宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

短歌で読む哲学史1

○万物にある共通のみなもとの正体探り哲学始まる
「万物のもとは水である」とイオニアのミレトスのタレス(B.C.585頃活躍)は言いました。それが西洋の哲学の始まりだと言われています。万物のもとは水とは一見、突飛な迷言に見えますね。なぜ、タレスの一声が哲学の産声となったのでしょう。それは万物というありとあらゆるもの、森羅万象をひとくくりにしたこと、それらには共通のエレメントがあると見抜いたことが、世界の洞察の学問としての哲学の基礎と考えられたのです。なぜ、水なのか、他のものではだめなのかと疑問に思いますね。水は命を育むものだからとか、水なしには生きていけないから、とか形が自在に変わる中立的なものだからとかいろいろ説明されますが、タレス以降の人々も、森羅万象のエレメントをあれこれ想像してみました。
○万物のもとは水だと言うけれど無限定ではなぜいけないか
タレスの後のアナクシマンドロス(B.C.610-546/5頃)は「万物のもとは無限定なものである」と主張しました。
すべてのもののもとであるなら、はじめは性質が限定されていないものに違いない、水では
まだ不十分だ、正確には無限定なもの(ト・アペイロン)でなくては説明ができないと言い出したのです。すべてがそこに帰って行き、そこから生まれてくるものは運動しているうちに暖められて火になり、冷たい状態では空気や水や土になる。無限定なものは自ら運動する
活力のあるものですから、これはうごめくモノがいきている、と考える、すなわち物活論の一種です。
○万物はすべて不正を償ってそのみなもとへと帰り消えゆく
「すべてのものは、もとのものへと必然の定めによって消滅してゆく。」ここまでは何とかわかりそうです。けれども「万物はその犯した不正のゆえに、秩序にしたがって、罰をうけるのだから」とアナクシマンドロスは言っています。何やら宗教的であり、法の起源みたいな話です。いろんな方向に広がってゆく話です。すべてのものがもとのものへと帰って行くのは不正の償いなのだというこのことばは、自然学と倫理学や諸学が未分化のまま説明原理として出されている、と言えるでしょう。

○万物のもとは命の息であり空気であると言おう私は
アナクシメネス(B.C.546頃活躍)はもとのものは空気であると考えました。これは古代ギリシアでは自然な考えです。ギリシア語の魂、プシュケは気息と繋がることばです。息をすることで人は生きている。最後の息を吐くと人は死ぬ。ということで魂は息と考えられました。それで万物のもとは息であり、空気であると考えられました。空気は魂であり世界も人間もこの魂により生かされているというのです。空気が薄くなると火になり、濃くなると水になり、土になると考えられました。魂信仰と自然学が結びついて提示されています。これも物活論です。
○天空は調べを奏でその謎は数字の中に込められている
ピュタゴラス(B.C.532頃最盛)は伝説の詩人オルフェウスの秘教の伝統を受け継いで、生き物は死後、生まれ変わるという輪廻転生を信じていました。
彼は宇宙の調和と秩序の根源は数であると説きました。
ピュタゴラスは最初に混沌があったと言いました。けれども、この混沌は、有限と無限に分離して、無限に有限が限定を加えて、一者が生まれたと説きました。
この一者から奇数・偶数の原理で基本の数1,2,3,4が生まれました。それぞれが、点、線、平面、立体を表わしているとピュタゴラスは説きました。
ピュタゴラスは和音が楽器の弦の長さの数学的な比率で説明されることに注目し、宇宙は天空の音楽を奏でていて、数学を学ぶことで宇宙の神秘に触れることができると考えました。
そして菜食主義で厳しい戒律を守り、よりよい転生を望む、ピュタゴラス教団を作りました。
独特の信仰を持ち、経験を越えた数で世界を捉え、一者の存在を説くピュタゴラスの教えは哲学としても宗教としても、後世に影響を与えました。
○流転する万物は燃える火であってこの火は永遠のロゴスそのもの
わかりづらい思想とお告げのような断片を残したため、暗い人というあだ名を持つのが、エフェソスのヘラクレイトス(B.C.500頃活躍)です。
万物は流転する(パンタ・レイ)と説き、万物の本体は永遠に生き続けるロゴス(理法)の火そのものだと言います。
火の一部が優勢になったり、劣勢になったりすることで、万物は流転します。それゆえ万物の成り行きを支える原理は闘争であるとヘラクレイトスは考えます。
この世界は対立するものの戦いで成り立っていますが、その実相は永遠に生きる火であり、対立物の正体は同じものであり、全体としては調和しているとヘラクレイトスは考えました。
○この世にはただ有るとしか言い得ない永遠不変の一者だけ有る
エレア学派のパルメニデス(B.C.515頃-450頃)は、この世界には有るものしかありえないと説きました。
パルメニデスによれば、世界には永遠不変の一者である存在より他のものは有りえません。滅びるものとか不在のものは有るとは言えないのです。移り行くこの世界は迷妄かまぼろしのようなものに過ぎないと彼は考えました。
一者である存在は不生不滅であり、常に全体として今有るのです。
この存在はなぜか球体であるといいます。
これはおそらく完全なもののギリシア的イメージです。
完全な一者のみが存在するというパルメニデスのがちがちの形而上学は、プラトンやのちの神学者にひじょうに大きな影響を与えました。
○自らは不死身と言ってエトナ山火口に焼かれ消えた哲人
○万物は地水火風が愛によりみな結びつきできているはず
万物は地水火風の四元素ないし四根で説明できると言ったのが今のシシリー島のアクラガスの人、エンペドクレス(B.C.493頃-433頃)です。びっくりする話ですが、彼は自分が神であり不死身であるということを証明するためにエトナ火山の火口に身を投げて最後を迎えたと言われています。彼は『自然について』『浄めの歌(カタルモイ)』という二つの詩を書きました(断片のみ現存)。
『自然について』
万物は地水火風の四元素から成立していると彼は説き、この四元素は愛と憎しみによって
離合集散すると言いました。
四元素こそパルメニデスの説く不変不滅の存在の正体であり、パルメニデスがまぼろしに過ぎないと言う、移り行くこの世は四元素の離合集散する姿であるとエンペドクレスは考えました。
さらにエンペドクレスは、世界が永劫回帰すると説きました。
愛が支配して四元素が完全に結合して完全な球となっている時期がまずあって、
憎しみが混入し、四元素が離合集散する時期が続き、
憎しみが支配し四元素が分離して同じ元素どうしが凝り固まっている時期が訪れ、
愛の支配が回復して完全な球を作るため四元素が離合集散を始める時期が来ます
この四つの時期が繰り返し巡り来ると説きました。
『浄めの歌』
神々の座にいた自分という魂が、憎しみの罪を犯したゆえに追放されて、一万年の間宇宙を輪廻転生していることをこの歌で詩人は嘆きます。この漂泊の魂は、愛の支配する神々の集う故郷を思い出し、予言者や医者を経て最後は神へと帰ります。罪を浄められ神として故郷に帰ると詩人は宣言します。
エンペドクレスは伝説の詩人オルフェウスの宗教やピュタゴラスの教義の影響を受けていたと言われます。神々のところにいた魂が故郷を追われ宇宙をさ迷うという考えは、後のグノーシス派の教義に共通するところがあります。人間の本体は聖なるもので、もとは神の座にいて、その後、神の座を追われもともとの自分とはかけ離れた宇宙の孤児として失楽園の状態を耐えているという考えは、ある種の神秘主義と言え、遠くオルフェウス教やピュタゴラス派に根を持つ考えです。エンペドクレスは単なる哲学者とは異なる神人的な要素が強く、興味深い人物です。
○一粒の種のなかには万物の性質がみな備わっている
次のアナクサゴラス(B.C.500/499-428/7)は、万物のもとは種である、と説きました。この種は無限に小さく分割できるものです。アナクサゴラスはパンが骨になったり血になったりするのはパンの中にすでに骨や血の性質が隠れているからだと考えました。それゆえ、万物を作る種のなかには、万物の性質が備わっていると言いました。全てのもののなかには、全てが含まれるということばをアナクサゴラスは残しました。あたかもミクロコスモス(小宇宙)とマクロコスモス(大宇宙)のかかわりのようですね。彼は雪もまた黒い、と言いました。白く見える雪も種をのぞけば、黒くなる性質が備わっているのです。万物のもとは種ですが、この種は原初、一つに固まっていて運動していませんでした。この凝り固まった種のかたまりに運動を与えたのが、理性(ヌース)であるとアナクサゴラスは言います。万物のうち、理性を持つものを生き物、理性を持たないものを無生物と区別したのも彼です。理性は全てを知り、一切を秩序づけると彼は言います。けれども彼の言う理性は万物の種の運動の発端というきわめて限られた意味で説明されるのみであります。
○この世とは分割できない様々な原子の粒と空虚から成る
レウキッポス(生没年不詳)とデモクリトス(B.C.460頃-370頃)という初期原子論者たちがいます。彼らは、万物は原子から成っていると説明しました。原子が運動する空間としての空虚があるはずだとも考えました。原子は不可分で、必然により運動しています。
大小それぞれの原子が運動し合い、ぶつかり合うことで多様な世界ができています。
彼らは魂もまた原子であると言っています。また、感覚も原子で説明されます。原子でできた物の幻像(エイドーラ)が眼に入ってものが見えると説きました。
彼らは宇宙のはじまりも原子の運動で説明しました。散らばった原子の渦巻運動で軽いものが遠くに飛ばされ星や太陽になり、重いものが残って大地を形成したと言います。
快楽主義とされるエピクロス(B.C.341頃-270頃)もレウキッポスとデモクリトスを受け継ぐ原子論者でした。彼らにとって良い状態とは明朗快活な状態であり、不必要に惑わされない状態でした。
エピクロスは原子の説明として極微小なものということばを用いました。大きさがある以上また分割可能ではないかという批判にこたえようとしたのです。
それからエピクロスは原子が重みによって落下すると言い、その際原子の運動の偶発的な「傾き」があるから原子どうしがぶつかり合い、作用しあうのだと説きました。この原子の運動の偶発的な傾き(パレンクリシス)は、心の自由意志を説明するのに役立ちました。
全ての原子が必然によって運動するなら自由意志の入り込む余地がないというので、偶発的な傾きが導入されたのです。
○何人も神については知り得ない神は遠くて人生は短い
○物事を計る真理は見当たらず人が全てのものの尺度だ
次にソフィスト(知者)を職業とした人たちを見てみましょう。プロタゴラス(B.C.490頃-420頃)はアブデラの人で、徳の教師を自称した初めての有名なソフィストでした。プロタゴラスはその著『神々について』でこう言っています。「神々については彼らが存在するとも、存在しないとも、またその姿がどのようであるかも、私は知ることができない。なぜなら、それを知ることを妨げるものが多いから。すなわちそれは見ることができないのみならず、人間の命も短いから。」このことばはたいへん正直で率直で真っ当でありますが、当時の国の宗教を信仰していた人々から反発を買い、死刑判決を受けて脱獄し、逃亡の途中で命を落としました。
また「人間は万物の尺度である。あるものについてはあるということの、ないものについてはないということの。」という命題でプロタゴラスは有名です。このことで物事の判断に客観的な真理や基準は存在しないと主張したのです。
プロタゴラスの学説は神については不可知論、認識については相対主義だと言われています。
○何もなく有っても知れず知られても伝えきれない人間の定め
また、シケリア島のレオンティノイの人ゴルギアス(B.C.483頃-376頃)も弁論巧みなソフィストでした。彼の残したことばは、①何物も存在せず、②在っても知られ得ず、③知られても人には伝え得ない、という命題でした。①何物も存在せず、というのはエレア学派を念頭に置いたことばでした。人間のわかる範囲から離れた永遠不動の存在はありえないというのです。いつの世もどこまでも無際限に場所を占めて完璧にあるというのは不可能だ、というのです。②在っても知られ得ず、というのは知るのは在ることの属性でなくてはいけないが、実際にはひとは空想の動物も知っているのであり、ありえないことでさえ知っているのであり、知るは在るに属さないと彼は言います。③知られても人には伝え得ない、というのはことばがものの本性(ピュシス)の模写であるならば、ことばは習慣的(ノモス)であるから人には理解されないという意味です。色を決められた音で表わしても、形を決められた音で表わしても他人には伝わらないと言いたいようです。このようにゴルギアスはニヒリズム(虚無主義)といえるような、徹底的な懐疑論を推し進めた人です。
○人間に役立つものが神であるパンがデメテル酒はバッコス
ケオス島イウリスの人プロディコス(ソクラテスの同時代人)は、神々として信じられているものは、それから利益が得られるために人々がそうするに至ったと言いました。具体的には、人はパンを穀物神デメテルとし、葡萄酒を酒神バッコス(ディオニュソス)とし、水を海の神ポセイドンとし、火を鍛冶屋の神へパイストスとして、その有益さゆえに神々として信じていると言いました。
ここには、伝統的な神々の信仰への疑いや皮肉が込められています。
ソフィストたちの人間中心の価値観やものごとの判断の相対主義、神々への冷めた意識は、神々の定めた運命からは逃れられないと考えていた古代ギリシア人には新鮮で、一種の解放感や自由を感じさせるものだっただろうと思われます。ただ、言い方のくふうひとつで相手を説得する技術が幅を利かせたことは評価が分かれるところだと思います。
○この男自分が無知と知っているその一点で他よりも賢い
○善は何?徳とは何で勇気とは?ところ構わず話す獅子鼻
○青年を論理矛盾に追い込んで無知に気づかせ恥をかかせる
アテナイの広場で青年をつかまえて、善とは何か徳とは何か勇気とは何かなどを盛んに議論するソクラテス(B.C470/469年-399年)は異彩を放っていました。鼻は獅子鼻、目はギョロ目で頭は禿げ、太鼓腹で裸足のソクラテスは青少年と議論するのが大好きです。そんなソクラテスの鋭い論戦のようすと、熱心な話しぶりにアテナイの若者は心を奪われました。彼は、ソクラテスより賢い者は居ないというデルフォイの神託を若者カイレフォンを通して受け、そんなはずはないだろうと国中を議論して回り、有名な政治家と詩人と工芸家たちを相手に自分より賢い人を探して歩きました。けれども、議論で問い詰めてゆくと、誰も知識を持ち合わせていないことが明らかになるばかりでした。みな、自分がほんとうの知識を持ち合わせていないことに気づいていない、私だけは、自分が無知であることを知っているとソクラテスは考えました。その一点でアポロンのお告げは自分を他より賢いと述べたに違いないと考えました。これがソクラテスの無知の知です。ソクラテスは対話者に自分は何も知らないから教えてくれと言って、果たして善とは何だろうかと問い、相手が借りたものを返すことですと言うと、借りた恨みを返すことも善だろうかと問い掛けます。このようにソクラテスは仮の定義を受け入れて話を進めてゆき、その定義が不完全であることに気づかせ、相手の無知を気づかせます。これをソクラテスのエイローネイア(皮肉なやり方)と言います。こうやって次々に仮の定義を立ててはその不備を露呈させ、より本物に近い定義を求めて対話を続けます。このようにしてソクラテスは、知識らしく思えるもの(ドクサ=臆見)を離れて真の知識(エピステーメ)を得るために対話をしました。ソクラテスはこのようなやりかたを産婆術になぞらえています。相手が真の知識を産むのを対話して助けてやる方法だと言うのです。このようなソクラテスの方法は、善らしく見えるものではなく、善そのものがあることを前提としています。徳についても勇気についても、徳そのもの、勇気そのものがきっとあることを前提としています。この方法は相手の無知を露呈するので、識者を自称する者はソクラテスに恥をかかされたことを恨むことにもなります。そこでソクラテスは恨まれた者たちから「国家の信じる神を信じないで、新奇な神霊(ダイモン)を導入し、若者を腐敗させた」という罪で告発され弁論をしましたが却って反感を買い、死刑を言い渡され、妥当な減刑を申し出なかったために死刑が確定しました。刑の執行までの間、デルフォイへの国の使節団が帰国するまで一か月の猶予がありましたが、仲間のクリトンが脱獄の手筈を整えてくれたのに悪法も法だからと言って脱獄を拒み、魂の不死についてなどを議論したあと、クリトンよ、医者の神アスクレピオスに鶏一羽借りがあるから、借りを返しておいてくれという遺言を残して毒人参を食べて70歳で刑死しました。ソクラテスは自分の対話術(ディアロゴス)を人間吟味、自分と他人の吟味だと言いました。ソクラテスはデルフォイの神託所に掲げられていた汝自身を知れということばを座右の銘としていました。汝自身を知れということはとりもなおさず自分自身の無知を知れということであり、ほんとうらしく思えるものを離れて真の知識に自他を導くのに燃えていました。ソクラテスは善そのものを知っていれば、人は必ず善くふるまうものだと言いました。ソクラテスにとって善くふるまうのは幸福そのものであり、善を知っているのに行わないのは冗談にしか思えませんでした。このようなソクラテスの考えかたを知行合一説と言います。このようなソクラテスの人間相手に対話をして定義を続ける哲学は、それまでの、自然の洞察から森羅万象のおおもとを知ろうとする哲学とははっきりと一線を画するものでありました。哲学史では古代の哲学をソクラテス以前とソクラテス以降で時代区分を分けて考えるならいとなっています。
ソクラテスは自らのことばを書き残さず、書物もないので、ソクラテスを知るにはほかの人の書き残した文章に頼るしかありません。ソクラテスについて書かれたものはクセノフォンの『ソクラテスの想い出』『ソクラテスの弁明』、プラトンがソクラテスを主人公にして書いた対話篇のうち初期のもの、アリストファネスがソクラテスをソフィストとして茶化して書いた喜劇『雲』その他のソクラテスへの言及、アリストテレスがソクラテスについて触れている部分、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』があります。けれどもクセノフォンは軍人でソクラテスの哲学者としての中身に詳しく触れておらず、クセノフォンの描くソクラテスは因襲的な道徳家として描かれています。その点、哲学者のプラトンのほうがソクラテスの説をよく理解していたかもしれません。けれどもプラトンの描くソクラテスはどこまでが実際のソクラテスに即したことばで、どこまでがプラトン自身の学説を言わせているのか区別ができないのが困ったところです。これは「いわゆるソクラテス問題」と言われています。アリストファネスはソクラテスの言行を反映して喜劇を書いていないし、アリストテレスは実際のソクラテスと付き合うのには遅く生まれすぎました。ディオゲネス・ラエルティオスはソクラテスよりだいぶ後の時代の人で、書いてあることは噂話が多く混じっています。これらの事情を汲んだうえで、プラトンの描くソクラテスに、
ソクラテスの結晶化したすがたを垣間見るより手だてがないようです。
○魂は宇宙を駆けて天界の美そのものをかつて見ていた(イデア論)
ソクラテスの弟子だったプラトン(B.C.427年-347年)は、ソクラテスが対話をして、善らしく思えるもの、勇気らしく思えるもの、徳らしく思えるものから離れて、善そのもの、勇気そのもの、徳そのものの定義を求めたことに深く影響されました。プラトンはソクラテスが倫理の対象に限って善や勇気や徳そのものを想定したのに対して、人間や馬や三角形や机のような広い対象に人間それ自体、馬それ自体、三角形それ自体、机それ自体、という理想的モデルが存在すると考え、それらをイデアと名づけました。人と言っても、千差万別、大きい人も小さな人も、若き人も老いた人もいます。それらの違いを越えた人間そのものというモデルがあるから、人としてそれとわかると考えたのです。美しいといっても千差万別です。それらの違いを越えた美そのものが、美のイデアが存在するとプラトンは考えました。これをプラトンのイデア論といいます。
想起説
人が美しいものを見てその違いを越えて美しいとわかるのは、生まれる前に美そのものを見たことがあるからに違いないとプラトンは考えました。人が美しいとわかるのは生前見た美そのもの、美のイデアを思い出すからだと言うのです。同様に人間そのもの、机そのもの、馬そのものと言ったすべてのモデルを生前見ていたから、人はものを見てそれと分かるのだと考えました。このような考えをイデア想起説といいます。イデアはプラトンの想像では天界に輝いています。『パイドロス』篇という対話篇では、魂が宇宙を駆けて天界の美そのものを見ていた場面が語られます。想起説が成立するためには、魂の不死と生まれ変わり
が前提となります。プラトンは『パイドン』篇のなかでソクラテスに魂の不死を語らせています。魂は前世でイデアの知識を持って現世に生まれてきたとプラトンは考えます。そして前世がある以上きっと来世もあるはずだと確信します。このようにプラトンはピュタゴラス派やオルフェウスが伝えたとされる宗教の教説を受け入れて輪廻転生はあると考えました。
さて、ここにいる馬に馬それ自体の性質があり、美しい人や花に美それ自体の性質があり、
机に机それ自体の性質が備わっているのは、個々のものが自らのイデアを幾らかは分け持っているからだとプラトンは説明しました。これをイデア分有説と呼びます。
プラトンはこのようにイデアの世界と移り行くこの現象界を分離して考えました。美そのもの、馬そのもの、机そのもの等があるイデア界こそほんとうに存在する世界で、生々流転し、移り行くこの世界、花は枯れ、人は老いて逝き、何事も留まらないこの現象界は、ほんとうには存在していない仮の世界だとプラトンは考えました。
これは、哲学史の流れから言うと、永遠不変にあるものだけが存在するとするパルメニデスの「存在」説と、この世の万物は流転すると説いたヘラクレイトスの「生々流転」説をプラトンがともに受入れ、両立を図ったと考えられます。つまりイデア界は永遠不滅の存在の世界で、この世は生々流転する万物が流れる世界だと考えることで、この対立を決着しようと試みたのです。
プラトンはイデアにも上下の階層があると考えました。なかでも最高のイデアとされるのが、善のイデアです。知られるものに真理を与え、知る者に力を与えるのが善のイデアであると『国家』篇第六巻で語られています。そして、善のイデアとはすべてのものの太陽のように万物を照らしているとされています。この善のイデアを後にプロティノスという人は
全てがそこから生まれてくるような一者であるととらえています。
プラトンは知識すなわちエピステーメはイデアについてのみ成り立つのであって、流転する移りゆくこの世界の物事についての知見は臆見、そう思えるに過ぎないことすなわちドクサだと断じました。臆見を離れ、知識に向かう方法を弁証術(ディアレクティケー)と呼び、このうち、いくつもの概念をまとめてゆくのを統合、大きな概念を細かく分けてゆくのを分割と呼びました。統合と分割により概念がいっそう明確に浮かび上がると考えていました。
イデアが見えず、現象界に縛られている人間の状態をプラトンは『国家』篇のなかで洞窟の比喩とよばれるイメージで言い表しました。そのような人間は蝋燭が立てられた洞窟の中で手を後ろに縛られ、振り返ることもできず壁に映った影絵を見て、それこそが本物だと思い込んでいる人々のようなものだと言いました。哲学者とはこの束縛を抜け出して洞窟の外の光溢れる景色を眺め、洞窟に帰って来て壁に映る影絵を実在だと思い込んでいる人々に外の光溢れる景色を教えようとする人物だとプラトンは言うのです。
プラトンはよい政治は哲学者が王になるか、王が哲学者になるかのどちらかによって実現すると考えました。これを哲人王説と言います。プラトンはシケリアのディオニュシオス二世という僭主の教育をその側近のディオンの要請で試みて苦い失敗を経験しています。プラトンはアカデメイアという大学を設立し、学問の府として学生たちを育成しました。アリストテレスもこのアカデメイアでプラトンに学んだ一人です。
○個物とは素材と形でできているそこを離れたイデアなど無い
アリストテレスは諸学の祖と呼ばれ、幅広い学問を講義ノートとして残した哲学者でした。
その幅広い学問はとても短い紙面では紹介することができません。ここでは、そのうち、哲学の学説の、特に重大な要点に限ってお話します。
イデア論批判
アリストテレスは学説上やむを得ず、プラトンのイデア論を批判しています。
私たちは人が老いて死んでゆくことを認識するのだから、老衰のイデア、消滅のイデアもなくてはいけないでしょう。そのような非価値なものイデアを認めないなら矛盾しています。
名詞であれ動詞であれ、ことばである限りのものは、イデアを持つことになるでしょう。
それは言語そのものの写しと何が違うのでしょう。また、非存在のイデア、否定的なイデアも、言語の写しである限りあることになるでしょう。
ソクラテスは人間である、という文の「人間」がイデアであるとしても、ソクラテスもイデアとしての人間も含むような第三の「人間」が必要になります。これでは切りがないですよね。
親しさのイデアとか、仲違いのイデア、対立のイデア、類似のイデアのように、物事の
関係のイデアもプラトンは認めていませんが当然あることになるでしょう。
同一のものにたくさんのイデアが必要になるでしょう。人間について言っても、動物のイデア、二本足のイデア、人間そのもののイデア、足のイデア、手のイデア、頭のイデアと際限なくあるでしょう。それらの関係は不可解で言うに及びません。
大体において個物がまず実体として考えられます。個物はかたち(形相=エイドス)と素材(質料=ヒュレー)の結合体です。プラトンは人間性などを実体と考えましたが、アリストテレスでは個々の人間、個々の物体が実体なのです。
アリストテレスは物事の原因を四つに還元します。
質料因(素材)家ならば石や木材
形相因(形)家ならば家の形
動力因(そのための働き)家ならば大工
目的因(何のためか)家ならば住むこと
これをアリストテレスの四原因説と言います。
可能態と現実態
アリストテレスは生成・運動の現象を可能態=デュナミスと現実態=エネルゲイア・完全現実態=エンテレケイアに分けて説明しました。
例えば種子は木の可能的なもの、可能態であり、木は種子の現実態であり、大木は種子の
完全現実態であるとアリストテレスは例えを挙げています。これは形相がどれだけ実現しているかで生成・運動を言い表すこころみです。
○自らをただ陶然と見つめつつ他者を動かす不動の動者
不動の動者
アリストテレスが言うには、全ての行為には目的があります。歩くのは散歩のため、散歩は健康のため、健康は幸せのため、幸せは心の充足のため…。いくら遡っても目的に終わりがないのではしかたがありません。アリストテレスは究極の目的因を「不動の動者」だと言います。自らはもはや動くことなく、すべてを動かしている、究極の、動かし手です。それは他の何物にも煩わされることなく、ただ自らを観想=テオリアしているでしょう。このように想定される不動の動者をアリストテレスは神と呼びました。
その他アリストテレスは倫理学や自然学においても大きな成果を残しました。
○直接に感覚から来る快楽を受け入れてただ隠れて生きよ
デモクリトスの原子論を受け継いだエピクロスは人生で最善のものは快楽であると考えました。エピキュリアンが快楽主義と言われるのはそのためです。エピクロスが感覚的快楽を良いとしたのは、原子論から言って、原子の直接の接触である感覚の快楽は、思慮という余計な媒介を受けない(アロゴンである)だけ純粋で価値があると考えた結果でした。エピクロスは無節操、無際限な快楽の追求を勧めたのではありません。苦悩を感じない程度に限度を知って快を求めるのを善としたのです。エピクロスの言う幸福はアタラクシアすなわち無苦悩、魂が煩わされないことでした。動物や赤子のように乾けば飲む、空腹なら食べるという基礎的な快が満たされることを幸福の見本としたのです。苦悩を感じない程度であれば快楽は追及されるべきだとエピクロスは考えていました。無苦悩が理想とは随分消極的な快楽主義と言えそうです。エピクロスは無苦悩のために「隠れて生きよ」と言いました。
○摂理ある自然の声に従えば動揺しない賢者への道
ストア派の開祖ゼノン(B.C333-262年頃)はキュプロス島のキティオン生まれのフェニキア人でした。アテナイに上京してディオゲネスの系統の犬儒派から禁欲主義を学び、パルメニデスの系統のメガラ学派から論理学を学びました。ストア・ポイキレーという彩色柱廊で教えたことからストア派と呼ばれました。ストア派は実践的な生き方を教えると評判で、その生き方の中心的教えは「自然に従って生きよ」というものでした。ただし、ストア派の自然は摂理つまりはロゴスを備えたもので、ヘラクレイトスに倣って、自然の本性をロゴスであり、燃える火であると言いました。自然の摂理が宿命を決めてゆきますが、その宿命に沿って生きよと教えました。世の中には善いもの、悪いもの、どちらでもないものの三種類があると言います。善いものとは徳であり、自然の摂理に従っていきることです。悪いものは悪徳です。人生の浮き沈みのすべてはどちらでもないものです。訪れては消えて行く人生の浮き沈みによって、「心が動揺しない状態(アパテイア)」に達した人が、ストア派の言う賢者です。また行為にはふさわしい行為と正しい行為があり、常人が行うべきなのがふさわしい行為で、賢者が行うのは道徳的に考え抜かれた正しい行為だと説きました。
○魂は真の知性に憧れて真の知性は一者にみとれる
○一者から真の知性が流出し魂生まれ一者に焦がれる
新プラトン主義の哲学者、プロティノス(AD204-70)の考えは善なる一者を中心とする神秘主義でした。
プロティノスの考えでは善なる一者(ト・ヘン)から真実在としての知性(ヌース)が流出しました。
この知性から魂が生まれ、魂の影として目に見えるこの世界、感性界が生まれました。
魂は感性界の美のとりこになるのですが、感性界は真実在の影にすぎません。
魂は感性界よりも真実在の世界に憧れ、最終的には一者に帰るべきだとプロティノスは説きます。
かなり徹底した神秘主義哲学で、常人にはなかなか想像できない根源としての一者、一者から流出した知性、知性から生まれた魂、魂の影としての感性界が熱心に語られます。
原初の故郷の一者への帰郷に焦がれるプロティノスの神秘主義は、プラトン哲学の徹底した読み直しであり、プラトンの思想から神秘的な解釈や図式的な借用を大胆に行っています。
プラトンよりもさらに一者への希求には切実なものがあり、地上を離れた彼方を想像する想像力の逞しさは余人の及ばないところへいっています。
○旧約の神をギリシアに置き換えて姿見えない最高善と読む
アレクサンドリアのフィロン(B.C.25-A.D.50頃)はヘブライ語からギリシア語に翻訳された旧約聖書を読み、ギリシア的、ヘレニズム的に読み替えた人です。フィロンはユダヤ教の信仰を持ちながらも、ヘレニズム的素養を身に着けており、旧約の信仰とギリシア哲学が一致することを示そうと努めました。彼はヘレニズム世界でよく用いられたアレゴリー(寓意)的解釈で旧約を読み替えました。例えば創世記(3.21)で神がアダムとイブのために洋服を作ったというところは、神が作った人の服とは人に被せた肉や皮を含意している、などと読み替えて、旧約のほんとうに意図するところは表面の描写とは離れた真意があることを説きました。フィロンにとって旧約聖書の物語は精神的な含意の比喩的な描写であって、その真意はギリシア哲学と一致するものでした。旧約聖書の人格的な父なる神も、人には姿の見えないピュタゴラスやプラトンの言う最高善に違いないとフィロンは考えました。創世記はプラトンのティマイオス篇と一致するものと考え、創造の原像は神の精神ないしロゴス(ことば・ことわり)に宿っていたとします。神はロゴスを通じて世界を創造し、ロゴスは神と世界を橋渡しするものです。
○暗黒の現世に落ちた魂は真理を悟り故郷へ帰る
異端信仰と考えられてきたグノーシス派は悪しきこの世界を創造したデミウルゴスを低いものとみなし、それより高い神がいる光の国がわれわれの魂の霊的な部分の故郷であると説明しました。人間の魂は元来の自己の認識へと目覚め、故郷である神的な光の国に上昇する中で体と物質世界から解放され救われると説きました。悪しきこの物質世界と魂の故郷の善なる光の国という二元論で世界を説明したため、プロティノスからも、教会の教父からも危険視され非難を受けましたが、現代では一定の評価を受けています。
○この世では報われることない行いが天の国ではいちばん貴い
○殺される無力な羊キリストが背負ってくれた人の苦悩を
キリストで知られるイエスは、ナザレの大工の子でした。大きくなると洗礼者ヨハネに洗礼を受け、やがて布教活動をはじめました。イエスの信仰の第一は自分が神の子であるという確信です。布教の第一声は洗礼者ヨハネと同じく「悔い改めよ、神の国は近づいた」でした。イエスは「汝の富を天に築きなさい」と説きました。これは、現世ではなく、神の国に富を築きなさいということです。具体的には、現世では報われることない行いを敢えてして、神の国に功徳を積みなさいということです。価値の基準をこの世ではなく天の国に置くことが、キリスト教の価値観の転換でした。イエスは人間を獲る漁師になりなさいと声を掛けて弟子を集め、分かり易い喩えを多く用いて慈愛の教えを広め、奇跡の業を行い、ユダヤ教のファリサイ派やサドカイ派の反感を買い、エルサレムで布教し、陥れられて、十字架に掛けられました。イエスはイザヤ書に書いてある殺される無力な子羊としてのメシアの役割をじぶんで自覚して行動していたと思われます。神の子イエスはイザヤ書に書いてある無力に殺される子羊としてのメシアの役割をじぶんのものとして引き受けて、十字架に掛けられました。そのことで人々の罪を背負い、苦悩を背負い、贖罪の羊となったのです。今書いたことは、福音書作者を含む原始キリスト教の考えを考慮して述べられています。イエスの実像となると確かなことは言えないからです。キリスト教の誕生以降、哲学史の流れは、キリスト教の教えを吟味するものへと主流が移っていきます。

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