宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

田母神論文を支えるもの (1)

田母神論文とは?

自衛隊航空幕僚長の職にあった田母神俊雄が、太平洋戦争について日本に責任があるとするのはまったくの「ぬれ衣」だという趣旨の論文を公表し、そのために更迭されることになった。この論文の内容については、歴史に関して事実誤認が多く、レヴェル以下だという意見がある一方で、田母神俊雄の意見はもっともであるという見方、さらには、更迭されたあとも自分の意見を変えない毅然とした「武士的な」態度が立派だという、内容とは無関係の見解もある。要するにさまざまな波紋があるということである。その「波紋」のなかに注意しておくべきものがいくつかあると考えられる。それらの多くは、保守的なメディアによる「増幅作用」には違いないが、そうした作用を軽く見てはいけない。また、それらの増幅作用の程度が低いからという理由で、無視すべきものでもない。
この「事件」のあと、田母神氏俊雄にはあちこちから講演の依頼が殺到していると、2009年3月1日の産経新聞が伝えている。特にいわゆる拉致問題については、「強硬手段を執ってでも」解決せよと主張しているという。「強硬手段」とはどういうことなのか。ところで、歴代の「航空幕僚長」の出身学校をインターネットで調べてみると、初代は「東京帝国大学」であるが、しばらくのあいだは「陸士・海兵」の出身者たちであり、源田サーカスで有名な源田実の名もある。つまり、航空幕僚長は、ある時期までは旧日本軍の幹部の「生き残り」たちが占めていた役職であり、そのあとは防衛大学校出身のエリートたちのポストになっていると考えられる。

日本軍の伝統

つまり自衛隊には、たとえ表向きは「村山談話」の尊重、新憲法を基礎とする平和日本というモットーがあるとしても、旧日本軍の思想的な伝統が何らかのかたちで残っていると見るべきである。さらに防衛大学校や、田母神俊雄がかつて校長であった統合幕僚学校ではどのような「思想教育」が行われているのかという問題ともつながっている。つまり田母神俊雄の論文は、けっして孤立した状況のなかで書かれたものではなく、その周辺には彼を支える「空気」が存在している。彼の論文を支えている歴史的なもの、つまり日本の優越性、日本という国家の行為の正当性をどこかで維持しておきたいという傾向がどういう構造になっているのかを見極めなくてはならない。また逆に、この田母神論文問題を材料にして、その構造が具体的にどのように動き、また変化しているのかも考えることができる。つまり、この論文を生み出したものは、田母神個人である以上に、彼を支える強固な構造的なものであり、いわゆる「記憶の共同体」、あるいは「共同幻想」が存在すると考えるのが妥当である。またこの論文がさまざまな評価を得ることによって、その構造・共同体が強化され、変化していくプロセスも考察の対象になるであろう。


(つづく)

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ビジネスホテルの新聞

去る2月中旬に、都市基本問題研究会は、茨城県の県庁所在地である水戸市に於いて調査を行なった。この研究会の前身は「シャッター通り研究会」であるが、名称に問題があるという意見を聞いたので、あわてて名称変更をした。  水戸へは何度も訪れている。磯崎新の設計した水戸芸術館を、建築史家のM氏たちと訪れて、設計の思想の高さと、工事の程度とのズレを実感し、そのことを建築系の雑誌に書いたことがある。しかし今回は水戸芸術館へは行かず、茨城県立近代美術館で開かれている安田靫彦(ユキヒコ)展を観に行ったのである。この催しについても書きたいことがあるが、ここではそこに行き着くまでに感じ、考えたことを記しておきたい。
一泊するつもりだったので、インターネットで安いホテルを探すと、駅の近くに水戸プリンスホテルがあり、朝食付きで6000円だというので予約した。ネットで予約するといくらか安くなるらしい。ホテル代だけではなく、いたるところで「ネット割引」がある。またJRでグリーン車の券は、車内で車掌から買うよりも、ホームにある自動販売機で買う方が安い。(グリーン車に乗ったわけではない。)つまり、人間の手を借りないで、機械に頼む方が費用がかからないということらしい。このようにしてわれわれは、次第に機械に頼るようになり、人間を不要とする社会をつくっているのである。
さて、この水戸プリンスホテルは、駅のすぐ近くにあり、建物はやや古い感じはするが、とにかく安く泊まれるし、フロントの応対もなかなかテキパキしている。レストランも、けっして高級ではなく、むしろ「食堂」といった感じだが、その方が私にとっては安心感がある。そのレストランで食事をしていた人たちはすべて男性で、出張してきた若いビジネスマンたちのように見えた。  このホテルはさまざまな「サービス」を提供しているが、そのうちのひとつに「朝刊無料」がある。キリスト教徒が朝の祈りをするように、哲学者は朝になると新聞を読むのだというようなことがヘーゲルのことばとして伝えられているが、私も新聞を隅から隅まで読むのが好きである。ところがこのホテルが無料で提供している新聞は産経新聞だけである。ほかの新聞もフロント横に置いてはあるが、それは有料である。つまりこのホテルは産経新聞をたくさん買って客に配っていることになる。以前にも書いたことがあるが、東村山市の拙宅の近くにあるコンビニ(これも西武系)で買える新聞は、読売・産経とスポーツ新聞であり、朝日・毎日・日経はなかったことがある。こういうことは、コンビニやホテルを場とした一種の情報操作ではないだろうか。  かつてアメリカの社会学者ダクラス・ケルナーが「メディア・カルチャー」という考えを示したことがある。現代人のアイデンティティは、その人を取りまくメディア状況によって形成されるという説である。そのメディア環境を誰かが意図的に作っているのだ。
産経新聞はとても面白い新聞である。しかしそこで展開されている意見、特にその「正論」のコラムニスト(?)たちの見解だけを正しいと思うのはまちがいである。このホテルに泊まって無料の産経新聞を読んでいるビジネスマンたちのメディア・カルチャーは、誰が作っているのだろうか。



(2009年3月16日)

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月例読書会のお知らせ

いつも当研究所のブログをご覧頂きありがとうございます。

きたる3月25日(水)、明治学院大学白金キャンパス1555教室において、
明治学院大学言語文化研究所様が主催されます、
首席フェロー宇波彰による月例読書会「記号哲学講義」が行われます。

参考URL:
http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bookclub/index.html

今回のテーマは「ラカンの主体論 その3」を予定しております。

参加費は無料です。
関心のある方はぜひご参加ください。

参加を希望される方は当日教室まで直接お越しください。
お問い合わせは上記URL、明治学院大学言語文化研究所様か、
ブログ管理担当の稲見uicp@marinenet.jpまでご連絡いただきますようお願いいたします。


ブログ管理担当@稲見

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近ごろ都で流行るもの

1976年に発行された、POPEYEというファッション雑誌がある。若者向けの男性ファッション雑誌で、それがだいぶ前に、オイリーボーイなる増刊誌を出したそうだ。このオイリーボーイの方は、創刊当時のPOPEYEの雰囲気が売りであるらしい。すなわち、かつてPOPEYEを読んでいた40代50代の男性がターゲットで、「みんな「大きな少年」になった。」というキャッチコピーが表紙に大きく印刷されている。このオイリーボーイの誌名の由来は、白洲次郎かららしい。イギリス留学中に自動車いじりが趣味の白洲は、常に油で汚れていて、そこからオイリーボーイというあだ名がついた。そういえば、最近、中年サラリーマンが対象であるような週刊大衆誌などでも、白洲次郎という人にまつわる記事をよく見る気がする。2009年2月28日には、NHKで「白洲次郎」というスペシャルドラマも放送された。つまり、白洲次郎は流行りなのである。短い文章で、このことについて少し考えてみたい。
様々なメディアで白洲について語られる場合、その趣味の良さ、教養の高さ、揺るがぬ信念、GHQを相手にわたりあった胆力と政治的業績、など、称揚の対象として、迷える現代日本人が手本にすべき人物として描かれている。白洲家は名家であり、明治維新後に鉄道敷設などの事業を起こした他、貿易で巨万の富を築き、銀行の頭取など、政財界の重要ポストを歴任する富豪であったらしい。当然、白洲次郎も富裕層に生まれた恩恵として、前述のような、語られるべき美点を持ち、大正期にイギリス留学をすることができたわけである。
さて、この流行を取り扱っているメディアが想定する受け取り手は、特に選民というわけではない大衆である。白洲次郎について書かれたコラムが載る同じ号で、格差社会を糾弾する記事が同じように載るということも当然ありうる。NHKも同じで、格差社会を問題とするドキュメンタリーを作っている。
こうした態度には首を傾げざるをえない。白洲次郎という貴族的英雄を産み出したのは、超が頭に三つ着くほどの格差ではないのか。彼が大正期にケンブリッジ大学に留学し、イギリスの地で自動車を乗り回してオイリーボーイと呼ばれるまでになったのは、超常の力のなせるわざではなくて、莫大な財力があったからである。彼が乗り回したベントレーや、彼の父が道楽で建てた建築は、労働者から搾取した剰余価値だか、あるいは血税というものが一箇所に集中して形を変えたものではないのだろうか。教養や審美眼というのも、そうした経済的土台の上にある文化ではないのか(だから、お金持ちは文化を守る、というのは正しくもある)。
血税や剰余価値という表現は、きちんと歴史的な検証を行ってみれば適切ではないのかもしれない。しかし、大正期のオイリーボーイも、その父(こちらはその時代にハーバード大学に留学している)も、「改札の内側」にいる人間であることは間違いないだろう。財貨というのは、改札の内側にいる、ごく小数の決まった人たちの間でぐるぐると回り、改札の外側には、ほんの少しおこぼれがあるばかりだ。その改札をまれにくぐる人間がいて、それを立志伝中の人物として人々はありがたがる。しかし少なくとも、白洲家に生まれたということは、生まれながらに改札の内側にいたということになるだろう。
私の知人に、証券会社で営業をしている人がいる。ネットで何でもできる時代に、わざわざ個人顧客の開拓のために訪問営業をするのだから、大変な仕事である。その人がある資産家に営業を行った時、「一千万円あれば、君の会社を通して株を買うより、政治家に渡すよ。その方がずっと確実だし実入りが大きい」と言われてすげなく追い返されたそうだ。そういう風に財貨は回っていくのだろう。また、アメリカの資産家は、初対面の相手に「何の仕事をしているんですか?」とは聞かないそうだ。彼らの資産は勝手に運用されていて、その運用益で暮らしている。貴族制というのは、現代にも存続しているようだ。もっともそういう構造は、巻き起ころうとしている恐慌がリセットしてしまうのかもしれないが。
大衆向けのメディアを見てみると、現在進行形の富の偏在においては、人は批判がましいことを言うのに、かつての時代にあった富の偏在は、賞賛の対象にすらなるらしい。今も似たような状況が起こりうるならば、諸手を挙げて喜べばいいのに。
ある種の文化は、富の偏在が生み出す。少ない賃金で莫大な労働を強いられる労働者がいる一方、莫大な財貨を所有する資産家がいる。資産家が莫大な財貨を用いて労働者に莫大な労働をさせる時、莫大の二乗になるわけで、そこに何らかの質を持った作品が生み出される。そういう文化は貴族制的な体制によって担保される。
だから白洲次郎を賞賛する書き手も読み手も、現代の格差社会を喜べばいい。血税を湯水の如く使う二世議員だとか、密室で全てが決まる政財界の行く末だとか、金持ちの子がますます金持ちになり、貧しい者の子はますます貧しくなる格差社会の到来を、彼らは喜んでしかるべきだ。そうでないと一貫性がない。
もっとも、今は駄目な二代目の典型に見えるような金持ちのバカ息子が、いざ国家の危機となれば、英雄的な仕事をするのかもしれない。もしくは、我々の目から見たら豚児のように見える二代目や三代目が、密室において国家の危機を救っているということもあるかもしれない。
ここで問題にしたいことは、白洲次郎という人の人格や業績ではない。彼の審美眼や、彼の政治的業績について、私は論ずる術を持たない。私がこの文章で問題として取り扱いたいのは、情報の送り手と受け手の、省察力である。白洲次郎が高級外車を乗り回していたことは素晴らしいこととしながら、大久保利通の血を引く現在の総理大臣がホテルのバーに行くことを批判しても説得力が無い。
それともひょっとして、白洲次郎が好きな人たちは、自分こそが、一握りの貴族のような存在にそのうちなれると思っているのだろうか。どう控えめにとらえても、私には、そういう無邪気さは知的なものとは思えない。そういう無邪気さが時代の空気ならば、それこそが最も危惧すべきことかもしれない。
どうでもいいことですが、みなさんが白洲次郎という人を持ち上げている時に、こういう文章を書いてしまう私の方が、ダンディズムに五十歩くらいは近いと思いませんか(百分の五十)。GHQ要人をして、「唯一従順ならざる日本人」と言わせしめたらしい白洲次郎ならなんと言うだろう。



(文責  土佐巌人)

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中国の写真家たち

去る2月中旬に、中国雲南省に出かけた。中国へ行くのはこれが8回目であるが、雲南省は初めてである。雲南省の面積は39万平方キロというから、日本よりも広い。省都は昆明(クンミン)で、急激に膨張しつつある人口500万の大都市である。この都市の中心のあたりは、まさに雑踏の街である。高級なホテルのそばには、一人前8元(120円)の食事を提供する大衆食堂があり、料理人募集のビラが貼ってある。その近くの道ばたでは、耳掃除をするひとたちが小さな椅子に座っているが、客はいなかった。その近くには、雲南省の名産だという翡翠の加工品を売っている高級な店がある。そういう雑多なものが混在していて、非常に活気がある。  昆明から南へ400キロほど行ったあたりに元陽という都市がある(陽は現代中国では阝に日と書く)。イ族、ハニ族などの少数民族の自治区であり、ほかにも多くの少数民族が共存している。そのあたりはいたるところに山の斜面を利用した棚田(中国語では「梯田」と書く)での稲作が行われている。ヴェトナム、ラオス、ミャンマーなどの農耕民族が、何かの理由で、雲南省に移ってきて、そこで水田耕作を続けようとしたとき、平地がないので、棚田を作るようになったのかもしれない。棚田の耕作に使われているのは水牛であり、車の走る近代的な道路にも、水牛・豚・アヒルが闊歩している。犬はたくさんいて、市場には狗肉も売っていたが、猫はほとんど見なかった。働いているのは女性であり、土産物などを売りに来るのも女の子ばかりだった。しかし、畑にいたひとりの農婦はケータイを使っていた。  この棚田は、稲作をしない冬のあいだも水が張ってある。その水が、朝夕は太陽の光に反射してさまざまな色彩の変化を見せるので、多数の中国人が写真を撮りに来ていた。棚田の写真を撮るのが、一種の流行現象になっているように見えた。2月が棚田の撮影に最もいい条件であるらしく、それも日の出、日の入りの前後の棚田の写真がいいらしい。多くの中国人「写真家」が、朝早くから、また日没のあとまで、いずれも高級な日本製カメラを三脚の上に取り付けてシャッターチャンスをねらっている。台湾製のカメラも一度だけ見かけた。
私はカメラを持っていなかったので、そうした中国人たちの行動を見ているだけだったが、気づいたのは彼らのうち誰ひとりとしてビデオカメラを使ってはいないということだった。そうすると、この数千人の「写真家」たちは、ひたすら自分の楽しみのために棚田の写真を撮っていることになる。中国の家族・社会の変化の一端が見えてきたような気がした。私は14年前に膝の皿を割って、手術して治したが、そん古傷が昨年になって痛み始め、一時はほとんど歩けなくなった。整形外科の医師はヒアルロン酸の注射を繰り返したが、以前にこのブログで書いたように、この注射は7回で保険がきかなくなる。その理由はまだ調べてないが、一本3000円するので、医師は7回でやめにしたのである。それでも昨年はそれで何とか歩けるようになったのだが、今年になって中国に出かける少し前にまた痛くなり、空港の中での移動のときなどに少し困ったこともあった。私が中国人写真家たちの行動を観察していると、立っている私の足がやや不自由なことに気づいたひとりの見知らぬ中国人女性が、どこかから小さな椅子を持ってきて座るようにといってくれた。  また雲南省には、広大な菜の花畑もある。その菜の花畑は東京都と同じほどの面積に広がっているというが、文字通りの「一面の菜の花」である。「いちめんのなのはな」ということばを繰り返して書かれた山村暮鳥の「風景」という有名な詩があるが、雲南省の菜の花畑にはとても及ばない。それは「風景」というようなものではない。世界全体が菜の花である。 北京はすっかり変わってしまったと多くの人が言っている。オリンピックの影響もあって、北京空港はすっかりモダンになり、空港内にはしゃれたコーヒーショップもある。カフェオレが25元、ビールが18元だった。係の若い女性は英語も話せるようだった。空港はあまりにも広く、空港内の移動には10元で乗れるカートもあった。とにかく超モダンな空港である。  しかし、雲南省の農村では昔ながらの農耕法が用いられていて、これは陶淵明のいう「田園」(田と畑のこと)が続いているのかと思ったりしたが、おそらく農村にもしだいに近代化・グローバリゼーションの波が押し寄せてくるであろう。その変化のプロセスを、またこの眼で見たいと思った。昆明から北京への飛行機の中で、隣席の中国人は北京の大学院で国際政治学を勉強しているといっていたが、日本にも深い関心を持っていることが感じられた。しかしその青年はおそらく富裕階級の出身であり、雲南省の山地で石をかついで黙々と働く女性労働者と彼との「格差」は明白である。 (2009年3月1日)


(付記。この研究所のブログは宇波彰だけが書いているのではなく、「研究所員」が自由に意見を発表する場所です。「カテゴリー」のところにご注意下さい。そこに筆者の名前が記してあります。)

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