宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

月例読書会のお知らせ

いつも当研究所のブログをご覧頂きありがとうございます。
11月24日(水)14時45分より、明治学院大学白金キャンパス1558教室において、
明治学院大学言語文化研究所様が主催されます、
首席フェロー宇波彰による月例読書会「記号哲学講義」が行われます。

参考URL:
http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bookclub/index.html

今回のテーマは「ラカンの欲望論」を予定しております。

参加費は無料です。
関心のある方はぜひご参加ください。

参加を希望される方は当日教室まで直接お越しください。
お問い合わせは上記URL、明治学院大学言語文化研究所様か、
当ブログコメント欄までご連絡いただきますようお願いいたします。

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月例読書会のお知らせ

いつも当研究所のブログをご覧頂きありがとうございます。
10月27日(水)14時45分より、明治学院大学白金キャンパス1558教室において、
明治学院大学言語文化研究所様が主催されます、
首席フェロー宇波彰による月例読書会「記号哲学講義」が行われます。

参考URL:
http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bookclub/index.html

今回のテーマは「ラカンの解釈論2」を予定しております。

参加費は無料です。
関心のある方はぜひご参加ください。

参加を希望される方は当日教室まで直接お越しください。
お問い合わせは上記URL、明治学院大学言語文化研究所様か、
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「地の果て」で感じたこと

去る2010年の1月下旬に「ここは地の果てアルジェリア」という歌謡曲の文句にもあるアルジェリアを訪れた。いまは「地の果て」という感じはない。映画「望郷」で描かれているアルジェのカスバにもいってみたが、映画のイメージとはまったく違って何の変哲もない住宅街になっていて、「映画的」な雰囲気は見られなかった。治安が悪いとも思えなかったが、数人の私服警官が警護してくれた。
 アルジェリアという時、私にとってただちに連想されるのは、そこを舞台にした「異邦人」などの作品を書いたアルベール・カミュ、そこに生まれた哲学者ジャック・デリダ、若いときにそこをフィールドワークの対象にしていた社会学者ピエール・ブルデュー、そしてアルジェリアの女性を描いたドラクロワなどである。私がアルジェリアに関してそれらのフランスの作家・思想家・画家を連想するということは、すでに私自身の精神に西欧中心主義ともいうべきものが住みついている証拠である。マルセル・モースのいう「身体技法」の概念を精神の領域に移して「精神技法」というべきものがあるとすれば、身のこなし方と同じように精神のこなし方を支配するものがあり、われわれはその精神技法によって動かされていて、それがほとんど無意識的にわれわれの考え方を規定する。「アルジェリア」によって、ただちにカミュ、デリダ、ブルデュー、ドラクロワを想起するという私の精神技法を自覚し、それを変えようとしても、その技法は私の思考のなかに根付いているように思える。
 アルジェリアに出かける前に私が読んだこの国に関する著作は、ジュール・ロア『アルジェリア戦争』(鈴木道彦訳・岩波新書・1961)と、ピエール・ブルデューの『アルジェリアの社会学』(クセジュ文庫・1958・未訳)、川田順造『マグレブ紀行』(岩波新書、1971)の三冊にすぎなかった。海外への旅行者が一般によく使う『地球の歩き方』にはアルジェリア篇はなく、「ロンリー・プラネット」(2007)を買ってざっと読んだ。(「ロンリー・プラネット」はオーストラリアで出ているガイドブックである。)
 アルジェリアはさまざまな民族・権力が興亡を重ねたところである。フェニキア人、ローマ帝国の支配のあと、バンダル族が襲来し、そのあとビザンツ帝国が支配した。さらにアラブ人が到来し、そのあとオスマントルコの領土になる。1830年からフランスによる植民地化が始まり、第二次大戦後ようやく1962年に独立国家となった国である。2009年の秋に訪れたセルビアの通貨はディナールが単位だたったが、アルジェリアでも同じである。辞書によると、ディナールは「7世紀から数世紀間にわたってイスラム教国で使われていた金貨」のことだという。イスラム的なものがあるのは当然だが、フランスによる植民地支配の強力な影響もいたるところで痛感した。
 カミュの作品は「不条理の文学」などと規定されてきた。しかしアルジェリア人はカミュをどう見ているのか。アルジェリアで「リベルテ」などの新聞を買って読んでみたが(一部15円弱)、帰国してからやはりアルジェリアの新聞である「ル・ワタン」の電子版を読んでいるうち、その1月30日号にカミュについての記事があるのに気付いた。カミュは1913年生まれであるが、26歳のとき、アルジェで発行されていた新聞に「カビリアの悲惨」というルポルタージュを書いていた。2005年にそれがアルジェリアで書物として改めて刊行されたが、それについてのナディア・アグスによる論評である。アグスは、植民地時代のアルジェリア人の「恐るべき悲惨」をカミュが報告していることを一応は評価する。「労働者たちが搾取され、奴隷的体制に置かれていた」アルジェリア人が、木の根や草を食べている惨状をカミュは告発した。しかし、アグスはカミュがフランスの植民地支配そのものを否定せず、その支配体制のなかでのアルジェリア人の状況の改善を求めているにすぎないときびしく批判している。「カミュはいかなるばあいにも、植民地の秩序とその支配権力とを問題にしようとはしなかった」とアグスは断言する。
 これはアルジェリア人によるカミュ批判である。アグスはカミュのような立場が「ひとつの社会的な枠のなかでの個人だけを関心の中心とする」ヒューマニズムにすぎないものだと規定する。単なるヒューマニズムでは、政治的な問題は解決できないという批判である。アグスの論評はカミュの仕事を評価しつつも、その限界を鋭く指摘している。これは西欧中心主義の外側からの批判である。私は自らの「精神技法」の変化は、このような機会を捉えることによって可能になるのではないかと考えた。

(付記。この文章は、2010年3月に札幌の書肆吉成から刊行された「アフルンパル通信第9号」に掲載されたものである。それに多少の加筆をして「ちきゅう座」のブログに転載したが、それにさらに補筆したものである。2010年度前半にNHKのラジオフランス語講座を担当されていた清岡智比古さんは、そのテクスト「まいにちフランス語」6月号で、この拙稿を引用して下さった。そのためもあってか、拙稿を読みたいという方々の要望にお応えして、ここにふたたび転載することにした。この研究所のブログに拙稿が最近アップされないので、私の健康を心配される方が多いが、それは私が旅行ばかりしていて、文章を書くのを怠っているからである。9月にはオーストラリアに行ったが、10月上旬にはベトナムを訪れる予定である。10月2日記。)

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