宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

アルチュセールの星座へ~読むという行為~(2)

<二つの装置の関係>
 
ひとつは、抑圧的国家装置とイデオロギー的国家装置の相互的な関係という問題である。もちろんこの問題はアルチュセール自身が意識していた問題である。それは、伝統的・古典的なマルクス主義では、下部構造と上部構造の関係というかたちで提示される。そして、上部構造は下部構造の「反映」だということになる。二番目の問題は、「呼びかけ」(interpellation)のあり方についてである。三番目の問題は、このようなアルチュセールの考え方とデリダの思想がどのようにかかわるかということである。デリダがフロイトから導入してきた「事後性」の概念を、アルチュセールとからませることができるのではないかとうのが、私の仮説である。
さて、アルチュセールは、抑圧的国家装置とイデオロギー的国家装置の関係について次のように問題を提示する。(引用は西川長夫、伊吹浩一他訳『再生産について』平凡社、2006による。)この二つの「装置」という考え方の起源は、もちろんマルクスにある。「土台の最終審級における決定によって決定されたものとしての、上部構造の階の効力(あるいは決定)の指標は、マルクス主義の伝統においては、次の二つのかたちで考えられている。1 土台との関連において上部構造の<相対的自律性>が存在する。2 土台に対する上部構造の<反作用>が存在する。」(p.328) これをアルチュセールの用語で言い換えると、イデオロギーにはある程度の自律性があり、そればかりか、イデオロギーは抑圧的国家装置に対して影響を与えることがあるということになる。「相対的自律性」、「上部構造の反作用」ということばに注意すべきである。

<スピノザの影>

「講義」ではほとんど触れることができなかったが、アルチュセールのイデオロギー的国家装置論にはスピノザの影がある。これは「イデオロギーとイデオロギー的国家装置」では明確に示されはいないが、『未来は長く続く』(宮林寛訳、河出書房新社、2002)を読むと、スピノザに対するアルチュセールの熱狂的・絶対的な敬意、驚き、賞賛を感じないわけにはいかない。アントニオ・ネグリのスピノザ論『野生のアノマリー』を読むと、「驚くべきことだが・・・」ということばが目に付く。ネグリはスピノザの思想に驚きつつ、その驚きをもとにしてスピノザ論を書いたのである。アルチュセールのスピノザに対する態度にも、ネグリと似たものがある。アルチュセールは、ヘーゲルがスピノザを「最高の哲学者とみなしたのは偶然ではない」とのべたあと、(『神学政治論』において)「スピノザがイデオロギーの性質をめぐる驚異的な意識に達した」と確信したと書いている(p.292)。スピノザの思想は、アルチュセールにとっては「驚き以外のなにものでもない」(p.293)のである。それはスピノザが「イデオロギー的国家装置」の概念にすでに到達していたからである。アルチュセールは、「ユダヤ民族の宗教的イデオロギーと、寺院、神官、供犠、戒律、典礼、など、イデオロギーの物的存在との関係をめぐるスピノザの概念形成に舌を巻いた」(p.293)のである。ここで「舌を巻いた」と訳されているフランス語は「adomiration」である。それは「驚き」であり、「感嘆」である。ひとりの思想家が、過去の思想家に対して「驚き」の感情をもって接していることに、私は深い感銘を覚えた。 ここでアルチュセールが「イデオロギーの物的存在」といっているものは、イデオロギー的国家装置にほかならない。アルチュセールは、イデオロギー的国家装置として、教会・学校・家庭・文化などをあげているが、スピノザはすでに早くからそうした装置の重要性に気付いていたのであり、アルチュセールはそのようなスピノザの鋭い眼を理解できる哲学者であった。スピノザに対するアルチュセールの敬意と似たものは、ラカンにも存在していた。ラカンが若いときからスピノザに傾倒していたことは、ルディネスコの『ジャック・ラカン伝』に明確に示されている。そうすると、スピノザを中心にして、アルチュセール、ラカンを含んだ「星座」を作ることができる。「星座」の概念はベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』の冒頭で示されているが、そのばあい星座を構成するそれぞれの「星」は、ベンヤミンのことばを借りれば「思考像」(Denkbild、thinking image、thought-image)である。(「思考像」については、最近「モルフォロギア」29号に書いた拙稿「像と言語」を読んでいただきたい。)それらの思考像を集めて「星座」を作るときに作用するのは「ラプソディー」のようなもの、つまりきわめて非合理的なものである。それは、アメリカの哲学者チャールズ・サンダース・パースの推論の方法であるアブダクション(結論を先に提示する方法)についてもいえることであり、そこには一瞬の「閃光」が介入する。(パースのこの方法については、拙著『記号的理性批判』に収めた「アブダクションの閃光」で詳説した。)

<アルチュセールの諸概念の星座>

そのベンヤミンの謎に満ちた論文「翻訳者の使命」について鋭い分析をしているポール・ド・マンは、晩年にアルチュセールに深い関心を抱いていたといわれる。そのことについて少し触れているのがクリストファー・ノリスの『ポール・ド・マン』であるが、そのノリスは『スピノザと近代の批判理論の起源』のなかで、アルチュセールの重要な概念のひとつである「構造的因果性」がスピノザに由来するものであると指摘する。スピノザはアルチュセールにとって「真の構造主義者」である。「構造的因果性」は、アルチュセールのもうひとつの重要な概念である「重層決定」と重なる。「因果的諸関係の全体の秩序を知覚すること」が求められる。それは「単なる偶然的な時間・空間の限界を超えた、純粋で(実際に神にも似た)理性的な知性に対して現れてくる因果的諸関係」(Christopher Norris, Spinoza and the origins of modern critical theory, Blackwell,1991,p.37)にほかならない。それがまさに「構造的因果性」である。ノリスはこのアルチュセールの概念にスピノザの『エチカ』で示されている思考そのものを見出している。スピノザが求めた「必然的な真理」(p.38)が、アルチュセールにおいては「構造的因果性」となる。なお、付言しておくと、ロランゾ・ヴァンシゲラの『スピノザと記号』(Lorenzo Vinciguerra,Spinoza et le signe,Vrin, 2005)はスピノザとパースとを星座的に結ぼうとするスピノザ論である。
また、アルチュセールは『資本論を読む』のなかで、スピノザの思考の方法の画期的な新しさについて次のように述べている。「スピノザは、デカルトの観念論のなかに潜在するドグマティックな経験主義と呼ぶべきものに反対して、認識の対象あるいは本質はそれ自体で、現実的対象から絶対的に区別され、異なっている都とわれわれに警告した。なぜなら、彼の有名な言葉を借りて言えば、二つの対象、すなわち認識の対象である円の観念と現実的対象である円とを混同してはならないからである。」(『資本論を読む 上』,p.74)これはきわめて重要な見解であり、『資本論を読む』はこの思想にもとづいて書かれているといっても過言ではない。アルチュセールのマルクス読解の基本である「認識論的切断」は、このスピノザの考えの適用である。
こうして、スピノザ、マルクス、アルチュセールの三人が作る星座が輝き始める。また、アルチュセールの提示した概念である「構造的因果性」「認識論的切断」「重層決定」などが、けっしてばらばらに存在するものではなく、それらの概念そのものが、一種の「思考像」としての役割を持ち、相互に結合して星座を形成する。アルチュセールを読む作業を通じて、彼の作ったさまざまな概念を相互に星座に形成することができるのであり、この星座によって、ふたたびそれらの概念の力を認識できる。星座はこのような力を持つものである。 

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