宇波彰現代哲学研究所

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フーコー『言葉と物』読書会(最終回)の報告とラカン『セミネ-ル11』読書会のご案内

フーコー『言葉と物』読書会(最終回)の報告とラカン『セミネ-ル11』読書会のご案内

宇波彰先生を中心とするフーコー『言葉と物』第5回目の読書会の合宿を、3月18日(日)、19日(月)の両日、富山県氷見市の民宿で行いました。この合宿は、氷見市在住のメンバーの古川さんの手配で実現しましたが、富山ならでは美味しい肴を食べ、また19日(月)は富山大学・教員の小倉利丸さんにも参加いただき、楽しい時間を過ごすことができました。18日(日)はフーコー『言葉と物』(最終章-第10章)の読解をおこない、今回は時間的余裕があったため、19日(月)は『The Idea of Communism』(Coustas Douzinas and Slavoj Žižek編、Verso、2010年)を取り上げ、検討しました。
今回は、『言葉と物』読書会の最終回でしたが、「この会を今後どうするか」ということが検討され、参加者多数の意向により、今後はジャック・ラカンJacques Lacan『Livre XI, Les Quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse [1964],Seuil 1973』(『精神分析の四基本概念』小出浩之ほか訳、岩波書店、2000年)の読書会へと移行することになりました。まず、この読書会のご案内をさせていただきます。
日時:7月28日(土)15:00-21:30、7月29日(日)9:30-15:30
会場:中野・アソシエ
テキスト:上記(フランス語原書はAmazonで入手可能)
読解箇所:
28日(土)15:00-18:00:Ⅰ破門
28日(土)19:00-21:30:Ⅱフロイトの無意識と我われの無意識 発表(3人)
29日(日)9:30-12:00:Ⅲ確信の主体について 発表(3人)
29日(日)13:00-15:30:Ⅳシニフィアンの網について 発表(3人)
今回は宇波先生の発案により、同一読解箇所に関して3人がそれぞれの主張点を発表してもらうことになっています(もっとも大それたものではなく、眠気覚ましの「刺激的」要素のほうが大きいのですが…)。

参加ご希望の方は、meisan46@kind.ocn.ne.jp(吉沢 明)までご連絡ください。

■フーコー『言葉と物』(最終章-第10章「人文諸科学」)読書会の報告
ミシェル・フーコーのテキスト・クリティークにおける博覧強記と読解の腕力に関してはこの書物に関しても驚嘆の連続で、最初はよく分からない面もあったが、第6章の「十七・十八世紀」(邦訳P233)の図式あたりからなにやらフーコーの体系的意図が段々見えるようになり、それ以降は割合スムースに読解が進んだ印象がある。古典主義時代の表象の限界を指摘すること、それも重農主義時代を境にその認識のあり方が大幅に転換すること、その指摘において『言葉と物』の中にすでに我々は1970年初頭に始まるフーコーの生政治の概念の萌芽形態をすでに読み取ることができるように思える。そのことは第10章で次のように語られている。「つまり範疇は[…]生命と労働と言語の経験的で実定的な諸領域(そこから人間がありうべき知の形象として歴史的に分離された)を、距離を置きながら、人間の存在様態(表象が認識の一般空間を規定することをやめた日以後[古典主義時代の後で]成立した形においての)を特徴づける有限性の諸形態に結びつけるのである」(P384)。ここに端的に、フーコーの生政治の認識の台座を読み解く「生命と労働と言語」、「経験的で実定的な諸領域」、「人間の存在様態を特徴づける有限性」などのキー概念が現出している。まさにこのキー概念を基礎に人間の「生」のありようとその歴史を突き止めるフーコーの認識パラダイムが成立している。この点でフーコーの認識方法において一貫して重要なことは、「人間は本性において何であるかの分析ではなく、むしろ、人間がその実定性においてそうであるところのもの」(P374)を突き止めることである。この見方をおさえれば、フーコーの言説の読解のコツを掴んだように思える。
第10章は、率直に言えば、参加者大半の感想であるように、これまでの記述の繰り返し(要約)の色彩が強く、その意味ではやや密度は低いという印象を受ける。
振り返ってみるに、フーコーの著作の中でも「難解」と言われている『言葉と物』をとにかく5回(二日制)にわたって読破したことは、我々にはかなりの知的蓄積にはなったと思われる。今後とも「難解」と言われる思想書にぶち当たっていきたい。

付記:そうは言うものの、「フーコー読書会の場合ですが、誰かが報告してそれで終わりでしたが、この方式だと聞き流してしまうおそれがあるようにも思います」という、宇波先生の上記「3人発表」案の指摘にあるように、私などはちょっと寝てしまったこともあり、議論として必ずしも充分な密度を保てたわけではないことは補足しておかなければならない。

(吉沢記)

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