宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

ラカン的思考 書評

 注:文中[]は書評者の追記です
 「再考の努力、この事後的なものの努力、この反復、それが分析の経験が発見するものの基礎なのです」[講演(セミネール)でのラカンの発話](「ラカン的思考(以後、ページ数のみで省略)」P168)。本書は、上記のように、第一章のはじめから終章まで、仏の精神分析家ジャック・ラカンの仏でも正規版が未刊行であるものもある1965年以降から70年後半までのセミネール等からのラカンの発話を中心に、ラカン研究者や他の思想家の批評など博引旁証しながら「「他者(別のもの)の創出・侵入」[デリダ書サブタイトル](P144)として、その「他者・別のもの=異様なもの=見知らぬもの=不気味なもの」(P144-145)を「介入・侵入」する/されることで、フロイト/ラカンが提出した精神分析的言語(用語/概念)を、著者自身の遊歩者的「思考像(「…それぞれの思考像が、他の思考像とつながり…「星座」を構成し…以前には見えなかったものが浮き上が(P191)」る物)」(ベンヤミン)として、その意味を、事後的に到達されるものとして、また記憶を事後的に新たに創造し、過去の傷(記憶)に距離を置き得る追想(破壊)=反復として、ラカン(他者)的且つ宇波(主体)的且つ思想史的に「思考」を実践したものとなっているものと思われる。

つづきを表示

PageTop

アドルフ・ヴェルフリの絵画とアール・ブリュットの地平

 アール・ブリュット (art brut) あるいはアウトサイダー・アート (outsider art) の巨匠と称されているアドルフ・ヴェルフリ (Adolf Wölfli) の展覧会が東京ステーションギャラリーで、4月29日から6月18日まで開催されている。この展覧会のフライヤーにおいても、日本で初めて本格的に編集されたヴェルフリの画集『アドルフ・ヴェルフリ―二萬五千頁の王国』においても、アール・ブリュットの特異性が強調されている。だが、アール・ブリュットあるいはアウトサイダー・アートとは何であろうか。それがこのテクストを書こうと思った一番目の動機であった。二番目の動機は狂気と創作行為の問題とに関連する。ヴェルフリは狂った者という烙印を押されたことが契機となって作品が認められたのだろうか、すなわち、作品よりも狂人という側面が注目されたからこそ彼の芸術は認められたのだろうか。それがこのテクストを書く二番目の動機であった。三番目のものは執拗に繰り返される同一形態の異常さという問題である。一般的に言って、われわれの社会は理性的な秩序を好む社会であり、政治的にも、経済的にも、文化的にも合理的な規律が重んじられている。だが、ヴェルフリの作品の中に示されている過剰なまでの規則性は狂気への道に開かれてはいないだろうか。遊びのない狭い空間に無理やり押し込められたような多くのオブジェは、正常さというものを壊す根本原因の一つになり得るのではないだろうか。こうした疑問がこのテクストを書く三番目の動機であった。 

つづきを表示

PageTop