしてきたが、肝心なことは世界を変革することである」というこのテーゼこそまさに「言語遂行的」であるとするデリダは、「解釈する当の対象を変化させる解釈」こそ真の解釈であるとした。そのことを論じているデリダの言語が、「論じている当の対象を変化させる」力を持っている。 

付言しておくと、長い時間をかけてなされたという増田一夫の翻訳はとてもいい。これまでのデリダの邦訳のなかでは最高である。
(2007年11月23日)




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シンボル論 研究所版

ここに公開するのは、可視化情報学会の機関誌「可視化情報学会誌」(第17巻、66号、1997)に発表した論文である。シンボルの問題はきわめて範囲が広く、また非常に深いものである。私の現在での関心とのかかわりで言うならば、シンボルはイメージの問題のひとつの分野であり、このイメージ(像)の問題はさらに大きいものである。いまの問題意識から私は「像と言語」という論文を「モルフォギア」(第29号)に発表したばかりであり、10年前のこの「シンボル論」とのつながりと断絶とを自分自身で確認しているところである。つまりこの「シンボル論」は、いまならば大幅に書き直されるであろう。しかしとりあえず初出のままここに公開する。なおこの論文は、いままで私が刊行した単行本には収められていない。(2007年11月29日)


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シンボル論 研究所版         

宇波彰



1 シンボルとは何か

今日、 シンボルということばは、さまざまな領域で使われている。いたるところで「シンボル・マーク」が用いられ、「シンボル・タワー」が建てられる。『シンボル大事典』(大修館)という、世界のさまざまなシンボルを集めた事典さえ刊行されている。県木や県花というのも、その地域を象徴する一種のシンボルとして機能しているように見える。しかし、どのばあいもシンボルという用語の使い方はきわめてあいまいである。手元にあるいくつかの小型の国語辞典を引いてみると、いずれも「象徴・表象、記号・符号」といい直してあるだけでよくわからない。会社や学校、あるいはひとつの都市のシンボル・マ−クということが最近しばしば話題にされはするが、それをたとえば「象徴標識」と訳すことはできないだろう。また、「表象」も、しばしば使われることばではあるが,歴史的にその意味を変化させてきたことばであり、もともとは心理学の用語として、心のなかに浮かぶ、対象の心的なイメージを意味した。普通の辞書にはその意味しか記されていない。しかし現代哲学や現代芸術の世界では、対象や概念を何らかのかたちで具体的に表現したものが表象であるとされる。表象にあたる英語は、REPRESENTATIONであるが、それは(台本の)上演をも意味している。もとにあったものを写し変えたものが表象である。伝統的な芸術はこの表象という概念をもとに成立していた。ところが、のちにも述べるように、20世紀になって、実在や既成の概念をただ表象するだけでは芸術は成立しないのだという主張がなされるようになり、「表象の崩壊」ということさえいわれている。そのため最近では表象を象徴の同義とすることはほとんど不可能になっている。
常識的に考えて、象徴は「鳩は平和の象徴である」という辞書の例文が示しているように、抽象的なものを表す、かたちのある具体的なもののことを意味していることが多いように思われる。フランスの『プチ・ラル−ス』では、シンボルについてはっきりと「概念を表象する形象的記号」という定義が与えられている。この定義では、シンボルが形象(かたち)を持つものであると規定されていると同時に、記号のなかに象徴が含まれると考えられていることがわかる。
しかし他方では、象徴と記号の区別がはっきりせず、訳語にも混乱があることも確かである。シンボルは単純な記号・符号でもある。たとえばシンボリック・ロジックは「象徴論理学」ではなく「記号論理学」と訳すべきものであり、このばあいは、ことばによる論理操作を、記号(シンボル)を使って簡単にしているということである。記号論理学においては、シンボルは単なる記号にほかならない。要するに、象徴も記号もあいまいな定義しかされていないように思われる。シンボルの問題を考えるときに重要な文献のひとつは、フランスの哲学者ジルベ−ル・デュランの『象徴の想像力』(せりか書房)であるが、その冒頭に次のように記されてある。「イマ−ジュ・記号・アレゴリ−・象徴・標識・比喩・神話・形象・イコン・偶像などの用語が、ほとんどの論者によって無差別に使われている。」(p9)また、すでに述べたように、最近では「表象」ということばも使われることが多い。今日では,企業や学校のアイデンティティを示すためにシンボル・マ−クが使われることが多くなっている。それはその企業・学校などの特質を表現したり、単にかたちの美しさだけを求めるばあいもあって、一概に規定できない。しかしそれらのシンボル・マ−クも、いままで使われてきた、伝統的なシンボルと関連するものがあるはずである。基本的には、シンボルは目に見えないものを、かたちのある、目に見えるものとして表現したものである。それはまさに「可視的な情報」を伝達する機能を持つものである。シンボルはいたるところに存在するように見えながら、他方ではその力を失いつつあるようにも感じられる。
最近翻訳された『記号の歴史』(創元社)のなかで、ジョルジュ・ジャンは次のように書いている。「ギリシア人は、ケレス、キュベレ、ミトラ教の秘教に入信した人々が互いを見分けるために使った言葉や記号のことを象徴と呼んだ。今では象徴という言葉はそこから拡大して、本質的な部分が似ていたり、慣用的に同類とされているものによって別個の実体を表現する記号のことを意味するようになった。象徴体系の世界は広大で魅惑的だ。」(p170)はたして今日においても、象徴体系の世界が広大で魅惑的であるかどうかは別に考えなければならない問題であるが、とにかくジョルジュ・ジャンは、象徴が記号のなかに含まれるものと考えているのであって、これが今日の一般的な理解である。またここでジョルジュ・ジャンが「慣用的に同類とされているものによって別個の実体を表現する記号」と書いていることに注意しておくべきであろう。のちにも述べるように、シンボルの機能は「慣用」によって決定されてくるからである。また、根本的にはシンボルは記号のひとつであると考えなければならない。したがって、シンボルについての考察は記号論のなかでなされるものと見ることもできるのであるが、なぜか最近の記号論では、シンボルそのものが直接には論じられることが少なくなっている。たとえば、今日の記号論の教科書的な著作であるロラン・バルトの『記号学の原理』(みすず書房刊『零度のエクリチュ−ル』に所収)でも、またウンベルト・エーコの『記号論』(岩波書店)でも、シンボルについて特に言及していない。それはおそらくシンボルは記号のひとつにすぎないという前提があるからだと思われる。しかしまた、記号論においてシンボルが特別に論じられなくなったのは、のちにも述べるように、シンボルそのものの力が小さくなったからではないであろうか。一般的に言って、論じられる対象の意義が薄れたり、力が小さくなってくると、その対象についての議論が少なくなってくる。たとえば、すぐれた美術作品が制作される時代には、美術批評も活発になる。批評は作品が存在してのみ可能になるからである。それと似たような現象がシンボル論にも生じていると考えることができる。

2 パースのシンボル論について

このような状況から考えると、シンボルについて考えるためには、記号論についての考察が必要になるはずである。今日の記号論には、フランスを中心として、主としてロラン・バルトによって展開されたフランスの記号論と、プラグマチズムの伝統を受け継いだアメリカの記号論という大きな二つの流れがあると考えられるが、アメリカの記号論が哲学者チャ−ルズ・サンダ−ス・パ−スから大きな影響を受けていることはよく知られた事実である。そのパ−スの哲学と記号論が、最近になって再評価されつつあるが、それはシンボルについて考えるためには、シンボルの価値が高く認められていたらしい100年前にさかのぼって考え直す必要があるということかもしれない。いまパースの年代順の全集が刊行されつつあって、この特異な哲学者の思想が徐々に解明されつつあるが、30巻からなるという全集の刊行が終了するのはかなり先のこととされていて、パースの研究者は草稿にあたって調べることもあるらしい。広い範囲にわたって活躍したこの哲学者の仕事はわが国でもかなり多くの研究者が論じてはいるが、まだ決定的なパース論はでていないように思われる。ただ、最近のアメリカではパースに関する著作や論文集が次々に刊行されているし、ドイツでは哲学者のオットー・アーペルが積極的にパースを評価する仕事をしていて、それはすぐに英語に訳されてもいる。またフランスでも、1993年にクロディーヌ・ティエルスランの『パースとプラグマチズム』(Claudine Tiercelin,Peirce et pragmatisme,PUF)というパース論が現われているのであって、パースの再評価が国際的に進んでいると見ることができる。
すでによく知られていることであるが、パ−スは、1885年に発表した「論理学の算数について」などにおいて、記号には三つの種類があるという考え方を示し、その考え方をその後も維持し続けた。パ−スの記号論は、論理学と密接にかかわるものであり、記号論はほとんど論理学と同じものとされている。そのためパ−スによる記号の分類では、記号と実在(現実)との関係のあり方が基準になっていて、記号はイコン(類似記号)、インデックス(指標記号)、シンボル(象徴記号)の三つに分類される。米盛裕二氏の『パ−スの記号学』(勁草書房)によると、対象と類似しているものがイコンであり、ティエルスランによると、生地の断片がその生地全体の色などの見本になっているとき、その断片はイコンとして機能していることになる(p67)。また,対象と「事実的に連結し、その対象から実際に影響を受けることによってその対象の記号となる」ものがインデックスである。風見鳥はインデックスの例としてよくあげられる。煙は火のインデックスである。そしてシンボルは精神・心的連合・解釈思想といった「第三のものの媒介によってその対象と関係づけられている」ものである。(p144)類似性、事実的直結、解釈項の存在が、この三つの記号のそれぞれの特徴である。パ−スによるこの分類は、今日しばしば言及されるものであるが、もちろんそれについては異論もあるのであって、たとえばパ−スから大きな影響を受けているイタリアの記号学者ウンベルト・エ−コは、この三分法に反対であるという。しかし、一般にはパ−スが記号のなかでシンボルを最も重視していたのもよく知られていることである。
パ−スの理論は、19世紀の後半に作られたものであり、今日では批判があるのは当然であるが、それが今日あらためて問題にされるのは、パ−スの理論が時代を超えて有効なものを持っているからにほかならない。それは、パ−スの記号論はつねに記号とそれ以外のものとの関係を視野に入れていたからである。アメリカ思想の伝統に忠実であり、またそれを新しいかたちで展開させたパースの記号論は、シンボルを中心とする記号を実践的なものと関連させて考察している点で、きわめてアメリカ的であるといえよう。1996年にパ−スの記号論について現代の立場からか考察した論文集が刊行されたが、そのなかに収められた「パ−スのシンボル論」において、ジョン・J・フィッツジェラルドは、「記号についてのパ−スの論文の多くはシンボルを論じている」と書いている。(Peirce's doctrine of signs,Mouton de Gruyter,p161) その上で、フィッツジェラルドは、記号とその対象と解釈項という、記号の意味作用を形成する三つの要素について論じている。この三つの要素は、「解釈項は記号を通して対象と関係する」という関係にある。このフィッツジェラルドのパ−ス解釈はシンボル論にとっても重要である。というのは、ここで記号について論じられていることは、そのままシンボルに当てはまるからである。シンボルが何を表現しているのかが対象との関係の問題であり、それをどのように解釈するのかは解釈項の問題だからである。シンボルについて考えるときには、シンボル・対象・解釈項という三つの要素を視野に入れておかなくてはならないというパ−スの指摘は今日でも十分に通用する。ス−ザン・ランガ−が『シンボルの哲学』(岩波書店)のなかで、「普通のサインの機能には、三個の買うべからざる項、すなわち、主観、サイン、および対象がある」(p76)と書いているのは、パ−スの理論を意識し、また解釈項を人間と見てのことである。ランガ−が「主観」といっているのは、「解釈者」のことと考えられるからである。シンボル論は、この三つ要素の関係の考察である。バルトの記号論では、記号はあくまでもシニフィアン・シニフィエの関係の中で意味を持つものであり、第三項の介入は考えられてはいなかった。したがってバルトの記号論では「解釈項」「主観」という要素が欠けているように思われる。
ただし、ここで少しつけ加えておくと、パ−スの記号論に人間的な要素があると考えることについては、ウンベルト・エ−コは批判的である。たとえばエ−コは『記号論1』(岩波書店)のなかで次のように書いている。「パ−スが解釈項というもの(それは最初の記号を翻訳し、説明するまた別の記号であったし、それは無限に反復される過程である)を想定される解釈者の心の中での心的な出来事でもあると考えていたことを否定しない。ただ私が主張したいのは人間中心的」ではない形で解釈することも可能だということなのである。」(p21)しかし私は,いまパースの思想を再評価するときには,そこに含まれる人間的なものを視野に入れる必要があると考える。パースの思想の再評価の大きな理由のひとつが、彼の記号論に含まれる人間的・実践的な要素であると考えられるからである。すでに述べたように、構造主義の時代には、人間的なものは意識的に排除されていて、そのためにバルトのように「作者の死」を唱えたり、ミシェル・フーコーのように、「人間の死」について語る必要があった。しかしその時代が過ぎたいま、われわれはどこかで人間的なものの回復を望んでいるように思われる。ロシアの文学理論家ミハイル・バフチンの仕事も、今日徐々に再評価され、再検討されているが、バフチンがながいあいだにわたって抱き続けていた重要な考え方のひとつが、「アーキテクトニクス」である。それは「システム」に対立するものであるが、システムが均質的で、中心を持たないのに対して、アーキテクトニクスはバフチンによって,「具体的で、個別的な部分と局面とを、焦点があり、不可欠で、勝手ではないやり方で配分し、関連させること」として規定されている。(Rethinking Bakhtin, Northwestern University Press,p21) これは、ある点に焦点があるので、均質な構造ではなく、建築の構造のように,どこかに柱のような中心になるものが想定されている。アーキテクトニクスは、パースの記号論のばあいと同じように,バフチンがポリフォニー(多声的構造)やカーニバル(異質なものが混合して存在する状況)の理論とともに、長年にわたって培った概念である。舞台は異なるとはいえ、これは現代思想において人間的なものの回復が求められているひとつの証拠と見ることができるだろう。
通常,シンボルについて積極的な考察をしてきたのは,宗教学と精神分析であるといわれる。ただしフロイトのばあい,シンボルはつねに性的な意味をもたされていて、そこには一種の還元主義がある。ユングにおいてもシンボルの象徴性は神秘的なものとつながる。さらにラカンの思想においては、シンボルの世界は言語の世界である。しかし、通常の理解では、シンボルは言語そのものであるよりも具体的な形象性を持ったものである。簡単な例をあげると、東ヨ−ロッパのいわゆる東方正教会で用いられているイコン、ギリシア正教の信者の家で信仰の対象にされているイコン、ギリシアの土産屋で売られている安っぽいイコンなどにおいてのみならず、欧米の美術作品でしばしば使われる「聖ゲオルギウスとドラゴン」というテ−マがある。聖ゲオルギウスはキリスト教もしくは正義の象徴であり、ドラゴンは悪の象徴として、大地の底から現れたものとして描かれる。多くのばあい、画面のどこかに穴が空いていて、それは地底の闇の世界に通じている。そこからドラゴンが地上に現われてきたのである。現代美術では正邪の対立という解釈は成立しなくなっているが、それでも聖ゲオルギウスとドラゴンとがシンボルとしてある時代までは象徴的な意味を持っていたことは確かである。そのばあい、キリスト教も、正義も、そして悪もきわめて抽象的なものであり、常識的に考えて、シンボルは目に見えないものを目に見えるようにするものとして定義できるであろう。抽象的で、不可視のシニフィエを可視的にしているシニフィアンがシンボルである。人間の社会生活では、われわれの目には見えないものが数多く存在している。シンボルはそれを見えるようにする働きをする記号である。

3 シンボルの価値の低下

ここまでシンボルについての定義の問題を論じてきた、それはシンボルがいたるところに存在していることが前提とされての議論である。しかし、その前提はすでに崩れているのではないだろうか。現代は映像の時代と言われていて、いたるところに写真・映画・テレビ・広告などのイメージがあふれている。そこにはシンボルもあふれていると考えられるかもしれない。しかし、そのような現代においてシンボルはかならずしも重要な意義を持つものとはみなされていない。シンボルは記号のなかに含まれると考えらるが、すでに述べたように、現代の記号論ではシンボルの問題は中心には置かれていない。シンボルそのものが力を失いつつあるからである。それにはいくつかの理由があると考えられる。ジルベール・デュランはそれが7世紀にビザンツ世界で起こったイコン破壊運動(イコノクラズム)に起因すると主張する。
シンボルは基本的には目に見えないものを目に見えるかたちで表現するものである。そこにはかならず変形や歪曲が存在する。シンボルの歴史をかえりみるとき、不可視のもの、特に宗教的なものを可視的なものにすることについては、ときおり批判的な動きがあった。ユダヤ教では偶像の崇拝は禁止されていた。すでに言及した東ヨ−ロッパに広まっているイコン(聖画像)は、民衆が神という目に見えないものに近づくための手段であるが、ビザンツ世界では7世紀ごろ、それは神を直接に信仰するのには妨げになるという理由で、いわゆるイコン破壊運動(イコノクラズム)が起こった。すでに言及したジルベ−ル・デュランは、このイコン破壊運動がさまざまなかたちで西欧の思考の根底にあるという意見を述べ、デカルトからサルトルにいたるフランス哲学も、基本的にはイコン破壊運動の系譜の中にあると指摘した。デュランは『象徴の想像力』のなかで次のように書いている。「西欧文明の歴史において、シンボルの価値が最も低下するのは、デカルト哲学に由来する科学主義の流れにおいて現れた状態であろう。」(p31)たしかに、明晰で判明な理性的認識を最も重視するデカルトの哲学では、想像力の役割は低く見られていて、イメージ・シンボルの価値は否定されることになる。デュランは、デカルトからさらにプラトンまで遡ることができる反想像力の系譜が、西欧精神を閉じ込めているのだと考える。デュランは、この動きが実際の美術作品に対しても影響をおよぼしていると主張する。そして、「このような徹底的なイコン破壊運動は、絵画と彫刻の美術的なイマ−ジュに対して重大な作用を及ぼさずには展開するものではない」(p34)と指摘し、17、18世紀のフランス美術が「全体の傾向として、純粋な気晴らし、純粋な装飾へと小さくなっている」と述べている。デカルトの思想が、芸術の世界にまで影響を及ぼしているかどうかはにわかに判断しがたい問題ではあるが、シンボルの力を回復させようとする試みは、おそらくデカルトとの対決を避けることができないであろう。
その意味で、モリス・バ−マンの『デカルトからベイトソンへ』(国文社)は、ギリシアに起源があり、デカルトが確実なものにした、あるいはデカルトに「象徴」される、西欧の基本的な反象徴的な意識を詳しく分析している。バ−マンは、「世界の魔法が解ける」というマックス・ウェ−バ−のことばを引用して論を進める。それは、近代の人間にとって、物質的な世界と精神的な世界、外の世界と内側の世界とがしだいに分離されていくということである。この二つの世界がつながっている意識をバ−マンは「参加する意識」といっているが、それは古い世界観であり、近代の人々はそれを「劣ったものとして、自分はもう卒業した幼稚な世界観として」見る(p70)。近代人は「魔法から醒めた」のであるが、「制限はされながらも確固として生き場所を持っていた参加する意識が、科学革命の到達によって、根絶の運命をたどっていく」(P74)ということになる。バ−マンはこのプロセスは、近代になって決定的なものになったが、その始まりはすでにユダヤ教の偶像崇拝禁止やギリシアの哲学のなかにあったと主張している。この考え方は、ジルベール・デュランと共通のものを持っている。このような思考の態度が、「意味に満ちたイメ−ジからその意味を奪ってしまう」批判的理性なのである。ここでバ−マンが「意味に満ちたイメ−ジ」と書いているのは、シンボルのことでもあると理解できる。バ−マンは「錬金術」ということばを使っているので、現代のわれわれには遠い世界のことのように感じられるが、 バ−マンがいっている「錬金術の世界」では「精神的な出来事と物質的な出来事との間に、明確な境界が存在していなかった」(p97)のであり、「シンボルでない事物など、そこには何ひとつ存在せず、あらゆる物質的事象が、それに対応する精神的事象を引き連れて生起する」(p98)のである。すべてがシンボルであるというのは、あらゆる存在が意味を持ち、精神と物質とが不可分であるということである。その世界はシンボルに満ちた世界であり、魔法にかかった世界である。
バ−マンは近代の科学的な思考が、このような魔法の世界を解かしてしまったとして、次のように書いている。「科学的文化が、全体論的知覚を抹殺しようとしたこと、それこそが、麻薬とアル中の蔓延する現代の病弊をもたらしたのだ。」(p190)ドラッグや酒におぼれる現代人の病がデカルトのせいだというこの主張が正しいかどうかはにわかには判断できないが、少なくとも現代の精神的な状況においては、シンボルの存在が危うくなっていることは理解できる。シンボルは、精神的なもの、抽象的なもの、概念的なものを、具体的な形象的記号として表象するものであるが、それが成立するためには、この二つの世界がどこかでつながっていることが前提とされている。ところが、近代の科学的世界観がそれを破壊してしまったのであり、そうなるとシンボルそのものの存在が危険な状況に置かれることになる。バ−マンの『デカルトからベイトソンへ』は、この意味においてシンボル論にとってきわめて重要な文献のひとつである。バ−マンは、「世界の再魔術化」の可能性が、グレゴリ−・ベイトソンの思想にあるとする。世界の再魔術化とは、精神的世界と物質的世界が相互に絡み合って存在する世界、シンボルが存在する世界を再構築することである。それが可能かどうかはここで判断することではない。しかし、そのような世界が消失しているというバ−マンたちの見解があたっているとするならば、現代では、シンボルは成立しにくくなっていると考えなければならない。ベイトソンは、遺伝学者であった父の影響を受けて、生物が作っている世界をエコロジー的な世界であると考えた。それは人間と自然とが魔術・呪術によってつながっている世界である。精神と物質が分離してしまった世界では、シンボルは存在できなくなる。

4 表象という概念の凋落

伝統的な芸術作品は、「表象」という概念を基礎にしている。「表象」という言葉を『広辞苑』で引いてみると、「1 象徴。2知覚に基づいて意識に現れる外的対象の像」という説明がなされている。しかしこれは現代の表象の意味とはかななり離れている。表象は何らかのかたちで対象を具体的に表現したものである。たとえば、絵画は実在を模写することから始まると、一応は考えられるが、その時の「模写」は表象の基本的な形式のひとつである。実在があり、それを写すことが芸術の起源であるとは言えないまでも、少なくとも写実主義や印象主義までの西欧の美術は、何らかの点で実在と直接にかかわるイメ−ジを作ることによって成立してきた。また演劇は台本を上演することによって成り立つと考えられてきた。それらのいずれも「表象」という考え方がもとになっている。ところが20世紀の芸術は、その様な表象概念を破壊することから始まったというのが一般的な芸術史が教えるところである。特にフランスを中心とする立体派・抽象絵画は、すでに実在の表象とはまったく異なったものを作品として提示した。点や線だけで作品が作られ、いわゆるシニフィアンのたわむれといわれるものが芸術の舞台に登場することになった。そこでは、実在とはほとんど切り離された抽象的な図形が作品の主要な要素として存在する。モンドリアンの作品には、点と線だけでできたものがあり、プラスとマイナスの記号(シンボル?)を集めて作られたものもある。それらの作品は、すでに実在の表象ではありえない。実在と関係のないシンボルについてその象徴作用を論ずることは原理的に不可能ではないかと思われる。シンボルの価値の低下は、このような表象概念の失権と連動する。
表象という概念にかわって登場してきたのが、「シミュレーション」という考え方である。(記号論では、正確にはシミュレーションは模擬作用のことを意味し、シミュラークルはその結果生じた表現などを指すが、一般にはこの二つのことばは混同して用いられている)表象が、実在に対応するものであるとすれば、シミュレーションには、それに対応する実在が存在しない。ヴァーチャル・リアリティといわれているものも、このシミュレーションの一種である。シミュレーションは、元来は「模擬」という意味で、飛行機の操縦訓練のときに、本物のコックピットに似せて作られたものがシミュレーションである。今日の哲学・芸術論では、対応する実在を持ってはいないが、それだけで存在し、また美的な価値も持つものをシミュレーションということがある。対応する実在がないシミュレーションの時代には、何かを象徴化しているものであるシンボルは居場所がないことになる。
シンボルの価値の低下は、このような表象概念の崩壊と、それにともなって到来したシミュレーションの時代の産物である。その例として、すでに言及したディディ=ユベルマンの『聖ゲオルギウスとドラゴン』に戻ることにする。ディディ=ユベルマンは、フランス美術史学者で、精神科医シャルコ−によるヒステリ−患者の写真の分析をした『アウラ・ヒステリカ』(リブロポ−ト)によってわが国にも知られている。ヒステリー患者の写真は、元来は医学的な資料としての価値を持つものであり、ドキュメントである。しかし今日では、ドキュメントはばあいによってはそのままアートになることができる。報道カメラマンによる出来事の写真は、時には単なるドキュメントの領域を超えて、芸術的な価値を持つことができる。また、元来は芸術作品であったかもしれない屏風絵や浮世絵が、その時代の人々の生活様式や、服装などについての資料として役立つこともしばしばあるはずである。特に今日では、ドキュメントとアートの区別があいまいになり、両者は相互に浸透する関係にある。それをディディ=ユベルマンはヒステリー患者の写真を媒介にしてするどく分析しているのであるが、そのようなドキュメントとアートの新しい関係が成立している状況が、まさにシンボルの価値の低下の時代に対応する現象であるといえよう。
1994年に刊行されたでディディ=ユベルマンの『聖ゲオルギウスとドラゴン』(Didi・Huberman,Saint George et le dragon,Adam Biro)は、このテーマがどれほど執拗にヨーロッパの美術作品に繰り返して用いられてきたかを詳しく説明している。したがってそれはある意味では「構造」というものについてのまたとない典型を示すものでもある。ロラン・バルトは、ギリシア神話のアルゴ船が帆柱などが変わっても、最後までその「構造」を変えなかったことを論じているが、聖ゲオルギウスとドラゴンというテーマも、ひとつの構造がいかに強固に保たれるかを示す例である。したがって、ディディ=ユベルマンのこの著作は、シンボル論にとっても貴重な文献である。聖ゲオルギウスは3世紀の殉教者で、最初は彼一人の殉教が図像として示される。そのうちに聖ゲオルギウスがドラゴンを退治する伝説がそこに加わることになる。聖ゲオルギウスとドラゴンというテ−マは10世紀をすぎてからしだいにヨ−ロッパに広まったが、写真家としても活躍したルイス・キャロルやアンディ・ウォ−ホールがその作品のテ−マとして取り上げたときには、元来聖ゲオルギウスや彼に退治されるドラゴンが持っていた象徴性はほとんど失われてしまっている。聖ゲオルギウスは、人身御供にされかかっている王女を助けてドラゴンを退治するのであり、日本の素戔嗚尊によるやまたのおろち退治の物語と類似しているところがあるが、現代ではばあいによっては、聖ゲオルギウスも王女もドラゴンもすっかり変形する。たとえばゲオルギウスは少年になってしまい、王女はヌードになり、ドラゴンは少しも恐くない存在として描かれる。それらの登場人物や動物は、元来持っていた象徴的な意味を失ってしまっている。ディディ=ユベルマンは、次のように書いている。「聖ゲオルギウスがもしドラゴンに対する本当の勝者ではなくなったとしたら、聖ゲウルギウスとドラゴンの争いはどうなるのか。王女がヌ−ドになっていたり、あるいはもっと悪いことに娼婦だったとしたら、聖ゲオルギウスのキリスト教的なアレゴリ−性はどうなるのか。」(p123)ディディ=ユベルマンの『聖ゲオルギウスとドラゴン』では、このテーマがいわばマンガ化されてしまったケースが想定されているのである。これは、宗教的な意味が失われていくとき、シンボルの象徴性はしだいに減少していくひとつの例である。

5 シンボルの価値と崇高なもの

円・三角形・四角形だけで作られたピカビアの「支える」というタイトルの作品の分析から始められている本江邦夫の『●▲■の美しさって何?』(ポプラ社)は、高校生を対象にしたシリーズのうちの一冊であるが、内容はかなり高度であり、「具体的なものがそこにあるように描くことをやめた抽象画」(p9)についてのわかりやすく、すぐれた著作である。それは、表象概念が崩壊したあとの芸術、対象を「写す」という行動をやめてしまった美術のあり方をどう見るかという難しい問題に取り組んだ書物である。写実主義の絵画であれば、それが描かれている対象をどこまで忠実に写しているか、もとの対象の色をどこまで上手に反映させているかというようなことが判断の基準になるかもしれない。しかし、まったく抽象的な図形から作られた美術作品の美しさはどこにあるのか。描かれているものがなんなのかがわからないような作品に価値があるのか。本江邦夫はそのような困難な問題に挑戦した。彼はそれらの幾何学的な図形が伝統的に持っていた意味を想起させ、「崇高なもの」の存在を認めようとしている。「崇高なもの」(ザ・サブライム)は、現代の美学・哲学の基本的な問題のひとつであり、カントが『判断力批判』において論じた問題である。この「崇高なもの」というテーマが、なぜ今日重要視され、なぜ多くの論文がそれについて書かれつつあるのかというのは、きわめて興味ある問題である。本江邦夫は結論にあたる部分で「幾何学的抽象のなかにはつねに、宗教的ともいうべき、ある神秘的な感覚があった」(p187)と書き、そこに「崇高なもの」を再発見しようとしている。これはいわば円や三角形や四角形をシンボルとして見直し、そこに象徴作用を再発見しようとする試みであると理解することも可能であろう。また、崇高なものが失われてしまった現在において、芸術の世界にその復活を求めようとする動きがあるのかもしれない。シンボルの問題は、おそらくこのような理論的なアプローチをつねに求めているはずである。 1997年3月にアメリカで「天国の門」というカルト的宗教団体 のメンバ−39人が集団自殺をするという事件が起こった。「インタ−ナショナル・ヘラルド・トリビュ−ン」(1997年3月28日)の記事によると、彼らの死体には三角に折りたたまれた紫色の布が掛けてあったという。それは何かのシンボルであり,シンボルの力が弱くなってきたように見える現代でも、まだ時にはシンボルが用いられているひとつの証拠である。これは宗教的なケースであるが、シンボルは宗教的なものに限定されることではない。クリストファ−・フックウエイは、そのパ−ス論のなかで、海水浴場に掲げられる旗が、水泳が可能であり安全であることを示すシンボルであることを、シンボルのひとつの例としてあげている。フックウエイは、次のように書いている。「旗の使用は旗と潮の干満の状態とのあいだの類似を示してはいない。また旗は潮の干満または流れの直接的な因果的所産でもない。その旗が海岸の安全性を意味するようにさせているものは、その目的のために旗を用いるという一般的な実践である。(Christopher Hookaway,Peirce,Routledge、p125)これはパ−スの理論をわかりやすく説明したものであるが、そこにはシンボルの一般的な特性のひとつが示されている。シンボルは「一般的な実践」によってシンボルとして機能するようになるのであり、その意味ではきわめて社会的なものである。「天国の門」の信者たちが使ったという紫色で三角に折られた布は、確かに何かのシンボルである。しかし宗教集団は内側に閉じこもった閉鎖的なグル−プであり、そのシンボルはそれを慣用的に使う彼らだけに理解できる特別のシンボルである。一般的なシンボルは、社会的・歴史的に作られていくものと考えるべきであろう。シンボルはそれを使う人間の共通の理解がある状況の中でのみ成立する。エレクトロニクス時代のコミュニケ−ションが、さまざまなかたちで変化しつつあるいま、シンボルもまたその性格を変えていくであろう。現代のシンボルは、おそらくパソコンのスクリ−ンに現れるシンボルが主流を占めてくると思われる。そのような新しいシンボルの存在の仕方について、新しい立場からのシンボル論がこれから作られなければならない。しかし、シンボルそのものの本質は、それが宗教的なシンボルでも、パソコンのスクリ−ン上のシンボルでも、基本的には異なるものではない。目に見えないものを見えるものにするのが、シンボルの役割である。不可視の世界を可視の状態に変形することがシンボルの役割である。そして、それを解釈するのは、究極的には人間である。




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