宇波彰現代哲学研究所

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IS問題と聖ゲオルギウス

 ヨーロッパに行くと、いたるところに「聖ゲオルギウスとドラゴン」の像がある。1980年代に,私はギリシアのテッサロニキの土産物屋で、小さなイコンを買ったが、あとで見るとそれも「聖ゲオルギウスとドラゴン」の図像であった。2015年10月に私はプラハに行ったが、王宮の広場に「聖ゲオルギウスとドラゴン」の銅像があり、またその近くにある「聖イジー聖堂」の「イジー」が、ゲオルギウスのことであるのを知った。
 多くのばあい、ゲオルギウスは馬にまたがり、長い槍でドラゴンを殺そうとしている。この構図は,ルネサンス以降の多くの作品でも踏襲されている。またそのドラゴン退治の場面には,一人の若い女性の姿があるのが普通である。
 ゲオルギウスは、紀元3世紀の人で、キリスト教の伝道に努めたが、ローマ軍に捕らえられ、鋸で切られて処刑されたと伝えれている。ゲオルギウスについては、さまざまな伝承があるが、そのなかで最も有名なものは、彼によるドラゴン退治である。若い女性を毎年食べに来るドラゴンを退治した話は,スサノオの八岐大蛇退治の物語と似ている。その伝承に従って、「聖ゲオルギウスとドラゴン」の図像では、若い女性が、ゲオルギウスのかたわらに立っているということになる。

 フランスの美術史家ジョルジュ・ディデイ-ユベルマンによると、現代まで続く「聖ゲオルギウスとドラゴン」という構図は,12世紀になって作られたものであり、十字軍と関係があるという。初期のゲオルギウス像は、すべて「受難」の姿を描いたものであり、ドラゴンも槍も若い女性もなかったとディディ・ユベルマンは書いている。12世紀になって、ゲオルギウスはキリスト教を,ドラゴンはイスラムを示す記号として用いられた。この構図はイスラムに対するキリスト教の勝利を祈念するものであると彼は主張している。(George Didi-Huberman,Saint George et le dragon,Adam Brio,1994)
 もっとも、ゲオルギウスが本当に偉い殉教者であったかは確定できない。エドワード・ギボンは、『ローマ帝国衰亡史』の第28章でゲオルギウスに言及しているが、それによると,彼は強欲のひとで、獄舎につながれていたが、激怒した民衆が彼を獄舎から連れ出して殺害し、死体を駱駝に乗せて市街をひきまわし、最後は海に捨てたという。ギボンは、この「悪名高い」(infamous)な「殉教者」が、どうしてイギリスの守護神になったのかといぶかって、次のように書いている。「この厭うべき異邦人(ゲオルギウス)は、時間と場所のあらゆる状況を隠して、殉教者・聖人、そしてキリスト教の英雄という仮面をかぶった。この悪名高いカッパドキアのゲオルギウスは、武勇と騎士道とガーターの保護者である有名なイギリスの聖ジョージへと変貌した。」(ギボン『ローマ帝国衰亡史 第三巻』村山勇三訳、岩波文庫、1952,p.363、訳文は少し変えてある。原文はネットで読める。)
 もとのゲオルギウスが、そういう人物であったかは、ここでは問題ではない。重要なことは、「ゲオルギウスとドラゴン」という図像が、ヨーロッパのいたるところに存在していて、ヨーロッパ人の意識にこびりついているということである。
 いま、ロシア、アメリカ、イギリス、フランスなどがISに対して爆撃を行っている。私にはそれが,地下の穴から這い上がってきたドラゴンを,馬上から槍で刺しているゲオルギウスの姿と重なって見える。
 ところで、毎日新聞(11月11日)に、フランスの経済学者・思想家のジャック・アタリの意見(記者が取材したもの)が載っている。アタリによると、「いま世界で起きているのは、文明間の衝突ではなく、文明と野蛮の衝突」だという。「民主主義を体現し、高い生活水準を誇るフランスは世界で最も優れた国」であり、過激派の行動には、それに対する嫉妬もあるかもしれないという。アルジェリアを始めとして,軍事力で世界各地を植民地化したフランスがどうして「世界で最も優れた国」なのか。シリアにしても,第一次大戦のあと、「委任統治」の地域になったシリアも,フランスが軍事力で植民地にしたのである。そういう歴史を無視したアタリの発言にはいかなる説得力もない。(2015年12月14日)

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