宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

未来図書館のリストに

「未来図書館」のリストに入れたい本はたくさんあるが、少なくとも次の3点はリストに加えてほしい。
一つは、アメリカの哲学者C・S・パースの著作集[1]である。パースは大学の教授ではなかった。しかし、あるいはだからこそ、非常に多くの論文を書いた人である。今でもパースの著作は部分的にまとめられていて、わが国でもかなり翻訳がなされている。最近では、伊藤邦武氏の優れた訳業によって『連続性の哲学』が刊行された(岩波文庫、2001)。アメリカでも一度著作集が刊行されたが、きわめて不十分なものであり、パースの熱心な研究者は、直接草稿に当たる作業をしなければならなかった。ところが、1982年から、『Writings of Charles.S.Peirce:A Chronological Edition』(Indiana University press)の刊行が始まった。エドワード・C・ムーアの書いたその第1巻の序文によると、パースの書いたものを全部本にすると、104巻を超えるという。「全集」ではなく、「著作集」という謙虚なタイトルだが、それでも少なくとも全部で24巻になる予定であると聞く。サブタイトルにあるように、この著作集は「年代順」の編集である。これは重要なことだと私は思う。バースの思考の展開のプロセスがわかるからである。1982年から始まったこの著作集は、2000年にようやく第6巻が刊行されたから、一冊編集するのに3年はかかっていることになる。そうすると、24巻の完結は21世紀の後半になるであろう。私も買ってはいるが、もちろん私が死ぬ前に完成するはずもない。これこそまさに「未来図書館」ではないだろうか。
二点目は、イギリス人であるがアメリカで活躍したグレゴリー・ベイトソンの著作集[2]である。ベイトソンはニューギニアやバリ島でフィールド・ワークをしたことがあるので、文化人類学者とされることが多いが、イルカの言語の研究をしたり、家族療法にも大きな影響を与えた「ダブルバインド」理論を唱えたり、晩年には密教にこったりして、専門領域のはっきりしない人である。こういう人は、いわゆる「研究」の対象にしにくいので、私は「ベイトソンをやっています」というような学生・院生には会ったことがない。日本にはベイトソンの「専門家」はいない。佐藤良明氏が多大の犠牲を払ってベイトソンの主著「精神の生態学」(新思索社、2000)を訳出し、私もベイトソンの映画論『大衆プロパガンダ映画の誕生』(御茶の水書房、1986)を平井正氏との共著で刊行したが、それらはベイトソンの膨大な業績のほんの一部にすぎない。しかも、ベイトソンはバースと同じように非常に多くの論文を文字通り書きまくったにもかかわらず、その大部分が単行本のかたちになっていない。それらの論文は、いわば「散逸」の状態にある。それはアメリカにもベイトソンの研究者がいないからである。私はアメリカに留学していた若い友人の協力を得て、ベイトソンの論文のおよそ80パーセントを集めた。そして、2、3の出版社に『ベイトソン著作集』を出すように話をしたが、残念ながらどこも引き受けてくれなかった。アメリカでも出ていない著作集を日本で出すのが困難であるのは十分に承知しているが、「未来図書」にはぜひベイトソンの著作集を入れたい。
ベイトソンは、『精神の生態学』の序文で、論文をまとめてみるまで、自分のしてきたことが何であったのかわからなかったと述べている。それは、「自分の思想は書いてみるまでわからない」というメルロ=ポンティの考え方と似ている。私はそういうベイトソンの考え方そのものに共感する。
もう一点はベンヤミン全集[3]である。ベンヤミンの仕事は、晶文社から著作集が刊行されており、最近は「ちくま学術文庫」に『ベンヤミン・コレクション』(全3巻、1995-97)がある。そのほかにもいくつか単発で翻訳が刊行されている。しかし、それらはベンヤミンの「全貌」を伝えるものではない。ベンヤミンの『パサージュ論』(岩波書店、1993-95)によってわかることだが、ベンヤミンの方法には、ほぼ同時代のエイゼンシュテインのモンタージュと非常に似たものがある。それはベンヤミン研究者が指摘していることである。またベンッヤミンの思考には「タルムード」のつくり方で見られる、異質な意見を共存させるユダヤ的な発想も働いているように思える。ベンヤミンの論文の中で最も有名なのは、1936年に発表された『複製技術時代の芸術作品』であるが、そこで考えられている芸術作品とは、主として写真と映画であり、とくに映画の影響力をベンヤミンは鋭敏に感じていた。そのとき、彼が考えていたのがソ連の映画、とりわけエイゼンシュテインの作品であったことは、1927年に書かれた『ロシア映画の現状について』を読むと少しわかる。バースの新しい著作集と同じように、ベンヤミンの全集もぜひ年代順の編集にしてほしいものである。ベイトソンについても同じように年代順に論文を並べてほしいものである。思考のプロセスを「追体験」することは、なかなか困難なことではあるが、それでも、時間を追って一人の思想家の足跡をたどることが可能なら、それにこした歓びはない。

(付記。本稿はIntercommunication、2002年春号に掲載された。初出のままで訂正・補筆は行なっていない。同誌が「未来の図書館にどういう本を納めるべきか」というテーマで執筆を求めたのである。この三人に対する私の関心は不変であるが、今もし付け加えるならば「ラカンの年代順作業・セミネール集」ということになるであろう。 2008年2月10日)

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する