宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

+二つの世界

 去る2009年7月に、ブータンを訪れ、また九月下旬には上海に出かけた。ブータンは九州より少し広国土であるが、人口は七五万の小さな国である。国土のほとんどが山であり、二本しかない国道は断崖絶壁に沿って作られている。やがてはガンジス川に注ぐという川はあるが、激流のところが多く、「船」というものがない。川でさかなをとるということもほとんどないという。市場に売っているさかなは、インドから輸入してきたという川魚の干物だけであった。
 7000メートル級の高い山はあるが、ネパールと違って、ブータンの高い山は登山が禁止されている。山は聖なる領域であり、外国人に山登りをさせて財政に役立たせようというような発想はない。国王の家を遠望したが、宮殿などというものではなく普通の家であり、車もトヨタのランドクルーザーが一台あるだけだという。国営の航空会社ドゥルク・エアが所有している飛行機は二機にすぎず、ダッカもしくはカルカッタ経由で、バンコクと結ばれている。
 山の国であるから、道路を作るのもたいへんな仕事であり、山奥の村へは野宿をしながら歩いて行くほかはない。すべてが質素な生活であり、ホテルのレストランの食事も、野菜が中心で、五、六種類の料理しかない。しかしブータン人の生活は、簡素ではあるがけっして貧しくはない。森には日本のとは少し違った種類の松がたくさん茂っていて、まつたけに目をつけた日本やドイツの企業が金もうけをしているらしいが、首都ティンプーを初めとして「都市」の中心街は少しも派手なところがない。
 こういうブータンを、文明の遅れた国だと考えるのは間違いである。病院・学校・郵便局といった「近代的な」制度は、始まってまだ五十年に満たないという。学校の役割はゾンと呼ばれる、行政機関と僧院が一体化したものがはたしてきた。いまでは公立の学校と私立の学校があり、そこに「格差」が生まれつつあるという。ブータンもやがては「近代化」が浸透するのであろうか。

 上海に行ったのはそれから二ヵ月後のことである。子どものころ「夢のスマロかホンキュの街か」という流行歌の文句を意味もわからずに聴いていたのだが、黄浦江の西岸の古い街には租界の時代の建物がまだ残っている。しかしいまや黄浦江の東岸は、完全なハイライズの街となっている。十数年前に建てられたテレビ塔はすでに色あせた感じであり、それに代わって森ビルが作った上海環状金融中心など、むやみに高いビルが文字通り「林立」している。
 以前にリュック・ベッソンの「フィフス・エレメント」という未来社会を舞台にした映画があって、そこでは林立する高層建築物のあいだを「空中タクシー」が走りまわっているシーンがあったが、上海の街の情景はこの未来都市のイメージを反復するものである。話題の上海環状金融中心は500メートルに近い高さのビルであるが、その展望フロアへは高速のエレベータで行くことができる。そこから見渡しても、やはり見ることができるのは、限りない数の高層ビル群である。しかしこの高層ビルよりももっと高い建物が建てられつつある。バベルの塔の競演である。ドバイには800メートルの高層ビルが建てられ、日本でも634メートルのテレビ塔が建築中である。
 上海の人口は1700万だという。プライドの高い富裕な上海市民は軽自動車よりも大型の車を好むというが、クラクションをけたたましく鳴らす大量の車で渋滞する上海の街は、排気ガスと黄砂のようなもので霞んでいる。そして林立する高層ビルのあいだには、まだ「庶民」の汚れた住宅がひしめいている。市内のいたるところに林立する高層マンションには広くて高価なものがあり、日本のに似た不動産屋のガラス窓に貼られた広告を見ると、場所にもよるであろうが、「150平米、400万元(6000万円)」という「物件」もあった。1億円以上のものもある。どういう階層の人が買うのであろうか。
 こうした上海は、「未来都市」を現実化したもののように思える。市の中心と新しい空港を結ぶリニアモーターカーは、時速400キロメートル以上の超高速で走っている。すべてがあわただしく、騒音に満ちている。われわれはこのようにして未来へと急いでいるのであろうか。ブータンように、「近代化」を可能な限り遅らせている国がまだある一方で、とにかく空に向って突き上げ、いたるところで「疾走」している都市がある。

(付記。本稿は、札幌の書肆吉成で、年に三回刊行されている「アフンルパル通信」第9号に載せる予定で執筆したものであるが、版元の都合で同誌の刊行が少し遅れるというので、ブログにアップすることにしたものである。 なお、ついでに記しておくと、昨年末にこのブログに樫村愛子さんの新著の書評を載せた山家歩さんは、当研究所の研究員で、昨年11月に長坂和彦氏との共訳でケンダール、ウィッカム『フーコーを使う』を論叢社から刊行した。)

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