宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

研究員の紹介(暫定版)

当研究所に在籍する研究者をご紹介します。
なお諸般の事情により一部所員については紹介を割愛させていただいております。


首席フェロー


宇波彰


所長


四方田犬彦


研究員


足立眞理子
伊吹浩一
稲見史人
川口義晴
三枝泰之
田村賢人
土佐巌人
樋口絢子
福田隆雄
前田耕作
吉沢明


(50音順)




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ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』を読む

ジャック・デリダの『マルクスの亡霊たち』(増田一夫訳、藤原書店、2007,以下NBと略記し、そのあとに引用したページ数を示す)の原書は1993年に刊行されている。邦訳が待ち望まれていた、1990年代におけるデリダの代表的な著作である。デリダの他の著作と同じように、本書もかなり難解ではある。しかし元来は講演の記録であり、読み返しているうちに、しだいにデリダの情熱のようなものが伝わってくるであろう。この情熱は、本書のあとに刊行された『マルクスの息子たち』(国分功一郎訳、岩波書店、2004、MMと略記)にも継承されている。
本書にはデリダのいくつかの基本的な概念が示されているが、評者はそのなかで特に「遺産相続」(héritage)の概念を取り上げておきたい。デリダのいう「遺産相続」は、与えられた遺産をそのまま引き継ぐことではない。それは遺産を「濾過し、選別し、差異化し、再構造化」(MB.129)することであり、デリダの概念である「脱構築」そのものである。デリダは「遺産相続とは、かたちを変える作用をするフィルターである」(MB.221)とも書いているし、「批判的相続」ということばも使っている。「濾過し、ふるいにかける」という操作は、現在が過去を作り直していくという、うでにフロイトが1890年代から考えていて、ラカンが展開した「事後性」の概念とも深くかかわっている。そのことは、1990年に崩壊寸前のソ連を訪れたデリダのソ連紀行『ジャック・デリダのモスクワ』(土田知則訳、夏目書房、1996)の冒頭でも論じられている。そこでは「合理的な物語」(récit raisonné)という概念が示され、「濾過し、フィルターにかける」(cribler, filtrer)という動詞が使われている。このモスクワ紀行にも、1990年代のデリダの思考方法が明白に現れている。つまり、『マルクスの亡霊たちと『ジャック・デリダのモスクワ』には、共通の方法がある。「事後性」については、拙著『力としての現代思想 増補新版』(論創社、2007)で増補した「事後性論」で詳しく論じてあるが、簡単にいうと、あることがらを「あとから」構成する操作のことである。フランス語では事後性をapres-coupと訳している。米盛裕二のパース論(『アブダクション』勁草書房、2007)第6章で、「仮定が事実を作る」という考え方が示されているが、それは一種の事後性である。
ついでに触れておきたいが、アメリカの哲学者パースは、まだ十分な評価を与えられていない。アブダクションというパースの中心的な概念も、まだ一般に浸透していない。ショシャーナ・フェルマンの『ラカンと洞察の冒険』(森泉弘次訳、誠信書房、1990)は多くのラカン論のなかで注目すべき著作であるが、そこではパースはまだ「ピアス」と表記されていた。つまり、そのころパースはまだわが国では、知的世界に浸透してはいなかったということである。米盛裕二は、沖縄でこつこつとパースを研究し、人工知能の問題とパースの思想を結びつけようとしてもいた方である。勁草書房から1982年に刊行された『パースの記号学』、三巻からなるパースの論文の翻訳はいずれも米盛裕二の仕事であるが、きわめて価値が高い。

・存在としての遺産相続

遺産はそのままに受け継がれるのではなく、未来のために脱構築され、変形されていく。デリダは、『マルクスの亡霊たち』のなかで「われわれの存在が第一に相続である」(MB.130)と述べているが、そのばあいの「相続」には重要な意味が含まれている。存在するとは相続することであるが、その相続は、すでに述べたように「濾過すること」「フィルターにかけること」を必要とする「批判的相続」である。デリダの基本的な認識では「われわれはマルクスの遺産を刻印された世界に住んでいる」のである。「望むと望まざるとを、知ろうと知るまいと、地球上のあらゆる人間は、今日、ある度合いでマルクスとマルクス主義の相続人なのだ」(MB.196)とデリダは断言する。マルクスに対するデリダの「愛」が感知できる印象的なことばである。そしてその遺産のひとつは、「世界を変革する」という思想である。「来たるべき未来」ということばが反復される。存在と遺産相続は等置されている。2007年にアメリカで刊行されたデリダ論集(Mitchel, Davidson ed.,The late Derrida, The Univeristy of Chicago Press, 2007、LDと略記)に収められた論文において、ロドルフ・ガシェ(Rodolph Gache)は、「デリダは、存在が遺産相続の意味であると指摘した」と書いている(LD.73)ここにある「To be is to inherit.」(「ある」ということは、遺産を相続することである)という考えの重要性をガシェがよく認識しているということである。存在は相続であるが、それは必ず批判的相続でなければならず、そこに「責任」が生じている。

・言語遂行論の介入

『マルクスの亡霊たち』でもうひとつ注目しておきたいのは、デリダがオースチンの言語理論を導入していることである。オースチン(1911~1960)の言語遂行論(speech act theory)は言語の機能を「記述的・事実確認的」(constative)と「言語遂行的」(performative)とに分類することであった。デリダはマルクスの言説が、まさに言語遂行的であるとし、その典型的なものが「フォイエルバッハに関するテーゼ」の有名な一節であるとする。「哲学者たちは世界の解釈をしてきたが、肝心なことは世界を変革することである」というこのテーゼこそまさに「言語遂行的」であるとするデリダは、「解釈する当の対象を変化させる解釈」こそ真の解釈であるとした。そのことを論じているデリダの言語が、「論じている当の対象を変化させる」力を持っている。 

付言しておくと、長い時間をかけてなされたという増田一夫の翻訳はとてもいい。これまでのデリダの邦訳のなかでは最高である。
(2007年11月23日)




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反デモクラシー的建築/宇波彰

丹下健三論について

 先日、新宿の東口のあたりを歩いていると、カナダ人だという中年のカップルに東京都庁舎への道を尋ねられた。彼らは「丹下健三の作品を見に来た」といっていた。確かに、海外で最も知られている日本の建築家は丹下健三である。しかし私は彼の建築を支える「思想」に疑問を持ち、批判の論文を書いたことがある。ここに示す文章は、2005年の「建築ジャーナル」に発表したものに、多少の加筆訂正を行なったものである。私がこの論文を発表してまもなく、丹下健三は亡くなった。 (2007.11.11)


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 丹下健三の建築とデモクラシーの関係というテーマは、きわめて重要である。それは基本的には、政治と建築の関係の問題になるからである。2007年に刊行された、ディアン・スジックの『巨大建築という欲望』(紀伊国屋書店)は、権力・財力を持つ者がどれほど建築を重視してきたか、また建築家がいかに権力・財力を持つものにすり寄ってきたかを描いた注目すべき著作である。パソコンの画面で丹下健三の仕事についての情報を検索していてすぐに気付くのは、1942年にプランが作られた「大東亜建設造営計画」や「バンコク文化会館」については何も記されていないということである。それらの建築を支える思想は、全体主義的・国家主義的なものであった。それらの建築は設計の段階で終わったものではあるが、そこには明らかな反デモクラシー的、権力志向的なものがある。しかし、少なくともインターネット上での情報では、それらの建築に関する情報は隠されている。
戦後に実際に作られた広島平和記念館が、実は戦時中の丹下健三のそうした帝国主義的思想と連続し、かつ断絶していることについては、「建築ジャーナル」(1995年12月号)で論じたことがあるが、結局、丹下健三の建築は、時代の風潮に迎合していくことによって成立するように見える。そうすると、丹下健三が二度にわたって手がけた戦後の東京都庁舎は、デモクラシー的な建築になる可能性もあったあはずである。
 しかし、私が新宿西口にそそり立つ新しい東京都庁舎に最初に入ったときの印象は、「冷たい」の一語に尽きる。この巨大な建築はどこが入口なのかよくわからないし、入っても職員の誰かが、「いらっしゃいませ」といって迎えてくれるわけではなく、帰り際に「またどうぞお越しくださいませ」とコンビニの店員のようなお世辞をいうわけでもない。それは建物のせいではないかもしれないが、そういうお世辞をいってくれる人が配置できる構造ではない。もちろんひとりひとりの都の職員は親切に応対し、仕事を熱心にしている。しかし、彼女たち、彼らが働く職場の建物はどう見ても威圧的である。
 この庁舎に、石原慎太郎の東京政権の中心がある。そこでは例えば君が代を歌わず、日の丸の掲揚に反対する都の教員の「処分」が決定される。アルチュセールのいう抑圧的国家装置の典型である。山口二郎は、『戦後政治の崩壊』(岩波新書、2004年)の中で、石原慎太郎について次のように書いている。「彼は<三国人>発言など、外国人、女性、障害者などに対する差別、偏見を公然とすることで悪名高い。これは民主主義国ではありえないことである。」山口二郎は、このような人物を知事に選ぶ東京都民の行動を「暗澹たる」思いで、見ていると書いているが、とにかく丹下健三の都庁舎は、都民によって選ばれた石原慎太郎が都民に向かって権力を行使する装置になっている。それはデモクラシーに反する建築ではないか。この建築が石原知事を生み出したのだともいえる。
 この超高層のスカイスクレーパーの周辺には多くの高層建築物がある。したがってそれは、周囲を睥睨してそそり立つという存在ではない。かつて江戸城の天守閣は、62メートルの高さの建築物であることによって、江戸という都市全体を監視する機能を、少なくとも象徴的には持っていた。(菊竹清訓の東京江戸博物館が高さ62メートルになっているのは、「一望監視設備」としての江戸城天守閣のアナロジー的再生産の試みである。)しかし、現代の都庁舎はもはや周囲に群生している高層建築物の存在によって「高さ」を主張できなくなっている。都庁の「大きいこと」は、すでに相対化された。権力を持つ者や権威あるものが、例えば城や大聖堂のような物理的に巨大な建築物を象徴的に使う時代はすでに終わった。民衆を管理し、監視するためには、すでに庁舎など不要である。そのことはカフカの『城』で立証済みである。
東京都庁で恐ろしいのは、この建物の大きさではない。そこに内蔵されているコンピュータ・システムである。そこには東京都民のあらゆるデータが内蔵されている。現代は「監視社会」である。現代の監視は高い天守閣からの直接的・パノプチコン的監視ではない。監視する側はまったく姿を見せない。個人のあらゆるデータが、都庁のどこかに隠されている。そうだとすると、都庁舎はそんなに大きくなくてもいいはずである。いまの都庁はこけおどしであり、その建築物は保守系政治家と深いつながりのある赤坂プリンスホテルとともにきわめて反デモクラシー的である。(2007年11月7日改稿)




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万博の終焉/宇波彰

名古屋万博論について

 名古屋万博のような巨大な催しは、国家と大企業の管理の下でのみ可能となる。しかしその実態はなかなか見えてはこない。名古屋万博は(旧)通産省の指導によって計画されたものであり、最初の事務総長は、通産省の審議官の職にあった有能な官僚の天下りであった。トヨタが全面的に支援したのも当然である。国家と大資本に協力したのが、中沢新一などの「知識人」であり、菊竹清訓のような保守的な建築家であった。
 名古屋万博は、まさにアルチュセールのいうイデオロギー的国家装置であり、そこから支配階級の支配的イデオロギーが発信されていた。それは巨大な国家的・大資本的祭典であり、そこに集まってきた人々の顔は、みな同じように見えた。 (2007.11.11)


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       万博の終焉
                     宇波彰

かつては博覧会は訪れる者にとって未知の「情報」を提供する場所であった。アントナン・アルトーは、20世紀演劇に画期的な革新をもたらしたとされる。そして彼の「残酷演劇」の発想はバリ島の芸術に由来する。しかしアルトーはバリ島に実際に行ったのではなかった。岡谷公二は、「シュルレアリストたちと南方」(「ユリイカ」)1988年2月号)で、アルトーが「1931年の植民地博覧会で見て深い感動を受け、その演劇観の上で甚大な影響を蒙った」バリ島の劇と舞踊について論じている。アルトーはバリ島に行かなくても、「博覧会」でバリ島の演劇に接し、その意義を理解したのである。同じようにアンリ・ルソーも博覧会で見た熱帯の植物に魅せられて、その作品にエクゾチックなイメージを与えた。そのような例はほかにもたくさんあるであろう。しかし、現在は未知の世界の情報を得るのに博覧会を必要とはしていない。実施、名古屋の万博を見ても、それを計画し、運営している側に「未知の国も情報を提供しよう」という意志が存在するとは思えなかった。現代の情報は、博覧会経由でなく、マスメディアやインターネットで、もっと正確に、もっと迅速に得ることができる。その意味では博覧会はもはや不要である。実際に、名古屋万博のそれぞれの建物のなかには、たしかにその国の産物・観光などについての情報があり、特産品を「土産」としてう販売したりしているが、海外に旅行する人の多い現代では、その効用は薄れている。北海道の土産を品川駅で売っているが、万博の各国の館にある売店は何となくそのことを想起させた。かっては、万博は訪れたことがない異国の情報を提供する場であったが、時代の変化はそうした機能を万博に求めなくなったのである。実際、人気の高いトヨタ館に行ってみると、そこはトヨタの自動車についての宣伝の場所ではなく、精巧に作られたロボットたちの「パフォーマンス」の舞台であった。円形劇場のように作られた会場でロボットたちが行進しながら音楽を演奏する(本当に演奏しているのではない)。それはきわめて現代的な情景であった。とはいうものの、そこではロボット自体が非常にモダンな美しさを示していてそれを見ているわれわれが新しい時代の到来を実感することはできるが、トヨタ館でトヨタの自動車のことにつて知ることができるわけではない。トヨタの製品の宣伝を万博がするのではない。もっと違ったのが見せられているのである。トヨタの技術が単に自動車を作るだけではなく、ロボットも作ることができ、そのロボットたちをこれからどういう領域で活躍させるかというメッセージがそのショーには込められているように見えた。ある意味ではそれも情報であるのかもしれない。しかし、会場にいる「観客たち」は単純にロボットたちの演技を楽しんでいるように思われた。「情報」が提示されているのではなかった。

名古屋の万博の会場では移動は基本的には徒歩であるが、電気自動車、人力による二人乗りのタクシー(東南アジアのリキシャに少し似ている)、ゴンドラなどが使われている。化石燃料を消費しないで、地球の温暖化を防ごうという意志の表現である。この催しの主体である「2005年日本国際博覧会協会」が発行したパンフレットによると、名古屋の万博のメーンテーマは「自然との調和」である。反対運動があったにもかかわらず、里山をかなり破壊して作られた会場そのものが自然との調和を破っているが、何とか緑の部分を残したいという意識は感じることができる。問題は「自然との調和」というメーンテーマが「理念」として掲げられるだけで、それがどれだけ参加者の意識に浸透していくかということになると、それはまた別の問題だというほかはないであろう。「自然との調和」という理念を嘲笑するかのように、アメリカではハリケーン「カタリーナ」が、日本でも各地に集中豪雨が襲って大きな被害をもたらした。それらの災害が「天災」であるというのなら仕方がないであろうが、どのばあいも人間自身にも責任のある災害であることがしだいにわかってきた。産経新聞(9月6日)の社説は、都市水害をテーマに論じている。それによると、都市の豪雨がこの10年に激しくなったのは、地球温暖化で、海面の温度が上昇し、水蒸気が増えたためにそのエネルギーが蓄えられて台風やハリケーンが巨大になる。他方、大都市ではヒートアイランド現象が進んで、その地域の上昇気流が雷雨・集中豪雨を招くということである。つまり、ニューオーリンズを襲ったハリケーンも東京の下町のマンションを水浸しにした集中豪雨も「自然との調和」を忘れた人間が責任を負うべき部分が大きいのである。名古屋の万博はその「調和」を回復するためにどういう」ことをしたのであろうか。たしかにフランス館に入ると、そこではフランスの観光案内をしているのではなく、ゴミのなかから使えるものを探している少年たちの姿など、世界各地の汚染の状況を伝える映像を巨大なスクリーンに投影している。環境保護を訴える映像と思われる。ただし、わかりやすい説明があるわけでないから、来訪者たちは暗い会場に腰を下ろし、大きな音の音楽を聞きながら茫然としてその映像を眺めているだけであった。彼らは屋外の暑さにすっかり参ってしまい、涼を求めてフランス館の中に入っているようにしか見えなかった。環境が悪化しているという映像を説明もなく流すことが「自然との調和」になるのかどうか疑問である。そこから考えると、およそ万博のようなイヴェントがひとつの「理念」を掲げても、それはたんなることばの上だけの「理念」に終わり、現実はそうした理念をはるかに超えたところで動いているのである。名古屋の万博が「自然との調和」をモットーにしていたそのときに、それを怠った人間にハリケーンや集中豪雨が襲ったのは皮肉なことである。それは「理念」が空虚であることをはっきりと見せつけるできごとであった。

名古屋の万博は、正式には「2005年日本国際博覧会」である。「万国」とか「国際」とはインターナショナルのことである。いままでの「万博」は世界のさまざまな国が集まって博覧会を開いてきたからそういう名称が与えられているのだが、インターナショナルという概念そのものが、いまや危機にある。私はアントニオ・ネグリ、マイケル・ハートが2000年に刊行し、世界各国で大きな話題になった『帝国』のことを念頭に置いているのであるが、今日の国際情勢は「国民国家」の概念をしだいに薄めつつある。もちろん現在でも国家間の紛争はたえることがないが、少なくとも経済の面では「帝国化現象」が進んでいる。また、多くのひとたちが国境を越えて移動しつつある。ネグリ、ハートはこれを「越境の時代」として規定しようとした。「帝国」が現実化しつつあるという彼らの論点には無理なところもあるが、名古屋の万博を見て感じたのは、彼らのいう「帝国」がこの万博で縮小されたかたちで見えているということであった。つまり「国際」もしくは「万国」という概念が急速に色あせているとことが、この万博で感じられたのである。

 名古屋の万博は1500億円の予算で行われた「国家行事」である。したがって、日本政府が指導権を握っているのはいうまでもないことである。この万博の名誉総裁は皇太子であり、事務総長のポストは以前の高級通産官僚が持っていた。(皇太子が来訪するときは、当然のように厳重な警戒と交通規制がされ、来訪者の行動は制限される。)この万博の総合設計は菊竹清訓である。彼の作った有名な建築作品の一つが、東京の両国にある「東京都江戸博物館」である。下駄を履いたような異様に高いこの博物館の下のあたりは、時たま強い風が吹く。建物が高いからである。それは62メートルあるが、設計者によると、かつて存在した江戸城の天守閣の高さと同じにしたからであるという。東京都江戸博物館は、江戸時代の国家権力の記号をまともに再現しているのである。私はかつてその東京都江戸博物館が、江戸時代に民衆をパノプチコン風に監視していた江戸城天守閣の再現であるのは問題だとしてこの建築を批判したことがある。建築家が巨大な建築物の設計を求めるとき、しばしばそれは権力の記号になる。(最近の話題の映画「ヒトラー 最期の12日」にも登場しているナチス・ドイツの建築家シュペーアのことが想起された。)名古屋の万博もまた、日本という富裕で巨大な国家権力が、民衆と外国からの訪問者に権力の大きさを示そうとした国家行事にほかならなかった。1970年の大阪万博は、その国家行事を一種の「祭典」として行いたいという思考が存在していた。しかし今回の名古屋の万博では、「祭典」という傾向も希薄である。ここに述べてきたことをまとめて考え直すと、「万博の終焉」とつぶやくほかはない。




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長谷邦夫論 ブラックホール的世界/宇波彰

はじめに

この長谷邦夫論は『長谷邦夫パロディ漫画大全』(水声社、2004年)の解説として書かれたものである。初出のまま掲載する。
(2007年11月6日)


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長谷邦夫の作品の最大の特徴は、作者自身のオリジナルなイメージが存在しないということである。すべてが既成のイメージの合成であり、モザイク化である。彼の作品に登場する人物の姿は、彼の作品が書かれた当時において、いずれもひとびとがよく知っているマンガの主人公たちや、実在の人物や、映画のヒーローたち、そして漫画家たちである。それらの人物たちについて無知な読者でも、もちろん作品を楽しむことはできるが、長谷邦夫の仕事には、一種の「同時性」のようなものがあり、読者の記憶の中にないものがあるときには、作品から得られる楽しみが減少するであろう。ただし、それらの架空の人物も、実在する人間も、長谷邦夫の作品のなかでは、同一の価値しか持っていない。ヒトラー、東条英機、佐藤栄作も、あるいはほとんど忘れらていたが、最近話題になった金嬉老(その問題を取り上げた福田恒存の戯曲があった)も、手塚治虫も、美濃部都知事も、もともと持っていたすべての価値を剥奪され、単に「引用のモザイク」の一断片として現れている。しかし、その断片に元来はどのような価値があったのかを知らない限り、長谷邦夫の真の読者になることは困難である。
長谷邦夫の作品はしばしばパロディマンガといわれている。長谷邦夫の作品が先行するマンガのパロディという概念もしくはフレームで考えるのは、きわめて正統的な長谷邦夫論の方法であると思われる。しかし、長谷邦夫の作品を、単にいままでのマンガのパロディという概念で規定することが実は非常に困難であることは、作品に接すればただちにわかってくる。パロディという限りにおいては、パロディの対象になるものが存在するはずであり、またパロディの本質として対象を「批判」するものでることが必要である。しかし長谷邦夫の作品を、「批判マンガ」として読むことは困難である。たしかに、のちにも言及する「風立たぬ」が堀辰雄的な別荘文学・高原 学を揶揄しパロディ化しているといえないことはないが、批判的な要素はないと見るべきである。つげ義春の作品を下敷きにした「紅い花血」のなかで、長谷邦夫はつげ義春の作品から借りてきた少女につぎのように言わせている。「われはつげ義春の<ねじ式>のパロディー<バカ式>を書いた長谷邦夫じゃろう 盗作ばかりしておらんでたまにはわれの作品をかいてみなせえ。」「われの作品」とは長谷邦夫のオリジナルなイメージということである。しかし、少女にそのよう言わせたからといって、ここに長谷邦夫の自己批判を読みとることはできない。これはあえていえば、このせりふは長谷邦夫が自分自身の作品が「盗作」だからこそ独自の価値があるのだという自信の表明である。長谷邦夫の作品の特徴は、「批判」ではなく、新たな映像表現の確立にある。
長谷邦夫の作品は、マンガの世界だけではなく、文学も、映画も、そして現実世界も含めて、すべてを引用・盗用で構築している。『マヌケ式』のあとがきで、長谷邦夫は、田中角栄の「五つの大切」をパロディ化して、「五つのバカを大切にしよう」と書いている。それは有名人・有名漫画家・愛読者・編集者、そして国や社会をバカにすることである。簡単にいえば、すべてを「バカ」にして、相対化してしまうということである。この「マンガ世界」は、いままでのマンガ世界を相対化したものであり、異なったレベルに存在している。世界全体をバカにしてパロディ化しているのが長谷邦夫のマンガの世界である。そうなると、もはやそれはパロディの域を超えてしまう。私はそれを「超パロディ化」と名付けたいが、その超パロディ化を可能にしているものが、徹底的な引用・盗用なのである。ジャック・ラカンの基本的な考え方は、その鏡像段階理論を出発点にしているが、この理論を展開していくと必ず、「私とは他者の言語である」というテーゼに行き着く。ウンベルト・エーコがラカンの理論をまとめて、人間を「他者性の囚人」と規定したことも想起される。つまり、われわれは、自我の確立とか、自己同一性というようなことを言ってはいるが、自分のオリジナルな見解と思っているものが、実はマスメディアの言語の引用にすぎないことは、日常的に経験していることである。長谷邦夫の作品は、人間の自己同一性の成立、言語の他者性といった現代思想のキーワードを先取りしたもののように見えてくる。
それでは具体的に長谷邦夫の作品のなかで、引用や盗用がどのようなかたちで行われているか、それにどういう意味があるのかを考えてみる。作品集『アホ式』に収められている「野豚の如き君なりき」では、「明治年代の千葉県」と最初に指示されていて、「野菊が美しく咲き乱れていた」のであるが、実は伊藤左千夫の原作『野菊の如き君なりき』の存在は最初からどうでもいいことになっている。作品のタイトルだけが引用されているといってもいいはずである。つまり、場面にはたちまち「マリリン・モンロー」、「家畜人ヤプー」、「月光仮面」、「寅さん」が登場して、カーニヴァル的な状況が描かれることになる。カーニヴァルの原型はすでに紀元前2000年のバビロニアにあり、そこでは王の衣装を着た一人の囚人が、玉座に着き、最高の食事をし、王の側女たちと交わり、5日後に殺されたという。カーニヴァルではこのように価値の転倒が行われるが、長谷邦夫の作品では、カーニヴァ をも超えているというべきであろう。すべてをパロディ化しているから、既成の価値にはいかなる敬意も払われないからである。さまざまな要素は、相互に優劣の差異がない状態で作品のなかにぶち込まれる。ブリューゲルの有名な作品「カーニヴァルと四旬節の戦い」のなかに、豚も魚も教会もホテルもそしてキリストもブリューゲル自身も、すべて投げ込まれるようにして描かれているのが想起される。また、カーニヴァルの最中に実際に反乱が起きて祭りと現実が混在した状況を描いたルロワラデュリーの『ロマンのカーニヴァル』が想起される。しかし、長谷邦夫の作品にはもはやカーニヴァルとかパロディといった概念では処理しきれないものが存在する。
長谷邦夫の作品においては、彼自身のオリジナルな「絵」を見いだすことができないのも、彼の作品がパロディの領域を超えているからであるといえよう。すべてが、手塚治虫、藤子不二雄、つげ義春、石森章太郎、赤塚不二夫などの「有名漫画」の引用・盗用・合成・総合である。それのマンガを「引用のモザイク」として作り直し、モンタージュしていくのが、長谷邦夫の方法である。バフチンの理論がきわめて有効に応用されているということさえできるかもしれない。それらの「有名マンガ」は徹底的に相対化され、「バカ」にされてしまう。そして、「バカにする」対象は、単に漫画にとどまらない。堀辰雄の高原別荘的文学『風立ちぬ』は『風立たぬ』へと変形され 、その表紙には「分譲別荘地」などの看板が見える。別荘文学・結核療養文学 、表紙の部分ですでにパロディ化{れているのようにも見えるが、長谷邦夫はもちろんそんなことをもくろんでいるのではない。『風立たぬ』はあくまでもタイトルのレヴェルでのもじりにすぎないからである。それは既成の文学に対する徹底的な「無視」である。相手にもせず、ただタイトルだけを借りるという態度である。また、『アッシャー家の崩壊』『ねじの回転』『白鯨』『黒猫』を初めとする世界文学の名作・傑作が、いたるところで「マンガ化」され、長谷邦夫の世界に引き入れられてしまう。それは原作のマンガ化というレヴェルの問題ではない。長谷邦夫は、名作をマンガで表現しようとしているのではない。名作を新たな作品のモンタージュのための前提となる一種の「場」として使っているにすぎない。それが「超パロディ化」にほかならない。
長谷邦夫が作る異様な「場」は、一種のブラックホールであるといえる。その世界に吸い込まれたもとの作品は、その古典的・芸術的価値をすべて捨て去られる。作品だけではない。歴史上の人物である、亡霊のように登場して、子どもたちに「のらくろ」のイメージを描かせる背景として使われているヒトラーと東条英機の姿も、佐藤栄作も、赤旗を振って「はしれはしれコータロー、ついでにハタノを振り落とせ」と歌っている美濃部都知事も、そこで歌われている元警視総監の秦野章も、モザイクの一断片の価値しかない。それらの人物がいかなる価値の差異も認められないまま、長谷邦夫の作品でいうブラックホールに吸い込まれている。このように、彼の作品のパロディの対象は、世界全体であるとさえいうことができる。すべてを吸い込むのが、長谷邦夫の作品の力であり、この力を理解して考察することが、長谷邦夫の作品についての批評になるであろう。
長谷邦夫の作品を読んでまず感じるのは、その想像力の行使の仕方が、通常の記号表現のばあいとはまったく異なっているということである。私はこれが長谷邦夫の作品のブラックホール的力の源泉であると考える。たとえば、すでに言及した『アホ式』に収められている「風立たぬ」について考えてみる。ここでは、柴又の寅さんが、3001年のマリリン・モンローに会うという設定になっている。タイムトンネルをすぎると江戸川になり、「矢切の渡し」の渡し船に乗った寅さんが、おぼれているマジリン・モンローを救助する。月並みなことばを使えば、「奇想天外」であり、「荒唐無稽」である。しかし、ことばを換えていえば、飛躍する想像力の運動である。通常の連想をはるかに超えた、意外なものとの結びつきがいたるところに存する。精神分析載の領域での「連想」と似たものがある。あるいはカーニヴァル的な、多様なものの混在が重層的に作られているのである。
もうひとつ、『バカ式』に収められている「盗作世界名作全集」の「白鯨」を例にして考えてみよう。もちろん、この作品はメルヴィルの『白鯨』を下敷きにしていて、そのパロディということになるのかもしれないが、けっしてそのように単純に考えてしまうだけではすまされない。長谷邦夫のこの作品が、メルヴィルを批判するものでないことは当然である。パロディであるというのではなく、作品それ自体が長谷邦夫の想像力の運動の場になっている。パロディである限りにおいては、この作品は一種のミメーシスもしくは引用の作品であり、『白鯨』がその引用のためのプレテクスト(引用されるテクストのことを引用論ではプレテクストという)になっている。ところがこの作品は、メルヴィルや石森章太郎を前提にして考えることなどを拒否してしまっている。普通の引用論の方法ではほとんど処理しきれないテクストである。
まず第一に、すでに述べたように、長谷邦夫の想像力の展開には特異なものがある。この作品においても、プレテクスト、つまりパロディもしくは引用の対象になっているもとのテクストが一応は『白鯨』であるから、そこにはモービー・ディックと呼ばれる巨大な白い鯨(私は以前に「モービー・ディック」というこの鯨の名前そのもに、何か運動的なもの、急な速度で動いていくものがあると『メルヴィル全集』の月報に書いたことがある)と、それを執念を持って追いかけるエイハブ船長が登場するのは当たり前である。やがてただひとり生き残って物語を伝える役割を演ずる石森章太郎が登場しているのも理解できることである。しかしなぜか、パイプをくわえ、黒いめがねをかけたマッカーサー元帥も姿を見せている。一つの場面と全く無関係な人物や物を不意に登場させるのも、長谷邦夫の方法の一つであるが、しかし、それが本当に「無関係」で「不意」であるかどうかはあいまいなままである。あるいはむしろ、無関係であるのは外見上のことであり、実はどこかで、見えないところでつながっているかもしれないのである。それは、のちに述べるように、エイハブ船長と座頭市が重層的に描かれているところに感じられる。それにしても、さまざまな登場人物や物がでてくる根拠は不明なばあいが多い。「白鯨」では石森章太郎が「まんが家生活にあきがきて、世界の放浪の旅に出て、この北アメリカ マサチューセッツ州ニューベットフォードにたどりついた」という設定である。そこにはアメリカなのになぜか「深夜スナック鯨亭」の看板が見える。しかしこのスナックの場面のあとはすぐにホテルの一室になるから、あるいはこのスナックはホテルもやっているのかもしれない。その部屋には「安保賛成」のビラが貼ってあり、ホテルの係員は佐藤栄作の顔をしている。そこに銛打ちの女とルームメイトになった石森章太郎は、彼女の口利きで捕鯨帆船ビックフォード号の「見張り役」になる。メルヴィルの原作(?)において真のヒーローである隻脚のエイハブ船長は長谷邦夫の作品にも当然描かれるが、彼はエイハブであっても、アメリカ人のエイハブではない。エイハブ船長のイメージが、まずその隻脚と義足の部分のクロースアップで描かれているのを見るとき、読者はその次に描かれているイメージが「座頭市」であるという予測を、ほとんてることができない。エイハブは座頭市だったのである。勝新太郎による「座頭市」のイメージが現れると、われわれはエイハブ船長と座頭市とに、強力な敵に向かってただ一人で立ち向かう人間という共通の要素があることを感じとる。(ついでながら書いておくが、私は勝新太郎の「座頭市シリーズ」をビデオで全部見て、最初のころの作品には何かホモセクシュアルなものを感じた。)私は、エイハブ船長を座頭市として描くことがけっして全面的に恣意的ではないと思う。この二人の人物には、共通なもの、似ている部分が存在する。また座頭市が盲目であり、エイハブ船長が隻脚である いう二人の身体に障害があることも、似ているところかもしれない。長谷邦夫が、この「類似」を契機にして、エイハブ船長と座頭市を結びつけたのかどうかは不確定であるが。エイハブ船長の座頭市への変身は、意外ではあるが同時に完全な「飛躍」ではない。われわれ、はおそらく無意識的にはこの変身を予測していたのである。しかし、このような解釈は、むしろ自然であるかもしれない。長谷邦夫が座頭市を登場させたのは、このような関係とは無縁な発想である可能性があるからである。ただ、解釈する側からは、そのような深読みを可能にさせるものが、彼の作品に存在している。何かを連想させる力が、つねに長谷邦夫の作品のいたるところに潜在しているように思われてならない。
長谷邦夫の作品は、このようにイメージを意外なところで結合し、分離させる。白鯨は座頭市によって仕留められ、キングサイズの「鯨肉缶詰」として甲板に置かれている。このような想像力の行使は、私には、それはアメリカの哲学者パースが構想し、イタリアの記号学者・小説家ウンベルト・エーコが展開していた「無限記号連鎖」(iunlimited semiosis)の概念と似たところがある。パースは次のように考えていた。記号には対象があり、記号がどういう対象を指示しているかはは解釈項によって理解できる。しかし、その解釈項は、実は別の記号であり、その記号をまた解釈しなければならない。このプロセスは無 に継続される。エーコはこのパースの考え方を展開して、解釈には「辞書的解釈」と「百科事典的解釈」があるとした。そして、パースとエーコは、実在する記号表現について、それを解釈していくと、解釈が求められている記号の元来の対象にはなかなか行き着かず、時にはあいまいなものに到達したり、あるいはどこへも到達できずに、「漂流」してしまうことがあるとした。これは『白鯨』を生んだアメリカ的意識構造の現れであるといえるかもしれない。どこへ行き着くかもしれないまま、船を運航させるという行動のパターンが思考にも現れていると解釈できるであろう。百科事典の「関連項目」をつぎつぎに追いかけていくのは、パソコンにインストールした百科事典を持っている者の快楽の一つであるが、エーコは、解釈の作業に潜在的に含まれている「漂流」をむしろ積極的に評価して、そこに「快楽」があるとさえ考えた。長谷邦夫の作品を読んでいると、パース、エーコのいう「無限記号連鎖」が逆に存在しているように感じられる。つまり、メルヴィルの作品を出発点にして、そこから「漂流」が始まり、読者がその漂流に向きあうという状況が生まれてくるように思われる。(エーコに「無限記号連鎖と漂流」というパース論があり、そこでここに述べた辞書的解釈と百科事典的解釈の問題が論じられている。)パース、エーコの理論と方法を知ると、世界のすべてを記号と見立てて論じていく彼らの方法がわかり、それによって記号としての世界についての見方が変わってくるが、長谷邦夫の作品を読むと、マンガというものの世界を見る眼が変わってくる。長谷邦夫のマンガの世界は、すでに存在するマンガと世界全体を自らの場に引き入れてカーニヴァル的にかき混ぜ、パロディ化し、否定しつつ、それによって彼自身のマンガを生み出すという異様な世界である。
このように長谷邦夫の作品は、現代の記号論の立場から読んでも、きわめて面白いものである。そして、その読解は決してたやすいものではない。すでに少 触れておいたように、「風立たぬ」といっても、それが堀辰雄の作品をもじったタイトルであることは、現代の若い世代には必ずしも自明のことではないであろう。また、長谷邦夫の作品には政治家として砂糖栄作がしばしば登場している。美濃部都知事の姿も見える。そうしたイメージは、しだいに日本人の集団記憶から消えつつある。樋口一葉の小説に注釈が必要なように、長谷邦夫の作品も注釈・解説がそろそろ必要になりつつある。しかし、長谷邦夫の作品は、そうした「解釈」のすべてを拒絶するか、あるいは飲み込んでしまうようなような不思議な力を持っている。
(2001年7月1日)



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