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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

「葡萄畑に帰ろう」を見る

 去る2018年9月27日に、私は試写で、エルダル・シェンゲラヤ監督のジョージア映画「葡萄畑に帰ろう」を見た。シェンゲラヤは、私と同じ1933年生まれのジョージア映画界の長老であるが、むしろ「若さ」を実感させる作品である。いたるところに奇想天外な発想があり、CGを使って現実を超えて行くが、内容はジョージアの現実から離れることがなく、政治的なものもたっぷり含まれている。ひとことでいえば徹底的にジョージア的な映画である。あるいはむしろこの映画がジョージア的なものを創り出している。
 この映画の舞台は現代のジョージアの首都トビリシで、「難民追い出し省」の大臣が主人公である。彼は亡妻の姉、幼い息子、使用人夫婦と豪邸で暮らしている。娘もいるが、ほかのところにいる。彼は「難民追い出し大臣」であるから、首相の命令で難民を追い出そうするが、「追い出し」の現場で難民女性のひとりに惚れ込んでしまい、彼女と結婚する。一方、娘もアフリカ系の男性と結婚する。つまり、この映画では、「非」ジョージア的なものが入り込んでいる。
 映画のなかとはいえ、「難民追い出し省」が存在するのは、ジョージアでも移民・難民の問題が「対岸の火事」ではなくなりつつあるということであろう。しかし、ジョージアがもともと単一民族、単一宗教の国家でないことは、いままで日本で公開されたジョージア映画のいくつかを想起すると、多少はわかる。たとえば、「懺悔」では、キリスト教徒とムスリムの対立関係が明白に示されていた。「とうもろこしの島」では、敵対する兵士たちが登場するが、少なくとも三つの民族の兵士であるらしい。「みかんの丘」では、みかん園を経営する男たちは、ふたりともジョージア人ではなく、エストニア人である。なぜエストニア人がジョージアにいたのかは、別の問題であるが、要するにジョージアはさまざまな民族・宗教が混在し、対立したり、共存してきた国である。したがって、「葡萄畑に帰ろう」はそのようなジョージアの歴史的・伝統的なものを十分に踏まえ、それを現代の問題として捉え直して作られた映画である。
 
 この映画を見た直後に、私は若い友人の好意によって、毎号目を通しているイギリスの週刊科学雑誌「Nature」の9月8日号に掲載された「ネアンデルタール人の母と、デニソワ人の父のあいだで生まれた子のゲノム」(The genome of the offspring of a Neanderthal mother and a Denisovan father) を読んだ。10年ほど前にシベリアのデニソワ洞窟から出土した2センチほどの指の骨片のゲノムを調べたその論文(「Letter」として分類されているから、いわゆる「投稿論文」である)によると、「この骨片はネアンデルタ-ル人の母親と、デニソワ人の父親を持つ個体のもの」であり、またそれは「今から9万~5万年前に死亡した13歳以上の女性の骨片」である。さらにこのデニソワ人の父の祖先にはネアンデルタール人がいた。つまりネアンデルタール人とデニソワ人という「異種」の人間が、早くからmixしていたのである。(私が読む「ネイチャー」は、日本で印刷されたものであり、巻頭に日本語の要約があって有り難いが、そこでは「mix」は「交配」と訳されている。「混血」、「交雑」と訳すひともいる。)つまり、映画「葡萄畑に帰ろう」と、週刊科学雑誌「Nature」の記事がつながっているというのが、私のいいたいことである。
 ついでに書いておくと、ロザリンド・クラウスの『視覚的無意識』(Rosalind Krauss,The optical unconscious,The MIT Press,1993)によると、マックス・エルンストは、「Nature」の挿絵を引用して作品を作っている。たとえば、エルンストの1923年の作品「At the First Clear World」は、1881年の「Nature」の挿絵を引用したものである。
 (2018年10月2日) 

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映画「あぶない母さん」と「嘘はフィクサーのはじまり」を見る

 去る2018年9月4日に,私は試写でジョージア映画「あぶない母さん」を見た。そのあと、9月12日に、やはり試写でアメリカ•イスラエル合作映画「嘘はフィクサーのはじまり」を見た。
「あぶない母さん」には、小説を書くことに情熱を傾けている家庭の主婦、彼女の作品を傑作だとして、それを出版社に売り込もうとする文房具屋の主人が登場する。彼は出版社の編集者に刊行を断られると、自分で中古の印刷機を買ってきて、文房具屋の一角に備え付けてしまう。自分で印刷して本にしようとするのである。このふたりが抱き合うシーンは感動的•喜劇的であるというだけでは言い尽くせない。
 同じジョージア映画でも、しばらく前に公開された「花咲くころ」では、パンを買うために列を作らなければならず、そこへ兵士が割り込んでくるような時代が描かれていたが、「あぶない母さん」では、経済がかなり好調になったらしいジョージアの都市が舞台である。あぶない母さんを支えようとする男の店はセンスのいい作りで、文房具の品揃えも、並べ方も気が利いているように感じられる。あぶない母さんの家族が住むマンションもこぎれいである。
 あぶない母さんが熱中して書いているのは、非常にきわどいポルノ小説である。彼女はパソコンを時間貸しする店で画面に向かうこともある。「あぶない」というのは、精神的に不安定ということで、彼女はしばしば妄想に取り付かれ、壁のタイルを見ているとそこに奇妙なイメージが浮かんで来たりする。また自分がフィリピンの妖怪めいた動物であるという妄想を抱いたりする。しかしこの映画を、精神に異常を来たした女性の行動を描いた作品とみなしてはならない。この映画は、どうしても小説を書きたいという押さえきれない情熱にかられ、その情熱の力動に押されるままに作品を書き続ける女性を見つめた作品である。さらに彼女の作品の出版のためにあらゆる努力を傾ける男を配して、その情熱を彼女の情熱に連帯させる。小説を書こうとする彼女の欲望と、それを出版しようとする男の欲望が結合して燃え上がる。この映画の監督は、20代の女性であるというが、その手腕は並のものではない。多くのジョージア映画にあるコミックなものが、この映画でもいたるところに見られる。

 他方、「嘘はフィクサーのはじまり」は、あらゆる機会を捉えて、人をだまして歩くノーマンという男の行動を描いた、まことに不思議な映画である。(原タイトルはNorman:the moderate rise and tragic fall of a New York fixerという面白くないものである。)リチャード・ギアが演ずるノーマンの活動の舞台はニューヨークであるが、のちにイスラエルの首相になる政治家に取り入っていろいろ画策し、彼の息子を「裏口」からハーヴァード大学に入学させたり、破産しかけた礼拝所を再建するための寄付金を集めようとしたりする。それらの詐欺、またはフィクサーの仕事は、成功するときもあり、失敗して落ち込むこともある。彼はいつも同じ服装をしているし、食べるものはオイルサージンを載せたクラッカーだけである。彼は「フィクサー」であるが、その仕事で金儲けをしているとは到底思えない。第一、どこに住んでいるのかも不明であり、彼の「家庭生活」はまったく描かれていない。イギリスの新聞「ザ・ガーディアン」(2016年9月5日)に載ったベンジャミン・リーによる映画評では、ノーマンは「ホームレス」だとされている。彼は娘がいるといっているが、イスラエルの諜報機関の調査では、それもどうやら嘘らしい。
 映画はそのようなフィクサーの私生活は、一切無視して、ひたすら彼の「舌三寸」の所行をたどる。それは嘘に満ちあふれ、はったりに終始している。初対面の他人に対して、彼はすぐに行動を開始する。電車の隣席に座っていた女性にも、とにかく話しかけ、繋がりを作ろうとする。しかし、ニューヨークにあるイスラエルの機関で働いている彼女の方がはるかに「うわて」で、結局のところ彼の素性が調べられてしまう。それでも彼はめげないで、次のフィクシングを試みる。ただひたすら「フィクサー」としての仕事に励むことが、彼の生き甲斐であるように見える。そのような彼の情熱、彼の欲望は、「あぶない母さん」の女性と、彼女を支える文房具屋の男の情熱・欲望と、どこかでつながっている。
(2018年9月20日)

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インド映画「ガンジスに還る」を 見る

    去る 2018 年 8 月 9 日に,私は試写でシュバシシュ・ブティアニ監督のインド映画「ガンジスに還る」を見た。ブティアニは、1991 年にコルカタで生まれた若い監督である。死期の近いことを自覚した老人(78 歳ということになっている)が、ガンジス川のほとりにある「解脱の家」で、解脱(死)を待つという話である。「解脱の家」には、15 日間だけ滞在が認められているが、名前を変えれば更新できるので、18 年間もいる女性も現われる。死を待つ老人の物語であるが、少しも暗いところがない。むしろ喜劇的でさえあり、試写室で隣席に座っていた女性は、しばしば大声で笑っていた。
    解脱を待つ老人には、息子が付き添っている。その息子は、かなりのエリート・ビジネスマンであり、解脱の家にいても、携帯電話を使って仕事に励んでいる。彼には年頃の娘がいるが、その結婚話がこわれたりして、「家族の物語」の要素もある。しかし、それととともにガンジス川の悠々とした情景が写されていて、それを見るだけでも意味がある。もちろん現代のガンジス川であるから、観光の場所にもなっていて、そのことも瞥見できる。
    いまのインドの人口は 13 億 5 千万だという。インドの経済成長は目覚ましいといわれているが、「貧困」がこの国の重要な課題であることは想像できる。この映画に登場する家族は恵まれた方であり、おそらく一般の「庶民」は「解脱の家」などに滞在できないであろう。それでも現代インドの一端を見ることは可能である。
   ガンジス川は、「聖なる川」である。インドの神話では、元来は天にいた女神ガンガーが、地上に降りてきたのがガンジス川だということらしい。インド神話の最高神シヴァがガルーダという巨大な鳥を乗り物に使っていたことはよく知られているが(ガルーダの変形は京都の三十三間堂にもあるし、またインドネシアの代表的航空会社はガルーダ航空である)、立川武蔵によると、女神ガンガーが乗り物として使っていたのは、「伝説上の海獣マカラ」である。マカラはワニに似ているが、鳥・蛇にも似ていて、「クムビーラ」と呼ばれることもあるという。立川武蔵によれば、「日本の金比羅(こんぴら)はこの語の音訳であり、香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)もクムビーラを祀っている」し、名古屋城の金の鯱も「マカラの一変形」である(立川武蔵『ヒンドゥーの神話と神々』せりか書房、2008、p.309)。つまりガンジス川は、日本とも繋がっているのである。
  ユングの有名な概念の一つに「共時性」(シンクロニシィティ)がある。「偶然の一致」と関連する考え方である。この映画を見た数日後、若い友人が読んだあと毎号送ってくれるイギリスの週刊科学雑誌「ネイチャー」の 8 月 9 日号を読んでいると、"Indian scientists race to map Ganges river in 3D"(「インドの科学者たちが、ガンジス川の 3D マップを作ろうと競っている」)という記事が目についた。これこそまさに共時性ではないかと思った。その記事にはガンジス川で沐浴しているインド人たちの姿と、川岸のおびただしいゴミとを写した写真が添えられているが、そのキャプションは「世界で最も汚染されている川のひとつ」である。その記事によると、6億人のインド人がガンジス川の水を使っているという。汚染されたガンジス川を浄化するため、まずその地図を作ろうということである。「聖なる川」は、同時に「汚染された川」でもある。

(2018 年 8 月 17日)

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フラハティの「モアナ」を見る

 去る2018年6月20日に、私は試写でロバート・フラハティの「モアナ」を見た。これはフラハティが数年かけて撮り、1926年に公開したサイレント映画であるが、今回上映されたのは、音声を加えた新版である。1920年代のサモア人の生活を描いたドキュメンタリー映画とされている。しかし、試写の会場でもらったパンフレットに載っている、きわめてわかりやすい金子遊氏の解説によると、この映画は「実在の家族や人物をそのまま記録するのではなく、キャスティングした現地の人々を使って劇化し、昔ながらのサモアの姿を再現して描いた作品」である。
 サモアとはどういうところか?手元にある古い百科事典(1965年版の『アメリカーナ』)などで調べてみると、サモアに最初にやってきたヨーロッパ人は、オランダのロッゲフェーンという人で、1722年である。その後、19世紀末の「帝国主義」の時代に、サモアはドイツとアメリカの植民地になった。1899年のことである。遅れて成立した「国民国家」であった当時のドイツ帝国にとって、征服すべき植民地として残っていたのは、アフリカの一部と、南太平洋の島々だけだった。
 同じころ、サモアでフィールドワークを行なったアメリカの人類学者マーガレット・ミード(1901~1978)は、1928年に『サモアの思春期』(Coming of age in Samoa)を刊行した。(金子遊氏もこの著作に言及している。)彼女はそのあと、ニューギニアでイギリス生まれのアメリカの文化人類学者グレゴリー・ベイトソン(1904~1980)と知り合い、結婚する。二人で書いた『バリ島人の性格』は写真を多用した著作で、映像人類学の先駆的な業績だとされている。
 「モアナ」を見ると、主食であるタロ芋は無尽蔵にあり、魚はいくらでも釣れる。ヤシの実はふんだんにあり、『アメリカーナ』がsemiwild pigとしている、イノシシに近い野豚も罠をかけて捕まえることができる。桑の樹皮から服を作り、ウミガメの甲羅からは装身具を作るであろう。何よりも平和であり、スクリーンに登場する少年はいつも笑っている。「モアナ」のサモアは「楽園」そのものではないか。
 ところで私は、たまたまエンゲルス(1820~1895)の『イギリスにおける労働者階級の状態』(大月書店、国民文庫、1971)を読み直したところである。エンゲルスはロンドンの貧民居住地区について次のように書いている。「完全な窓ガラスなどはほとんど見当たらないし、壁はくだけ、入り口の戸柱や窓枠はこわれてがたがたになり、ドアは古板を寄せ集めてうちつけてあるか、あるいはまったくつけてない。汚物と塵埃の山があたり一面にある。」(p.93)およそ人間の住むところとは到底いえないそのあたりは、「貧民のなかのもっとも貧しい者」、つまり「不潔と貧乏によって堕落した多くのアイルランド人」が住んでいるところである。また英訳で読んだエンゲルス選集では、1844年のマンチェスターの貧民街に住んでいるのも、「アイルランド系の一群の労働者たち」である。(F.Engels,Selected writings,Penguin Books,1967,p.30) エンゲルスが描写する1840年代のロンドン、マンチェスターなどのアイルランド人労働者たちとその家族の生活に比べると、「モアナ」で描かれたサモア人の日常は,極楽そのものである。実際、この映画のサブタイトルは「最後のアルカディア(理想郷)」である。
 アイルランドでは、1845年から1852年にいたる大飢饉があって、多くのアイルランド人が死亡した。すでにその前からアイルランドはイギリスの徹底的な植民地政策によって極度の貧困状態にあったが、主食であったジャガイモの「胴枯れ病」(blight)で、いわゆる「ジャガイモ飢饉」となり、「ウィキペディア」によると、当時のアイルランド人の20%が死亡、10~20%がイギリス、アメリカに移った。しかし、アイルランド人は、この飢饉の前からも、すでにイギリスに職を求めて移住していたのである。エンゲルスが見た、悲惨な生活をしているロンドン、マンチェスターなどのアイルランド人労働者たたちは、はやくからアイルランドに見切りをつけていた。テリー・イーグルトンの『ヒースクリフと大飢饉 アイルランド文化の研究』(Terry Eagleton,Heathcliff and the great hunger ,studies in Irish culture,Verso,1995 )によると、1847年までに、リヴァプールには30万人のアイルランド人が押し寄せた。いまでいう「難民」である。エミリー・ブロンテが『嵐が丘』を書き始めたのはそのころであり、イーグルトンはヒースクリフがアイルランド人であった可能性が高い(quite possibly Irish)と書いている(p.3)。
 Antonio Napolitano,Robert Flahaty,La Nuova Italia,1975によると、フラハティの祖父は、1850年にアメリカに来たアイルランド人であるとしているが、フランスの映画事典によると最初はケベックに来たと記してある。それはおそらく彼がカトリックのアイルランド人であったという宗教的な理由であろう。フラハティは1884年にミシガンで生まれているが、彼には「アイルランドの記憶」が祖父母、両親から与えられていたと見ることができる。
 フラハティが「モアナ」で作った世界は、確かにサモアの現実の描写ではなかったかもしれない。しかし、彼はこの映画で「人工楽園」を作り出したのである。エンゲルスが告発した、19世紀半ばのアイルランド人の極度の窮乏生活とは正反対の世界をスクリーンに描き出したのが「モアナ」である。(2018年6月29日) 

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「称名寺12神将展」を見る

 去る2018年3月28日に、私は若い友人たち3人と、横浜市金沢区にある金沢文庫で、「12神将展」を見た。称名寺に伝わる12神将図である。(「金沢文庫」は、正式には「カネサワブンコ」と読むのだそうである。)12神将といっても、私はクビラ大将、メキラ大将、ビカラ大将ぐらいしか名前を言えない。この催しで展示されている12神将は、彫像ではなく色も鮮やかな大きな画像である。受付に「12神将補助解説冊子」という子ども向きの資料が置いてあり、それをもらって読むと、たいへんわかりやすい。とても上手でユーモラスなイラスト入りで、しかも手書きの原稿をコピーしたもので、活字でないところも非常にいい。全文を引用したい気分であるが、たとえば「称名寺の12神将像は、一枚の絵に一人ずつ神将を描き、12枚がセットになった大変珍しいものです」などと書いてあリ、漢字にはすべてルビがふってある。12神将には、それぞれに家来として7千の「鬼神」(夜叉)が従っていることもこの冊子で知ることができた。12神将は、とても強くて偉い存在なのである。また、この展示には、「星供図」という国宝も展示されている。会場では「ほしくず」とかながふってあったが、北斗七星にかかわる、一種の星占いのためのものらしい。たまたま私はいま、星占いに深い関心を持っているので、この「星供図」も非常に面白かった。
 私は2018年の2月14日にも金沢文庫を訪れ、「運慶展」を見たのだが、そのとき網野善彦が称名寺と金沢文庫のことを書いていたことを思い出した。網野善彦は、森浩一との対談『馬・船・常民』(講談社学術文庫、1999)でも称名寺のことがを論じている。この寺は海岸に近いところにあるのだが、この本を読み直して、それが意味のあることであることに改めて気がついた。網野善彦は「海民」という概念を作り、また船による交通の重要性を説いたひとでもあったが、彼によると、この称名寺の僧は、中国(宋)との貿易にもかかわっていたのであり、「称名寺の律僧が、入唐するために、船を造りに筑紫に下る」という記録があり、「中国大陸へ行って貿易をして利益をあげるのも勧進の一つの方法」だった(p.134~135)。(称名寺は真言律宗の寺なので、その僧侶は律僧である。)称名寺のことは、この二人の別の対談『日本史への挑戦』(ちくま学芸文庫、2008年)でも論じられている。建長寺が火災で焼失したため、その再建の費用を得ようとして、「建長寺船」が元に派遣されて貿易を行なうが(元寇よりも前のことである)、その建長寺船の管理は、称名寺の律僧が行っていたと、網野善彦は述べている(p.164)。称名寺がけっして「閉じられた寺」ではないことが、いくぶんかわかってきた。それだけでも金沢文庫へ出かけた甲斐があったというべきであろう。

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