宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

魔術的自然 (上)

ジャン・パウルの『宵の明星』のなかには、ドイツ・ロマン主義の特徴的なものが最もはっきりしたかたちで現れているように見える。たとえば、この作品のなかには「インドのエデンの園」という表現を見出すことができる。これは、サイードが批判したようなオリエンタリズムのひとつの表現と見ることもできるかもしれないが、しかしここでは東方を一種のユートピアとして見ようとする意識が働いていると考えることも可能だろう。「インドのエデンの園」は、具体的・現実的な場所ではなく、幻想の領域で構想されたものにほかならない。
そしてこの『宵の明星』においては、いたるところで「法悦の歌」が鳴り響いている。ことばによって書かれた作品でありながら、音楽があまねく存在する。また、エコロジー的という形容では描写しつくすことのできない、緑に満ちた環境世界のなかで、何か芳香を発する物質が偏在しているようにも感じられる。ウィトゲンシュタインが設計した家のように、あらゆる感覚が重なり合って刺激される作品、それがこの『宵の明星』であるように思われる。そして、ジャン・パウルの作品の登場人物と読者が経験するのは、すでに感覚的快楽のレヴェルをはるかに超えたものであり、法悦の境地、恍惚の状態に近付くものである。こうした頂上体験のなかで、たとえばエマーヌエルは死を迎えることになるのであり、したがってエマーヌエルの死には死につきまといがちな暗いものが欠如している。この作品においては、亡霊たちがどたばた騒いでおり、死んだ人間たちがあちこち飛びまわっているのであり、生者の世界と死者の世界の境界は問題とされない。「エマーヌエルの恍惚忘我の境は生をはるかに超えていた」とジャン・パウルは書いている。

この恍惚状態は、登場人物の内面の側だけの作用で生じるものではない。『宵の明星』において特徴的なことは、登場人物が自然の世界から作用を受け、その作用に対して反作用を重ねていくプロセスのなかで、しだいに興奮がたかまっていくところにある。ジャン・パウルは、失神した者たちが経験する、「懐疑的な作用をおよぼす神経の恍惚状態」について語っている。現代人ならば、こうした精神状態はドラッグやスピードによって得られるものであるかもしれない。しかし、ジャン・パウルの作品の登場人物たちは、そのような人工的・機械的な手段を必要としてはいない。彼らは、異常な魔力のようなものを持つ自然のなかで徐々に神経を麻痺させていく。たとえば、旅に出たヴィクトルは、森のなかで次のような体験をする。「視神経が麻痺し、漂う色彩の薄片に先導されながら、彼は暗いドームのような森のなかへ入って行き、彼の心は気高くなり、敬虔な祈りにまで高まった・・・・・・」
ヴィクトルの視神経は、ドーム状の森のなかへ入る前からすでに麻痺してしまい、目の前には色のついた何か薄片のようなものがちらついているのである。「彼を遠くから見ていた者は、彼を狂人と思った」が、しかしヴィクトルは「かき傷をつけた顔を丈の高い、ひんやりとした草に押しつけ、陶酔しながら、春の不死の母の胸にぶらさがった」のである。
いたるところに神経の麻痺があり、恍惚状態があり、限りのない気分の高まり、陶酔がある。おそらくエマーヌエルの臨終のシーンはこうした意識状態の高まりの頂点であり、『宵の明星』それ自体の頂点であると言えよう。ジャン・パウルには、限りなく高いところを目指し、ついに山頂に立って陶酔の状態に入るという感じを与えるものがある。それは、高さや頂点を目指すコンプレックス状のものの表現であるが、そこにはつねにその人物を取りかこむ自然がある。

『宵の明星』をフランス語に訳したのは、『ロマン的魂と夢』の著者であり、『幻視者バルザック』の著者でもあるアルベール・ベガンであった。フランスにおけるドイツ・ロマン派研究の系譜については別に考えなくてはならないであろうが、少なくともペガンの業績を踏まえて書かれたと思われるドイツ・ロマン派文学論のひとつが、マルセル・プリオンの『ロマン派のドイツ』(Marcel Brion、L’Allemagne romantique、Albin Michel、1963)
であろう。全三巻から成るこの大作の第二巻は、ノヴァーリス、ホフマン、ジャン・パウル、アイヒェンドルフを論じている。そしてアルバン・ミッシェル版のペーパーバックの表紙には、C・D・フリードリッヒの「朝日の中の女」の一部が用いられている。
このフリードリッヒの作品のなかの女性はうしろ姿で立っている。そして遠い山の向こう側にある太陽の光を見つめている。太陽それ自体は描かれていず、黄色い筋になった光線が見えるだけであるが、その女性は両手を少しあげて、じっと立ちつくしている。私には、この女性が一種の陶酔状態にあるように思われてならない。
またイギリスの批評家テリー・イーグルトンの新著『美的なもののイデオロギー』(Terry Eagleton、The Ideology of the aesthetic、Basil Blackwell、1990)は 、美的なものと精神的なものとが結びついているだけではなく、さらにそこに政治的なものもわかちがたく接着している近代西欧の意識構造を、カント、ニーチェ、フロイト、アドルノなどの思想とからませて論じた著作のように見えるが、そこにもC・D・フリードリッヒの作品が表紙に使われている。それは「雲海の上の旅人」というタイトルの作品である。この作品においても、「朝日の中の女」と同じように、ステッキを持って雲海の上の山頂に立つ男はうしろ姿しか見せていない。彼は、わき上がる雲の向こう側の高い山を見つめている。この男もまた、「朝日の女」のなかのうしろ姿の女性と同じく、巨大な自然の持つ魔術的な力によって麻痺させられて動けなくなってしまっている。

(続く)

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二つの論文の行方

今年(2008年)の4月から6月にかけて、私はジャック・ラカンにかかわる二つの論文を書いた。一つはラカンのル・サンボリックについてのもので、もう一つはラカンがフロイトから継承してきた「事後性」の問題について考察したものである。ところが相前後して起こった異様なトラブルで、この二本の論文は当分のあいだは公表されない状態に置かれることになった。そのトラブルは、私的なもののように見え、実際にそうであるかもしれないが、同時にこのできごとは、少し時間がたてば哲学的に、つまりまさに「事後的に」考えることもできる問題なのかもしれない。
この二つの論文の発表を待っているひとがいるのを私は知っている。私自身があちこちでこういう論文を書いたと宣伝しているからである。そこでここでは、なぜほとんど同時に私の二つの論文が「ボツ」になったのかを書いておきたい。

一つの論文のタイトルは『ラカンの記号空間』である。私は以前からラカンの「ル・サンボリック」を「象徴界」という日本語に置きかえることに反対であったが、それに代わる適当なことばがないので、「ル・サンボリック」と表記することにしてきた。この論文では、試みに「記号空間」ということばを使ったが、それはル・サンボリックのことである。「記号時空間」という訳語も頭にあった。
この論文は、Aさん、Bさんという二人の編者(ほかにもいるかもしれないが私には分からない)によって編まれる論文集に収められるはずであり、Aさんからの依頼があった時もそのように承知していた。この論文は、ラカンのハムレット論を中心に論じたものである。フロイト以降のオィディプス・コンプレックス重視のハムレット論をラカンがいかにしてガートルードの欲望を中心とする解釈に変えたかを考察したのである。私はかなりの力を込めて書いて、その原稿をAさんに送り、またメールでも「添付」して送ったが、まもなくAさんから届いたメールは私をビックリさせた。そのメールによると、Bさんの意見として、私の文中に「穏当を欠く」ところがあり、ある部分を数行にわたって「割愛」せよというのである。(Aさんのメールは私信であるからその内容をそのまま伝えることはしないが、「穏当を欠く」とか「割愛」ということばそのものは、そのメールで使われているものである。)私はあまり自己主張をする人間ではない。もめ事がある時は、むしろ「長いものには巻かれろ」という気分で対処する。もめことが嫌いであり、ひとと争ったり、喧嘩するのはいやである。要するに気が小さいのである。文章を書いても、たとえば「編者の意向」というものがあれば、なるべくそれに沿うようにしている。実際、私は昨年(2007年)、『像と言語』というかなり長い論文を書き、それはある学会の年刊誌に掲載された。しかしその論文については、その学会の会長であり、またその年刊誌の編集責任者でもある方から、何度も修正・削除・書き直しを求められた。しかしその時に私は、その方のやり方にいかなる不満もなかった。その方の私に対する要請は非常に丁重であり、説明も丁寧だったからである。要するに礼儀にかなった要請だったのである。
ところが、私の『ラカンの記号空間』については、まったく異なった状況になった。私には「穏当を欠く」ということが何のことか分からず、また「この数行を割愛せよ」という高飛車で一方的な「命令」がAさん、Bさんになぜ可能なのかがまったく分からなかったのである。私は「編者」の要求が礼儀にかなったものであれば、いかなる抵抗もしないでそれを受け入れるであろう。それは『像と言語』において実行されていることである。しかし『ラカンの記号空間』では、Aさん、Bさんが私の論文の一部に不満であることは分かり、またそこから削除してほしい部分があるということは理解したが、それを相手である私に依頼する「礼儀」がまったく欠如していたのである。私はAさん、Bさんの私への「要求」そのものに異議をいうつもりはなく、二人の言語表現のあり方に問題があると感じた。
言語には事実確認的(constative)なはたらきと行為遂行的(performative)なはたらきがあると説いたのは、若くして亡くなったイギリスの哲学者J.L.オースチンであった。この二分法ではカバーしきれないものがあることは事実だが、Aさん、Bさんからの私へのメッセージは当然のこととして「行為遂行的」な言説によってなされなければならない。つまり私がこの二人の意向に従って、文章を削ったり書き直すことができるようなものでなくてはならない。しかしAさんがBさんの意向を汲んで私に送ってきたメールは、そうしたはたらきとはまったく反対の効果を持つものであった。Aさん、Bさんはそうでないと思っているに違いないが、そのメールを受け取った私は、最初はビックリし、それから急に怒りがこみあげてきた。私はAさんに手紙を書き、「あなた方に言い方は礼を失しているので、私の論文を撤回する」と伝えた。Aさんからは弁解のメールが来たが、私に容認できるものではなかった。Aさんは電話もかけてきたが、話しているうちにだんだん怒りがひどくなり、とうとう怒鳴ってしまった。
その時いろいろ言ったが、Aさんは私の論文の内容について語っているのだが、私はAさんの言語の使い方、つまり「礼儀」のレベルで話しているので、コミュニケーションは成立せず、私の怒りのことばが空しくひびくだけであった。その時に感じたのは、私には「怒りのボキャブラリー」がまったく欠けているということであった。自分が怒っていることを相手に伝えるためには、むやみに大声をあげたり、わけの分からないことを怒鳴る以外はないことが分かった。
その後Bさんからも謝罪文と覚しき手紙が届いたが、その内容は基本的にはAさんの電話と同じであり、私の論文に対する意見などが主眼のように見えた。私は論文の内容について言っているのではなく、Aさん、Bさんの私に対する礼儀の欠如を問題にしているのが、二人には分からなかったのである。
私はAさんはよく知っているが、Bさんのことはよく知らない。しかし専門領域では「一家をなしている」著名な人であり、彼女を知っている人からは「Bさんはあなたにそんな失礼なことを言う人ではなく、あなたの誤解ではないか」と言われた。しかし別の友人からは、「それはまったく失礼な話だ」と慰められもした。試みに4人の友人(全員女性)にこの論文のコピーを送り、「穏当を欠く」部分があるのか、割愛(削除)すべき部分があるのかを問い合わせてみたが、そのうち返事のあった二人はいずれもAさん、Bさんの意見に否定的であった。
このようなやりとりがあったが、結局のところ私の『ラカンの記号空間』は、私が「撤回」せざるを得なくなったために、掲載されないことになった。

もう一つの論文について書いておきたい。これはラカンの「事後性」の概念について論じたものである。これはDさんという人の翻訳した一冊の本に「解説」として収める予定だったもので、私はすでにその原書を読んでいるからと言って引き受けたのである。ラカンの「事後性」の概念はフロイトの考えの展開であるが、それがラカンのいう「シニフィアンの優位」とどのようにつながるのかを論じたものである。またこの「事後性」とベンヤミンの考えとを結ぶ作業も少し試みた。これも制約された時間の中で、「寝食を忘れて」とまではいかないものの、非常な力を入れて書いたものである。そしてでき上がった50枚超の原稿を出版社に渡した。
ところが、Dさんによる肝心の翻訳の校正刷りを見て私は顔面蒼白になった。およそ「翻訳」とはいえないシロモノだったからである。原文の構文の理解がまったく不足しているので、読んでも意味が通らず、単語を丁寧に辞書で調べるという最も基本的な作業をしていないので、いたるところに「ケアレスミス」(本人のことば)がある。訳していない部分さえある。Dさんはほかにも立派な翻訳の仕事をしているのであり、実力がないとはいえない。つまり、「手を抜いた」のであり、「たかをくくった」のである。適当に訳しておけば、日ごろ親しく付き合っていて、とても温厚で優しい人(私のことである)が何とか直してくれるだろうと思っていたようだ。
冗談ではない!そんないいかげんな仕事をして、私がそれを認めて「解説」を付けるなどと考えていたとすれば、それはAさん、Bさんと同じ、あるいはそれ以上にまったく「失礼」な話なのだ。私はDさんに会って、大きな声で怒鳴った。「こんなものは翻訳ではない!」そして私は即刻に「解説」の原稿、つまり私が熱中して書いた『事後性論』を撤回した。このばあいもDさんには、想定される読者、出版社とその担当の編集者、そして解説担当の私に対する「礼儀」の意識が欠如しているのである。誰だって翻訳に誤りをすることがある。しかし限界というものがあるのであり、Dさんの仕事はいわゆる「やっつけ仕事」としか言いようがない。

こうして私の二本の論文はとうとう二本とも活字にならないことになってしまったのである。私の怒りはまだ収まらないが、それをどう表現していいのかも分からないので、このような変な文章を書いてブログにアップすることにしたのである。(2008年7月12日)

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言葉なんて覚えるんじゃなかった β0.61

唐突だけど僕はアニメが大好きだ。自慢じゃないが、本当に自慢じゃないがここ20年間アニメを見なかった日はない。だから、どうしてそんなに好きなの?とよくたずねられるがそのたび適当にごまかすようにしている。私がどうしてそれを好きなのか?を考えることはそれこそ哲学であると思うのだけれど、それについて考えること、ましてや何らかの答えを出すことは自分の楽しみを奪われてしまうような気がするのであまり考えないようにしてるのだ。そしてここからが書きたいことだけれども、どうも僕はアニメの顔が苦手なのだ。前頭結節までえぐりこむ巨大な眼球、肥大した頭蓋、下顎骨にいたってはあるのかどうかも疑問なあの変形した造形。どう考えてもグロテスクなそれを僕はどうやら愛しているらしい。今日はそんなことを書いていこうと思う。
まずは噂話から入っていこう。哲学者ルネ・デカルトが娘、フランシーヌの死後その名をつけた精密な人形(オートマタ)を携帯していたという伝説だ。これらは全く荒唐無稽な話だけれども、根拠のない話でもない。フランシーヌは彼の奉公人、ヘレナ・ヤンスに生ませた娘であり、彼が認知した唯一の私生児であった。また当時としてはかなり高齢(35歳)で生ませた子だけあって溺愛といって過言ではない愛し方をしていた。しかしフランシーヌはわずか5歳で亡くなってしまう。論敵が多く女好きかつ博学で攻撃的なデカルトは当時から社交界の有名人であり行動はいつも秘密主義的な性格もあいまって彼にはいくつもの噂や伝説、あるいは誹謗中傷がささやかれていた。またドイツらしいロマンティックな神話をモチーフにした精巧な人形を世に送り出していた同時代の伝説的オートマタマスター、ハンス・シュロットハイムの作品の作品をデカルトはかなり気に入っていたようで、その証拠に彼ないし彼の周囲のマイスターが作ったと思われるオートマタについてデカルトは『知能指導の規則』の中で触れるほどであり、そうした嗜好もこの噂話にもっともらしさを付加していたのだろう。さらにデカルトは青年のころ傭兵として享楽と血の生活を送っていたのだが、そうした戦場でしばしば略奪を繰り返していた。もっともそれは彼の性格からによるものではなく、当時の傭兵の報酬は主に戦場での略奪品であったからなのだけども。実際もうひとつ伝説を挙げさせてもらうとヨハンネス・ケプラーの師であるティコ・ブラーヘが制作したというすべてのものを測ることが出来るという錬金術的な触れ込みを持つ照準機(la machine)をプラハで略奪し所有しているという噂もあった。それは彼が炉部屋で瞑想していたの傍らにあり、「驚くべき学問の基礎」はそれによって発見された、という。なかなかロマンティックな噂だけども、これは後日改めて書くことにしよう。いずれにせよこうした冒険主義者デカルトの行為がこれら伝説の素地になっている。
話を人形に戻そうか。さてこの人形伝説は同時代人にとってあまりにスキャンダラスでエロチックで退廃的であったらしい。そりゃそうだ。そもそもキリスト教では人形は忌むべき旧世界の象徴であり、「偶像」であり、しかも亡き娘が動きしゃべる、つまり死者の復活を連想させる行為は反キリスト的、悪魔的だといっても過言じゃない。復活はイエス・キリスト以外やっちゃいけないのだ。おそらくこの伝説は彼が薔薇十字団員を自称していたり、貴族相手にベッドからベッドへ飛び回ったり、決闘マニアだったりという様々な奇行や攻撃的な性格が人々の好奇心でシンセサイズされてこうなったのだろうけど、僕が面白いなと思うのはこのの伝説がネットでは事実のように語られることが多いことだ。実際、周りの友人にこの話を本当だということにして話してみると実に反応がよく話している僕も嬉しくなってしまう。何がこんなに僕らの心をとらえて離さないのだろう?おそらくそれは人形が見られるだけに存在することに原因があるんじゃないか?
ジャック・ラカンは「視的欲望」という言葉を使いこう説明している。赤ん坊は最初「見られる」という受動的欲望で世界を確認するが言語の習得により「自我」が世界を「見る」という能動的な所有の欲望に変化していくんだと。だから人間は他者に対して所有しよう、しあおうという欲望は持てても、所有する、されるという欲望は実現しないのだと。けれども僕らは人形に「見る」という欲望を純粋かつ完全に投影することが出来る。何しろ人形は僕らを見ることが出来ないからね。言い方を換えるとこういうことだ。「見えない」という虚構は「見る」という有限な欲望を格納することがいくらでも出来るのだと。なるほど、人に意味も無く見つめられていると僕らはなんとなく息苦しくなるけども無機物の人形相手にそれを感じたことがない。人形には確かに眼はある。しかしその眼は虚構なのだ。一方な欲望が可能になる。これほどの快楽はそうはない。アニメの眼がでかいのは大きければそれだけ虚構へのアプローチが楽だからだろうし、僕らの欲望に最適化している証なんだろう。映画は動いているものを動いているかのように再現することがその始まりだった。けれどアニメーションはもともと動かないものを動かすのがその始まりであった。事実フェナキスティスコープやゾーイトロープ、その進化したプラキシノスコープでの主なコンテンツはカートゥーンであり、現実の再現やドラマを鑑賞する快楽より無機物が動くという驚きに観客(あるいはユーザー)は重きを置いていたのだ。映画の諸行為が「見る」という主体的行為に集約されるのに対し、アニメーションの諸行為は「見られる」に、幻想にこそ本質があるんじゃないだろうか?実際、巨大な眼球以外にも非現実な頭部と現実的な肉体を接続し人間だと了解させる映画や写真には不可能なシステムも受動のみであれば可能になるのだ。それは僕らが清潔な欲望を欲望しているともいえるだろうね。
ここで唐突にメイドの話をしてみたくなった。何せこの文章思いつきで書いているので若干の構成破綻は勘弁して欲しい。けれど理由はある。メイドというシステムをアニメやマンガに導入したのが誰か僕は知らないけども、実に視的欲望に最適化したシステムだと思うのだ。メイド服を着用することでメイドだと自動的に認識される諸サービス、これらはあまりに暴力的で美しく本来ならばイデオロギー論として論じるべきなのだけど、ここでは本論に関連していることを短く指摘するのみにしたい。それはメイド服を着用したものが短く発する「ご主人様」についてである。彼女たち(あるいは彼ら)がそれを他者に向けて発する第一義は比較的はっきりしている。私の所有者であり上位の方、である。私はあなたの欲望を受動しますので、あなたは能動的に私を欲望してくださいね。しかしここで注目したいのが「ご主人様」が特定の個人を指さないタームであることだろう。実際メイド服を着ている多くのものにとっては「私」はだれかの所有物ではないし、奉公人でもない。まして能動的な視的欲望の対象だと思ってもいないだろう。むしろ自らへの視線を所有したいという能動的な欲望がメイド服を着るという動機を支えている。しかし発話される側にとってそれは致命的である。それをクリアするための方法論が「ご主人様」の発話を生み出したと考えられる。すなわち私の所有者であり上位の方でありながら交換可能な複数の主体をさす語としてこれ以上都合のいいタームはないだろう。「ご主人様」は互いが「見られる」という幻想を了解して初めて成立可能なシステムである。そしてこのシステムは全く異なる欲望を複雑に自在に接続しているのだ。
かつて世界が単純であったころ、記述が少なく伝達手段も限られていたころから僕らは世界を所有したいという欲望を抱いていた。世界が解ることは世界の所有者になることであって僕らの能動的欲望の究極だからだ。しかしその頃でさえそれは不可能な欲望だったが可能性があるようには思われていた。多くのイデオロギーが世界を説明し信じてさえいればある程度はその欲望は「気散じ」できたものだ。しかし現代においてそれは大変難しくなっている。利用可能な情報量を1年から2000年までと2000年から2005年までで比較するとほぼ同一量だといわれており、全ての情報にアクセスするどころか編集することすら困難である現代において、もはやほんの数十年前まで可能であった「気散じ」が僕らには不可能になっている。だからといって能動的欲望が減ったわけでもなく、むしろこうした情報オーバーロード(Information Overload)によって不可能な所有が増大したからこそ、よりその欲望を満たそうとして利用価値の最適化を志向し強度の強いディスクールや人形を作り出している。ネット右翼なんてのはまさにその象徴ですよ。彼らのディスクールが非常にスキゾフレニックで小児的なのは偶然ではなく必然なのだ。少なくとも理性じゃない。だって所有したいという欲望がかなえられないんだもん。そんな世界、あまりにつらすぎるっしょ。
ブーレーズ・パスカルはパンセの冒頭で「幾何学的精神」と「繊細の精神」との違いを述べている。正確で明白な唯一の答えを求めるのが「幾何学的精神」であり「繊細の精神」とは答えを求めることを前提としながらも原理は使用のうちから直感的に紡ぎだされる微細で多数なこと、そのものだと。そして「繊細の精神」とは「すべての人の目の前に」(devant les yeux de tout le monde)あるのだと。なるほど情報の爆発の中もはや僕たちは正確で明白な唯一の答えに接近すらできず、反動として正確で明白な唯一の答えを欲望し、捏造し続ける。言語、暴力、技術、翻訳、ファシズムetc。だから僕は言いたい。もう答えなんて求めるのはやめようと。廃品の中に星座を見つけ夜空を渡ろうじゃないか。言葉にできないもの、伝えられないこと、硬くなった答えから新しいことはやってくるものだ。絶望もあるだろうけど、希望もその中にあるのだ。正しいか?正しくないか?とは違う形で長く続く未来のなかでずれ続けることこそが僕らと欲望が共存できる唯一の方法じゃないかと思うのだ。

さあ、端末のスイッチを切って僕と一緒に夜の街で遊ぼうよ。


(参考文献略)

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13年後

いまから1年前、1995年のことであったが、長野県の諏訪温泉に泊り、次の日に諏訪神社を訪れた。有名な御柱祭はその年には行われなかったが、その舞台になる場所を見たかったからでもある。その近くには、これもまた有名な「万治の石仏」があって、それよりも前に学生たちと見に行ったことがあったが、それも再び見るつもりであった。ところが雨が降り出してきて、石の階段で文字通りのフォールガイとなり、右膝の「皿」を六つに割る大怪我をしてしまった。救急車で病院に運ばれると「重傷ですね」といわれた。なんとか東村山の家まで帰り、近くにある新山の手病院に一ヶ月以上も入院して手術・リハビリをする羽目になった。その病院は、大岡昇平の『武蔵野夫人』でも描かれている、八国山という丘の中腹にある。映画「となりのトトロ」で、母親が入院している「七国山病院」のモデルになった病院でもある。もともとは結核療養所だったが、結核患者が減少して、普通の病院になったと聞いている。病院のひとはみな親切であり、また患者からいかなる贈りものも受け取らない。足が不自由なだけだったから、昼間はゆっくり本を読み、夜は8時消灯なので、イヤフォーンでラジオを聞いているうちに眠りに落ちた。意外な人が見舞いに来てくれたりした。
そのときの、つまり13年前の古傷が今年の3月になって急に痛み出し、一時はほとんど歩けなくなった。整形外科の医師は「変形性膝関節症」だといって、とても痛い注射(ヒアルロン酸)をしてくれたが、そのおかげで膝の痛みはどうにかおさまった。人間にとって「歩く」という運動能力がどれほど重要かが痛感された。また、駅などのエレベーターや、エスカレーター、階段の「手すり」などが、足の不自由な人にとって非常に役立つものであることもよくわかった。
膝の治療をしているときに感じたのは、いわゆる「後期高齢者」の医療費問題の不可解さである。医師も薬剤師も同じような不平をこぼしていた。また、年をとってくると、体が不調になるのは当然であり、医療費が重くのしかることになる。私が週に一度通っていた整形外科医院で、患者であるかなり年をとった女性と受付けの女性とのやりとりを聞くともなしに聞いていると、患者が「今日は先生に診察していただかなくてもいいですから、薬の処方だけ下さい」といっている。受付の係りの女性は「この前お出でになったのが一ヶ月前ですから、今日は診察してもらいなさい」という。二人はしばらく押し問答を繰り返していた。この患者は、「診察」のための費用を払うのを避けたいのである。
後期高齢者の医療費負担が1割だというのは、半分は間違いである。かつてサラリーマンであったような、普通の年金を受け取っている「高齢者」の多くは3割負担である。ラジオやテレビで、よく下調べもしないで物知り顔に高齢者の医療費について語るひとがいる。先日もTBSの「アクセス」という夜10時からのニュース番組で、キャスターが「後期高齢者の医療制度が4月15日から始まりました」といっていた。4月15日から始まったのは年金からの天引きのことである。相手の女性アナウンサーもその誤りを訂正しない。(ついでに書いておくと、この番組にときどき登場する宮台真司の「えらそうな」口のきき方にはどうも反感を覚える。)しかし、こういうことも、自分が「後期高齢者」になったからわかってきたことである。「そのひとの立場にたって」ということがよく言われるが、なかなかそれは難しいことがわかった。ちなみに、私も隣家の「後期高齢者」も4月の年金からの天引きはなかった。(6月にもなかった。)市役所からは、何も連絡がなく、いついくら天引きするのかまったくわからないのである。また、私の膝の痛みを和らげるヒアルロン酸の注射であるが、7回までは保険がきくものの、それ以降は全額自己負担になるという。その注射は一本3000円弱である。そういう制度の存在そのものもわれわれは知らない。だんだんと「情報」が伝えられない時代になりつつある。その上、相手に自分のいうことを伝えようという意識そのものが薄くなりつつあるような気がする。
最近、ある大学の教師をしている友人からメールが届いた。学会の報告の司会をしたが、若手研究者たちの報告に、「原稿の棒読み」が多くなったことを嘆く内容であった。私はときどき放送大学の「講義」を聞く。とても面白いものがある。しかし、なかには「原稿の棒読み」がある。小林秀雄は講演の前に落語を聞いて、どうしたら聴衆を引きつけることができるかを研究したという話がある。例は悪いかもしれないが、ローリングストーンズのミック・ジャガーは(一度その舞台を見たことがある)、リーフェンシュタールの「意志の勝利」を繰り返し見て、ヒトラーの演説から、観衆を熱狂させる方法を学んだという。かなり以前のことだが、大野一雄があるシンポジウムで発言しているのを「見た」ことがある。彼のばあいは「話す」ことがそのまま舞踏であった。
イギリスの哲学者J.L.オースチンの言語遂行論によると、言語には「事実確認的機能」と「行為遂行的機能」がある。相手に向かって話すときは、言語が効果・影響を持つように話さなくてならない。「原稿の棒読み」は、「事実確認的」なレベルでの言語の使用である。この理論は、日常の言語についてだけ有効なのではない。少し見方を変えれば、写真についてもいえるであろう。最近、東京・恵比寿にある東京都写真美術館で開かれた「森山大道展」でそのことを感じた。彼の写真は、見る者に何かを語りかけてくる。つまり、森山大道の写真は、何かの事実や現象を、新聞の報道写真のように「事実確認的」に写したものではない。この美術館のミュージアムショップで入手できる『森山大道論』(淡交社刊)には、多木浩二を初めとする執筆者による森山の写真についての論考が収められている。また公募論文が収められているのもいいことである。なぜ森山大道の写真が面白いかといえば、それは彼の写真が見る者を刺激するからである。  
かつて私の同僚であり、また私に美術についていろいろ教えてくださる人でもあった美術批評家の中山公男さんが、さる2月になくなった。中山さんが口癖のように言っていたのは、「今の日本の美術批評がダメなのは現代日本の美術がダメだからだ」ということであった。批評に値する対象がなければ批評は成り立たないということである。時折学生たちを連れて美術館にいっしょに行く機会があったが、中山さんの眼は、すぐれた美術作品を前にするとキラキラと輝いた。


(付記。本稿は「千年紀文学」2008年5月31日号に掲載された「文化時評」に、かなりの加筆・訂正を行ったものです。いくつかの理由があって、私は千年紀文学の会を退会いたしました。私の時評を読むために、この隔月刊のミニコミを予約講読してくださっている方が何人かいられると聞いていますが、その方々には本当に申しわけありません。そのかわり、これからはこのブログでいろいろ書くことにいたします。2008年7月5日。)

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