宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

「みすず書房事件」の報告

 5月13日に、私が最初に「質問状」を送ったみすず書房のHさんからメールで連絡があった。私信であるから、その内容をそのまま明らかにすることはできないが、あまり納得できる内容ではなかった。
 Hさんからのメールによると、私の質問は確かに受け取ったが、訳者はイギリスで研究中であり、また原文のコピーもないので、返事ができなかったという。では、なぜそのことを私に伝えなかったのかという疑問が残る。しかも私はその質問を反復しているのである。おそらく「忙しかった」のであろう。
 5月9日の拙文でも言及した若い女性の編集者は「出版業界は<忙しい>といういいわけが通ると思っている人がいるところです」というメールを送ってきた。しかしそうでもないケースもある。昨年のことであるが、東京新聞(私が購読している唯一の新聞)でちょっとした誤記と思われる記事があったのではがきを出したところ、ただちに「読者応答室」から電話があった。また、これも少し前の話であるが、ラカン「セミネール」の翻訳についての岩波書店の広告に「現実界・象徴界・創造界」と記されてあったので、「創造界は想像界の誤植ではありませんか」とはがきに書いたところ、すぐに電話がかかってきた。みすず書房の対応は「例外」と考えたい。問題は「反応」であり、自分のことを棚にあげてあえていえば「礼儀」にかかわることである。このブログにアップしてある拙稿「無反応の時代」をぜひ読んでいただきたい。(2010年5月20日)

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「三蔵法師、経を読む人類学者」 前田耕作『玄奘三蔵 シルクロードを行く』書評

前田耕作氏の岩波新書「玄奘三蔵、シルクロードを行く」は渾身の力作である。前田氏は玄奘の生い立ちに始まって『具舎論』『摂大乗論』など玄奘が若き日に読んだ経まで微に入り細に入り辿りなおし、玄奘がこれらの経を読んだが漢訳ゆえに真義に至らないもどかしさで天竺への求法の旅へ駆り立てられたことを伝える。玄奘三蔵は当時の中国仏教界のアヴァンギャルドなのだ。唐代の初めに長安を出てシルクロードを行く玄奘が見たもの、聞いたものを前田氏はありありと追体験してゆく。他者の意識に物事が立ち現われる瞬間を先入見なしに記述できるかは現象学の根本的な問いであるが、若き日に現象学研究会の中心的メンバーであった前田氏は今や当然のごとくに玄奘の眼を借りて見、玄奘の耳で聞く術を会得している。寄り道の多い長年の学究と知見の賜物である。玄奘は鳩摩羅什の故国、トカラ語を話す亀茲で男根切断と男根復活の伝説を人類学者さながらに書き記している。難関の凌山を越え、キルギス領に入り、イラン系ソグド人の地で拝火教やネストリウス派キリスト教の景教徒もいる「諸国商胡雑居」のタラスを経て拝火教のサマルカンドで説法をして仏法の足跡を刻み、アレクサンドロス大王も東征で訪れた突厥の南端の鉄門を抜け、西洋世界に名高い古代バクトリアの地に足を踏み入れる。ヘレニズムとペルシア文化の影響の上に仏教が伝来していたバクトリアのテルメズで仏寺を巡り、仏縁に感激の涙を流した。大雪山を越えてようやくバーミヤンに至る。バーミヤンで歴史的に貴重な三体の大仏を仰ぎ見て、カーピシー、ランパーカを経て仏都ガンダーラへ出るところでこの書は幕を閉じる。中野美代子氏の「西遊記、トリック・ワールド探訪」では、女性を知らないが故に神聖な長寿の源として三蔵法師の肉体が道教の魔物たちの食欲・性欲の欲望の的になっている構図が描き出されているが、そのような西遊記のフィクションとしての面白さに加えて、前田氏の追体験する大唐西域記の玄奘のリアルさも大いに魅惑的だ。見るもの、聞くものを無心に書き記す、経を読む人類学者、三蔵法師の面目躍如たる姿を著者は活写している。エノケン演じる孫悟空に夢を馳せた私の父にも読んでほしい一冊である。

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「公開質問状」へのみすず書房の回答について

 去る5月1日に、このブログで「みすず書房への公開質問状」をアップすると同時に、それをみすず書房宛にメールで送信した。連休が明けた5月6日に、みすず書房出版部のIさんと、編集部長の守田さんから返信がメールで送られてきた。いずれも私信であるから、その内容の全部を明らかにすることはできないが、趣旨は謝罪と弁明である。
 守田さんからのメールによると、みすず書房では、読者からの指摘・質問はその都度の判断で返事をするかしないかを決めるのだという。そして私の「質問」を受けた浜田さんという編集者は、それを「指摘」であると理解したために返事をしなかったのではないかということであった。(浜田さんは休暇中で、まだ返事はない。)「質問には返事をするが、「指摘」にはしないということらしい。これは出版社と読者の関係について、私との見解の相違である。
 私の「公開質問状」にはすでにいろいろな反応があるが、ある若い女性の編集者は「本を大切にする編集者なら、読者も大切にするはずで、みすず書房の態度は理解できない」というメールを送ってきた。しかし、たまたま電話で話したあるベテランの女性編集者は、「それは忙しいからでしょう」という。つまり、出版社の社員はとても多忙で読者のクレームにいちいちつきあってはいられないというのである。みすず書房の方もそう考えているのであろうか。
 しかし、私にとって理解できないのは、「手紙」には応答がないのに、メール・ブログにはただちに応答があったということである。私の「質問」を「指摘」であると理解したというならば、その伝達手段が変わったからといって、急いで返事を送る必要はなく、また忙しければメールを送る時間もないはずである。
 私はメールでの「質問状」に「この質問状は同時にブログにもアップされます」と書き添えておいた。どうもそれが効力を発揮したように思える。このブログのアクセス数を昨日(5月8日)ブログの「管理人」の稲見さんに尋ねたところ、「一ヶ月で12万程度」ということであった。ただし、アメリカ、フランス、タイのほかにサモアやマダガスカルからもアクセスがある。また、私の文章は「研究所」のブログにアップされると、ほとんど同時に「ちきゅう座」のブログにもアップされることになっている。「ちきゅう座」へのアクセス数は、さきほど責任者の合澤さんに問い合わせたところ、一ヶ月で35万ほどであるという。合わせるとかなり多くの人が、私の文章を読んでいる可能性がある。「ブログにもアップします」という私の添え書きは、一種の「力」として機能したようにも見える。
 5月6日のみすず書房の反応は、いわば「ブログの力」によるものではないであろうか。以前にもこのブログで「無反応の時代」という拙文をアップし、青土社、岩波書店の「無反応」を批判したことがあるが、そのときもただちに青土社から手紙が届き、岩波書店もすぐには反応しなかったが、その後の私の「質問」にはていねいな返事がある。手紙の時代が終わり、ブログ・メールの時代が到来しつつあるらしい。(2010年5月9日)

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月例読書会のお知らせ

いつも当研究所のブログをご覧頂きありがとうございます。
5月26日(水)15時より、明治学院大学白金キャンパス1558教室において、
明治学院大学言語文化研究所様が主催されます、
首席フェロー宇波彰による月例読書会「記号哲学講義」が行われます。

参考URL:
http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bookclub/index.html

今回のテーマは「ラカンのフェティシュ論」を予定しております。

参加費は無料です。
関心のある方はぜひご参加ください。

参加を希望される方は当日教室まで直接お越しください。
お問い合わせは上記URL、明治学院大学言語文化研究所様か、
当ブログコメント欄までご連絡いただきますようお願いいたします。

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みすず書房への公開質問状

 ホミ・K・バーバは、ムンバイのゾロアスター教徒の家庭に生まれたインド人である。ムンバイの大学で英文学を学び、さらにオックスフォード大学で研究のあと、今はハーヴァード大学の教授である。その経歴にはE.サイードと似たものがあり、私は以前からこの人の仕事に注目していた。スチュアート・ホールが編集した『カルチュラル・アイデンティティの諸問題』にもバーバは「文化の中間者」という論文を寄せているが、この論集は私の「監訳」により、2001年に大村書店から刊行された。(バーバの論文の翻訳は林完枝さんにお願いした。残念なことに大村書店が倒産したためこの本は入手困難である。)
 それはともかくとして、バーバに関心のあった私は彼の『ナラティヴの権利』(磯前順一訳、みすず書房、2009)が刊行され、ある新聞からその書評を依頼されたとき、私は喜んで引き受けた。読んでいく途中でいくつかの誤植などを発見したので、私は手紙でそのことを担当の浜田さんという編集者に知らせた。それと同時に訳文にある「ラカン的な主体の消出」は、「消失」の変換ミスではないかと質問した。「主体の消失」は、ラカンの重要な概念のひとつであり、最近も私はそのことについても少し論じた「ラカンの哲学的思考」という論文(実際には論文ではなく、コロックでの報告の原稿をに手を入れたものであるが)を明治学院大学「言語文化」(27号)に発表したばかりである。「消出」ということばは辞書にはなく、意味が不明である。
 浜田さんにその質問をしたのは、すでに昨年の秋のことであるが、「なしのつぶて」であった。それで、今年の2月10日にみすず書房の守田省吾さんに改めて質問の手紙を送ったのであるが、これも無視された。いったいみすず書房は読者の質問をどう考えていられるのであろうか。あえてブログにアップして質問を反復するとともに「公開」する。(2010年5月1日)

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