宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

月例読書会のお知らせ

いつも当研究所のブログをご覧頂きありがとうございます。

きたる4月29日(水・祝日)、明治学院大学白金キャンパス1588教室1558教室において、
明治学院大学言語文化研究所様が主催されます、
首席フェロー宇波彰による月例読書会「記号哲学講義」が行われます。

参考URL:
http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bookclub/index.html

今回のテーマは「ラカンの欲動論」を予定しております。

参加費は無料です。
関心のある方はぜひご参加ください。

参加を希望される方は当日教室まで直接お越しください。
お問い合わせは上記URL、明治学院大学言語文化研究所様か、
ブログ管理担当の稲見uicp@marinenet.jpまでご連絡いただきますようお願いいたします。

なお今回から教室が変更になっております。
ご来場の際は十分お気をつけください。


ブログ管理担当@稲見

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ご来場ありがとうございました

いつも当ブログをご覧頂きありがとうございます。
このたび宇波彰現代哲学研究所の主催によります講座、
「アンドレ・バザン、君はもういないのか?」が行われました。
おかげさまでたくさんの参加者にお集まりいただきました。
心よりお礼申し上げます。
今後も多種多様な「知」の交流を通じ新たな学問分野の開拓を目指すイベントを行う予定です。
どうかご期待ください。


稲見史人@ブログ管理担当

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ヌーヴェルバーグ50周年記念講座のお知らせ

いつも当ブログをご覧頂きありがとうございます。
このたび宇波彰現代哲学研究所の主催によります、
ヌーヴェルバーグ50周年記念講座
「アンドレ・バザン、君はもういないのか?」を開催いたします。
作家主義を掲げヌーヴェルヴァーグの父といわれたアンドレ・バザンを通じ、
映画と知を考える講座です。
ぜひふるってご参加ください。

▼講座名 :アンドレ・バザン、君はもういないのか?
▼講師:宇波彰(当研究所上級フェロー、明治学院大学名誉教授)
▼ゲスト:川口肇(映像作家)、木村文洋(映画監督)、安井豊(映画美学校講師)
▼開催日:4月11日(土)
▼開始時間:13時より
▼会場:中野区立哲学堂公園霊明閣(集会場)
▼アクセス:中野駅・新井薬師前駅より
       「池袋駅西口」「江古田駅」
       「丸山営業所(新井薬師前駅経由)」行
                  『哲学堂』下車
      江古田駅より「中野駅」行『哲学堂』下車
▼受 講 料:1000円(実費)
事前申込不要 /テキスト不要


プログラム

13:00-13:30
基調講演「アンドレ・バザンとその時代」安井豊
13:30-14:20
シンポジウム「映画を撮ること・観ること・語ること」
川口肇
木村文洋
安井豊

14:20-14:30 休憩

14:30-15:50
特別講義「1968年のラカン」宇波彰



ゲストプロフィール(アイウエオ順)


川口肇(かわぐち はじめ)

1967年東京生まれ。
九州芸術工科大学(現九州大学芸術工学部/福岡)にて実験映画に出会う。
以来フィルム・ビデオメディアを中心に世界の探求を基本テーマとする作品群を制作。
映像作家集団「フィルムメーカーズフィールド」に参加。
1993~2007年、山形にて東北芸術工科大学の教員を務める。
現在は東京でフィルムメーカーとして活動。2009年4月より阿佐ヶ谷美術専門学校非常勤講師。
デジタルビデオを用いた作品制作と
8ミリフィルム(自家現像等を含む)を用いた作品制作を両軸として活動中。

山形国際ドキュメンタリー映画祭、台湾國際紀録片雙年展(台北)、
Images Festival(トロント)、ルサス映画祭(フランス・ルサス)、
アン・アーバー映画祭(ミシガン)、DocPointヘルシンキドキュメンタリー映画祭、
イフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭(チェコ・イフラヴァ)
など上映多数


木村文洋(きむら ぶんよう)

1979年青森県生まれ。
大学在学中より映画製作を開始、同時に京都国際学生映画祭の運営に携わり
国内外の映画の上演を行う。
2003『ラザロ-LAZARUS-』(井土紀州監督)の第一部「蒼ざめたる馬」篇の企画を立ち上げ、
スタッフとして参加。
2007年に「自主制作/自主上映」スタイルで映画を発する
スピリチュアル・ムービーズの若手メンバー・桑原広考、
京都国際学生映画祭メンバーの高橋和博らとteam JUDASを形成、
自身の出身である青森県を舞台に六ヶ所村核燃料再処理工場に言及した『へばの』を初長編監督、
第32回カイロ国際映画祭International competition for Digital Feature Films
シルバーアワードを受賞。

第38回ロッテルダム国際映画祭Bright Future部門
第9回ドイツ・フランクフルト日本映画祭NIPPON DIGITAL部門
第9回TAMA NEW WAVEコンペティションノミネート作品
など上演多数


安井豊(やすい ゆたか)

1960年生まれ。
法政大学シアターゼロ、『ロックス・オフ』などの活動を経て
アテネ・フランセ文化センターのキュレーター、『シティーロード』星取表、
『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』編集委員、映画美学校初代事務局長をつとめるなど、
80年代中盤から90年代後半にかけて精力的に映画批評、自主映画、シネクラブなどで活動する。
アソシエイト・プロデューサーとして『夜の足跡』『寝耳に水』『月に行く』などの製作もおこなう。
その後沈黙を経て2006年から映画美学校の講師として「安井ゼミ」を主催している。
主な著作に『ロスト・イン・アメリカ』(共著)、
主な出演作品に『冷たい血』(青山真治監督)、『大いなる幻影』(黒沢清監督)など。

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鏡の底を越えて

宮川淳の著作を読んでいて気付くことのひとつは、いたるところに<鏡>が出現することである。『鏡・空間・イマージュ』以外にも、「ジャック・デリダと鏡の暴力」があり、ミシュル・フーコー論である「鏡の場所」がある。それは、鏡においてこそ、「イマージュのそれ自体への回帰」と宮川淳がいう現代美術の根底にあるものが見えてくるということであろう。実在の表象や、事実の世界への回帰が否定され、イマージュそれ自体の存在が浮かび上がってくるのは、単に美術の領域だけのことではない。宮川淳はすでに早くからこのことを感知していたが、<鏡>のイマージュへの偏執にはそれ以上の意味が含まれているように思われる。
それはひとつにはイマージュの平面性ということ、イマージュにはいかなる深さもないということであり、もうひとつは鏡のイマージュがイマージュを同一性・反復・差異の位相で存在させているということである。宮川淳が「イマージュのそれ自体への回帰」と呼んでいるのは、イマージュそれ自体にはいかなる裏側もなく、どんな深層もないということである。イマージュはひとつの表面にすぎない。こうした表面としてのイマージュが最も特権的に出現するのが鏡であって、この<鏡の場所>こそ、イマージュが同一のものとして反復され、しかもそこに差異を発生させる場所である。
宮川淳は、それ自体がイマージュと化してしまった事実が、「この見えない巨大な鏡、すべてを映し出すかに見えるその明るい表面を通って、鏡の底へ降りてゆく」と書いている。このなかに、宮川淳が鏡について考えていたことの大半が含まれているように思われる。鏡はイマージュを映す場であるが、それ自体は不可視であり、ただ「すべてを映し出すかに見えるその明るい表面」を持っているものとしてのみ示されている。イマージュと化した事物、或いはイマージュとしてのイマージュは、この不可視の鏡に映ることによって、いわば表面として存在することができるようになる。イマージュの表面性・表層性が鏡を媒体にすることによって一挙に明白になる。
しかし、そのときに、「鏡の底に降りてゆく」とはどういうことなのか。鏡は表面であり、いかなる厚みも持たないはずなのに、鏡の底というのがありうるのだろうか。私はこのとき、宮川淳がわれわれに提示した、巨大で不可視な鏡のイマージュを、私自身がかつて見た或る夢のイマージュと結び付けないわけにはいかない。夢のなかで私は、巨大な火口のなかへ降りて行った。それはすでに活動を停止した火山の火口であって、私が現実世界で見たいくつかの火口に酷似していた。ただ、火口の底をめざして急な斜面を降りていくのは、夢のなかでもたいへんつらいことであった。しかし私はどうにかしてとうとうその火口の底にたどり着いた。ところがその瞬間に、その底は抜けてしまい、私はいまにも底のない空間へと落下して行くのではないかという恐怖におそわれた。しかし私は大きな火口の裏側へと移行していたのであって、そこはそびえ立つ高い山の頂上だった。
宮川淳は、「ジャック・デリダと鏡の暴力」のなかで、デリダが論じたのがマラルメとソレルス、「いいかえれば鏡の魅惑の中にいる作家たち」だと書いている。鏡の魅惑とは、鏡がイマージュの生産の場所だということにほかならない。
そしてわれわれは、鏡のなかのイマージュが何であるかを問い直すべきであろう。「同の中での自己同一性と非・自己同一性との自己同一性」というデリダのことばを、宮川淳はそれは「構造的にまさしく鏡だ」と解釈する。「差異を生み出す作用の回路の上にはじめて鏡は出現する」と宮川淳は書いているが、鏡の場所においてこそ、イマージュは自己同一性と非・自己同一性とを同一のものとして存在させることができ、その反復のなかで差異を生産する作用の回路が成立する。ここでの宮川淳は、限りなくジル・ドゥルーズに接近しているように見える。宮川淳における鏡への偏執の意味は、ここでは語り尽せないほどに深い。われわれは、くり返して宮川淳のいう<鏡の底>へ降りて行き、そこを突き抜ける作業を続けなくてはならない。

(付記。本稿は1990年に、そのころ原宿にあった東高美術館での「荒川修作・宮川淳展」のカタログに寄稿したものである。発表当時の原文のままである。最近、荒川修作に関心を持つ方と話していて、このエッセイのことを想起し、ようやく「発掘」したものであるが、再び埋没するおそれがあるので、このブログにアップしておくことにした。2009年4月2日)

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山本五十六元帥の肖像

3月上旬に行なった水戸での都市基本問題研究会(「シャッター通り研究会」を改名した)の調査報告の続編である。水戸には、茨城県立近代美術館がある。吉村順三が設計したすぐれた建築である。ここで日本画家の安田靫彦(ユキヒコ)の作品が展示されていると聞いたので観に行ったのである。安田靫彦はいわゆる歴史画で知られている画家であり、「額田の女王」を描いた作品は切手にもなっている。観ていて気づいたのは、その歴史画のテーマが日本だけではなく、中国にも及んでいることであり、私にとって未知の題材があって、中国の歴史・文化についての不勉強を思い知らされた。
私にとって印象的だったのは、「山本五十六元帥像」(1944年)である。なぜこの作品が私にとって印象に残ったかというと、ひとつにはこの展覧会の企画者があえて安田靫彦のいわゆる「戦争画」も展示に加えようとしたことに敬意を感じたからである。もうひとつは、この作品の構図が、東郷平八郎の有名な姿とあまりにも似ていることであった。東郷平八郎の有名な肖像は、日露戦争のときの日本海軍の旗艦三笠の船上に立つ姿を描いたものであるが、安田靫彦の「山本五十六元帥像」は、やはり軍艦の上にいる司令長官の姿を描いている。東郷平八郎像の作者をまだ私は調べていないが、二人の連合艦隊司令長官の肖像は、あまりにもよく似ている。たまたま私は、ジャック・ラカンの「反映像」(image speculaire)という概念について考えていたので、この二つの肖像は、まさに反映像ではないかと考えた。
私はこのことからさまざまなことを考えたが、すぐに想起したのは田中日佐夫の名著『日本の戦争画』(ペリカン社、1985)のことであった。この著作にも、「山本五十六元帥像」に触れたところがあり、そこではこの作品には「肖像画として佳作であるが、<聖戦美術>であったことは間違いない」という評価が与えられている(P.154)。「聖戦美術」とは、戦争協力の作品ということであるが、それはけっして単純な問題ではない。またかつて板橋美術館で観た「日本のルポルタージュ展」の何点かの戦争画のことも思い出された。「山本五十六元帥像」を見て私は、芸術家や学者が、自らを時代の状況へと疎外していくばあいがありうることを改めて感じたのである。横尾忠則が、国家基本問題研究所のロゴマークをデザインしたのと同じ問題がここに含まれている。
(2009年3月27日)

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田母神論文を支えるもの (5)

源氏物語の変身

「すべての小説は政治的である」とかつてスタンダールが言ったという。それは逆の立場から見れば、すべての小説は「政治的に」読むことができるということである。そうであるとすれば、現代の若い作家たちの作品に政治性がないといって批判するのは、そこに政治性を見出す眼が不足しているからではないだろうか。
「源氏物語」はきわめて政治的な小説である。しかし私がここで「源氏物語の政治性」というのは、「源氏物語」に描かれている平安時代の政治状況についてのことではない。いわゆる「源氏物語千年紀記念行事」の政治性の問題である。
雑誌「ユリイカ」の2008年12月号は「母と娘の物語」を特集しているが、その特集とは別に、連載もののひとつとして、竹西寛子の「古典の目」というエッセーが載っている。竹西寛子は日本の古典文学に通じている方であり、私も何冊か彼女の著作を持っている。彼女の文章には一種の「落ち着き」のようなものがある。このエッセーを読むと、彼女の文章が国語の教科書や予備校などの受験勉強用のテクストに採られているというが、それは充分にありうることであろうと思える。ただし、彼女の文章がどうして教科書に採用されているのかは、別の問題として考えなくてはならないだろう。
しかし.「ユリイカ」に掲載されたこのエッセーで語られていること、竹西寛子がいかなる批判の意識も抵抗の意志もなしに認めてしまっていることの中には、私にとっていわゆる「違和感」のあるものがある。このエッセーによると、2008年10月から11月にかけて、東京と京都で「源氏物語千年紀記念式典」が行なわれたという。その「呼びかけ人」は、千玄室、秋山虔、梅原猛、瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン、芳賀徹、村井康彦、冷泉貴美子の諸氏である。いずれも何らかの意味で「源氏物語」にかかわっているひとたちであると思われる。また「千年紀委員会」がつくられ、会長は村井純一(京都文化交流コンベンションビューロー理事長)、副会長は山田啓二(京都府知事)、門川大作(京都市長)、久保田勇(宇治市長)、立石義雄(京都商工会議所会頭)である。この方々は、行政に関係するひとたちであり、直接に「源氏物語」とつながるがあるのではない。こうしたメンバーの顔ぶれを見て、立派な催しだと思う人たちと、これはおかしいと考える人たちとに分断されるはずである。もちろん私は後者である。「源氏物語」が京都の府知事や市長たちによって、さらには「国家」によって「政治的に」利用される構図が明白に読み取れるからである。
竹西寛子は、こうした催しが「個人的な愛好家の催し」ではなく、「大きな計画的組織」であることを高く評価する。私は「大きな計画的組織」であることに疑念を抱く。ここがすでに竹西寛子と私との違いになる。11月に京都で行なわれた記念式典で、竹西寛子は基調講演をするが、彼女のほかに平川祐弘、ロイヤル・タイラーの二氏も講演したという。不勉強でロイヤル・タイラーがどういう方が存じ上げないが、平川祐弘は前回のこのブログで紹介したように東大名誉教授、「国家基本問題研究所」の理事であり、渡部昇一、鹿島茂と「諸君!」2008年7月号で中学校の教師の必読図書100冊を選定していた方である。

国家行事としての「源氏千年」

京都での「式典」は11月初旬の4日間にわたって行なわれたが、そのうちの一日には文部科学大臣の挨拶があり、さらに天皇皇后両陛下もご出席された。「源氏物語千年紀記念」の行事が「国家的」なレベルで行われたことがわかる。竹西寛子には皇后陛下と話す時間が与えられたが、そのことについて「皇后陛下のご聡明とお心遣いのほどに、皇室をいただく国家の誇りを新たにした」と感想を述べている。この感想は、竹西寛子の意識が文学としての「源氏物語」の領域からすでにはるか遠い場所にあることを示している。「源氏物語」を読む者が、いつのまにか「皇室をいただく国家の誇り」に言及する今日のわが国の文化状況をよく認識しておくべきである。
「源氏物語」に非常に詳しいある或る若い友人に、この竹西寛子の文章のコピーを、私のコメントを付けずに送ったところ、彼は私以上に憤慨し、「源氏物語千年紀は完全に天皇制賛美のイベントとなった」と手紙に書いてきた。「源氏物語千年紀記念行事」の問題は、日本以外の国を軽視する田母神俊雄論文の問題と不可分である。  私が『源氏物語』に関心を持っていることを知ったある若い編集者が、三田村雅子の『記憶の中の源氏物語』(新潮社、2008)を買って送ってくれた。それを読むと、この源氏物語研究の第一人者も「源氏物語千年紀行事」に批判的であることがわかった。三田村雅子は、このすぐれた源氏物語論の末尾で、「源氏千年紀のお祭り騒ぎを盛り上げるためではなく、その意味を深く静かに問うために」この本を読んでほしいと要望している。これこそが『源氏物語』に対するまともな態度だと私は考える。


(2009年3月2日)

(付記。本稿は、雑誌「情況」2009年3月号に掲載されたものである。その拙稿に加筆して「ちきゅう座」のサイトに掲載したが、事実誤認を指摘して下さる方があったので、多少の訂正を行い、さらに加筆してここにアップすることにした。 なお、この拙稿と直接の関係はないが、最近に私が公にした文章は、明治学院大学言語文化研究所の「言語文化」第26号に掲載された「ラカンの記号空間」、書肆吉成から年3回刊行されている「アフンルパル通信」第7号に掲載された「甘楽の赤武者」である。両誌の入手をご希望される方は、このブログにリンクしている明治学院大学言語文化研究所、書肆吉成にご連絡下さい。なお、「ラカンの記号空間」は、このブログにアップされている拙稿「二つの論文の行方」で言及されているもののひとつであり、それが「穏当を欠く」という理由で結局ボツにされたのが、根拠のあることであったのか、読者の判定を仰ぎたい。2009年3月27日)

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田母神論文を支えるもの (4)

国家基本問題研究所とは?

この座談会に出席している平川祐弘は「国家基本問題研究所」の理事である。さきに言及した「源氏物語千年紀式典」でも講演をしている。すでに言及した小堀桂一郎とともに、東京大学の比較文化学科の中心的な教授だった。この学科の出身である小谷野敦が、「駒場学派」について著作をまもなく刊行するという(新書館)が、なぜそこが保守派・右翼学者たちの巣窟になったのかが書かれているであろうか。さて、その平川祐弘が「国家基本問題研究所」にかかわっているということは、「源氏物語」が「国家基本問題」とつながることを示しているともいえる。この研究所の理事長はほかならぬ櫻井よしこである。理事には、平川祐弘のほかに石原慎太郎、自民党の国会議員で、映画「靖国」の上映についての問題で登場した稲田朋美、京大教授の中西輝政、さらに渡辺周、松原仁といった民主党の国会議員の名も見える。
いったい、国家基本問題研究所とどういう組織なのか。この研究所の「趣意書」を見ると(インターネットで読める)、安部晋三元首相が提案していた「戦後レジームからの脱却」が基本的なモットーであり、憲法の変更を求めていることがわかる。そして、自民党が大敗した2007年の参議院選挙の結果は「国家としての重大な欠陥を露呈」したものだと断定されている。国民の意見が「重大な欠陥」というのはどういうことなのか?さらに、私が特に注意しておきたいのは、この国家基本問題研究所のしゃれたロゴマークを横尾忠則がデザインしていることである。赤を基調に、「日の丸」をデフォルメしたしゃれたデザインのものである。芸術家が国家主義的機関に利用されている構図が見えてくる。しかし、このことで横尾忠則が批判されたという話は聞いていない。今日のいわゆる「美術評論家」たちにぜひこの問題について考えていただきたい。また、この研究所の資金はどこから出ているのかまだ調べてないが、「法人会費」は年額100万円である。どういう企業がこの組織を支えているのであろうか。
問題は若いひとたちに人気のあるという鹿島茂や横尾忠則といったひとたちが、渡部昇一、平川祐弘のような「右翼・保守知識層」の偉いひとたちと肩を並べ、彼らに「協力」する結果になっていることである。鹿島茂のような研究者、横尾忠則のような芸術家が、いつのまにか「右翼・保守知識層」のなかに取り込まれる状況を無視すべきではない。それは、鹿島茂に限らず、彼の世代のひとたちが、思想の世界の危機的な状況をよく把握していないからではないだろうか。渡部昇一や平川祐弘がどういう思想の持ち主であるかを知っていれば、彼らとの座談会に出席して、『愛国百人一首』を中学の先生に読ませようとする意見に反対もできないということにはならないはずである。鹿島茂や横尾忠則のような学者・芸術家が国家主義的なイデオロギー装置の「ソフト」として利用されている状況を直視すべきである。



(つづく)

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田母神論文を支えるもの (3)

審査の主体

田母神論文は、アパグループという企業が企画した懸賞論文の「最優秀作」である。(アパグループは全国にホテルを経営している企業で、幕張の西武プリンスホテルを100億円以上で買収したことでも知られている。私も札幌に二つあるアパホテルに何回も泊まったことがある。サーヴィスも悪くはない。安く泊まれるホテルである。JRとも関係があるらしく、JR 関連の旅行会社ヴューズのホテル案内のリストにもアパホテルの名が見える。また、注意しておくべきことは、田原総一郎が司会するテレビ朝日系の日曜日の報道番組「サンデー・プロジェクト」のスポンサーのひとつであるということである。これは、この右翼的・保守的傾向の強い企業が、日本のメディアにも影響力を持っていることを示すものであるからである。)ということは、そういう評価をした審査委員会が存在することになる。自民党の若い国会議員である中山泰英(ときどきテレビにも登場する)、花岡信昭(雑誌「正論」にもときどき書いている「ジャーナリスト」で、産経新聞の客員論説委員でもある)ともうひとり(未詳)が審査委員で、委員長は渡部昇一(上智大学名誉教授)である。「週刊新潮」の記事によると中山泰英は多忙なので秘書にまかせたという。この記事を読む限りでは、結局のところ渡部昇一がひとりで決めたような印象がある。渡部昇一が「右翼・保守知識層」の「重鎮」であることは誰もが認めるところであろう。彼は産経新聞主催の「正論講演会」にもしばしば講師として登場している。この論文の審査は、筆者の名前を明らかにしないで、論文そのものを読むというプロセスで選ばれたというが、いわゆる「出来レース」の感じを否めない。しかも、賞金300万円というのは、いかに「見事な一篇」であるとしても、18枚の論文に与えられる金額としては桁外れに多すぎる。(その後の報道によると、田母神俊雄は、この賞金を辞退したという。)  先に言及した統合幕僚学校は、現役の一佐と二佐の再訓練を目標とする学校であるという。田母神俊雄はその校長をしていたときに「国家観・歴史観」という科目を作った。その講師には、櫻井よしこ、花岡信昭といった、いわゆる国家主義的なひとたちが講師として活動していたのであり、また「新しい歴史教科書を作る会」のメンバーが複数招かれていたことも明らかにされた。要するに、自衛隊の幹部教育が、かなり国家主義・自民族中心主義のイデオロギーをもとになされていたことがわかってきたのである。 私がここまで書いてきたことは、単なる前提にすぎない。日本の「右翼・保守知識層」は自衛隊の幹部の思想をも動かしているのだが、そんなことは「左翼・進歩知識層」にとっても周知のことであろう。問題はそういう構造的な言説システムに利用される「知識人」がいることである。

知識人の悲劇

私はさしあたってそのなかのひとりである鹿島茂(明治大学教授)のことを言いたいのである。鹿島茂はバルザックを中心とする19世紀フランス文学の研究者として著名な方であり、またユーモアに富んだ文章で多くの読者を持つひとである。数年前に、刊行した著作が100冊に達したので、それを記念するパーティを開き、私の親しい友人のひとりもその会に出席したと聞いている。私自身も少なくとも10冊は彼の本を買って読んでいる。
ところが私は、2002年に文藝春秋から刊行された鹿島茂の『成功する読書日記』を読み、彼がそのなかで渡部昇一を「読書論の先達」として高く評価しているのを知った。そして「これはダメだ」と思い、その当時かかわっていたミニコミ「千年紀文学」で批判したが、反応はなかった(その後、事情があって私はこの「千年紀文学の会」を脱会した)。渡部昇一のベストセラー『知的生活の方法』を読めば、彼がいかに「知的生活」から遠いひとであるかはわかるはずである。詳しくは、その当時に私が図書新聞一面に書いた批判を読んでいただきたい。
ところが鹿島茂は「諸君!」(2008年7月号)で、その渡部昇一と平川祐弘(東大名誉教授、『神曲』の翻訳もあり、最近は「源氏物語」の英訳者としても知られているアーサー・ウェリーについての著作を刊行した)との三人で、「中学教師に薦める必携・現代教養の100冊」という座談会を行なっている。渡部昇一は、その百冊のなかに『愛国百人一首』(戦争中に選ばれた「国家主義的」と認められた100首の短歌で、万葉集や源実朝の作品も含まれている。私の子どものころのことであるが、かすかに記憶にある。)や大木惇夫の『海原にありて歌へる』(軍国主義的な詩)を入れている。渡部昇一はこの詩集に収められている大木敦夫の作品「戦友別盃の歌」を「大東亜戦争の時代の証言」であると評価する。なぜそのような本が、「中学教師必読」なのか?しかも、だれもこういう発言に対して批判をしないのはどういうことか?


(つづく)

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田母神論文を支えるもの (2)

保守派論壇の支持

まず、この論文を生み出したイデオロギー的構造であるが、それはきわめて大きなものであり、歴史的な広がりのあるものである。この構造の根底にあるものは、明治以降のいわゆる近代日本のイデオロギーが内蔵する、狭い見方に基づく国家主義と、外国に対する差別意識である。さらにこの差別意識の歴史的背景として、本居宣長に代表される排他的・自民族中心主義がある。江戸時代にはこの差別意識は存在はしていたが、中国・朝鮮を極度に蔑視するものではなかった。それが明治になって、差別意識がどのようにアジア諸国、特に中国・朝鮮に向けられて行ったのかを検証する作業が求められよう。
もうひとつのイデオロギー的構造は、この論文に対するマスコミなどの反応によって形成されつつある。それは反応であるとともに、この論文を支えるものである。つまり、「反応」がそのまま構造を強化することになる。産経新聞「正論」には、田母神論文についていくつかの賛成意見が現れた。そのなかで私が注目したもののひとつは、2008年11月6日に掲載された小堀桂一郎の「空幕長更迭事件と政府の姿勢」である。小堀桂一郎は東京大学名誉教授であるが、教授であったころに、留学生を歓迎するある集会で「天皇陛下万歳」を参加者に強要して顰蹙を買ったと伝えられる人物である。 その小堀桂一郎は「旧かな」で書かれたこの「正論」において田母神論文を次のように評価している。「<日本は侵略戦争をした>との所謂東京裁判史観に対する反論・反証の諸家の研究成果をよく取り入れ、是亦短いながら日本侵略国家説に真向からの反撃を呈する見事な一篇となってゐる」。つまり、田母神論文は小堀桂一郎によって「激賞」されているのである。旧かなで書かれている上に、難解な漢語が使われているので、若い人たちには、読みにくいと思われるが、雑誌「WILL」(2008年12月号)で、渡部昇一を始めとするひとたちが、小堀桂一郎の田母神論文評価を肯定している。「諸君!」2009年1月号でも、櫻井よしこを始めとする「論客」たちがこの田母神論文を賞賛している。このような連鎖構造に注意しなければならない。(いわゆる保守派の論客のなかでは、防衛大学校第7期限卒だという森本敏がこの論文に批判的である。)

批判と反批判

2008年11月1日付の東京新聞の記事によると、田母神論文について笠原十九司(都留文科大学教授)は「小学校・中学校から勉強し直した方がいいのでは」とコメントしている。おそらくこの笠原十九司に対する反論のひとつと思われるが、11月7日の産経新聞「正論」で櫻田淳(東洋学園大学准教授)は次のように書いている。「田母神論稿を批判する<進歩・左翼>知識層の所見には<小学校から歴史を勉強し直せ>というものがあったけれど、この所見それ自体は、自説と認識を異にする意見への偏狭さの趣を漂わせるものであった」。つまり東京新聞で示された笠原十九司のような見解は「進歩・左翼知識層」の偏狭の表われだとされている。しかし、「進歩・左翼知識層」なるものは、はたして存在しているのだろうか?それにひきかえ、産経新聞を中心とする「右翼・保守知識層」はまことに「層」が厚いようにみえる。私が2007年に『記号的理性批判』(御茶の水書房)においても批判した中西輝政(京都大学教授)もあいかわらず健在で、「週刊新潮」(2008年11月13日号)、「WILL」2008年12月号でも田母神論文を持ち上げる長文のエッセーを書いている。
中西輝政はその長文の田母神論文養護論において、日本の戦後史学がいわゆる「自虐史観」に支配されてきたとし、「田母神さんのような方が正しい歴史認識を示されたのは、むしろ大変喜ぶべきこと」だと評価している。田母神論文が「正しい歴史認識」だという判断はどこから出てくるのか。東大名誉教授や京大教授が、この論文を肯定し、高い評価を与えていることに注意しなくてはならない。そして11月8日付産経新聞の「週刊誌ウォッチング」で、雑誌「WILL」の編集長である花田紀凱は、この中西輝政の意見について「まさにその通りだ」と賛成している。「右翼・保守知識層」の見解はこのように反復され、増幅されて流通する。


(つづく)

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