宇波彰現代哲学研究所

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今村仁司『交易する人間』を再読する

 すぐれた思想家であった今村仁司(1942~2007)が亡くなって、まもなく10年になる。彼が2000年に刊行した『交易する人間』が、最近になって講談社学術文庫として再刊された。この機会に本書の意義を考えたい。

 「交易」は物の交換・売買を意味するが、今村仁司はそれをもっと広い意味で使っている。基本にあるのは、贈り物とその返礼というかたちの交易である。それは単に人間相互の交易に限られるものではない。本書を通じて感じられるのは、宗教的な意味での交易の重要性が論じられていることである。
 今村仁司は、フランスのインド思想研究者シャルル・マラムーが、「古代インドの人々にとっては負目は人間の本性と見なされている」と述べたことに注目する。「人間は現世のなかに到来した瞬間から<負の目的に、負目として>ある。」人間は、生まれてきたことそれ自体が、超越的なものに対する負目であり、それを返していくのが人間の生活である。
 「交易する人間」は、単に物や情報を他者と交易して生きているのではない。今村仁司のことばを借りれば、「人と超人間的存在との交易こそが、他の交易のすべてを規定する」のである。「交易する人間」は、政治的人間、経済的人間でもある。しかしその根底にあるのは「聖なるもの」に動かされている人間である。「人間自身の存在も、神々からの贈与」にほかならず、人間はこの贈与に「お返し」をすることによって「交易する人間」となる。
 今村仁司は多くの著作を残したが、この「交易する人間」には、特に魅力的なものがある。
(2016年8月12日)

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