宇波彰現代哲学研究所

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フーコー読書会報告

 宇波彰現代哲学研究所の主催によるフーコー『言葉と物』第2会読書会が、11月19日(金)、20日(土)の二日にわたり開催されました。会場を東京の中野に移し、前回よりも2名多い9名の参加をえて、活発な議論が繰り広げられました。
 今回の範囲は、第4章「語ること」、第5章「分類すること」、第6章「交換すること」でした。すなわち、古典主義時代におけるエピステーメーが主題です。これは、分節化、指示、転移、主辞=属辞関係定立という4頂点からなるあの有名な四辺形によって表されるもので、一般文法、分類学、富の分析を具体例として説明されています。
 さて、今回の読書会での私なりの収穫は、この四辺形の4頂点について、少し理解が深まった点です。これらは、一般文法の言葉で概念化されていますが、分類学や富の分析においても同型の四辺形が確認されるのであり、重要な概念です。しかし-―だからこそ--、理解するに難しい概念ですが、今回の報告では、言語学を援用しながら分かりやすく説明していただきました。やはりフーコーを読むには、背景となる知識が必要なのだと痛感させられました。
 次に、古典主義時代のエピステーメーを論じるフーコー自身の立脚点を忘れてはならないことも確認できました。フーコーの博識さや絢爛な文体に引きずられて、ついつい古典主義時代を単独でクローズアップしたくなりますが、むしろ近代との比較のなかで理解しなければなりません。フーコーはあくまでも近代的エピステーメーのなかで古典主義時代を語っているのであり、そのようなフーコーの語り口が、近代的エピステーメーをほんのりと浮き彫りにしており、本書の趣旨からしてこちらの方が重要です。というのは、ボルヘスの笑い当惑から生まれた本書は、思考の不可能性を問うことによって思考の可能性を問題とようとするものだからです。
 次回からいよいよ近代がとりあげられることになります。今回の成果を踏まえて、いわば近代に古典主義時代をぶつけてみた場合、思考の可能性と不可能性の境界がどのように浮かび上がってくるのか、楽しみです。
 最後に、参加されたみなさん、ありがとうございました。また次回もよろしくお願いします。

(付記。これは、2010年11月19~20日に中野で行われた第二回フーコー研究会のレポートです。二日間にわたる、かなりきびしい日程にもかかわらず、参加者の皆さんは、周到な準備をして、きわめてレヴェルの高い報告をして下さいました。私にとってもたいへんな刺激になりました。フーコーの自民族中心主義の一端も見えました。彼が文字としてのアルファベットの優位を説き、その使用が「思考の進歩」に貢献したと考えていることがわかったからです。
次回は2011年3月の予定です。関心のある方はぜひ参加して下さい。このレポートは、前回と同じく千葉義臣さんにお願いしました。2010年12月19日 宇波彰)

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