宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

南柯の夢

去る二月の中旬に、房総半島の千倉の海岸のあたりを歩いていると、立派な石碑が目についた。その近くに説明の文章を記したものがあった。それによると、1780年にそのあたりの海で難破した清の船の乗員を、地元の人たちが救助したことがあり、それを記念する石碑であった。当時その地域は岩槻藩の領地で、漢学者でもあった児玉南柯が救助の指導にあたったのだという。
以前に横須賀美術館に行こうとして、京浜急行の浦賀駅を降りてバスに乗ったが、途中で美術館の方には行かないバスだと気づいて急いで降り、40分ほど歩いたことがある。歩いて行くと、そのあたりが江戸時代には川越藩の領地であることがわかった。また栃木県の真岡の町を歩いたことがあるが、そこはかつて小田原藩の領地で、二宮金次郎が小田原藩から派遣されていた。真岡と合併した二宮町という町名がそのことを示している。そういう例をいくつか知っていたので、千倉が岩槻藩の領地であったことも別に不思議なことではないと感じた。
それでも、岩槻と児玉南柯という人物には興味があったので、三月中旬に岩槻に出かけた。平成の市町村大合併で、岩槻市は「さいたま市岩槻区」となっている。そのため、かつての立派な岩槻市役所は、岩槻区役所になっている。公民館にも行ってみたが、大きな建物を持てあましている感じがした。
東武線岩槻駅の近くに「遷喬館」という岩槻藩の藩校があって公開されているので入ってみた。これは元来は児玉南柯の私塾であったものが藩校になったのだという。こじんまりした建物だが、掃除をしていた女性の説明によると、児玉南柯は午前は「論語」の素読を行ない、午後は講義をしたのだという。
そこで求めた『岩槻藩と城下町』という冊子によると、児玉南柯の祖父の姉が、絵島生島事件の絵島(江島)だという。いろいろなものがつながっていることが次第にわかってくる。
児玉南柯の「南柯」は、中国の故事によるもので、ある男が南柯郡というところの長官に任命されたのが実は夢だったという話に基づくことにあとで気づいた。昨年亡くなった平岡正明の『志ん生的、文楽的』(講談社文庫、2010)を読んでいて「南柯の夢」のことを知ったのである。手元にある「新潮国語辞典」にも出ていることで、無知が恥かしい。(2010年4月8日)

(付記。このブログにアルジェリアのことを記した拙文をアップしてあるが、そのほかに私は「地の果てで感じたこと」という文章を「アフルンパル通信」9号に書いた。これはアルジェリア出身の作家アルベール・カミユをアルジェリア人がどうみているのかを、「精神技法」という概念と、アルジェリアの新聞記事とを使って考えたものである。お読みになりたい方は、同誌の発行元であり、このブログにリンクしてある書肆吉成にご連絡ください。また、フランスがアルジェリアの独立の直前にサハラ砂漠で行なった核実験の問題について論じた「サハラ砂漠の閃光」という拙稿が御茶の水書房刊『危機からの脱出』に掲載されている。これも併せてお読み下さい。)

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