宇波彰現代哲学研究所

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不気味なエクリチュール

 6月11日から7月3日まで三鷹市美術ギャラリーで太宰治資料展Ⅱが開催されていた。展示物の中に「水仙」と名づけられた太宰の油絵があった。それは薄気味悪さや違和感を覚えるものである一方で、哀れさと儚さを内包しているような不思議な印象を抱かせるものであった。「この絵を描いた一年後に太宰は短編小説『水仙』を発表した」。解説文に書かれていた言葉が気になった。小説の存在を知らなかった私は絵と小説との連関性を探ってみたいと考えた。だが雑事に追われ、すぐにこの作品を読むことができず、7月の終わりになり、やっと『水仙』を手にすることができた。強く惹きつけられるような魅力ある作品ではなかったが、探究すべきいくつかの重要な問題が内在している。そう感じた私はこのテクストを書き始めた。
 

 『水仙』が雑誌『改造』に掲載されたのは1942年5月のことであるが、そこに描かれている物語は歴史の中に埋もれた小さな出来事をテーマとしている。静子という名の上流婦人が周囲の人間の言葉を信じ、天才画家と思い込むが、それが嘘であると判り、絶望し、自分の絵を捨て去る。彼女の周りの人間は本当に嘘をついていたのかと疑問に思った主人公の小説家が、それを確かめようとする。しかし、事実を確かめる前に夫人が天才であることを証明するはずの一枚だけ残されていた水仙の絵を引き裂く。その後、耳が聞こえなくなっていた夫人は自殺する。  これだけの内容のものであれば、私は関心を持つことはなかっただろう。だが、小説を取り巻く間テクスト性、言語と行為との関係、真か偽かを巡る問題が、考察すべき課題として頭に浮かんできたのである。『水仙』に係る間テクスト性は冒頭で述べた絵と小説との間にあるものだけではない。この作品は画家の林倭衛の夫人だった秋田富子が太宰に送った手紙を基にして書かれたもので、そこには手紙と小説との間の結びつきも存在している。さらに、『水仙』の最初の部分で太宰は菊池寛の『忠直卿行状記』について言及している。三つの大きな間テクスト性がこの作品と関係しているのである (もちろん細かな繋がりに関しては際限なく語ることが可能であるゆえにここでは取り扱わない)。次に言語と行為との関係は以下の問題を提起する。ある言表は発話されただけでその役割を終える訳ではない。それ以前の言表とそれ以降のものとの連続性に依拠しながら何らかの行為へと向かって行く。このことに対する検討はディスクールの動きを考える上で欠くことのできないものとなる。最後に『水仙』という作品の中には真と偽を巡る問題が存在する。それは論理学的な真偽値の問題ではなく、他者の言説を信じることとは何かについての分析を必要とするものである。以上三つの問題はテクスト構築とも、言語行為論とも、確信や信念とも密接に関連する重要な探究課題である。それゆえ以下のセクションではこの三つの問題を順次考察していきたいと思う。

間テクスト性
 先程も述べたように『水仙』には注目すべき三つの間テクスト性が存在している。そこには手紙と小説、絵と小説、小説と小説という差異があるだけではない。最初のものは作者が異なるだけではなく、どちらも言語記号を用いてテクスト生産がなされているが手紙と小説というジャンルの違いがある。二番目のものは作者が同一であるが表現手段 (用いている記号) が異なるものの繋がりが問題となる。三番目のものは言語という同一の記号を用い、小説という同一のジャンルの下に構築されたものであるが、作者が異なる (もちろんそこには文体の違いや、プロットの違いなどが内含されている)。では、『水仙』の創作方法やテーマと深く係るそれぞれの間テクスト性について詳しく検討していこう。
 秋田富子の手紙と小説との関係は娘である林聖子の証言に基づくものであるが (『風紋二十五年』参照)、手紙そのものはもはや残ってはいない。そのためこの間テクスト性の詳しい分析は不可能である。しかしながら、モチーフとしての手紙の存在は小説の背景となっている時代性や人間関係を思い起こさせるだけでなく、太宰の描いた水仙の絵と富子との結びつきをも想起させるものである。
 小説に水仙の絵が登場するのは終わり間際になってからである。主人公の「私」は唯一残った夫人の描いた水仙の絵を引き裂き、細かく千切り、捨て去るのであるが、その絵は「バケツに投げ入れられた二十本程の水仙の絵」であると書かれている。太宰が描いた絵は八本程の水仙にしか過ぎず、小説に描かれたものとは異なり、「水仙の絵は、断じて、つまらない絵ではなかった。美事だった」というようなものではない。だが、太宰の絵は静子夫人のようではないだろうか。冒頭で示したように、薄幸の夫人の姿に重なり合う哀れさと共に薄気味悪さが内包されているからである。そこにはテーマ的類縁性が存在している。
  『忠直卿行状記』は菊池寛の小説であるが、太宰は小説のタイトルだけを記して、作者に関してはまったく何も記していない。つまりは曖昧性を帯びた間テクスト性の問題が見出されるのである。菊池の小説のあらすじが述べられている箇所の終わりには、「殿様は、狂いまわった。すでに、おそるべき暴君である。ついには家も断絶せられ、その身も監禁せられる」という言葉がある。しかし、それは『忠直卿行状記』のストーリーとは異なる。六十七万石の大大名から、一万石に国替えさせられるが、「御身はよろず、お慎み深く、近侍の者を憫み、領民を愛撫したもう有様、六十七万石の家国を失いたる無法人とも見えずと人々不審しく思うこと今に止まず候」と記載された史料が挙げられ、忠直卿の後半生が示されているからである。監禁されたという訳でも、狂ったままであった訳でもなく、よき君主として領民に慕われ、穏やかな後半生を送ったことになっているのだ。太宰は昔の記憶だけを頼りにこの小説を作品の中に挿入しているような書き方をしているが、この曖昧性を帯びた間テクスト性の導入は以下のように解釈できるのではないだろうか。すなわち、真か疑かを問うことが重要なのではなく、他者の言葉を信じたり、疑ったりすることによって人生が一変することがあり得るということが重要なのだ。そこにはこうした暗示がある。私にはそう思えるのである。この問題は後続するセクションで考察する事柄と深く関連する。 言語と行為との関係  ジョン・ラングショー・オースティンの言語行為論においては、あらゆる言表が三つのレベルに分割可能な行為を表明できるとされている。このことを端的に示しているフランスの言語学者オズワルド・デュクロが語っている例を挙げよう。一人の客がレストランでウエイターに、「この魚は不味い」と言ったとする。その客がただ単に自らの感想を述べたとするならば、それは発語行為となる。だが、「料理を変えろ」という要求のためにこの言表を発したならば、発語内行為となる。もしもこの言表を述べることで実際に料理を変えさせたのならば、発語媒介行為となる。では、同じ言葉が語られたとしても、どのような場合に、発語行為にとなり、発語内行為となり、発語媒介行為となるのか。それは、その言表が如何なる言表連鎖の中で、いつ、何処で、誰によって、誰に対して語られたのかによって、すなわち発話された状況やコンテクストによって決定されるのである。
  『水仙』における言語行為はどうなっているだろうか。夫人に対して語られた称賛の言葉は作品の中にまったく書かれていないが、その言葉が如何なる言表行為として機能したかは理解できる。夫人の作品を褒め称えた言説はただ単に発せられただけではなく、発言への同意を求めるというように作用し、さらには夫人がその言葉を強く信じるようにも作用した。その作用によって彼女は周囲の人間が語った事柄を狂信してしまった。そこには発語媒介行為があると同時に語られた言表から行為への連続があり、それが静子の死まで繋がっている。言表が行為を生み、行為が別の行為を生み、自殺にまで至ったのだ。
 こうした展開を不条理と呼ぶことは容易である。しかし、語られた言表によってもたらされる行為がどこまで続くのか、どのような行為がどのような行為をもたらすのかといった連続性は、前もって予想できない。ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインは『確実性について』の中で、「言語ゲームはいわば予想不可能な何ものかであることを君は心に留めておく必要がある。それはそこには根拠がないという意味のものである。それは道理に適ったものではないのだ (また、道理に適っていないものでもないのだ)」と述べているが、予想不可能なのはディスクール展開に限定されるものではない。ある発言がある行為に対してどのように影響するのかも予想可能ではないのだ。ある行為の根拠を問うことには意味がある側面がある一方で、他の側面から見れば意味がないだ。言表行為には論証的問題として処理できない暗部が存在している。それゆえ発話されたものには不気味さがつきまとう。

言葉を信じるということ
  「この本は厚い」、「フランスの首都はパリである」、「関東大震災は1921年に起きた」といった言表はそれぞれのものが指し示している現実との係りに基づき、言表が真か疑かを決定することができる。それだけであれば形式論理学の考察対象に過ぎないが、真か偽かが明確に判断できない場合でも、われわれは他者の言葉を信じたり、疑ったりすることができる。たとえば「ジャンは親切だ」という発言は、もしも聞き手がジャンを知っていれば真偽値の判断はできるが、知らなかったならば、話し手の発言を信じるか疑うかの判断は聞き手に委ねられる。人間が嘘や、冗談を言うことができる以上、聞き手は受信したメッセージの真偽値が不明な場合でも、それを信じることも可能であるが、疑うことも可能なのである。問題は何故信じたり、疑ったりできるのかという事柄である。
  『水仙』の話に戻ろう。静子夫人は、夫や画塾の教師、生徒などが語る自分の絵に対する称賛の言葉を信じ、自分は絵の天才であると強く思った。ところが、ある時それに疑いを抱き、遂には自殺する。しかし、夫人はどのような発言を信じたのか。前述したように彼女が信じた発言は作品にはまったく書かれていない。自分が信じた言葉が本当かどうか確かめるために彼女は小説の語り手である「私」を訪ねるが、絵を見ることを拒否される。「私」は耳が聞けなくなった静子から自分は天才などではなかったという手紙を受け取り、絶望しきった彼女に会いに行く。ここでも何故夫人が周囲の言葉を信じなくなったかその理由が明確には示されていない。作品の物語展開を考えるならば、前のセクションでも指摘したように、他者が実際に何を語ったのか、何故その語りを信じるようになったか、あるいは、疑うようになったのかは重要な事柄ではない。信じたり、疑ったりすることによって何かが決定的に変わることがこのテクストにとっては重要なことなのだ。
    サミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』は、ゴドーという謎の人物の到着を信じることによってある場所から動くことができなくなった二人の男の物語である。男たちは何故ゴドーの到着を信じ続けるのか。その訳は語られない。男たちは何度も話し合うが、最後には、「もう行こう」、「だめだ」、「なぜだ?」、「ゴドーを待つんだ」という言葉が発せられるだけである。そこには理由がない。信じることに理由はいらないのだ。だからこそ信じるという行為は理性的であるよりもはるかに狂気に近いものとなるのではないだろうか。では疑うという行為はどうであろうか。デカルト的懐疑であれば理性的なものであろう。だが強く信じていたものに対して疑問が湧いたならばどうか。静子夫人は他者の言葉を強く信じ、そして、強く疑った。不安と絶望。懐疑から生まれた絶望も理性の道にではなく、狂気の道に通じている。
 『水仙』の終わりの箇所で小説の語り手は夫人が実は天才画家であったのではないかと考え、「(…) 奇妙な疑念にさえとらわれて、このごろは夜も眠られぬくらいに不安である。二十世紀にも、芸術の天才が生きているのかもしれぬ」と語る。その不安には不気味さが漂っているが、そこには二つの異なる側面が存在している。
 一つ目は静子夫人の変化を巡る不気味さである。夫人は他者の言説を信じて自分を天才だと思ったが、それだけではなく自分が天才ならば、すべてが可能であり、すべての人間が自分に跪かなければならないと考えたのではないだろうか。だからこそ、物語の書き手である「私」を訪ね、絵を見せ、「私」を平伏させようとした。しかし、周囲の言葉を信じられなくなった夫人は退廃的な生活によって耳が聞こえなくなり、絶望し、自殺してしまう。虚構が真実となったり、真実でさえも虚構に思えるようになってしまう状況の中に投げ入れられた時、われわれは大きな不安を抱き、その状況に不気味さを感じる。不気味さはしばしば自己という堅固な城を破壊するのではないだろうか。
 フロイトは『不気味なもの』の中で「不気味なものとは慣れ親しんだものが一度抑圧され、それが再び戻ってきたものである」というように述べている。すなわち、それは無意識の中に沈殿していた幼少期のあるコンプレックスが何らかの原因で突如意識に現れたものであると説明されているのだ。この考えに従うならば、静子夫人は自分が他者とは違う特別な人間であるという思いを無意識の中にずっと隠し持っていたのであるが、他者の発言によってそれが意識の上に顕在化していったと解釈することができるだろう。さらに夫人は特別というだけではなく、特別であるのだから他者が自分を畏怖し、拝跪することを強烈に望んだ。だが、その欲望と現実との大きなギャップに耐え切れずに自己破壊の道へと進んでいった。こう分析することが可能であろう。自己破壊に至る欲望は悲劇を感じさせる以上に不気味さを、人間の心の暗い闇の部分で蠢いているドロドロとしたものを感じさせる。  もう一つの不気味さは真実を明確に語ることができなくなった時代性と関係する。この小説は最初に述べたように第二次世界大戦中の1942年に書かれた。日本国内は連戦連勝に湧き、来るべき敗北の予兆はまだ見えていなかったであろう。しかしながら、太宰は自分の生きている時代に対して不気味さを覚えていたのではないだろうか。この小説が5月に『改造』に掲載された約一月後にミッドウェー海戦が起き、日本海軍は大損害を受け、その後戦況は悪化する一方となり、敗戦へと突き進んで行く。そのような状況下で、何が本当で何が嘘かを問うことを許さない時代的雰囲気があったはずである。理性的な行為は否定され、非合理な行為が強制される。狂気の時代。そう形容しても間違ってはいないだろう。歴史的展開を知るわれわれは静子夫人をそうした時代のシンボルと見なすことができる。夫人の耳が聞こえなくなったのは生殖不可能性の隠喩となっているではないだろうか。生み出すことができず、朽ちていくだけの姿を表していると考えられるのである。それと同時に、彼女の姿は不毛な時代性を、何も作ることができず崩壊へ向おうとする不気味さを内包する時代性を表しているとも考えられるのではないだろうか。
  「天才である誰かがさらに少なくとも二つの天分を有さない限り耐え難い人間となる。その二つとは感謝の念と純粋さである」とフリードリッヒ・ニーチェは『善悪の彼岸』の中で語っている。静子夫人は天才であったかもしれないが、彼女は感謝の心も、純粋な精神もまったく持ち合わせてはいなかった。それゆえに、彼女の自殺は当然であったとも語り得るだろう。だが、問題はそうなってしまうような強い欲望が彼女の無意識の暗い奥底に潜んでいたことである。それはまさに不気味な怪物が心の中に隠れ住んでいたようなものである。それだけではない。その怪物は天才の天才性を破壊するものとして時代の中にも住み着いていた。絵の中に描かれた水仙の薄気味の悪さと小説の中に示されていた不気味さ。その連関性は個人的な欲望を超えて、時代が絶望的色彩に染まっていく予兆を示していたのではないだろうか。不気味な時代が不気味なエクリチュールを生んでいった。私にはそう思われるのである。


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