宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

部落文化論 ~人々を支えた部落文化 (一回)~

今も生活文化に生きている部落文化について 

部落に文化はない、と言われた時期があった。その後「奪われた文化」という発想が生まれた。部落に文化はあったが、差別によって失ったという発想だ。これは一定の説得力をもっていたが、その内容や奪われた状況が丁寧に語られなかったと思う。漠然と「差別によって」というだけでは「そんなに部落民は軟弱なのか」という思いが私の脳裏にあった。
この場合「差別によって」と簡単にいわない方がよいと思う。文化(職業も含め)が奪われた状況を簡略にいうと、江戸時代は差別が制度的だったが、しっかりした個性的な職業とそこから生まれた文化があった。これらがなくなる(見えなくなる)のは「身分職業共に平民同等」とした賤民解放令からだ。
皮革関連など一部を除いて解放令を機に警備役など主な職業が平民に移り、部落の専業的職業と共に文化が消えていく。これは近代になって部落が経済破綻する過程と同じである。その結果として部落が生活破綻し、文化を失ったといえる。そうした結果としての現代的様子は解放運動でたくさん語られている。私も全国各地のルポをしながらそうしたことを実感してきた。
解放同盟は「奪われた文化をとりもどす」ため「たたかいの祭り」などを実行してきた。その意議は大きいが、私は一方で運動が見落しがちな一人の部落民として生活の中にある文化を考えてきた。それを生活文化ということができる。この生活文化の全体像を現代の部落に見出すのは難しいかも知れない。しかし部落の歴史が作った文化は今、社会一般に普及している。太鼓や靴等々皮革製品。今はほとんど見られないが新年の祝福芸・門付芸など。これを私は「部落の伝統芸能」と呼んでいるが、これらは歌舞伎や日本舞踊にたくさん残っている。
こうしたことに気付き、社会一般にある生活文化から「部落文化」を抽出する作業をしてきた。その文化は、農山漁村町(商工)にあるそれぞれの職業を基にした文化と同じレベルで人々の生活を支えている。しかもそれらが個性をもつと同じに「部落文化」も個性的だ。その個性を認めあう。そうしたことが大切だ。 (【注】私は被差別部落を単に部落という。他の共同体は農村、漁村などという。全体を示す場合は村・集落・町とする)


(門付芸<伊勢万歳>)


文化は存在価値を示す

文化は価値を示すといわれる。と言っても少しわかりにくいかも知れない。私も理解するのに時間がかかった。しかし視点を変えるとすぐわかる。歴史的にも現代的にも部落で作られる太鼓は使用価値、交換価値がある。そのため社会に普及する。これが価値だ。そしてそこに、それを作る人の存在価値がある。
このように考えると「部落文化」の全体が、歴史的にも現代的にも部落の社会的存在価値を示しているのがわかる。この社会的存在価値は差別があってもなくても、すべての人が共有している。つまり、部落文化は部落内外で差別を超えている。そのことに気づくと、文化が部落内外で差別的<偏見>を<正見>に変え、差別を克服する思想的な認識、精神的な武器なのがわかってくる。
こうした意味をもつ部落文化の全体像を私は次の五つの柱にまとめる。①皮革文化②肉食文化③解剖技術④危機管理⑤伝統芸能。この後これら一つひとつの代表的なものをみていくが、文化が抵抗、解放の武器なのをもう少しみておきたい。


(舞台芸になった<猿回し>)


人々の解放と文化

若いころ、南アフリカ解放戦線として文学活動をしていたマジシ・クネーネという詩人に会ったことがある。「解放とは何か」を話していて私は「自由であること」と言った。一方彼は「黒人の歴史と文化を認めること」といった。この言葉が印象的だった。自由という抽象的な言葉より実感的で新鮮に思った。
クネーネと同じような発想は二十世紀半ば世界各地の民族解放、植民地解放戦線の中でたくさん語られた。在日韓国・朝鮮人からも同じ言葉が聞かれる。彼らが「祖国」というとき、物理的意味の朝鮮半島を示すだけではない。その言葉は韓国・朝鮮の風土、言葉・民族性など生活全般を含んでいる。それを彼らの文化ということができる。「在日文化」という新しい言葉はそのことだ。つまり彼らは日本にいて「祖国」を生きた。彼らの解放はそこから始まる。
昨年(〇八年)五月、アイヌ民族が北海道の先住民なのを不十分ながら国がやっと認めた。そのとき「アイヌの歴史と生活・文化がやっと認められた」という声があった。
このように、文化はそこにいる人々の自立、自由、自尊心などにとって、非常に大切なもの、欠くことのできないものだ。そうした意味をもつ文化であるが、部落の場合その文化がどのように語られるだろうか。部落問題と民族問題、植民地問題は異なる基盤をもつが、差別の現実としては非常ににかよっている。そのような差別の克服を考えるとき、それぞれの生活・文化が異なっても、それぞれの文化が持つ精神的意味は同じではないだろうか。そうした意味で「部落文化」を具体的、実感的に把握したいと考える。


(「日本屈指の大太鼓。弘前にて)


民衆の文化軸として

そのように考えるとはいえ、この国で文化を考えるとき考慮すべきことがある。それは日本文化というようなときよく現れるが、その言葉が侵略者の文化、加害者の文化として使われた歴史をもつことだ。このことを明確にするため私は「列島文化」という言葉を使うが、列島文化の中には大別としてアイヌ文化、沖縄文化、和人文化がある。この和人文化がアイヌや沖縄文化を侵略し同化した。「日本文化」にはそうした歴史がある。アイヌが北海道の先住民なのを認めさせるのは、そうした同化へのアイヌ民族の反撃だ。沖縄も「同化」政策の中で差別されてきた。そうした「同化」差別に対抗して独自性が文化として主張されている。
また「日本文化」が東アジアでの植民地主義、侵略主義を正当化する論理に使われることが今でもしばしば起こっている。そしてそのような論理はこの国の保守主義の中で「愛国心」や「天皇制」の機軸として利用されることもしばしばだ。
こうした意味で「日本文化」という言葉は今も簡単に使えない感じがある。私はこうした日本文化の歴史に対して「民衆の文化基軸」といえるものを対置し構築しようと考える。そしてそうした文化基軸の重要な柱として部落文化を位置づけたい。同じ意味で「同化」から開放されたアイヌ文化、沖縄文化、あるいは植民地、侵略主義と戦ってきた韓国・朝鮮の文化、在日の文化、中国の文化に学び、多文化多民族共存の文化を考え、その機軸や体系を構築したい。そのとき私にとって「部落文化」は、最初に取り組み、構築すべき課題であり、私自信の解放の基盤である。


(つづく)

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