宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

伊能忠敬の銅像

 都市基本問題研究会は、去る6月上旬に千葉県香取市で調査を行なった。香取市といっても私が行ったのは、JR成田線の佐原駅の周辺である。佐原が調査の対象であるといったほうがいいであろう。香取市にはいうまでなく香取神社がある。佐原市が市町村合併の結果として「香取市」の一部になったのも、この神社の存在が理由のひとつであろう。それは今日の都市の名が、観光という要素を無視できないからである。今までのいくつかの都市調査でわかってきたことは、佐野厄除け大師や成田不動のような宗教的なものの存在が、意外にも現代都市を維持しているということである。合併のあと「香取市」という名を選択したのは、そういう思惑があったはずである。
 しかし、香取市のばあいは伊能忠敬という人物の役割もかなり大きいのではないかと思った。JR成田線の佐原で降りて駅前の道をまっすぐに行くと、伊能忠敬の高い銅像がある公園に着いた。そこで、持ってきた古いオリンパスペンで何枚か写真を撮ったあと伊能忠敬記念館に向かった。(最近デジカメも新しいのに買い換えたが、どうも数十年前に買ったこのハーフサイズカメラに愛着がある。宮本常一もオリンパスペンを使っていたと聞く。デジカメの新しい機種にも「オリンパスペン」という名のものがあり、買ってみたい気がある。)昨年、膝を痛めてヒアルロン酸を7本注射してどうにか治ったことは、このブログをお読みの方はご承知と思うが(どういうわけか保険は7本までしかきかないのである)、今年の2月ごろにまた痛くなった。2月に中国雲南省に旅行したときは、広い北京空港のなかで昆明行きの飛行機に乗り換えるために走らなくてはならず、たいへん痛い思いをした(結局は間に合わなかった)。しかし帰国後、また痛いヒアルロン酸の注射を7本打ってもらって、いまは歩くのに支障はない。伊能忠敬の銅像のところから記念館までは、地図で見ると近いので、もちろん歩くつもりであったが、念のためにと、たまたまそこに車を止めていた中年の男に行き方を聞くと、彼は「わかりにくいからこの車でお連れしましょう」と言って車に乗せてくれた。
 私は歩くことが好きであり、また歩くことによっていろんなことがわかるのも楽しいことである。しかし、ひとの親切を無にしてはいけないとも思う。数年前、五島列島をバスと船と徒歩だけでずっと回ったが、途中で何回も土地の方が車に誘ってくれ、一度はパトカーが乗せてくれたこともあった。
 伊能忠敬になぜ関心が向いたのか。一昨年『記号的理性批判』(御茶ノ水書房)という著作を刊行したとき、今は青山学院大学で活躍している中野さんという方が「あばたもえくぼ」的な書評を書いてくださった。その末尾に「著者はかなりのお年で、伊能忠敬を連想させる」とあった。そのとき伊能忠敬の生没年を調べると、1745年~1818年で、73歳で死んでいることがわかった。私はそのとき、すでに伊能忠敬よりも長生きしていたのである。そのときから、いちどは佐原にいってみようと思っていたのである。
 伊能忠敬記念館と伊能家の住居は、小野川という川の両岸に向かい合っている。小野川は狭い川だが、昔は水運に使われていたと聞く。現在は発動機の付いた船が観光客を運んでいる。たまたま「あやめ祭」の日で、大勢の観光客がいたが、翌日の新聞を見ると、会場には6000人が集まったそうである。伊能忠敬記念館にも多数の見学者がいた。香取市の小中学生は無料で入場できる。地方自治体が博物館・美術館を運営し、図書館を維持していくのはなかなかたいへんである。しかし、夕張市のように財政が行き詰ったからといって、最初に図書館・美術館を廃止してしまうのはよくないことだ。新国立美術館をつくる予算を、地方の文化施設にまわすという発想は、日本の政治家にはまったくないらしい。
 佐原は派手な場所ではない。伊能忠敬という人物は偉い人だが、”スター”ではない。しかし彼の銅像を仰ぎ見ると、またどこかを歩きたくなる。(2009年6月13日)

(付記。この文章は、6月13日に書いて、ブログの「管理人」の方にアップするようにお願いしたのであるが、いくつかの事情が重なって遅れてしまった。このブログの更新がされないので、「どうかしたのですか」という問い合わせがフランスにいる知人からも届いたりして、ご心配をかけたが、私は元気で、7月にはチベットとインドのあいだの仏教国ブータンへ行き、ラッキーなことに皆既日食も見て来た。そのことについてもいずれこのブログで報告する予定である。2009年8月16日)

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