宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

現代フランスのメディア状況

水道橋駅に近いアソシエホール(ホールといっても広くはないが)で、「アルチュセールを読む」というゼミ風の研究会を12005年から始めてか2年が経過した。最初は「フロイトとラカン」を読んだ。ラカンは難解であるが、アルチュセールのこのラカン論はきわめて明晰である。ラカンの主著『エクリ』は、早くから邦訳があるが、この訳で読んでもどうもよくわからないといわれている。もともとフランス語の原文がよくわからないものであり、彼のセミネールも、何が語られているのかわからなかったという。特に1973年頃からは、ボードにトポロジー(図表)を書いて黙っていることが多かったとエヴァンスが『ラカン精神分析事典』(Dylan Evans,An introductory dictionary of Lacanian psychonalysis,Routledge,1996)のなかで書いている。(ラカンに関する辞典は何点か刊行されているが、このエヴァンスのものは高い評価を得ている。近く邦訳がでるというジジェクの『ラカン入門』Slavoj Zizek,How to read Lacan,Granta Books,2006の巻末にある参考文献リストを見ると、ショーン・ホーマーのラカン論Sean Homer, Jacques Lacan,Routledge,2005がベストであるとされているが、このホーマーのラカン論には、エヴァンスの辞典は「単なる辞典に以上のものであり、ラカン研究には本質的なもの」と記されている。またラバテのラカン論であるJean-Michel Rabate,Jacques,Lacan,Palgrave,2001でも、参考文献として特に注目されている。)
「アソシエ」(19号)に掲載された拙稿「アルチュセールの星座」でその中間報告をしておいたように、私たちはアルチュセールの理論を単に純粋な机上の理論として「学問的に」検証しようとしたのではない。つねに内外の社会・政治の現実的動きと関連させて考えてきたつもりである。アルチュセールは、マルクスの考えに従い、次のように書いている。「社会構成体は生産を行うのと同時に生産の諸条件の再生産を行わなければ、一年といえども生きながらえることはできない」(SS.85)。(アルチュセール、伊吹浩一他訳『再生産について』平凡社、2005,SSと略記し、そのあとに引用のページ数を示す。)このばあいの「生産の諸条件」には、生産設備だけではなく、労働者も含まれる。そして資本主義社会において労働力の再生産が、資本家階級が労働者に賃金を支払い、そのことによって労働力を再生産する(具体的には、労働者の家族が労働者になる子供を産んで育てる)という「生物学的」構造だけを基礎としているものではないことが論じられている。労働者を支配階級にとっての労働者らしく再生産する仕事が、資本主義の体制のなかで作られている。古典的な概念では「上部構造」と呼ばれているものが、下部構造に逆に力を及ぼすプロセスが少しずつ見えてきたともいえる。それがアルチュセールの「イデオロギー的国家装置」という考え方の基盤である。イデオロギー的国家装置は、抑圧的国家装置と連動しているが、両者の関係はけっして単純ではない。この関係を考えるためにも、現実の状況を考察することが不可欠である。2007年夏の自民党の総裁選挙にあたって、候補者のひとりとなった麻生太郎は「自虐的史観には与しない」といった。この「自虐史観」という概念は、日本のマスコミというイデオロギー的国家装置が「呼びかけて」きて作られたものである。そしてこの問題を考えるときには、アルチュセールの思考を支えるラカンの思想を前提とすることが不可欠でることもわかってきた。つまり「呼びかけ」(interpellation)という概念は確かにアルチュセールのものではあるが、その背後にはラカンの言語論・記号論があるからである。つまりラカンはシニフィアンとシニフィエの直接的なつながりという伝統的な記号についての概念を否定し、シニフィアンがシニフィエを作ると考えたからである。S(シニフィアン)をs(シニフィエ)の上に置くラカンの図式は、アルチュセールによるパスカルからの引用とつながる。「教会に行き、跪いて祈りなさい、そうすれば自ずから神を信じることができる」というパスカルの教えほど恐ろしいものはない。日の丸を掲げ、君が代を歌っているあいだに、いつのまにかわれわれは右への道を歩んでいることになるからである。「再生産」には、そのような要素も含まれている。アルチュセールはわれわれにそのことを教えているのであり、その仕組みを理解し、批判すべきであろう。そしてこの仕組みは日本だけのもではない。
いまアメリカとフランスのマスメディアの世界で起こりつつあることにも注目すべきである。この小論は「フランス左翼の凋落」をテーマにするものではあるが、その問題は「グローバル」に考えるべきである。2007年にマスメディアに関して世界中で話題になっていたのは、オーストラリア出身のメディア界のドンであるルパート・マードックが経営するニューズ・コーポレーションが、「ウォール・ストリート・ジャーナル」の発行元でもあるダウ・ジョーンズを買収したことであった。「メディア王」と呼ばれるこのルパート・マードックは、アメリカの市民権を持っているオーストラリア人である。(私はマードックというと、イギリスの作家アイリス・マードックを想起する。友人から贈られた彼女の分厚いサルトル論はいまも手元にある。)ユダヤ人ではないが、イスラエルに親近感を持つ人物としても知られている。マードックが経営する大メディア産業ニューズ・コーポレーションは、アメリカのフォックステレビ(共和党寄りの立場を鮮明にしているテレビ局で、政府からの情報を最も早く入手できるといわれているし、またこのテレビの番組を見ている視聴者が保守的になるという調査もある)やイギリスのタイムズなどをはじめとして、新聞・テレビ・映画などの100以上のメディアを所有する巨大な産業組織である。アメリカではメディア産業が新聞・テレビ・映画だけではなく、ばあいによってはプロ野球の球団やプロレスの団体をも傘下に置くのが日常化している。このニュー・コーポレーションが、アメリカの経済紙を代表する「ウォール・ストリート・ジャーナル」などを持つダウ・ジョーンズを買収したのであるが、それは単に大きなメディア産業がさらに大きくなったというだけの話ではなく、また抽象的な編集権の問題の次元ではなくなっている。 毎日新聞は2007年8月3日の社説「複合化がメディア再編のカギだ」においてこの問題を取り上げてはいるが、マードックの思想的・政治的立場の分析・批判にまでは立ち入っていない。「毎日新聞」(8月12日)は、ロンドン市立大学のグリーンズレイド教授が、イラク戦争開始時にマードックグループのメディアが、いっせいにブッシュの軍事行動を支持したことを批判したと伝えている。しかしそれ以上のマードック批判は見ることができない。マスメディアは本質的にどこかで国家権力とつながっているから、マスメディアの自己批判はなかなか成立しない。またすでに7月19日の日経も社説「メディアの将来占う米DJの買収」で論じてはいるが、このできごとを「デジタル時代の日本のメディアや報道機関のあり方を占う試金石」として捉えようとしているにすぎない。もっともそれ以上を日本のマスメディアに望むのは「無い物ねだり」になるであろう。それにもかかわらず、こういうマスメディアの姿勢に対してあらゆる機会を捉えて批判することは不可欠の作業である。マードックのような保守的・反動的で戦争好きな経営者が、世界の「世論」を形成することには、いたるところで異議をとなえなければならない。フランスの週刊誌「レクスプレス」(7月26日号)は、「共和党よりのふフォックステレビを支配する」マードックがヒラリー・クリントンにも選挙資金の提供をしようとしているとし、彼の「左への旋回」ではないかと記しているが、これは表面的な動きにすぎない。
権力・財力・メディア力が結合するというアメリカでの状況が、いまフランスでもまさに「再生産」されている。サルコジがドイツに出かけて、核兵器の共有をメルケルに提案して断られたが、こういうことが平気で行われるのは、メディアの批判的な力がすっかり弱くなっているからである。アメリカでのマードックの行動を模倣しているのが、ベルナール・アルノーが会長を務めるLVMHグループによるフランスの経済紙「レゼコー」の買収計画である。「レゼコー」は発行部数は14万部と少ないが、アメリカでいえば「ウォール・ストリート・ジャーナル」、日本でいえば「日経」のような有力経済紙である。現代の新聞は発行部数だけで、その影響力を判断できなくなっている。それは単にその新聞のクオリティの問題ではない。今日ではテレビ・ラジオが新聞を「引用」する機会が非常に多くなっているからである。つまり、「情報の再生産」という現象が進行しつつある。新聞記事をボードに張り付けて読むことが「ニュース番組」の形式になりつつある。もちろんフランスと日本でとでは状況が異なるが、「レゼコー」のばあいも、発行部数だけで規定できない要素があると見るべきであろう。それでなければ400億円近い費用を投じて買収する価値はない。アルノーが支配するLVMHという企業は、この略号ではわかりにくいが、「ルイ・ヴィトン」などの会社といえば了解されよう。Hはヘネシーであり、要するにアルノーはファッション・香料などを扱う大企業の経営者である。マードックのような「メディア王」ではない。そしてアルノーは、アメリカの経済誌「フォーブス」のランキングによると世界第7位の富豪であり、フランスではトップの金持ちである。彼の新しい邸宅の設計はフランク・ゲーリーに依頼されたとフランスの週刊誌「マリアンヌ」(6月30日~7月6日号)が伝えている。(フランク・ゲーリーはスペインのビルバオに建てられたグッゲンハイム美術館の設計者としても知られている。しかしニューヨーク、ヴェネチアなどにあるグッゲンハイム美術館の資金の源泉が、ユダヤ人の有能な経営者で、メキシコの鉱山労働者を使った搾取的経営で財をなし、映画「タイタニック」のなかで「従容として死んでいった人物」として描かれていたグッゲンハイムであったことを忘れてはならない。)またアルノーはピカソ、セザンヌ、マチスなどの美術品も所有しているという。要するに桁外れの「大富豪」である。最近(2007年12月)私は日本橋三越の隣にある三井記念美術館で「安宅英一コレクション展」を見たが、現在は大阪市立東洋陶磁美術館に収められている安宅産業の経営者だった人のコレクションの質の高さに驚くばかりであった。国宝も重要文化財もあるからである。どのようにしてこのコレクションが成立したのかは、別に考えなければならない問題であるが、とにかく高価な美術品が「富豪」を示す記号としての価値を持つものであることが、改めて認識できた。
このベルナール・アルノーはサルコジの親しい友人である。フランスではかつては左派の代表的新聞であった「リベラシオン」が、銀行家エドーワール・ド・ロスチルドによって買収されている。ロスチルドとはユダヤ系の銀行経営一家ロスチャイルドをフランス語で発音した名前である。いわゆる「左派」のメディアはまったく退潮の状態である。わずかにここで引用する「マリアンヌ」が、すこしばかり反権力的論調を示しているにすぎない。アルノーはすでにその傘下にフランス第二の経済紙「ラ・トリビューヌ」(発行部数9万部)持っている。しかしこの新聞が赤字なので、それを売って「レゼコー」に乗り換えようとしていると伝えられている。そうするとこの買収の目的は、直接的には利益の確保であるように見える。しかし、フランスでも日本と同じように「格差」が深刻化している。「マリアンヌ」(7月7~13日号)によると、過去7年間にフランスの最も富裕な3500人の収入が43%増加したのに対して、一般的な3000万人の収入の増加は4.6%にすぎなかったという。日本と似た状況である。しかし問題は単に貧富の「格差」に留まるものではない。富裕な階級、「支配階級」が、その支配を続行するためのイデオロギーを、意識的・無意識的に被支配階級のひとたちに「呼びかける」イデオロギー的国家装置を手に入れ、それを管理しようとしているのである。この見方が図式的であるという批判があるかもしれない。しかし、そうした現実をとにかく見据え、理論的な境位に立って現実の状況を分析しなければならない。
アメリカのマードックとフランスのアルノーとでは、マードックが「メディア王」であり、アルノーが世界第7位の「大富豪」である点に違いがあるとはいえる。しかし両者にとってメディアの世界への進出は、権力装置に従順な労働者の「再生産」に荷担することである。この構図をよく理解しなければならない。アメリカやフランスで起こっていることは、かたちを変えて日本でも起こっていることである。

(付記。本稿は「アソシエニューズレター」2007年10月号に掲載されたもの大幅に改稿したものである。2007年12月22日。)

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