宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

パリのベンヤミン展

 2011年11月から2012年2月にかけて、パリ三区にあるユダヤ美術・歴史博物館(Musee d'art et d'histoire du Judaisme)で、「ベンヤミン アーカイヴス」が開かれた。これは2006年にベルリンで行われた展示を基礎にしているという。ヴァルター・ベンヤミン(1892~1940)はユダヤ系ドイツ人であったため、1933年のナチス政権成立のあと、フランスに亡命した。フランスでは、バタイユ、クロスウスキーたちとつきあいがあった。クロソウスキーは、ベンヤミンの論文のいくつかをフランス語に訳してもいる。またベンヤミンの著作をフランス語に訳したひとのなかにモーリス・ド・ガンディヤックがいるが、彼はネオプラトニズムの研究者としても知られたひとである。つまり、ベンヤミンの作品をフランス語に訳したひとのなかに、かなり意外なひとが含まれていたということである。
 ベンヤミンの『パサージュ論』は、パリの商店街(パサージュ)を材料にしたものであり、また彼はボードレール、プルーストの作品について批評作品を書き、彼らの作品をドイツ語に訳してもいる。つまり、ベンヤミンとフランスとの関係はきわめて深いと考えられるが、フランスではベンヤミンを敬遠する傾向がある。『パサージュ論』の原稿を保存していたというバタイユとベンヤミンの関係についても不明なことが多い。しかしとにかくベンヤミンとフランスとは密接なつながりがあるのであり、その意味で、パリで開催されたこのベンヤミン展はきわめて有意義なものであると考えられる。この催しでは、ベンヤミンの「遺品」の展示のほかに、「ベンヤミンの著作におけるパリとパサージュ」「ベンヤミンとショーレム」といった多くの報告や討論が行われ、またベンヤミンが見たと思われる映画も上映された。
 フランスでは1983年に「ベンヤミンとパリ」という大規模なコロックが行なわれ、その記録を含む1000ページ近い大冊の『ベンヤミンとパリ』も刊行されている。(Walter Benjamin et Paris,Cerf,1986)これには、すでに言及したモーリス・ド・ガンディヤック、のちにベンヤミン論『見ることの弁証法』を書くスーザン・バック=モース、『写真と社会』(佐復秀樹訳、御茶の水書房)の著者で、ベンヤミンの写真の撮影者でもあるジゼール・フロイントなども執筆している。この『ベンヤミンとパリ』を読んで気づくのは、1980年代のベンヤミンは、まだフランスでは「長い間ほとんど知られていなかった」存在として認識されていることである(p.5)。
 ところで、「ベンヤミン アーカイヴス」が開催されていることを知った私は、パリに滞在中だった友人にそのことを伝えた。彼はこの催しのことを知っていて、まもなくこのベンヤミン展に行き、パンフレットや絵はがきなどを送ってくれた。その後、カタログも刊行されていることがわかったので注文して入手した。(Walter Benjamin.Archives, Klincksieck,2011 これは2006年にドイツで刊行されたカタログのフランス語訳である。以下に示すページ数はこのカタログのものである。)
 「ベンヤミン アーカイヴス」といっても、それを見ればベンヤミンの仕事の「全貌」がわかるというものではない。ベンヤミンは、本はもちろんのことであるが、切手・絵はがき・おもちゃ・絵本などの熱心なコレクターであり、またこのカタログの解説者のひとりが書いているように「つねに書いているひと」(p.38)であった。わずかしか残っていない手帳や、さまざま紙に記されたメモや草稿などの写真を収めたこのカタログは、ベンヤミンの仕事の「残滓」にほかならなかった。「ベンヤミン アーカイヴス」が存在するのは、自分のコレクションの散逸を予期していたベンヤミンが、「戦略的計算によって」(p.10)友人たちのところへコレクションの断片を送っておいたからだとカタログの解説者は説いている。いわば「ディアスポラ的」なそれらの断片こそ、まさにベンヤミン的なものである。
 ベンヤミンは、1926年12月から翌年の1月までモスクワに滞在した。その時の経験は『モスクワの冬』(藤川芳朗訳、晶文社、1982)で描かれている。それを読むと、ベンヤミンがロシアのおもちゃに関心を持っていることがわかる。カタログにも、「ヨーロッパ人のなかで、ドイツ人とロシア人だけがおもちゃについての本物の才能を持っている」(p.102)というベンヤミンのことばを引用されている。ベンヤミンがモスクワで買ったおもちゃは失われたが、彼が撮った写真が残っていて、そのいくつかがカタログに収められている。おもちゃのミシン、飾り物らしい小さなサモワールなどの写真である。『モスクワの冬』の記述と、ベンヤミンが残したものの写真とがつながる。
 ベンヤミンはつねに三種類の手帳を持っていたというが、そのうちの6冊が残っていて、表紙と中の数ページの写真がカタログにある。ベンヤミンは、極度に小さな字で書いているが、それは彼が万年筆のペン先を裏がえしにして書いたからだという。おもちゃの写真にせよ、手帳の数ページにせよ、このカタログに収められているのは、「断片の断片」にほかならない。それがベンヤミン的なアーカイヴスの存在様式だと考えられる。
(2012年2月2日)

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月例読書会のお知らせ

2月29日(水)14時45分より、明治学院大学白金キャンパス1558教室において、
明治学院大学言語文化研究所様が主催されます、
首席フェロー宇波彰による月例読書会「記号哲学講義」が行われます。

参考URL:
http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bookclub/index.html

今回のテーマは「同一化論」を予定しております。

参加費は無料です。
関心のある方はぜひご参加ください。

参加を希望される方は当日教室まで直接お越しください。
お問い合わせは上記URL、明治学院大学言語文化研究所様か、
当ブログコメント欄までご連絡いただきますようお願いいたします。

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