宇波彰現代哲学研究所

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チェリー・ピッキングに抗するラカン読解――向井雅明「ジャック・ラカンの理論的変遷」書評

 チェリー・ピッキングという言葉をご存知だろうか。チェリー、つまりサクランボの中から熟したものをえり好みして、自分が気に入るものだけをピックアップする、という意味で、数多くの事例の中から自分の説に有利なものだけをピックアップすることである。
 人文系の学問では、フィールドワークやサンプリングの際に問題になりそうなやり方である。「全ての凶悪犯はパンを食べている。パンは危険である」、ということも主張できてしまう。
この場合、えり好みというのは、何と何を関連付けるかということをも意味している。たとえば、犯罪の発生率の低下を説明する際に、ある者は政策によって警察官が増員されたことと関連付けて考えるかもしれないし、別の者は景気回復などの経済的要因と結びつけて考えるかもしれない。どの観念とどの観念が関連付けられて世界観が形成されていくのかという過程についての考察や、そのとき一見すると単なる観察者のように思われる、人間の側からの働きかけがあってこそ世界観が生み出されているという観点は、ジャック・ラカンの精神分析にとって重要な考察対象のひとつであろう。
 また、サンプリングやフィールドワークとは無関係で、テクスト読解を中心とする哲学研究や思想研究でも、このチェリー・ピッキングは起こりうる。なぜなら、たいてい哲学や思想についてのテクストは、難解で晦渋だからだ。
「哲学者Aは○○を重視していないが、哲学者Bは○○を重視している」。こうして二者の対立を際立たせる際に、ある種のえり好みが行われることは大いにありうる。
 論敵との対立を明確にするために、相手の論点を誤解してみせたり、あるいは誇張したりすることをストローマン論法と呼ぶそうだ。ストローマンとはわらで出来た人形のことで、架空の存在を作り上げるという含意がある。相手の論点を誇張して架空の存在を作り上げている、ということである。日本語では「わら人形論法」と訳すようだが、日本でわら人形と言えば、丑三つ時に釘を打ち込まれるマジックアイテムなので、この訳語はなんだか別のイメージが付加されてしまって、あまり適切ではないように思える。
 ストローマン論法は、方向性は逆でも、えり好みという点でチェリー・ピッキングと同じことをしている。

 さて、ジャック・ラカンの思想、あるいはテクストは、これまで凄まじいほどにチェリー・ピッキングされ、また、論敵にはストローマンにされてきただろう。
 なぜならば、ラカンの語り口というのはとてつもなく晦渋で、その理論たるやとてつもなく難解だからだ。哲学者の内田樹は以下のように述べている。

 ラカンは一九五〇年代には精神分析の新しい方法論として臨床医たちを驚愕させ、六〇年代には時代を領導する精神的導師として五月革命世代の人々を熱狂させ、そして八〇年代以降は世界の大学院生たちの表象読解のための必読文献になった。これはひとつの思想のたどった旅程としてはかなり特異なものである。
 その汎用性の高さは、「ラカンがほんとうはなにを言おうとしていたのか、だれにも確定的なことが言えない」というラカン理論の超絶的な難解さに裏づけられている。あまりに難解であるために、だれにでも使える理論というものがこの世には存在するのだ。(1)

 また、英国で文化理論について研究するキャサリン・ベルジーは以下のように述べている。

ラカン自身の謎に満ちた語り口は、無意識の発話を模倣している。賞賛者にとってみれば、このスタイルのためにラカンのテクスト自体が欲望の対象となる。わたしはいつも思う。「今度こそは、きちんとわかってみせる」。それができさえすれば……。(2)

 このように語られる難解さと複雑な文体のせいで、ラカンを読み解き、そして、何かを論じる際に概念的ツールとして用いるとなると、恣意的なえり好みにならざるをえないのだ。ラカン理論の全容を把握した、と言い得る者はいるまい。
 また、ラカン自身も、この難解さと語り口には、狙うところがあったようだ。あまりに難解であれば、聞く者は、真剣に耳を傾け、自分がその意味を捉えたかどうか、自問自答を繰り返さざるをえない。こうして、ベルジーが述べているように、聞くものの中で、ラカンが蔵する知への欲望が生まれる。これこそが、「想定的知の主体」に対する転移関係である。このようなラカンの語り口について、「プラトンの時代から、口述による伝達が愛を生じせしめるということ、愛と知識は無関係ではないということは明らかだった。(…)彼〔ラカン〕はまた、生徒たちの中に、自分で吹き込んだ転移性の愛を切望し、それを強力に進展させるようにも見えた。」(3)と精神分析の臨床家であるブルース・フィンクは述べている。
 また、ラカン自身が、多産的な誤読を許容していたとも言える。多産的な誤読、と言ってしまうと、どこかに正解があるような印象になってしまうので、それは精密な言い方ではない。「想定的知の主体」の持つ知をあてにして、これが正解だと誰かに保証してもらうという期待から決別して、我々は我々自身の責任において思考し、決断(結論)せねばならない。ゆえに、向井雅明がこの連載の第五回で示しているように、「ラカンは、それぞれの精神分析家は自分自身で精神分析を作り上げなければならない、と言った」(第五回p.202.)のである。
 さて、前置きが長くなりすぎたが、ようやく本題に入ろう。
この、向井雅明「ジャック・ラカンの理論的変遷」という連載は、チェリー・ピッキング的で恣意的な読解に陥らず、かつ、自分自身で精神分析を作り上げるという、そのせめぎ合いを受け止め、いかにラカンのテクストに真摯に向き合うかという、苦闘が結実したものである。
 そのために向井は、ラカンの理論の歴史的変遷を丁寧に追っていく。向井は以下のように述べる。

その理論展開は常に常に矛盾に満ちたパラドクシカルなものであり、これがラカン理論だ、と言えるような、体系的にまとまった一つの理論的コーパスとして提示することはできない。ラカンの考えを把握するには、やはり年代を追って、その変遷を追っていくしかない。
(第五回p.197.)

 ラカンの案出した用語は、ひとつひとつがかなりの幅を持つ。その幅広さの中で、ある概念は別の概念と重なり合い、近似的な意味を持つ。かと思えば、どこにアクセントを置いて理解するかによって、さっきまで近いものとして並立していた諸概念が、まったく異なる相を見せて反発する。
 ラカンが思考の主要な軸としているかに見えた図式や、対立構図が、ある時期を過ぎると重視されなくなるということもあれば、それに変わって別の区分が導入されたりもする。
 なぜこうしたことが起きるかと言えば、それはラカン自身が自らの理論体系を疑問に付し、大胆な再構築の運動を決して止めなかったからである。著者はこうしたラカンの姿勢を砂の城を作っては崩す子供にたとえており(第一回p.8.)、ラカンが70代になり、晩年と呼ぶべき年齢にさしかかっても、「最も大きな地殻変動」と呼ぶべきものが起き、それは、「それまでの理論とのギャップのせいで、ラカンを学ぼうとする者を困惑させ、しばしば途方に暮れさせてきた」(第五回p.197.)。
 このようなラカンの理論に真摯に取り組むために、著者は、運動し続けるラカンを追跡していく。
 ラカンに対するこうしたアプローチは数多くあるが、一例を挙げれば、ラカン派の哲学者であるスラヴォイ・ジジェクは処女作『イデオロギーの崇高な対象』で、1950年代から、1970年代に至るまでに、「トラウマ」がラカン理論においてどのように扱われているかの変遷に手短に触れている。(4)本邦における比較的最近の例では、『現代思想』2013年6月号(特集フェリックス・ガタリ)掲載の松本卓也「人はみな妄想する」という論文も、1950年代と1960年代以降で、ラカンにおける精神病の概念がいかに変遷しているかを丁寧に追う好例であり、その帰結としてラカン理論がドゥルーズ=ガタリと単純な対立関係にあるものではないことを示している。
 向井雅明は、かつて1988年に上梓した『ラカン対ラカン』(金剛出版)から既に、ラカンの運動を通時的に追っていくという姿勢を表明しており、今回完結した連載「ジャック・ラカンの理論的変遷」は、あらためてその姿勢を鮮明に打ち出したものだ。
 ある概念について、ときに日常的で分かりやすい例を持ち出しながらも、時代を経てその概念がいかに変化していったか、他の概念との整合性はどうなるのか、そうしたことを著者はその場その場で丹念に問い続ける。
 たとえば、ファルスΦについて検討する際は、「後で出てくる対象aとの差別化が難しくなる。」(第二回p.44.)と他の概念とのすり合わせを考えている。また、ラカン理論における重要な概念である「対象a」については、

 ところが、これほど彼〔ラカン〕が入れ込んでいた概念であるにも関わらず、またもや砂のお城のように、ある時あっさりとそれは崩され、その地位を失ってしまう運命にあるのだ。
(第二回p.62.)

 と述べる一方で、「異次元のものをつなげるという機能はずっと残されているのだ」(同p.63)と、継続された要素についても記す。
 また別の箇所では、ある時期までのラカンが享楽(ジュイッサンス)と、快(プレジール)をはっきりと区別し、享楽は〈もの〉に由来し、快はシニフィアンに由来しているとしていたことを説明するが、後期ラカンにおいてこの図式が結局捨てられてしまうという流れを示唆する(第三回p.167~168.)。著者によると、ラカンにとって享楽とシニフィアンは相容れないものであったはずなのに、後期に至ってシニフィアンと享楽を直接結び付けようとする。そして続く連載第四回、第五回で、そのためにどのように理論が練り直されていったかを追っていく。
 ラカンは自分がフロイト主義者だと述べていたが、著者はこの、フロイトとラカンとの関係にも丹念にメスを入れる。フロイト理論とラカン理論がどのように接合されるのかは大きな問題だが、著者はチェリー・ピッキング的な無理やりの接合を試みずに、通じ合う部分と相違点を峻別していく。連載第三回では、現実原則/快楽原則の二項の扱いについて、フロイトとラカンではどのような違いがあるかについて述べられ、また、著者は、1964年の『精神分析の四基本概念』の講義のあたりの時期をもって、ラカンの「フロイトへの回帰」は幕を閉じたとしている。
 向井が『ラカン対ラカン』の劈頭で示したところによれば、フロイトのテクストを読むためにラカンを参照するとなれば、フロイト対ラカンという構図になるが、では、ラカンを読むために誰を参照すべきかといえば、それはラカン自身の変遷を追うことによって、その時々の思想的な特徴と差異を捉えるほかない。すなわち、ラカン対ラカンである。
 ラカンとフロイトを比べたとき、たしかに、ラカンのような、意図された蠱惑的な難解さや、どこまで本気かわからない洒落のような表現、そういうものはフロイトには少ないように思われる。しかし、フロイトの文体もまた、分かりづらいものだし、読解に苦労させられる。フロイトもまた、自らの着想を疑い、逡巡しながら筆を進めていくからだ。三歩進んで二歩戻る、百歩進んで九十九歩戻る、というような文体であると私は思う。つまり、フロイトもまた、思考の運動を決して緩めなかった人だ。
 永遠の事物というものは無い。概念や観念ですら永遠ではない。しかし、それらの案出にかかわる思考の運動こそは永遠なのである。少なくともラカンの精神分析においては。
 向井雅明が1988年出版の『ラカン対ラカン』から、2008年に始まり2014年に完結した「ジャック・ラカンの理論的変遷」まで一貫して追求し続けている姿勢は、この運動の永遠性、終わらなさを示しているとも言えるだろう。
 ラカンは、『精神分析の四基本概念』において、「すでに出来上がった概念」と、「形成途上の概念」との対比を前景化し(5)、「無意識には一つの知があるが、それは仕上がって完結した知とは決して考えるべきではない」(6)と述べている。
 しかし、治療としての分析は終わりを迎えることもありうる。終わりなき分析もあれば、終わりある分析もあるだろう。運動の副産物にしかすぎなかったとしても、症状が寛解し、患者の苦しみが軽くなることはあるのだ。また向井は、分析を受けずとも、より実り豊かなものを産出した例として、ラカンが文豪ジェイムス・ジョイスを挙げていることについても述べている。
 症状との折り合いがつくときに何が起こっているのだろうか。そうしたことを考えるために、この連載を読み、ラカンを読み、自分自身で精神分析について考えるために、読者ご自身が運動の中に身を投じてみてはどうだろうか。
(文中敬称略)
(文責 土佐巌人)

向井氏の著作以外での参考文献・引用箇所は以下の通り。
(1) 難波江和英・内田樹『現代思想のパフォーマンス』(光文社新書、2004), p.282
(2) Belsey, Catherine, Poststructuralisme : A Very Short Introduction, (Oxford University Press, 1984), p.62. 邦訳『1冊でわかる ポスト構造主義』(岩波書店、2003), p.95.
(3) Fink, Bruce, “Reading ‘The Instance of the Letter in the Unconscious’ ”, Lacan to the letter : reading Écrits closely, (University of Minnesota Press, 2004), p.68.
(4) Žižek, Slavoj, The Sublime Object of Ideology, (Verso, 1989, Fifth impression1995), p.162. 邦訳『イデオロギーの崇高な対象』(河出書房新社、2000)p.247.
(5) Lacan, Jacques, Les quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse, (Seuil, 1973), p.15. 邦訳『精神分析の四基本概念』(岩波書店, 2000),p.14.
(6) 同書p.122. 邦訳p.176.

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2014年6月の近況報告

 去る5月中旬に、3泊4日で熊本県の山都町に出かけた。1854年に造られた「通潤橋」という石造の水道橋を見るのがおもな目的であった。あらかじめ山都町の観光係に連絡して、資料をお願いすると、たくさんのパンフレットなどが送られてきた。この水道橋は、温度差で石が伸縮することなどを計算に入れて造られたものだそうで、当時の技術水準の高さに感心した。
 九州には、多くの石橋があるらしく、山都町の「通潤橋資料館」に事務局がある「日本の石橋を守る会」の会報「日本のいしばし」(84号)には、九州で1500の石橋を訪ねた方のエッセーが載っている。
 山都町には幣立(へいたつ)神宮というちょっと変わった神社もあると聞いていたので、宿の人にお願いして連れて行ってもらったが、なかなか面白い神社だった。山都町の観光協会に立ち寄ると、全員が親切に応対してくれた。山都町はおいしい矢部茶の産地でもあることを知って新茶を買ってきた。

 ところで、私は1996年に『映像化する現代』という著作を刊行したが、今回その中国語訳が四川大学出版社から刊行された。中国でのタイトルは『影像化的現代』である(定価25元)。訳者は李璐茜さんという日本語に堪能な女性で、四川大学大学院の院生である。
 また、南京大学副学長の張一兵教授の著作『マルクスへ帰れ』(中野英夫訳、情況出版、2013)について、私は雑誌「情況」にコメントを書いたが、今回それが中国語に訳され、中国の学会誌「学海」の創刊号に掲載された。おもいがけず、中国とのつながりが重なった感じである。(2014年6月4日)

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辻昌宏『オペラは脚本から』(明治大学出版会)

                    イタリア人は歌っている

イタリアに行くと、電車の中、レストランの中、人々の会話はすべて歌っているように聞こえてくる。なんで、こんなオーバーな身振りと、しゃべり方をするのか、と最初は不思議に思えるが、でもそのしゃべり方の音調を聞いていると、だんだん心地よい気分になる。それで、ほとんどの会話において語尾が上がるイントネーション↗を聞くと、なるほどイタリア人は楽天的、快活だと実感させられる。なんといっても、イントネーション↗は楽観的な(感動的な)、↘は悲観的な(冷静な)心情を物語っていることは、イタリア人と話していて得心するから。マキアヴェッリの原書読書会にこの間参加しており(注)、あのマキアヴェッリにも、語調におけるリズム感(響き)、それに伴う感情表現の巧みさがあって、しばしば当然韻を踏んだ文章にもお目にかかる。そうすると、下手くそな僕のイタリア語でも、文章を音に出して諳んじたい気分になる。このリズム感の心地よさ、感情表現の巧みさはイタリア人(イタリア語)ならではある。もともとイタリア語の表現(音調)は、音楽的だと否応なく思い知らされる。日本語にもそうした長所があるのは間違いないのだが、なにぶんにも、短歌、俳句をはじめとして、そうした国語力が弱体にして、日本語の表現力の深さに思いをはせることができない。もしかしたら、「君が代」にも音楽的な意味合いという点では、イタリア語と同等の長所があるのかも…
(注)マキアヴェッリ原書読書会は、7年間にわたって読み進めてきた『ディスコルシ-ローマ史論』を読了し、今後は『戦争の技法L’arte della guerra 』に移行します。関心のある方は、吉沢明meisan46@kind.ocn.ne.jpまで。

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