宇波彰現代哲学研究所

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『ミトロジー』再読 その1

『神話作用』というタイトルで篠沢秀夫氏によってそのおよそ六割の部分が邦訳されている『ミトロジー』は、文字通りに数多くの神話作用を集めたものである。そういう神話作用もしくは神話現象を、バルトは過去の世界には求めず、1950年代のフランス小市民階級(プチプルジョワジー)のなかに求めた。当然のことながらそこには1950年代という制約があって、テレビは未だ普及せず、フランスという境界があるからかならずしも世界全体に妥当する分析ではないかもしれない。そういう制約はありながら、私はこの『ミトロジー』は現代の文化を考えて行くためには不可欠の文献のひとつであり、また読むことそれ自体が楽しみとなるような種類の、数少ない書物の一冊であると考える。
『ミトロジー』は1957年に出版されたが、その序文によれば、1954年から1956年にかけて書かれた文章を集めたものである。この著作は1970年にスーユ社のポアン叢書に収められたが、その際バルトは短い前書きを付した。この前書きのなかでバルトは、この『ミトロジー』が、いわゆる大衆文化の吾語に対するイデオロギー批判と、この言語を記号論的に解読することという二つの目標を持つものであったと述べている。ここで大衆文化の言語といわれているものは、バルトが『ミトロジー』で扱ったさまざまな文化現象そのもののことであって、バルトはたとえばグレタ・ガルボや、オードリ・ヘップバーンの顔、コルトの拳銃などをすべて言語として分析する。言語としてというのは意味を持つものとしての意味であって、今日ならば当然《記号》として扱われるはずのものであった。また、《イデオロギー批判》というときには、二つの側面があるように思われる。ひとつは大衆文化の消費者である大衆もしくはフランス小市民階級の意識そのものに対する批判であり、したがってそれは大衆文化そのものに対する批判である。もうひとつはこういう大衆文化を背後から動かしている、政治的・梅力的なものの発想である。
『ミトロジー』のもうひとつの側面としてバルトは、大衆文化の言語の記号論的な解読ということを挙げているが、この側面はあまり明瞭には現れてはいない。事実、今日でも《記号論》がどういうものであるかば明白ではなく、ましてバルトがこの著作を書いていたころ、記号論的な思考の基礎はほとんど構築されていなかった。バルトは当時ようやくソシュールの言語理解に接したばかりであって、記号論の理論付けにはいたっていない。 (バルトが雑誌「コミュニカシオン」に「記号学の原理」を発表したのは1964年のことである。)
『ミトロジー』は、大衆文化のもろもろの現象を言語として扱うという視点に立っているから、それ自体がすでに記号論的な視点と言えるかもしれない。実際にバルトは、すでに言及した1970年版の『ミトロジー』の前書きで、《集団表象を記号の体系として扱う》という方法を用いたと書いているが、ここに『ミトロジー』の間題点が内蔵されていると見なければならない。なぜなら、大衆文化の諸現象を言語として扱うということと、神話として扱うということとは同一のことであり、そのばあいの方法の基盤が、《集団表象》というフランス社会学の伝統的な考え方だからである。つまりバルトは、いきなり唐突に《ミトロジー》という考え方を提示したのではなく、社会学のフランス的伝統のなかから考え方を導入し、それをソシュールの言語理論と結びつけようとしたのである。バルトは雑誌「エスプリ」1971年4月号に「物そのものを変化させる」というエッセーを書き、そのなかで『ミトロジー』の意義を再確認するとともに、この『ミトロジー』の新しい神話論が、新しい記号論でもあることを明らかにした。また、《集団表象》の考え方をデュルケームから導入したことにも言及している。
しかしながら、バルトが『ミトロジー』を発表してからすでに四分の一世紀がすぎようとしている。その間に、大衆文化と集団表象のあり方はかなり変化したと言わなくてはならないだろう。大衆や集団そのものが極度に変質しつつあるからである。この小論はそのような変化を念頭に置きつつ、バルトの大衆文化論の意義を再評価しようとするものにほかならない。(続く)

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