宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

「かけがえのない個人」というイデオロギー

サラリーマンをやっている友人がこんなことを言っていた。「サラリーマンと武士ってのは似ている」。彼は何も、サラリーマンには美しさがあるとか、崇高な存在であるとか、そうしたことを主張したいわけではない。彼の言い分は以下の通りだ。サラリーマンも武士も割にあわない。割にあわないことこの上ない。しかしながら、この割のあわなさ、不条理を、「これこそがまともな人間のあるべき姿だ」という信念に基づいて、なかったことにしながら生きている。いや全くやっていられない、という愚痴である。
この割のあわなさをなかったことにしてくれる信念を、アルチュセールがいう「想像的なもの」「イデオロギー」と見なすことができる。もう放送は終了してしまったが、テレビ番組『プロジェクトX』の人気は「想像的なもの」としての役割を果たしたところにある。オジサンは中島みゆきによるテーマソングを聞いただけでグッとくるのである。この「想像的なもの」という言葉は、当然のことながらラカンの「想像的関係」「鏡像段階論」「小文字の他者」といった精神分析の概念を踏まえている。
 想像的なもの=鏡像は、自己の十全な姿を先取りして示してくれる他者である。幼児期においては鏡に映った自分の像が、ままならない身体、寸断された身体という不快なイメージから自己を救い上げてくれる。時を経て他者が十全性を示す役割を果たし、それが自我を定立させる。ラカンが行ったことは、「デカルト的自我の解体」である。デカルト以来の、我を確認する我さえいれば自我は確立されるという西洋哲学の伝統の解体である。スタンド・アローンの自我というものは存在しえず、十全性を先立って示してくれる他者が必要なのである。それが特定の個人なのか、イデオロギー的表象なのかは問わず。
吉本隆明はその著書『カール・マルクス』(光文社文庫)の中で、フォイエルバッハの宗教批判について簡潔な解説を試みている。人間は自分の本質を投げ出し、その投げ出した本質を再び自分の中に取り入れる。その投げ出した=疎外した本質が神として第一義のものとして主人となり、その大元である人間は第二義のものとなり従属するのだという。吉本によれば、マルクスはこのフォイエルバッハの宗教批判に基づき、国家や法というものを分析した。市民社会に生きる人間が、自分の本質を外に投げ出して法や国家を形作る。この法や国家を吉本は同書の中で「幻想的なもの」と表現している。法や国家はマルクス主義の言語でいわゆる「上部構造」である。
ラカンやアルチュセールを踏まえて吉本の表現を振り返れば、投げ出される=疎外されるものとしてある「人間の本質」は、人間の本質であるべきと考えられるもの、人間の本質であれかしと考えられるもの、と厳密に言い直すことができるだろう。ここにきて「幻想的なもの」は「想像的なもの」とつながる。
アルチュセールはイデオロギー、イデオロギー的表象、実践の三段階に分けて思考している。アルチュセールは宗教を例に出して、イデオロギー的表象は神に対する諸観念、実践はミサに行くなどの行動としている。では、最初のイデオロギーとはどういうものだろう。イデオロギーは物質的な存在を持つとアルチュセールは説く。また、イデオロギー的表象について、この表象がイデオロギーを諸観念に還元するという表現が見られる。こうしたことから推測するに、イデオロギー(物質)→イデオロギー的表象(精神)→実践(物質)という図式があるようだ。イデオロギーは物質的要請によってまず動き出す。上部構造は下部構造に対して相対的自立性を持っているとか、下部構造による決定は最終審級における決定である、という点ばかりが強調されるアルチュセールの理論だが、従来の唯物論中心のマルクス主義に対しても目配せを行い、慎重に論を展開しているようだ。
文頭で働いている人、サラリーマンの友人の言葉を引き合いに出したが、次は働いていない人にご登場いただこう。彼は、大学卒業後、いわゆるニートをしながら法科大学院の試験を受け続けた。二年間色々な学校を受け続けたが、結局受験勉強に対して集中力を発揮することはできなかったらしい。彼は受験のたびに「手応え良かった」と言い続けたが、彼を知る者たちは「戦いは彼の手応えの遥か上空で繰り広げられていることになぜ気づかないのだろう」と陰で言っていた。今度は専門学校に入り(専門学校は法科大学院と違って試験無しで入れる)、現在は会計士を目指している。司法試験どころか、法科大学院の入学試験も通らない人間が会計士試験をどうにかできるはずはないのだが、「今は税理士に人が流れていて会計士になりやすい」とかなんとか、都合のいい情報だけを取捨選択して夢想に近い思考を抱いているらしい。趣味のことで言えば、それについて語り始めればあまりの情熱と知識量に人を呆然とさせるような、いわゆるオタク的愛情を彼は持ち合わせていない。彼のジャンルというべきものはない。しかし、テレビCMや映画を見て、これはセンスがない、なっていないと批判するのは得意である。法科大学院を目指している間、「俺、広告業界とか向いてるかも」と思い立ったこともあったが、広告業界などは当然資本主義の牙城にしてエリートの集まるところ、渡りがつくはずもない。
どうやら、彼の根底にあるのは「自分は特別なセンスを持っているので人より少ない努力で人より多いリターンを得てしかるべきだ」という夢想らしい。その夢想に基づいた、スタイリッシュに多くを得る仕事のイメージ(実際にどうであるかは別として)というのが、弁護士だったり広告業界関係者だったり会計士だったりするわけだ。
こうした彼の夢想の温床となっているのは何だろう。それは、現代日本の社会や教育によって保証されている、「人間はそれぞれ特別な存在である」という考えに他ならない。この「かけがえのない自己」イデオロギーの延長に、彼の「自分は特別なセンスの持ち主」という発想がある。
彼は、その増加が懸念されているニートとかワーキングプアという存在になるであろうことはほぼ間違いないが、そうした社会的弱者を並べてみて、さて階級意識などという大仰なものが生まれるだろうか。生まれるはずがない。彼らの意識は「階級」ではなく「かけがえのない個人」を志向しているのだから。横に並ぶ、客観的な指標や肩書きを共有する者を見ても馬鹿にするだけで、「自分はこいつらとは違う」「そのうちすげえことしてやる」という具体性の全くないイメージを新たにするだけである。連帯して変革のためのアクションを起こすなどということは絶対ありえないし、連帯感すら生まれない。
ルカーチは『歴史と階級意識』の中で、階級意識は自然発生しえず、前衛たる党がそれを注入しなければならないと説いた。この場合、階級意識の以前に想定されているのは空白である。しかし現代日本では、空白ではなく「かけがえのない自己、個人」イデオロギーがすでに教育や社会によって注入されている。彼らがそのポジションを獲得したのは、過程を見れば明らかなように、望んでのことだ。努力を忌避するための努力をした結果である。主体に欲望を抱かせ、望んである種の行動に駆り立てる、それがイデオロギーの特徴である。彼らの持っているのが空白ではなくイデオロギーであることの証左といえる。ゆえに、もし彼らに批判的知性を以って社会に対するアクションを起こすことを期待するなら、それはイデオロギー闘争の様相を呈する。
しかし、ここで批判的知性を持つと自負するものは、自らに問いかけなければならない。もし彼らに対して批判的知性の働きかけを行使するなら、それは「かけがえのない個人」イデオロギーよりも優れたイデオロギーを自分が所有しているという前提、彼らはそちらのイデオロギーを持つべきだという前提、二つの前提に基づいている。
あるイデオロギーが他方より優れているという思想、それを他者に強要しようとする行動、それこそが地上に絶えぬ全ての争いの源泉ではないのか。他者が向かうべき方向を他者よりも熟知しているという傲慢、それこそが暴力の萌芽ではないのか。
自らが揮う暴力を最後の暴力として理想を実現するというボルシェヴィズムが生んだ様々な悲劇、イデオロギー闘争に端を発する数限りない紛争、そうした幾多の悲劇を経た私たちがするべきことは、もう一度暴力を肯定することではあるまい。レヴィナスの説く倫理に見られるような、相同性を完全に欠いた存在として、計量することが絶対に不可能な無限として他者と向き合うこと、それは哲学に特有の極論で、理論としてはともかく実践には不向きかも知れない。しかし、そうした倫理と、他者への働きかけとのせめぎあいを引き受けること、それこそが現代を生きる私たちの仕事ではないだろうか。
さて、稚拙な論を偉そうに展開している私も、ニートやワーキングプアという問題は他人事ではない。アルチュセールによれば、「高等教育を受けたイデオロギーの専門家」に待ち受けているのは「半失業的知識人」という未来らしい。なかなか愉快痛快で絶望的な未来である。(紙幅の関係により参考文献などを示した脚注は省略した)


(専修大学文学研究科 哲学専攻 修士課程)

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不可視の偶像   『象徴図像研究 動物と象徴』書評

本書は、和光大学の研究グループ「象徴図像研究会」の会報に載った論文のアンソロジーである。人間は遠い昔から動物と深い関わりをもって暮らしてきた。そのため、動物をテーマにした図像がいたるところに存在している。ラスコーの壁画はその一例にすぎない。この論文集は、図像化された動物が文化史のなかで演じてきた役割を多様な視点から論じたものである。ここでは本書のなかで評者にとって特に印象的であったいくつかの論文を紹介しておきたい。
土井淑子の「古代中国の動物図像」は、古代の中国人がどのように動物図像を描いてきたかを、アロイス・リーグルなどの理論を的確に用いつつ論じたきわめて注目すべき論文である。中国古代のひとびとにとって、動物は「単に地上に生息する生物ではありえず、人間の不可視的世界を仮託するものであった」とする土井淑子は、空想的動物図像の成立過程と文明社会の発展とのつながりに注目する。「不可視的世界」とは、単純に考えれば「神」の領域であり、ラカンの用語を使えばル・レエルである。この世界は不可視であるが故に、人間は時にあらゆる方法を使ってそれを可視化しようとする。そればあいによって「偶像」となる。イコン破壊運動がその反動として現れる。不可視のものの可視化は、ときには「動物」というかたちになる。土井淑子によると、中国においては、春秋戦国時代が動物図像の「一大転換期」であり、彼女は、その時代に図像に描かれた動物が急に動き出したことに眼を向ける。これまで側面だけを見せて静止していた動物たちが、「疾走したり、身体をくねらせたり、闘争したり」し始める。ブルデューのことばを借りるならば、そこには動物の「身体技法」が見える。読者はそこに添えられた図版によって、この興味ある指摘に納得するであろう。(残念なことに、この論文を書いた土井淑子は1994年に亡くなった。)
このような動物のイメージが変化していくプロセスは、甲子雅代の「スィームルグについて」でも論じられている。古代のスィームルグは、「鋭い牙と爪のある猛々しい動物」としてイメージ化されていたが、イスラム期になると「霊鳥」に変貌し、西アジアのレリーフや織物の図柄として使われるようになる。甲子雅代は、この霊鳥のイメージを13世紀にモンゴル軍によって殺されたというイランの詩人アッタールの作品『鳥の言葉』と関連させて論じている。
中村忠男の「王の見えざるところ 南インドのある小王権の巡航儀礼について」は、南インドのケラーラ州に残っている小さな王国の「王の巡礼」の意味を探ったものである。アジアの国家のなかには今日でもその内部に部族社会を残しているところがある。国家や、州のような行政組織とは別の権力組織が存在している。数年前に私はイエメンを訪れる機会があったが、そこでは「国家」よりも「部族」が優位にあることを実感した。中村忠男のこの論文は、「王の巡礼」のフィールドワークの報告であるが、それと同時に、インドという国家、ケラーラ州、地方の王権、祭祀組織などの複雑な相互関係を理解させるために貴重な示唆を与える。何よりも「生きた報告」であるところが魅力である。
北進一の「神異なる仮面の高僧」は、5,6世紀の中国に実在した宝誌和尚の像の分析である。宝誌和尚の像は、京都国立博物館や敦煌にもあるが、北進一は中国四川省の石窟にある像を調査した。宝誌和尚は鷹の巣から拾われてきたという伝説のある人物で、同時に複数の場所に存在できる分身の術も持っていたという。その像の足の爪は鋭い鳥の爪になっている。北進一は、この異様な人物の像が「観音菩薩の化身から地蔵菩薩の化身」へと変化していくプロセスも追いかけている。
前田たつひこの「ガンダーラのヴァジラパーニをめぐる一考察」も興味をそそるテーマを扱っている。われわれの周辺にある「石仏」のなかにも、執金剛があるが、前田たつひこが論じているのはその原型にほかならない。ヴァジラとは金剛杵のことであり、ヴァジラパーニとは「金剛杵を持つ者」のことで、仏伝図(仏陀の生涯を描くレリーフなど)ではいつも仏陀に付き従っている。前田たつひこは、このヴァジラパーニがどういう服装をしているか、どんな顔つきであるか、仏伝図のどういう場面に登場するかを考察している。また、ヘラクレスやゼウスの像との類似・差異を論じているところも注目される。
本書にはこのほかにも興味をひく多くの論文が収められている。本書を通読するならば、人間の想像力がどれほど動物とかかわってきたかがよく理解されるであろう。そこにはかつてジルベール・デュランが論じた「想像力の人類学的構造」が見えてくる。


(付記。この書評は「週刊読書人」2006年6月30日号に掲載されたものであるが、改稿してここにアップした。)

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今村仁司とベンヤミン (4)

<歴史とは何か>

「衝撃の火花」とか「破局の地平」というところが難解であるが、これはおそらく、『パッサージュ論Ⅳ』におけるベンヤミンの次のような見解を下敷きにしていると考えられるベンヤミンは「形象」(Bild)というものが「ある特定の時代に解読可能になる」と考える。その像の内部で展開される運動が、「特定の危機的な時点」に到達する。それが「今」である。「この今においてこそ、真理には爆発せんばかりに時間という爆薬が装填されている。・・・過去がその光を現在に投射するのでも、また現在が過去にその光を投げかけるのでもない。そうではなく形象のなかでこそ、かつてあったものはこの今と閃光のごとく一瞬に出あい、ひとつの状況(コンステラツィオーン)を作り上げるのである。」(p.19)ここで「状況」と訳されているのはもちろん「星座」のことである。ベンヤミンのこの数行は「星座」の構成のあり方についてのきわめて重要な示唆であり、多くのベンヤミン論で引用される有名な一節である。「過去と現在が一瞬の閃光のうちに星座を構成する」というベンヤミンの「驚くべき」思想に打たれなければベンヤミンを理解することは不可能である。今村仁司には、そのことがよくわかっていた。この歴史観は、通常の歴史についての見方とはまったく異なっている。「星座を取り出す方法」がここで語られている。
それでは、過去と現在が一瞬の閃光で星座を構成するという、神秘的ともいえるこの歴史概念は、実際にはどのようにして可能になるのか。今村仁司が「精読」しているベンヤミンの「テーゼⅧ」は、よく知られているようにカール・シュミットの『神学政治論』(1922年)における「例外状態」の概念を使っている(邦訳で「非常事態」となっているが、原語はAusnahmezustandであり、「例外状態」と訳されることが多い)。しかしベンヤミンは、「主権者は例外状態において決断する者である」というシュミットのテーゼを超えたところで考えている。これまで、ベンヤミンは『ドイツ悲劇の起源』において、シュミットの『神学政治論』で示されている例外状態論、主権論を援用したとされてきた。しかしアガンベンは、ベンヤミンとシュミットの関係を考察した『例外状態』において、シュミットの方が1921年に書かれたベンヤミンの「暴力批判論」を読んでいた可能性が高いとする。そして、「シュミットの理論をベンヤミンの『暴力批判論』への応答として読みたい」と述べる(Giorgio Agamben,State of exception, The University of Chicago Press,2005,p.53、以下SEと略記)ここで「シュミットの理論」というのは、彼の主権論のことである。アガンベンは早くからベンヤミンに関心を持っていて、イタリアでのベンヤミン著作集の刊行に関係し、またベンヤミン論も書いている。そうすると、ベンヤミン、シュミット、アガンベンという星座を作ることができる。アガンベンは『ホモ・サケル』の第一章「主権の論理」で、シュミット乗例外状態論を深く検討し、そこで「例外状態」という概念がキルケゴールへと遡るものであることを指摘している(アガンベン高桑和己訳『ホモ・サケル』以文社、2003,p.27)。そうするとキルケゴールもこの星座に加えることができるだろう。さらにベンヤミンの影響下にキルケゴール論を書いたアドルノも、その星座から除外することは困難になる。
ベンヤミンの「歴史の概念についてⅧ」は「例外状態」をテーマにしているから、ここで付言しておきたいが、アガンベンは『例外状態』の冒頭で次のように書いている。例外状態において決断する者としての主権者というシュミットの定義は、広く解説され、論じられてはきたが、公法における例外状態については理論が存在せず、公法の法律家・理論家は。例外状態を真の法的な問題とはせず、事実問題としているように見える。」(SE.1)例外状態の典型的な例は戦争である。ベンヤミンが「例外状態が日常である」というとき、具体的にどういうことが語られているのか不明確ではあるが、「例外状態」が理論化の対象にもなっていないというアガンベンの指摘は重要である。理論化されていないということが「例外状態」の特色である。
「毎日を非常事態とみること、これが歴史の概念把握であり、簡単にいって、それが歴史の概念である」という今村仁司の見解は、ベンヤミンの歴史概念に対する「驚き」から始まっている。今村仁司は、ベンヤミンのテーゼⅧが「アブノーマルであり、非常識である」とする。「それは常識を転倒させ、常識が幾重にもからみついている自明の硬い殻を破壊する」のである(BR.117)。「この破壊からしか、認識の萌芽である真実の<驚き>が生まれない」という今村仁司のことばには、マキアヴェリに対するアルチュセール、スピノザに対するネグリの驚きと通じるものがある。「驚き」が思考の始まりである。「見知らぬもの」「異様なもの」「他者(別なもの)」が侵入してくることによって思想が始まることを、ベンヤミンと今村仁司は一体になってわれわれに教えてくれる。

(付記。この追悼論文は、雑誌「情況」2007年7/8月号に掲載されたものを大幅に改稿したものである。2008年3月16日)

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今村仁司とベンヤミン (3)

<「救出」の方法>

今村仁司は、ベンヤミンの方法として、「二分法」をあげる。二分法とは、ある時代の「積極的な、生き生きとした部分と、消極的な部分」とを対比させ、前者が後者の存在によってのみ価値を持つと考えるものである。カラヴァッジョに代表され、レンブラントに受け継がれた、絵画における「光と闇の弁証法」であるキアロスクロの方法が、思想に適用されたといえるかもしれない。そして、ネガティヴな、消極的な部分として「いったん排除された否定的な部分」に、再び二分法を適用して次々に「救出」していくという操作を無限に続ける。それによって「過去の全体をもらさず救いとる」という救済の理念が実現される。それが「諸現象の救出」の意味だと考えられる。つまり、この二分法によって「すべてが」救出される。二分法は「救出」のための方法である。ここには今村仁司のベンヤミン論の核心がある。それは今村仁司がベンヤミンの「屑拾い」といっているのと同じことである。この二分法は、モンタージュであり、そのときにモンタージュのための材料となるのは「屑」である。今村仁司はベンヤミンにおける「屑拾い」の重要性を論じているが、フランス美術史家で、邦訳された『フラ・アンジェリコ』の著者としても知られているディディ=ユベルマンは、ベンヤミンが重視する「屑」がゲーテを起源とするものであると主張している。「トルソ、断片化した物体(身体)、物体的(身体的)断片、といった<真実の崇高な暴力>の火の下にある象徴の<屑>、この本質的に<批判的な>形象のなかには、痕跡・残滓のあらゆる哲学がある。」(George Didi=Huberman, Ce que nous voyons ce que nous regarde,Les Editions de Minuit,1992,p.130)ディディ=ユベルマンは、この「屑」が星座の構成要素であると考える。
ここで論じられているのは、ベンヤミンの歴史論である。それはきわめて難解な対象である。ベンヤミンが死の直前に書いたとされるテーゼ「歴史の概念について」は特にわかりにくい。今村仁司は、このテクストとまさに格闘している感じがする。今村仁司の星座論で重要なのは、星座の概念においては「輝く」ということが重要であるという指摘である(BR.25)。星は輝くことによって存在するが、星座を構成する「座」は、「目に見えない不在なもの」(BR.26)である。この「座」がどのようにして構成されるかということが問題である。「座」を構成するということは、歴史を作るということである。それは今村仁司のベンヤミン的星座の解読そのものにかかわる論点である。彼は星座について次のように説考えている。「ベンヤミンの種々の歴史哲学的テクストを総覧して、結論だけを取り出していえば、星座はとりわけて過去にあるといわれる。」(BR.)この「結論」がどういうプロセスを経て出されたものかが問題である。星座における過去と現在の関係がここで問われている。「歴史の概念について」の「テーゼXIV」において、ベンヤミンは次のように述べる。「歴史という構造物の場を形成するのは、均質で空虚な時間ではなくて、<いま>によってみたされた時間である。」(BR.74)このテクストもまた「重層決定」されているが、特に「いま」という概念が難解であり、今村仁司の格闘がよくわかる。ところで、この翻訳で「歴史という構造物」と訳さされている原文は、Die Geschichte ist Gegenstand einer Konstruktionであり、逐語的に訳すと、「歴史はひとつの構築の対象である」ということになる。(Walter Benjamin, Zur Kritik der Gewalt und andere Aufsatze,Suhrkamp,1965,S.90)つまり、歴史とは「構築するもの」であり、「構築されたもの」ではない。しかし、その構築は、過去の資料を集めて再構成するといった意味での構築ではない。
ベンヤミンと「星座」を構成するひとりがエイゼンシュテインである。それは「モンタージュ」という媒介によって構成される。ベンヤミンの『パッサージュ論』は、エイゼンシュテインが映画の領域で実行したモンタージュを、歴史の領域で行なおうとしたものだと理解されている。「戦艦ポチョムキン」が作られた1925年に、ベンヤミンはエイゼンシュテインの生地であるラトビアのリガを訪れている。そして1927年の1月に、モスクワで「戦艦ポチョムキン」を見ているのであり、それはベンヤミンの『モスクワの冬』によって知ることができる。『パッサージュ論』の膨大な引用はまさにモンタージュの技法によって意味を生産する。そのことについて今村仁司は、『パッサージュ論Ⅳ』の解説で、次のように書いている。「歴史的過去の解読の方法を、パッサージュ論のベンヤミンはモンタージュ論として定義している(N1.10)。モンタージュ論の狙いは、単に眼前の現象を組み立てることではない。それは、過去が現在に衝突して、その衝撃の火花によって、過去の文脈から分離された事物(破片)を破局の地平で再構成する。」(『パッサージュ論Ⅳ』岩波書店、1993,p.357 この引用で(N1,10)とあるのは『パッサージュ論』の断片の番号である。)

(つづく)

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今村仁司とベンヤミン (2)

<「歴史の概念について」の解読>

この小論では、そのような難解で「重層決定されている」としかいえない「歴史の概念について」を対象とした、今村仁司の『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』(岩波現代文庫、2000、以下引用に際してはBRと略記し、そのあとにページ数を記す)を中心にして考察したい。その「あとがき」で今村仁司は次のように書いている。「彼(ベンヤミン)の思想は難解であるが、たんに理解しにくいのではなく、そのなかには直感的に読むもののこころを魅了するものが多々あるのである。私もまたベンヤミンの思想に魅了されたひとりであり、なぜ彼の思想に魅了されるのかを、なんとか自分の言葉で表現したいと願ってきた」(BR.189)。ベンヤミンのテクストに、何か読む者を引きつける力のあることはいうまでもない。
今村仁司がベンヤミンから受け取った強力なメッセージのなかで、最も重要なもののひとつは「星座」の概念である。「星座」はベンヤミンの教授資格審査論文『ドイツ悲劇の根源』の原文では、Konstellation ,Konfigurationというふたつのドイツ語が、ほとんど同じ意味で使われている。ベンヤミンの「星座」の概念はいたるところに見出されるが、一般には『ドイツ悲劇の根源』の最初の部分で述べられている、次のような考えがしばしば引用される。「理念と事物(事象)の関係は、星座(Konstellation)と星の関係に等しい。・・・もろもろの理念はそれぞれに、永遠不変の星座なのであり、そして諸構成要素がそのような星座のなかに位置する点として捉えられることによって、諸現象は分割され、かつ同時に、救出されている。」(ベンヤミン、浅井健次郎訳『ドイツ悲劇の根源 上』ちくま学芸文庫、p.33、以下DHと略記する。また原文については、Walter Benjamin,Ursprung des deutschen Trauespiel,Suhrkamp,1978により、UDと略記する。)
この「星座」の概念の起源については多くの説があり、ヘーゲル『精神現象学』においても見出した記憶がある。この「星座」の概念は、今村仁司の『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』においても、一貫して用いられている。それどころか、この著作全体が、星座という概念を使って書かれ、またその解読になっているといっても過言ではない。今村仁司はそのことについて次のように書いている。「世界は、いわば星座のなかの星たちであるから、星たちをつなぐ力の組織力が世界のなかにかくれて存在する。この星座を取り出すことが、歴史哲学の認識なのである。」(BR.31)問題はどのようにして「星座を取り出す」かということである。先に引用したベンヤミンの星座論にある「諸構成要素がそのような星座のなかに位置する点として捉えられる」ことがどのようにして可能になるかというかという問題である。
星が点として把握されるとき、「諸現象は分割され、かつ同時に、救出される」のでるが、そのばあいの「救出」は何を意味するのか。ここで使われている動詞はrettenであるが、それには宗教的な意味はないのだろうか。宗教的な「救済」という意味では、ベンヤミンはerlosenということばを使っている。(『ドイツ悲劇の起源』に「救済の光のなかで」im Lichte der Erlosungという表現がある。UD.145)また、「星」と「救済」というふたつのことばのあるフランツ・ローゼンツヴァイクの著書『救済の星』のことが想起される。ベンヤミンは、マルチン・ブーバーとかかわりのあったこのユダヤ人の思想家に深い関心を持っていた。サミュエル・ウェーバーは、ベンヤミンを論じた論文(Samuel Weber,Theatricality as medium,Fordham University Press,2004,p.160)において、『ドイツ悲劇の起源』に示されているギリシア悲劇とドイツ・バロック悲劇との違いについての記述は、ローゼンツヴァイクの影響を受けていると指摘している。サミュエル・ウェーバーのこの著作の第6章は、ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』における「アレゴリーと演劇性」をテーマにしている。この章の冒頭でウェーバーは次のように書いている。「『ドイツ悲劇の根源』においてベンヤミンはドイツの哀悼劇とギリシア悲劇との埋めることのできない距離を強調している。ギリシア悲劇は、ことばを語ることができず、語ろうともしない神話的・神政治的な秩序に対する<自己>の反抗を明白に示すものであるが、このような考え方は、誰よりもローゼンツヴァイクとその友人フローレンス・クリスティアン・ラングによるものである。」「救済」は特にわれわれには理解困難な概念であるが、とにかく今村仁司は彼自身の回答を提示している。


(つづく)

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今村仁司とベンヤミン (1)

<思想家の格闘>

すぐれた思想家の思想形成のプロセスには、過去もしくは同時代のほかの思想家との「格闘」があることが不可欠である。また、その人が見つめている現実の状況との格闘も不可欠である。たとえばルイ・アルチュセールの思想をたどってみると、彼がいかに時代の状況のなかでマキアヴェリ、マルクスと格闘して自分の思想を形成していったたかが感じられる。スチュアート・ホールは、アルチュセールのマルクス解釈に関して、「こんな解釈はありえない」と思いつつ、そのアルチュセールとまさに「生死を賭けて格闘した」と書いている。アメリカの哲学者C.S.パースは若いときにカントと格闘し、毎日数時間を『純粋理性批判』の解読にあてたため最後には、このカントの主著を暗記してしまい、そのカテゴリー論が間違っていると判断するまでになったという。今村仁司の仕事はきわめて広範囲に及んでいて、その全体像は容易には把握できないが、少なくとも彼がアルチュセール、ベンヤミンと格闘し、その経験を踏まえて自分の思想を形成していったことは確かである。東京新聞(2007年6月18日夕刊)・中日新聞(6月25日夕刊)に掲載された追悼文でも書いたが、今村仁司は私に対して、「私はアルチュセールの書いたものはすべて読んだ、そしてアルチュセールが読んだものもすべて読んだ」といっていたのである。今村仁司が格闘した主な相手がアルチュセールとベンヤミンであったことはいうまでもない。彼にとって格闘の形式は、解読と翻訳であり、その二つの作業は不可分であった。アルチュセールとの関係の考察は別の機会にゆずるとして、この小論は今村仁司とベンヤミンとの格闘の意義を考えようとするものである。
ほかの思想家との格闘の前提として、対象となる思想家の思想の力を客観的もしくは学問的に「認識」するだけでは十分でない。まず何よりも、相手となる思想家に徹底的に惚れ込んだり、立ち上がれないほど打ちのめされたりする、パッションにかかわる経験がなくてはならない。たとえばアルチュセールは、マキアヴェリの思想に接して「驚き」、ときには「賛嘆」(admiration)ということばさえ使っている。驚きがあり、賛嘆があって初めてその対象との格闘が始まるであろう。『マキアヴェリの孤独』のなかでアルチュセールは、マキアヴェリが「分類不可能」で、「把握不可能」であるとして、その活字をイタリックスにしている。「マキアヴェリの孤独とは、彼が分類不可能と思えるということである」とアルチュセールは書いている(Louis Althusser,La solitude de Machiavel,P.U.F.,1998,p.313)。マキアヴェリには、いままでの思想の型には絶対に当てはめることのできないものがあることに気付いたアルチュセールは、「分類不可能」(inclassable )という形容詞を使うほかはなかった。そしてその思想を把握することも不可能(insassisable)と思われたのである。こうした思考は、既製の枠にはは入らないものであるという判断が前提となる。
アントニオ・ネグリもまたスピノザの思想に驚きをもって接した。彼はそのスピノザ論である『野生のアノマリア』のなかで、しばしばスピノザについて「驚くべきことだが」ということばを挟みながら論じている。スピノザの思想はネグリにとって「アノマリア」、つまり「異常なもの」であった。たとえばスピノザの「神学・政治論」について、「疑いもなく驚くべきもの」だとしている(Antonio Negri,The savage anomaly,University of Minnesota Press,1991,p.92)。この「驚くべきもの」、「異常なもの」は、「見知らぬもの」であり、デリダのいい方を借りるならば「他者(別なもの)の侵入」である。この「侵入」(irruption)は、おそらくデリダが1895年頃のフロイトの思想から導入してきた「事後性」とも深くかかわる概念である。「事後性」は、過去のできごとや記憶(実際には存在しないばあいもある)をあとから修正したり、作り上げたりする作用のことであるが、そのときにその操作を可能にするものが「他者(別なもの)の侵入」であると考えられる。それまでの考えを否定し、破壊するものがあって初めて事後性は成立するからである。それは、「驚くべきもの」「異様なもの」というかたちをとって侵入してくる。この「他者」は、ばあいによってはフロイトのいう「不気味なもの」(das Unheimliche)になる。
1933年から39年まで、毎週月曜日の夕刻5時半からパリで行われていたアレクサンドル・コジェーヴの『精神現象学』の講義には、バタイユ、メルロ=ポンティ、ラカン、ブルトンのほかに、時には岡本太郎、アドルノ、ベンヤミンも出席していたらしいが、講義のあと、受講者たちはコジェーヴのことばの魔力に打たれて、茫然として会場を立ち去ったと伝えられる。その魔力の一端は、コジェーヴのいくつかの著作からもうかがうことが可能である。それは「魔術師」とさえいわれたコジェーヴのヘーゲル解釈が、たとえば、「ヘーゲルの思想には弁証法は存在しない」といった、異常で、聞く者にとってまったく思いがけない内容のヘーゲル解釈であったからでもあると思われる。さらに、デリダもまたベンヤミン、シュミット、フロイトと格闘した思想家であったが、彼のフロイトに対する態度にも「異常なものとの出会い」という感じのものがある。1995年に刊行されたデリダの『アルシーヴの病』は、「フロイトの印象」というサブタイトルのあるフロイト論であるが(この「印象」impression はレーモン・ルーセルの『アフリカの印象』のimpressionと同じく、多義的なimpressionであるが、このことについては私の旧著『引用の想像力』冬樹社,1991、p.126で述べてある)、そのなかでデリダはフロイトが1930年に書いた『文明の病』(これがデリダのフロイト論のタイトルの源泉である)の一節を引用する。そして、それについての解読をするにあたって、「この部分のレトリックと論理はきわめて巧みであり、めまいを起こさせるほどである」書いている(Jacques Derrida, Mal d’archive, Galilee,1996,p.22)。「めまい」(vertige)を起こさせるようなテクストは稀である。そして、そのようなテクストに接して「めまい」を感じることができる思想家もまた稀である。今村仁司はベンヤミンのテクストの魅力あるいは魔力を感じ取ることができる数少ない思想家のひとりであった。ベンヤミンの若い時期の論文「言語一般および人間の言語について」(1916)について、デリダはベンヤミン論である「バベルの塔」のなかで、「あまりにも謎に満ちていて、豊かであり、重層決定されている」(Derrida, Psyche,Galilee,p.211、邦訳は法政大学出版局『他者の言語』に収載されている)と書いている。


(つづく)

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第3回ロラン・バルト講座のお知らせ

いつも当ブログをご覧頂きありがとうございます。
好評を頂いておりますロラン・バルト講座ですが、
最終回のご案内をお知らせいたします。

最終回は”語り損なうために~〈新生〉の風景から~”と題し、
明治学院大学の原宏之氏をゲストに迎え、
ロラン・バルトが構想し未完に終わった小説『新たな生』を、
原氏の著作、『〈新生〉の風景』を手がかりにして、
晩年のバルトの思考を議論する予定です。
ぜひふるってご参加ください。




▼講 座 名 :我ら自身によるロラン・バルト
▼講   師:宇波彰(当研究所上級フェロー、明治学院大学名誉教授)
▼ゲ ス ト :原宏之氏(明治学院大学准教授)
▼開 催 日 :2008年3月22日(土)
▼開始時間:14時より
▼会   場:中野区立哲学堂公園霊明閣
▼アクセス:中野駅・新井薬師前駅より「池袋駅西口」「江古田駅」
       「丸山営業所(新井薬師前駅経由)」行『哲学堂』下車
       江古田駅より「中野駅」行『哲学堂』下車
▼受 講 料:1000円(実費)
事前申込不要 /テキスト不要




なお上記は全て予定となります。
来場の際には事前にご確認いただきますようお願いいたします。

稲見@ブログ管理担当

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『カラオケ化する世界』考

「カラオケ」については一度語りたいと思っていた。カラオケとはいうまでもなく「空(カラ)のオーケストラ」の略であるが、それはその言葉の響きとともに今日の様相を象徴的に映し出すありようそのものである。それがグローバル化して普及するとき、そこから見えてくるものは何か、その点で『カラオケ化する世界』(ジョウ・シュン+フランチェスカ・タロッコ著 青土社2008年)は結構面白かった。カラオケとはまさに情報通信時代における「コピー複製文化」の産物である。この本は、それがアジアなどにおいてどのような社会的・文化的意味をもつのか、その特徴をよく捉えている。ただし、発祥の地である日本でのカラオケのもつ社会的意味とその役割を深く捉えていないところがあり、日本との比較文化考という点ではやや物足りないところがあった。
 
その点に立ち入る前に、まず自分のカラオケ体験から語らなければならない。この私も何を隠そう、サラリーマンを曲りなりとも25年近くやったからカラオケとはあながち無縁ではなかった。いくら「正統派サラリーマン」ではないといえ、企業に属している以上、私といえども「付き合い」というものがあり、その一つが皆でカラオケへ行くことであった。日本の企業社会では意味性のある「コミュニケーション」を回避して(ハーバーマスの言う「コミュニケーション的行為」などはトンデモハップン)、「建前」と「本音」を使い分けながら「付き合う」ことがいわば処世術である。ただどこまでも仮の処世術だからその「付き合い」は実際には企業構成員の内面に愚痴などのギクシャク感情をともない、それは結果として企業活動の人間関係にも支障をきたすことになる。そこでそれをセラピーするために「ノミニケーション」などの手段が動員されるのだが、ほかでもなくカラオケも企業社会内部に発生する人間関係のギクシャク感情をとにかく一時的に溶きほごす潤滑油的な手段である(あった)。
なぜ、日本ではカラオケは潤滑油的な手段になりえるのか、それはカラオケで人々は「歌」を歌っているわけではないからである。私のカラオケ体験が1990年ごろまでであったこともあり、それはあまりに一面的な私の見方であるかもしれない。ただ、そのようにあえて言う理由は、カラオケで歌われる、典型的な歌謡曲の様式と「空(カラ)のオーケストラ」の特性にある。
もちろんカラオケでは、ここでもっぱら取り上げる歌謡曲だけでなく、ポップス、フォーク、ロックなどさまざまなジャンルの「音楽」が流される。以前はカラオケとはもっぱら中高年層が歌謡曲を自己充足的に集団で「歌う」場のイメージが強かったが、現在では若者が屈託なく自分の好きな曲をただただ「歌い」、楽しめる場へと変貌しているところもある。その点では、カラオケへ行く人々の様相は今や多様であり、一義的に何か意味づけをおこなうことは実態とかけ離れる危険も伴う。この『カラオケ化する世界』の主題もカラオケにまつわるグローバル世界における多様な様相、実情を描き出すことにある。ただ「一面的」であるという謗りを免れないことをあえて承知して、このカラオケの源基形態が「中高年層が自己充足的に歌謡曲を歌う場」にあったとすれば、そこからカラオケのエッセンス(本質)というものを抽出しておくことは、今日のポストモダン状況のありようの一端を解き明かす上で重要な作業のように思える。何といったってカラオケはコピー複製文化の台頭と軌を一にした今日の情報通信の所産なのだから。日本の場合、それに企業のコンフォーミズム文化がうまく融合していることが大きな特徴であるが…。

歌謡曲の歌詞は、「酒場」、「港町」、「涙」、「人生」、「女(ヒト)」など、誰もが一見了解可能な言葉(もちろん名詞だけでなく、形容詞も含めて)の記号の集積(羅列)から成立しており、極端に言えば歌詞はいずれの言葉にも置換可能である。要はそこには格別の実体的意味性はなく、ただ人々は一見了解可能な言葉の様式(フレーズも含めて)にゆだねて自己充足している。皆、歌の意味そのものよりも、様式(フレーズも含めて)のもつ安心さにゆだねることに心地よさを感じているのである(その限りで言えば、イタリアオペラなどにもそういう要素はあるが・・・)。
ところで、様式性(形式)で成り立つ同じ歌謡曲であるが、昔、飲み屋で流しのギターの伴奏でよく歌ったことを懐かしく思い出す。それはナマの伴奏で、しかも肉声で、そこにはともかくも自力で歌っている感慨があった。下手でもとにかく肉声、ナマの楽器の音を発するがゆえに、「歌謡曲とはいえども」バカにはできない、何かある協働的な表現行為があった。
その点で言うと、カラオケで歌謡曲を「歌う」人々を見ると、そして、そこでの空(カラ)の伴奏とマイク(エコー)という機器類による人工的補充を見るにつけ、その彼らは「歌を歌っているわけではない」という思いにすら駆られる。この違いは途轍もなく大きい。ご当人はただでさえ歌謡曲のもつ置換可能な記号の羅列(様式)に心地よさを感じているのに、これにカラオケ演奏とマイク(エコー)という人工的な手段が加わったら、それは、協働的な表現行為というよりも、自己陶酔→自己充足という閉鎖的な「自己空間」の一丁上がりである。「ただリモコンのボタンを押すか、スイッチを回すだけで、すべての夢は現実となる。テクノロジーは魔法であり、カラオケは奇蹟を起こす。「自分でやること」「マイクで歌うこと」は、自分が何がしかの満足すべきことをやり遂げたという幻想を生み出す」(本著)。これはもうエコー(増幅)と「カラオケ」ゆえの豪華な伴奏の力(オーディオ・ビジュアル機器)の何物でもない。一瞬当人の置かれている現実的地平よりもはるか先に夢のごとく気分よく運んでくれる。これがすべての魔力(幻想)の源泉である。「皮肉なことに、人前でこれ見よがしの態度を取れることこそ、カラオケの大きな魅力である。礼儀正しさが何よりも重視され、慎ましさが美徳とみなされる文化(注:日本の文化)において、カラオケは人間のエゴを加速する機会を提供するのである。[・・・]つまり「自分が主導権を握っている」という感覚を提供するのである」(本著)。
カラオケで歌謡曲を気持ちよく「歌っている」オジサンたちを見ていると、この描写はまさにピッタリである。ここには日本の企業風土の窒息しそうな雰囲気から一時的に開放された姿(愚痴の一挙的転換による憂さ晴らし)があり、この点にカラオケの効能がある。でも実に奇妙な効能である。

まずは、企業の場合、「とくに新入社員や女性社員にとって、カラオケは実際に社内の強制活動」(本著)の面は当然あるが、ともかく一度に集う(席を同じくする)ことに意味がある。そして、次に誰もが日頃の上下関係を離れて主人公になることによって、それは日頃欠けている「コミュニケーション」の補充物になる。一緒にいることが何よりも重要なのだが、銘々は勝手に自己充足する、この共存(同席)のおかしさ。もちろん、そこでは意味のある実体的な会話をする必要のないことが肝要である。それでは、目的とする潤滑油の「コミュニケーション」にならないからだ。だから、歌としては、実体的な意味をもつ歌詞などではなく、記号の羅列のような、フィクションの歌詞のほうが望ましい。そして、それにそれぞれが主人公になれる仕掛けがあれば・・・。
日頃地味で目立たない社員(とくに女性)などは、もちろん隠れたる本能が発揮される面もあるが、この仕掛けのおかげで急激に「変身」できてしまう。時にその「パフォーマンス」が大受け(バカ受け)して、ご当人はそれにより大いなる自信をもち、日頃の職場のコミュニケーションはうまくいくというわけだ。これほどアッパレなことはない。
思い起こすのは、接待におけるカラオケの効用である。酒の接待よりも客をカラオケにつれて行くことのほうがはるかに気分的に楽だった。なぜなら、酒だと少しは実体的な、意味のある会話をせざるをえないことも時にあり、客相手では苦痛になることもあるが、カラオケではご当人が勝手に気持ちよくなってくれて、こちらは何もせずにすむからである。
この絶妙なバランスの効能がカラオケにはある。カラオケにおける、日本の企業社会のコンフォーミズム文化とコピー複製文化の融合。それこそがカラオケを描くに当たって描き出すべき第一の要素であった。

ところが、本著で描かれている東南アジアにおけるカラオケに対する人々の熱狂振りなどを見ると、私のカラオケに対するやや否定的で、シニカルな見方、事情は一変する。情報通信機器の高度化-カラオケ文化のグローバルな伝播による安上がりなコピー複製「音楽」の出現で、彼らは一緒に容易に歌う機会をもてるようになった。そのことのもつ意味は東南アジアの人々にとっては限りなく大きい。いわば娯楽としての音楽の大衆化、平準化。金のかかる伴奏者(オーケストラをはじめとする楽器演奏者の存在)がなくとも、カラオケがそれを極めて安い費用で賄ってくれるから、彼らは「伴奏つき」で歌えるようになる。これはコピー複製だからこそ可能になることで、この意味は日本と東南アジアでは決定的に異なる。東南アジアではカラオケで曲が聞こえれば、一斉に皆が歌いだす。その情景は手に取るようにわかる。彼らは私が揶揄するカラオケ-コピー複製「音楽」のもつ人工的な否定的イメージなどはもろともせず、歌うという自らの表現方法を堂々と獲得しているに違いない。「貧しさ」、底抜けの明るさゆえにカラオケは立派な表現ツールになった。
グローバル化時代では、カラオケは移民労働者にとって自己のアイデンティティを再確認する重要な手段になっている。それほどカラオケのもつ意味は大きい。ここで描かれる、カナダへ移民した中国人のコミュニティ、群馬県・邑楽郡大泉町(工業団地)の出稼ぎ日系ブラジル人のコミュニティ、彼らはコミュニティのカラオケで歌う機会がなかったら全く救われないという印象すら受ける。「週末の間、大泉は日本中から集まる若い日系人が溢れ、彼らはATRやチョッペヴィデオなどのナイトクラブに集まって、サンバを踊ったり、カラオケを歌ったりする」(本著)。この雰囲気は街の情景とともに、ちょっとは実感できる。20数年前以上、私は仕事でこの工業団地に泊りがけで出かけ、そのころはまだ数は少なかったが、そうした兆しに遭遇していたから。

一体「歌う」という行為はどういうことなのか・・・



(2008年2月29日)

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