宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

辻昌宏『オペラは脚本から』(明治大学出版会)

                    イタリア人は歌っている

イタリアに行くと、電車の中、レストランの中、人々の会話はすべて歌っているように聞こえてくる。なんで、こんなオーバーな身振りと、しゃべり方をするのか、と最初は不思議に思えるが、でもそのしゃべり方の音調を聞いていると、だんだん心地よい気分になる。それで、ほとんどの会話において語尾が上がるイントネーション↗を聞くと、なるほどイタリア人は楽天的、快活だと実感させられる。なんといっても、イントネーション↗は楽観的な(感動的な)、↘は悲観的な(冷静な)心情を物語っていることは、イタリア人と話していて得心するから。マキアヴェッリの原書読書会にこの間参加しており(注)、あのマキアヴェッリにも、語調におけるリズム感(響き)、それに伴う感情表現の巧みさがあって、しばしば当然韻を踏んだ文章にもお目にかかる。そうすると、下手くそな僕のイタリア語でも、文章を音に出して諳んじたい気分になる。このリズム感の心地よさ、感情表現の巧みさはイタリア人(イタリア語)ならではある。もともとイタリア語の表現(音調)は、音楽的だと否応なく思い知らされる。日本語にもそうした長所があるのは間違いないのだが、なにぶんにも、短歌、俳句をはじめとして、そうした国語力が弱体にして、日本語の表現力の深さに思いをはせることができない。もしかしたら、「君が代」にも音楽的な意味合いという点では、イタリア語と同等の長所があるのかも…
(注)マキアヴェッリ原書読書会は、7年間にわたって読み進めてきた『ディスコルシ-ローマ史論』を読了し、今後は『戦争の技法L’arte della guerra 』に移行します。関心のある方は、吉沢明meisan46@kind.ocn.ne.jpまで。

イタリアオペラの魅力は、そうしたイタリア語の音楽的な特性に、音楽そのものが合体していることにあると考えるのが妥当なのだが、辻さんの本著はその合体の構造とそこでの脚本のもつ意義を解き明かしており、僕としては最大の称賛を惜しまない。
一級の「趣味人」でもある辻さんは毎年GWに開かれるイタリア映画祭のほとんどの作品を見ており(その評は彼のブログ「イタリアに好奇心」を参照ください)、映画のなかで使われる表現、言い回しに着目して僕にも解説してくれ、その指摘が嚆矢を得ていて、感心したことがある。日頃から、何事にも、表現、言い回しには格別の配慮を払ってきたはずであり、それは、英文科卒の、エリオットにはじまる詩(言葉)の構造に対する認識(関心)にもよっている。その認識(関心)は、子供のころからのピアノの素養、イタリア語、並びにイタリア近代史の知識と結びついて、今回のオペラの脚本(リブレット)の読解に見事に結実した。
本著の中で格別興味を惹かれるのは、プッチーニとドニゼッティにおけるリブレットと作曲との連携とせめぎあいを論じる辻さんのやや強引とも思える読みである。この読みは、読み込みすぎという向きもあるかもしれないが、でも僕にはこれが断然 面白かった。ここではドニゼッティの言及箇所を中心に論じていくことにしよう。
第3章ドニゼッティの「愛の妙薬」の箇所で、「アディーナがベルコーレの求婚を軽くいなす部分に付したドニゼッティの音楽は絶妙としかいいようがない。ドニゼッティの魔術がすべて詰まっているといい個所なので、細かく見ていこう」と語るところは本著の頂点である。「魔術」と読み取り、推理小説よろしくその種明かしをすることが、もっともやりたかったことではないか、それが本著の見せ所であり、彼の腕力を感じさせるところでもある。
ドゥルカマーラが登場する場面、「Certo, certo egli è un gran personnagio…確かに、確かに、お偉いさんだ…」、このcertoを2回も連呼すれば、「怪しげな(不確かな)」響きをもつことは明らかなのだが、ここからの読みが素晴らしい。音調の揺れとcertoという言葉のつなぎの分割(cer・to)というドニゼッティの絶妙な手腕を論じて、「こういう微妙な認識のずれ、ゆらぎをユーモラスに表現するために、以上三つのレベルにわたって、精妙な工夫が凝らされているのだ」と、その手法を明らかにしている。一方で、ここで「「祖国への熱い熱」といったロマン主義(注:ヴェルディに典型)と強く結びついた概念が、インチキ薬の叩き売りの場面で登場することにも注目が必要だ。このオペラではロマン主義、あるいはそれと結びついた概念が無条件に讃えられるのではなく、痛烈なアイロニーを持って語られているわけだ」という、辻さんの視点が導入される。この「痛烈なアイロニー」という読みは、全篇の絶えざる視点で、一筋縄ではない、作曲家の含意を明るみにする意味で効いている。掛け合いにおけるセリフの押韻の仕方の分析も秀逸である。アディーナとドゥルカマーラの力 関係の逆転劇、つまり「ああ、先生よ。彼女はあまりに抜け目ない。/お前さん(注:自分に呼びかける)より上手だよ」とのドゥルカマーラの告白を押韻のパターンから分析している。少なくとも、知る限りこれまでこのような指摘はなかった。「オペラ・ブッファ史上最大の逆転劇」と小見出しで論じる、「ノー天気男」の主人公・ネモリーノがアリア「人知れぬ涙」の推理・分析も、しかりである。詩型-音節の分析を通して、ドゥルカマーラ-アディーナ(辻さんの語法では「ゲーム的恋愛観」の持ち主)とネモリーノ(「ロマン主義的恋愛観」の持ち主)の心情の対比が描かれる。当時主流であったゲーム的恋愛観に対して「ドニゼッティは、もうオペラも終わりに近いところに([…])、このロマン主義の時限爆弾をそっと置いた。当初は、案の定、ロマーニ[ドニゼッテイオペラ作品の脚本家]やその夫人たちのように多少の拒絶反応があったが、時代の判定はどうだろう。今や、《愛の妙薬》の中で、もっとも有名で、もっとも愛されているのは、この「素朴なおばかさん」ネモリーノが心情を吐露するアリアなのである」と、ドニゼッティの、単なるオペラ・ブッファの作曲家ではなく、それでいて、ロマン主義に対してはアイロニーを持って物語を表現する作曲家の側面が語られる。
《愛の妙薬》は、ネモリーノの最適役は「ノー天気な」美声の持ち主であるパバロッティであると思っていた(また、一見「ノー天気」に見えるこの物語の展開が好きな)僕に、そう単純なオペラ・ブッファでないことを今回教えてくれた。本著の、脚本の読み方の紹介により、ドニゼッティにとどまらず、作曲家の音づくりと言葉との連関の内奥の構造を垣間見せくれたことに大いに感謝したい。やはり、我々日本人が理解している以上に、イタリア人は、歌心の絶妙なポイントをよく掴んでいることを改めて教えてくれる。 

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