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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

ソンタルジャ監督の映画「巡礼の約束」を見る

 去る2019年11月14日に,私はソンタルジャ監督の中国映画「巡礼の約束」(2018年)を試写で見た。この映画では、ソンタルジャ監督自身が主役の男を演じている。男には妻がいるが、彼女は前の夫と死に別れ、二度目の結婚であり、男の子を連れての再婚である。この「連れ子」は新しい父親、つまり継父にまったくなじまず、反抗的であり、自分の部屋に閉じこもっていたりする。その子役の少年の演技はすばらしいものである。もちろんそれは監督の指導にもよるであろうが、少年の一瞬の鋭い目つきに私はたじろいだ。

 妻は、実は病気をかかえているのだが、どうしてもチベット仏教の聖地ラサへ行きたいと主張する。監督はチベット人であるが、この映画の舞台は、四川省西部である。映画のなかで「成都」とか「四姑娘山」といった四川省にかかわる地名が出てくる。そしてそこからラサまでは500キロメートル以上もあるらしい。当然のことながら、彼女はチベット仏教信者の伝統的な「五体投地」で進む。この宗教的な身体技法では、一日にせいぜい5キロメートルしか進むことができない。夫は彼女のために「五体投地」で使う木製の手袋状のものを松の木を削って作る。彼らは車や鉄道で行くのではない。粗末なテントを担いで歩いて行き、文字通りの「路傍」で野宿を重ねる。もちろん食事はレストランや食堂でとるのではなく、持参した鍋での自炊である。

 この映画には、さまざまな物語•歴史•思想が含まれている。妻は前夫と死別したのだが、二人で撮った写真は離さずに持っている。巡礼をする3人の相互関係はなんとなくぎごちない。そのほかに家に残してきた足の悪い夫の老父もいる。したがってこの映画は、まず第一に「家族の劇」である。妻はなぜ「巡礼」をしようと思い立ったのか? 亡くなった前夫の「供養」のためかもしれないし、チベット仏教の信者ならば、一生に一度はラサに行くのが義務かもしれない。いずれにしてもその理由は「宗教的なもの」としかいいようがない。私はいまフランスの社会学者マルセル•モース(1872~1950)の『贈与論』(森山工訳、岩波文庫、2014)を読み返したところであるが、彼の贈与論の中心は、「贈与することと、その返礼」という交換の作用が社会を作っているということである。これは単に物の贈与•返礼というプロセスに限定されるものではない。今村仁司が『交易する人間』のなかで説いたように、われわれの存在そのものが、ある絶対的なもの(神とか佛など)によって「贈与」されたものであり、人間はその贈与に対して返礼をしなくてはならない。『巡礼の約束』の妻は、自らに与えられたものを、佛に「返礼」しに行こうとしたのではないであろうか?

 この映画を見あと、私はチベットに関する2冊の本を読んだ。多田等観『チベット』(岩波新書,1942)、青木文教『秘密の国 西蔵遊記』(中公文庫、1999、初版は1920年刊)である。多田等観と鈴木文教は、いずれもチベット仏教の研修のためにチベットに滞在した仏門のひとたちである。彼らが見て報告しているチベットは、辛亥革命直前の1910年頃のチベットであり、もちろん現在のチベットではないが、しかし、この二冊によって私は当時のチベットの状況をかいま見ることができた。それは清との関係を断って独立した国家を目指した当時のチベットの状況をかすかに反映している。辛亥革命によって成立した中華民国は、チベットの独立を認めなかった。その歴史的過去が、この映画の裏にある。

 2019年11月28日の東京新聞は、次のように報じている。「チベット亡命政府のあるインド北部ダラムサラで27日、チベット仏教の高僧が集まる会議が開かれ、チベット仏教最高指導者ダライラマ14世(84歳)の後継者選出方法はダライラマだけが決められるという決議を採択した。」それは中国政府が決めてはいけないという意味である。「中国政府はダライ•ラマに対し、チベット独立を図る<分裂主義者>と批判、後継者の決定権を主張している」のである。また同じ11月28日の毎日新聞には、「プラハ市 北京市と仲違い」という記事が載っている。プラハの市長が台湾びいきのため、北京市との姉妹都市関係を解消したという報告である。プラハの市長は就任後、市庁舎にチベット亡命政府の旗を掲げたという。それはあからさまな反中国的行動である。つまり「チベット問題」があちこちで見えつつある。もちろんこの「巡礼の約束」では、政治的なものは全く見えない。しかし、何も見えないという状況こそ、真実を示すものであろう。この映画が「中国映画」であり、上海の映画祭で賞を得たということには「裏」の意味があるのだ。(2019年12月4日)

 

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映画「私の知らないわたしの素顔」を見る

 去る2019年11月2日に,私はサフィ•ネブー監督のフランス映画「私の知らないわたしの素顔」(2019年)を試写で見た。ジュリエット•ビノシュ主演の映画である。会場でもらったパンフレットによると、監督のサフィ•ネブーはフランス生まれであるが、父はアルジェリア人、母はドイツ人だという。

 この映画では、主役の女性は、パリの高級マンションに二人の息子たちと住む知的エリートである。日常の現実生活では、彼女は大学で文学を教えていて、ラクロの小説の魅力を語ったりしている。学生たちはパソコンが設置された教室で、あるいはそういう設備のない教室でおとなしく彼女の講義を聴いている。また男と会っているときは、リルケの詩を読んでいたりする。彼女と離婚した夫は若い女性と暮らしていて、二人の息子はときどき父親のところへ行く。これが彼女の現実の生活である。

 しかし彼女には「第二の生活」がある。「第二」といっても、序列があるわけではないが、それは、SNSでつながっている男との関係である。この領域では、彼女は中年の大学教授ではなく、26歳の美貌の女性である。相手の男もそう信じている。これはいわゆる「仮想の世界」であり、実際の現実とは異なった領域で人工的に設定された想像的世界である。40年前ならば、ボードリヤールのタームを使って「シミュラークル」といったであろう。それは現実に対応するもののない「記号だけの世界」であった。

 道具はSNSだけではない。SNSという領域とは別に、もうひとつの世界がある。彼女は小説も書いていて、それが彼女にとっての「第3の世界」になる。その小説も映画のなかで映像化されているし、さらに彼女は精神分析医の治療を受けている。要するにこの映画は限りなく複雑であり、いくつもの世界が混在している。これはダーウィンが『種の起源』の終わりに近い部分で述べた「雑踏の堤」的状況である。

 相互に差異のあるものが集まって「雑踏の堤」を形成する。それがその堤の活力になる。ダ-ウィンは次のように書いている。「いろいろな種類の多くの植物によっておおわれ、茂みに鳥は歌い、さまざまな昆虫がひらひら舞う。湿った土の中では虫たちが這い回る。このような雑踏した堤を熟視し、相互にかくも異なり、相互にかくも複雑にもたれあった、これらの精妙につくられた生物たちが、すべて、われわれの周囲で作用しつつある法則によって生み出されたものであることを熟考するのは、興味深い。」(『種の起原  下』八杉竜一訳、岩波文庫、1990,p.261,訳文は少し変えてある。なお、原文はネットでも読めるが、この拙稿の末尾に「付録」として添えておく。)これは今日言うところのダイバーシティである。つまり、多様な生物の存在が「進化」の源泉であるという考え方であり、「雑踏の堤仮説」(tangled bank hypotheses)と呼ばれているものである。イギリスの週刊科学雑誌「ネイチャー」(2019年10月31日号)に、50万種近くあるという緑色植物についての「多様性の起源」(Roots of diversity)という論文が載っている。その表紙には、多数多様な植物が群生している写真が使われているが、それについて日本語による解説は「表紙は、ダーウィンが『種の起原』の結びで、種間の複雑な相互作用を表す例えとして用いた<雑踏する堤>の例である」と書いている。論文それ自体には「雑踏する堤」というタームは使われていないが、多様なものが生物の存在そのものの根底にあるという考えが示されている。「ネイチャー」の論文はきわめて専門的で難解であり、私には十分には理解できなかったが、しかし「私の知らないわたしの素顔」とのつながりは、明確に確認できた。

 他方、私はいまフランスの社会学者マルセル•モース(1872~1950)の『贈与論』を森山工のすぐれた翻訳(岩波文庫,2014)で再読したところであるが、その「訳者解説」で、森山氏はモースという社会学者自身がひとつの「混じり合い」だと述べている。モースが単なる「社会学者」ではなく、非常に多くのものを混合させているひとだということである。モースは社会学の対象が「全体的な社会的事象」(fait social et total)であることを反復して述べたが、森山工は、そのことを踏まえて次のように来書いている。「モースという人は、この<全体的社会的事象>という用語に擬するならば、<全体的学術的事象>であり、さらに言ってよければ<全体的思想的事象>であって、そういう事象が顕現する<場所>なのである。(中略)モースは全体的な社会的現象について述べていたことばをそのまま援用するならば、『贈与論』というこの著作について、<あらゆることがここで混ざり合っている>と言えるのではないだろうか。」(p.476)。モースを「混じり合い」の世界として見ようとする森山工の見解は注目すべきものである。

 映画「私の知らないわたしの素顔」は、まさに「雑踏の堤」の映画であり、「混じり合い」の映画である。(2019年11月14日)


「付録」

 ‘It is interesting to contemplate an entangled bank, clothed with many plants of many kinds, with birds singing on the bushes, with various insects flitting about, and with worms crawling through the damp earth, and to reflect that these elaborately constructed forms, so different from each other, and dependent on each other in so complex a manner, have all been produced by laws acting around us.’



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ジョージア映画「聖なる泉の少女」を見る

 去る2019年9月27日に,私はザザ・ハルヴァシ監督のジョージア・リトアニア合作映画「聖なる泉の少女」(2016年)を東京神田神保町の岩波ホールで見た。タイトル通りの映画で、「聖なる泉」を守っている一人の「少女」の物語である。「少女」というよりは、もう少し年長の女性が、泉のそばの家で父親と暮らしている。彼女はその聖なる水で村人の心身の病気を治療してきたが、ついに先祖伝来のその仕事を捨てる決意をするというのが、話の大筋である。彼女の意識の変化が、泉の上流で作られつつある水力発電所の工事の大音響と重なる。泉はやがて水源を失うであろう。私にとっては、そのような物語の筋とともに、この映画で写されているジョージアの自然が、非常に魅力的であった。

 私は普通の人が無視したり、些細なことだとして言及しないことにこだわることがある。この映画についても、なぜそれが「ジョージア・リトアニア合作」なのかが気になった。以前に見たジョージア映画「みかんの丘」で、みかん畑を作っていたのは、二人のエストニア人であった。この二人は、最後のシーンでは、故国のエストニアに還っていく。しかし、なぜ彼らは故国から遠いジョージアにきていたのか?

 劇場にあった「聖なる泉の少女」のフライヤーによると、「本作の舞台は、黒海に面した(ジョージア)西部のアチャラ地方」である。16世紀以降はオスマントルコの支配下にあり、イスラム教徒が多い地区だという。つまり、ロシア帝国はオスマントルコと戦ってこの地域を支配下に置いたのであるが、イスラム教徒が多かったので、バルト地域からキリスト教徒を移民させたということが、ちらっとネット情報に出ている。また、1941年から1951年ごろまで、バルト地域ではソ連の支配に抵抗する動きがあり、ソ連はそのような「反政府運動」をする人たちを「人民の敵」と規定して、シベリア、カザフスタンなどに流刑にし、また女性や子どもを強制的にシベリアなどに「移民」させた。ネットの情報であり、また反ソ連的な立場を反映しているものかもしれないが、私がPC の画面上で見つけた資料では、1944年から1955年まで、ソ連はリトアニア人245,000人、ラトヴィア人136,000人。エストニア人124,000人をシベリアに追放した。「シベリア」がどこを指すのか不確実であるが、とにかく当時のソ連は「異民族」「人民の敵」を強制的に「移住」させたのである。シベリア東部にいた朝鮮人たちが、1938年にウズベキスタンに「強制移住」させられたことはよく知られている。私はウズベキスタンで多くの木槿(むくげ)の花を見たことがある。(木槿は韓国の国花でもある。)ジョージアとバルト三国のひとたちとのかかわりには、そのような歴史的経緯があるのではないだろうか? それでなくても、ジョージアはペルシャ、トルコ、ロシアなどの強国に挟まれて、非常に苦難の歴史をたどってきた国である。そういう背景が、この映画にあるように見える。

 それはさておき、「聖なる泉の少女」には、三人の兄がいるが、彼らは「ジョージア正教の神父、イスラム教の聖職者、無神論者の科学の教師」である。科学の教師は、なぜか自分でノートに何か書きながら、まだ幼い女の子ひとりを相手にむずかしい「講義」をしている。私は「毎日新聞日曜版」に連載されている「藤原帰一の映画愛」を毎週楽しみに読んでいるが、この映画についての文章も非常に面白かった。藤原帰一は、この三兄弟について、次のように書いている。「このお兄さんたちが独特なんですね。ひとりはキリスト教、もうひとりはイスラム教徒、最後の一人が宗教を認めない。同じ社会でそんなにたくさんの宗教に分かれるなんてずいぶん無茶な設定にも見えますね。」その通りで、この設定は「ずいぶん無茶」である。しかし私は、そこに、ハルヴァシ監督の巧みな意図を見出したように思った。現実には、そのようなことは起こりえない状況であり、監督はそのような「ありえない話」「全くの意外性」を映画のなかに作り出そうとしたのではないか。ジョージア映画では、ときどきそうした「あり得ない話」「奇想天外」な場面が作られるのであり、私はそれがジョージア映画のひとつの特徴だと考える。

  (2019年10月5日)


付記 過日アップした「少女は夜明けに夢をみる」の拙稿のなかで、イランでは女性がサッカーを見ることが禁止されていると書いたが、その後イラン政府は女性のサッカー観戦を認めることになったと、ある友人から教えられた。ただし、女性専用の席が設けられるらしい。

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オスコウイ監督のイラン映画「少女は夜明けに夢をみる」を見る

 去る2019年9月3日に、私はメヘルダード・オスコウイ監督のイラン映画「少女は夜明けに夢をみる」(2016年)を試写で見た。非行・犯罪を犯したために収容(監禁)されている少女たちをドキュメンタリー的に写した映画である。この映画に登場する少女たちは、非行・犯罪を犯したようには見えない。ごく普通の、しかもどちらかといえば穏やかな感じを与える少女ばかりである。性的虐待を受けて家出した少女、強盗や売春、薬物の使用・所持でつかまった少女、さらには父親を殺した少女もいる。オスコウイ監督は、ひたすら彼女たちに問いかけ、話を聞くだけである。見る者に判断を任せる映画である。

 オーストリア生まれで、アメリカで活躍している脳神経学者のエリック R.カンデルは、その分厚い著作『芸術 無意識 脳』(須田年生、須田ゆり訳、九夏社、2017)において次のように書いている。「すべての画像がそうであるように、絵画における像も、現実を表すというよりは、見る人の知覚や想像、期待、他の像の知識(記憶から思い起こされる像)を表している。」(p.211) カンデルはここで絵画について論じているのであるが、このことは映画についても妥当する。私は「少女は夜明けに夢をみる」を、純粋にそのものだけとして見るのではない。今までに見たイラン映画をはじめとする多くの映画、イランについてのさまざまな情報、イランの歴史など、さまざまな「記憶から思い起こされる像」がかかわっている。

 しかし「さまざまな情報」といっても、イランというと、私がただちに想起するのは政治的なことばかりである。つまり、イランはアメリカと対立している中東の国家であり、そこからさらに、一方にイラン、シリア、ロシア、中国を、他方にアメリカ、サウジアラビア、イスラエルなどを置いて、その対立関係の複雑さを考える。マスメディアが伝えてくるイランについての情報は、ほとんどがこのような政治的・国際的なものであるが、われわれが入手するイランに関する情報の多くはアメリカ発信であり、どこかに歪みがあることは否定できない。たとえば、私はある友人の配慮で、アメリカの書評紙「ニューヨーク・レヴュー・オブ•ブックス」(ユダヤ系のメディア)を読んでいるが、必ずしも書評専門のメディアではない。その2019年8月15日号に載っている「Iran;the case against war」という記事を読むと、そこではシリアの大統領アサドは、「シリアのシーア派民兵組織を援助し、パレスチナのハマスを支持し、レバノンのヒズボラに武器を提供することによってイスラエルの安全を脅かしている野蛮な独裁者(brutal dictator)」とされている。そのシリアの背後にあるのが、イランであるという立場である。これは典型的な「イスラエル的立場」であり、シリアはイスラエル、アメリカの安全を脅かす国家として規定されている。要するにイランは「アメリカの敵」として考えられている。しかし、このような「情報」は、政治的・国際的なものにほかならない。

 つまり、イランの「民衆」の状況が伝えられることは稀である。しかし、2019年9月13日の毎日新聞には、男性の服装をしてサッカーの試合をひそかに見に行こうとしたイランの女性が逮捕され、禁固6ヵ月の刑に処せられかかり、自殺したという記事が載っている。イランでは、女性がサッカーの試合を見ることは「犯罪」なのだ。「少女は夜明けに夢をみる」を見たあと、私は急にイランについての情報に気がつくようになった。

(2019年9月30日)

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桜井哲夫『世界戦争の世紀』を読む

 桜井哲夫の『世界戦争の世紀』( 平凡社, 2019 )がついに刊行された。「ついに」というのは、この著作は、800ページを超える大著だからである。これは実に多くの意味で「重い」著作である。著者は本書の序章に当たる「開幕 20世紀の<思想>と<戦争>」の最後のところで、この著作を書こうとした意図について次のように書いている。「本書は、二つの<世界戦争>という政治現象を柱にしつつ、その流れのなかに翻弄され続けたヨーロッパ知識人の思想と行動をからめながら、20世紀の歴史と思想を跡づけようとするものである。」(p.24) まことに壮大な試みと言うべきである。
 この著作のタイトルにあるように、著者は20世紀を「世界戦争の世紀」として捉えている。死者・行方不明者は第一次世界大戦では1600万人、第二次世界大戦では6000万人であった。それは人類の歴史のなかで突出した「戦争による無数の死者たちの世紀」である。
 著者の基本的な方法は、いままでの著作にも示されていたが、とにかく資料を丁寧に読み込むというところにある。そのために、たとえば1920年代後半にフランスで刊行された「マルクス主義雑誌」「エスプリ」「哲学」を、著者は「すべてマイクロフィルムからのコピーを手元にもっている」( p.373 )のである。そうした非常に多くの文献•資料を徹底的に読み込むことによって、本書は書かれている。
 そして本書では、著者自身の考えがいたるところに示されていて、それが本書を単なる「引用のモザイク」にしていない基盤になっている。たとえば、第一次世界大戦について、「今日に至るまで、誰もが納得しうる戦争勃発の決定的要因は、定まっていない」としながら、著者はホブズボームの見解などを参考にしつつ、自分の意見として「諸国間が織りなしている様々な関係の網の目が、いつしか機能不全となって切断されるに至った」ことが重要だと述べている( p.34 )。
 本書の最大の魅力は、単に歴史上の事実を並べるのではなく、生きた人間たちと、その人たち相互の関係を生き生きと描いているところにある。たとえば、アンドレ•ブルトンは、ナジャという統合失調症の女性に「強くひかれた」にもかかわらず、「病んだ彼女に精神的に依存されつづけて、耐えきれず逃げだしてしまった」のであるが、著者は「ブルトンの唐突な共産党入党は、ナジャに対する<贖罪>の意味を持っていたのではなかったろうか」と推測する( p.356 )。また、互いに気があわないように見えるジョルジュ・バタイユと、無愛想なシモーヌ・ヴェイユが、ぶつかりあいながらも頻繁に会っているシーンなどは、きわめて印象に残る。
 また、ドイツ軍の兵士は「ドラッグ漬け」だったのであり、彼らはドラッグの力で、一睡もしないでも戦場に赴くことができたという。(戦争末期の日本軍の飛行士たちもヒロポンを使ってB29を攻撃していたという。)最近、ヒトラー自身もドラッグ依存症だったという報道があったが、独裁者も兵士もドラッグに依存していたのだ。本書では、いたるところにこのような記述があって、読んでいて倦むことがない。とにかく、これは実に刺激を与えてくれる、文字通りの大著である。
 (2019年9月10日)

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