宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

魚尾雪峯

魚尾雪峯

 2011年の2月中旬から下旬にかけてネパールに行った。ネパールは初めて訪れる国である。ネパールでは特に若い人たちが新聞を熱心に読んでいる姿をよく見かけた。電力が不足していて、都市でも昼間は電気が供給されない。夜も停電の時間が長いのでテレビはあまり普及していないように見えた。そのため新聞が読まれていると推測された。
 現地で読んだ1月20日の「ヒマラヤンタイムズ」には、ネパール人民解放軍の兵士だったある若者が、高卒資格認定試験に備えて、「深夜にオイルを燃やして勉強しています」(burn midnight oil)という記事が載っていた。これは暖房用の油のことではなく、照明のための油のことである。この記事はネパールの電力不足を示すものでもある。昼のあいだは大都市でも電気が来ないから、商店のなかは暗く、道路に設置されてある信号機も機能しないので、交通整理の警官が働いている。水の供給も十分ではなく多くの家に大きなタンクがある。しかし、そういう状況だからといって、ネパール人の「文明」が遅れているなどと考えるのは大間違いである。彼らは、自分たち自身の知恵・知識で生活している。「電力不足」などというのは、実は間違った発想に基づくものである。「電力」があるのを前提とした考え方であり、かつて川田順造が「無文字社会」という概念を取り消したことが想起される。
 
 河口慧海(1866~1945)がチベットに仏教の経典を求めに行く前、ネパールでしばらくすごしたことは、彼の『チベット旅行記』で知ることができる。河口慧海が立ち寄ったポカラまで、カトマンズからおよそ150キロメートルあるが、白馬に乗った河口慧海は、10日かかってそこに着く。河口慧海は、『チベット旅行記』で、そのポカラについて次のように書いている。「ポカラという所はネパール山中では甚だ美しい都会であたかも日本の山水明媚なる中に別荘が沢山建ててあるかのごとくに見えます。竹の林に花の山、新緑鬱茂して居るその上に、魚尾雪峯(マチプサ)より流れ来る水は都会の周囲を流れて遠く山間に流れ去るという。」(講談社学術文庫版、第一巻、p.66)河口慧海がポカラを訪れたのは、1899年のことであるが、描かれているポカラの風景は、いまとそれほど変わりがない。この文中にある「魚尾雪峯」とは、標高6993メートルのマチャプチャレのことである。マチャプチャレとは「さかなの尾」のことだそうで、「魚尾雪峯」はその漢訳らしい。実際に姿がさかなの尾に似ている山である。河口慧海が見た山を同じポカラから見るのは感激であった。

 ネパールは2008年にネパール王国からネパール連邦共和国になった。私が出かける少し前、2011年2月3日にネパール議会が、ネパール統一共産党の議長ジャラ・ナート・カナルを新しい首相に選出したという記事を日本の新聞で読んだ。ネパールで新聞を読んでみると、首相は決まったが「組閣」が難航していることがよくわかった。特に「内相」のポストの獲得が焦点であるように思われた。複数の政党が「乱立」する状況で、なかなか組閣ができないらしい。民主主義の歴史が浅いからやむを得ないが、いわゆる「政治学」は、こういう国家の政治情勢をも考察の対象としていないように見える。欧米の「大国家」を考察の対象とするだけでは「政治学」は成り立たないのではないかと思った。
 
(付記。2011年2月に撮影した「魚尾雪峯」の写真を添付します。2011年3月18日)

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