宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

過去の物語は誰が作り上げるものなのか?

 太宰治は『弱者の糧』の中で「映画を好む人には、弱虫が多い」と述べている。私は映画が格別好きではないが、嫌いでもない。でも、弱虫である。自慢のできる話ではないが、権力とりっぱに戦ったためしもなく、週に何度も映画館に通うということもしたことがない。弱虫の凡人である。そんな私でも、偶然知った映画が気にかかり、映画館に入ることがある。
 片渕須直監督作品「この世界の片隅に」を見ようと思ったきっかけは、偶然見たテレビ番組で、映画制作のために、この監督に質問を受けた一人の男性が語っていた言葉であった。男性の両親は広島市で理髪店を経営していた。彼には兄と姉がいた。昭和20 (1945) 86日、原爆が投下された日、男性は田舎に疎開していた。廃墟になった街で懸命に家族を探したが、家族の遺体は見つからなかった。彼のその理髪店が映画の中にほんの僅かな瞬間だけ映る。片渕は、広島と呉のかつての街並みを当時のままに近い形で再現しようとしたと番組の中で話している。男性の住んでいた理髪店の前で、両親と兄と姉とが歓談している。そのシーンのために、彼は三度映画を見た。この逸話を聞いて、私はヴァルター・ベンヤミンが主張していた過去の救済という問題を思い浮かべた。しかし、本当にこの映画はベンヤミンの主張と関係するものであろうか。その思いが私を映画館に向かわせた。 

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