宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

非在の存在性:岡本太郎と沖縄

  刈り取られ、だだっ広い空間だけが残った耕地。頭の上に大量の干し草を載せて運んでいる農婦。山のように積まれた干し草は農婦の顔を完全に覆っている。空は高く、からっぽの大地の中に一人。こちらに向かい歩いて来る。「岡本太郎の沖縄」という展覧会のビラに使われていた一枚の写真に私の視線が惹きつけられた。7月6日から10月30日まで、青山にある岡本太郎記念館で開かれている返還前の沖縄の写真展。それを知るきっかけとなったのはこの写真だった。

  岡本は芸術家であると共にフランスの民族学者・社会学者のマルセル・モースの弟子であり、思想家のジョルジュ・バタイユの友人であった。その事実を私は赤坂憲雄の書いた『岡本太郎が見た日本』を読んで初めて知った。岡本の写真が美術的であるだけではなく、探究的な側面を持つ理由が判った気がした。彼の写真には被写体を精密に堅固なものとして示す構図があるだけではなく、対象の背景にあるものをも確実に捉えようとする視線が存在している。「失われた日本」を究明したいと思いながら沖縄でシャッターを切る岡本の目は、芸術家のものであると同時に民俗学者のものでもあった。しかし、彼の眼差しは「失われた日本」にだけ向けられたのではなく、「失われた世界全体」をも見つめていたように私には思われる。日本の原風景を媒介とした世界の原風景。それが彼の瞳に映っていたと。
 ここで私が書きたいことは、岡本が撮った写真と『沖縄文化論―忘れられた日本』(以下サブタイトルは省略する。1961年に中央公論社から発刊された時点では『忘れられた日本―沖縄文化論』であるが、1972年の再刊以降はこのタイトル) に書かれた彼の探究を通して理解することが可能となる日本返還前の1950年代から1960年代にかけての沖縄の持っていた根源的な生命力についてである。岡本太郎は躍動する生の力に目を見開き、共鳴し、ぶつかっていった。その接近は三つのレベルからなされた。「原風景」、「原初的声」、「始原的な所作」からである。以下のセクションではそれぞれのレベルについての考察を行っていこうと思う。

原風景
 奥野建男は『文学における原風景―原っぱ・洞窟の幻想』の中で、東京のような大都会にも存在している原風景としての原っぱについて語っている。大都市は縦横上下の空間に多くの建築物が立ち並び、空間を覆いつくすことによって自己増殖する異様な身体を持つ怪物のような存在である。空間を何かが占めることによって、空間を所有することによって、この怪物は激しく自己主張し続ける。圧迫され、息苦しい偽の空間。だが元来、空間は閉ざされなければならないものではなく、解放されるべきもののはずだ。原っぱには開かれた空間がある。
 岡本太郎は沖縄への旅の中で、日本の原型が記されている可能性の高い沖縄文化の独自性を示すモニュメントやオブジェを探し歩いた。琉球王の墓がある浦添のヨードレや首里の霊御殿、首里城の石造美術の破片や王家の遺品、沖縄の焼き物である壺屋、伝統的な染色技法の紅型 (びんがた) の作品などを見る。しかし、どれもが彼の感性に響いてこない。強力な衝撃を与える力が存在していないのだ。沖縄の根源的な生命力は戦争と共に消え去ったのかもしれない。そう思いかけたときに出会ったものが、御嶽 (うたき) であった。
 御嶽とは神が降り立つ聖なる場所のこと。岡本が久高島 (くだかじま) で見た御嶽は何もないただの野っ原だった。クバやくろつぐが周りに茂っているだけで神木も存在しないただのからっぽの空間。確かに香炉らしきものとして隅のほうに三つ四つの石ころが半分枯葉に埋もれころがっているが、それは神聖な儀式に用いられるものだとは到底考えられないような代物だった。何も存在していないことに岡本は驚かされ、「なんにもないということ、それが逆に厳粛な実体となって私をうちつづけるのだ。(…) なんにもないということに圧倒される。それは、静かで、幅のふとい歓喜であった」と語る。
 現前する事象の根本原理を分析する場合、われわれは「在る」ということに重点を置いて論証しようとする。考察対象の中に見出されるに違いない何らかの存在性を探し続けようとするのだ。その探求の中で、「ない」ということは意味のない、無価値なものとして最初から排除されている。しかし、本当にそうだろうか。ゼロは非在を表す記号であるが、非在は無意味でも無価値なものでもない。フェルディナン・ド・ソシュールはゼロ記号の重要性について言及したが、ゼロ記号とはある言語体系内で他の記号との関係性によって、記号としての形式が存在していないにも係らず言語的価値を持つものである。フランス語の un stylo と英語の a pen の a と un との不定冠詞の単数形を示す機能は同一であり、意味的に平行関係にある。だが、複数形における des stylos と pens を比較した場合に不定冠詞の複数形はフランス語では des によって表示されているが、英語では無標によって、つまりはゼロ記号によってその機能が示されている。ゼロ記号はゼロであることによって意味を持つ。
 何もない空間であるからこそ神聖な価値を有することができる。存在の意味を逆転させるこの発見は、岡本の思考を天空へと上昇させる。パラダイムシフトによる価値の転倒だ。装飾され、ここにあるという自己主張を過剰に行う存在だけに目を奪われてはならない。存在の根源は見つめられるものの中にだけあるのではなく、非在性の中にも刻印されている。岡本の撮った久高島の御嶽の写真。そこには熱帯の木々に囲まれた野っ原だけの空間が写されている。この空間の意味は、島の木々、神秘的な儀式の歴史、巫女であるのろの存在といった島を巡る他の要素との関係の中で初めて浮かび上がってくるゼロ記号である。そしてそれこそが沖縄の、日本の、そして世界の原風景ではないだろうか。

原初的声
 石垣島、西表島、竹富島などから構成されている八重山には、口伝された数多くの詩歌が存在していると『沖縄文化論』には書かれている。ユンタ (読歌または共同歌)、ユングトゥ (祈りの言葉)、アヨウ (叙事詩)、ジラバ (確かな意味は不明) など、バリエーションも豊富であるが、詩歌に込められた思いと歌声に対して岡本は、「ぎりぎりに哀愁をぬりこめた、歎き、訴え。それは叫びの極限まで、いのちを振りしぼったという感じだ」と語り、「人間の声はすばらしい」と述べている。「どうしても言わなければならないから言う。叫ばずにはいられない。でなければ生きていけないから。それが言葉になり、歌になる」という岡本の考えを聞くと、彼が何もない空間に対して発見したものと同様に歌謡の中にも根源的な何ものかを見出したことが理解できる。
 ユンタやユングトゥなどは生活の声でもある。一人で歌われるだけでなく、返歌があるものもあり、労働歌としてみんなで歌われたものもある。しかしそれらには楽しげな様子はまったくなく、いつも悲しい。搾取の連続がこの地方の歴史だった。それゆえ、「八重山では百姓はあまり辛くって悲しくって、その泣き声が歌になったといわれている (…)」と岡本は書き、だが、「それはまた逆に生きることの確かめであり、そのアカシ、生甲斐だったといっていいのではないか」とも書いている。忘れてはならない歴史的事実。
イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンは『言葉と死』(上村忠男訳) の中で、「(…)〈声〉は本当のところ、ヘラクレイトスが目に見えるハルモニアよりも強いと言っている目に見えないハルモニアなのである (…)」という言葉を述べているが、声の力はしばしばわれわれの存在の根底にある情動を突き動かす。そうした声は叫びに似た歌になり、涙に似た歌になり、語り継がれ、歌い継がれていく。その歌声は効果を狙い、装飾され、清らかさを失ったアートという虚構の美を徹底的に破壊する生活の力だ。赤坂憲雄は『岡本太郎が見た日本』の中で、「生活」や「生命」という語を岡本の沖縄論のキーワードとして挙げているが、生活の声としての歌ゆえに、その声は原初的なものを内包し、われわれに迫ってくる。
 「(…) 何もなく、音声だけが響き、また消えて行く世界のすばらしさというものがある」と岡本は言う。ここで語られている音声というものも「在ること」によってではなく、「ないこと」によって価値が見出されている。さらに、「私はもの・・のいのちは作られた瞬間にうち壊されるべきであると思う。でなければるいるいとした不潔な排泄物は人間を虚偽におとしいれ、鈍くし、堕落させる」(傍点は岡本による) と言う。原初的であるものは儚く消え去るように運命づけられていなければならない。なぜなら都市空間のように空間を埋め尽くすように重ねられるモノの山がわれわれの存在性を否定し、砕き、醜く歪めていくから。岡本は「なくなること」の中にある存在の厳粛さと神秘を強調する。声や歌もここにある空間を占めることはできるが、声が消えるとき、それは沈黙の世界へと空間を戻す。始まりへの回帰。「ないこと」は「ない」だけでなく、浄化された原初的な何ものかでもあるのだ。

始原的な所作
 沖縄の舞踊の多様さには目を見張るものがある。それだけではなく、沖縄の人々は踊ることがとても好きである。岡本が沖縄に行った時代と同様に、祭りの時だけではなく、祝いの場で、酒の席で、沖縄の人々は自らの感情をごく自然に踊りによって表す。踊りには動きがあるが、日本舞踊などと比べて、たとえどんなにゆっくりとした動きの舞踊であっても、沖縄の踊りには止まることなく流動し続ける生の瞬間的な輝きが存在する。型を決めるといった技巧的な動きは存在しないのだ。「歓喜が全身をつき動かす。人は踊る。よろこびの極みが踊りであり、そのエネルギーの放出はまた強烈な歓喜である」という言葉が示すように、沖縄の舞踊は死の方向に硬化し、定着しようとする凝結から遠く離れ、動態によって存在の至高性を表現する。
 ジル・ドゥルーズは『ニーチェと哲学』(足立和浩訳) の中で、「身体は多様な現象であり、還元不可能な多数の力によって組み立てられている」と述べているが、身体が多様な現象であるのは身体が動くものであり、変化するものだからである。それだけではなく、身体は静止によってよりも動作によってその存在性を主張するものだからである。日常生活においても身体は様々な動きをし、それが生存の証明となり、生命の活力の表出となるが、身体の動きが最も高まったもの、それが舞踊である。フリードリヒ・ニーチェはそのことをよく理解していた。「あなたがた、良い舞踊者よ!あなたがたの脚も高くあげよ!いっそ、逆立ちして踊るがいい!」(『ツァラトゥストラはこう言った』、氷上英廣訳) という言葉を思い出そう。躍動することによって世界は逆転され、踊り手の一つ一つの動きが光を放つ。
 消費社会である現代はモノをなくすのではなく、モノを次々に所有し、積み重ねることによって自らの存在性を誇示する社会である。消費は散失することよってではなく、より多くのものを占有することによって、つまりは、「ない」よりも「在る」ことによって特徴づけられる。多様性よりも単純化した量によって、動態的な構造ではなく静態的構造によって秩序づけられている。消費社会に汚された装飾的な通俗性を色濃く反映する日本の伝統舞踊とはまったく異なり、沖縄の舞踊の持つダイナミックさは沖縄の歌謡と同様に生活と生命の始原的な瞬間性を反響させるものである。それゆえ、岡本は瞬間ごとに変化する動きを何とかフレームに捉えようとするが、できあがった写真は常に逃げ去った動きの痕跡しか残していなかった。
 「歌とか踊りというものは、生きる、その充実のほとばしりであって、その瞬間に叫び、その瞬間に舞えばそれでいい。音として消え、形として消えるものなのだ。吹きながすのだ。惜しみなく」と語る岡本にとっての問題は、原沖縄性の究明であると共に原日本性の解明であり、さらにはもっと根源的なものの探求であった。彼の鋭い眼差しが沖縄で見つめたもの、それが無定形な御嶽、歌謡、舞踊であったのは偶然ではない。饒舌な存在の毒舌によってではなく、「ない」ことによって、ゼロ記号として、存在の源流が開かれていく。そのことを岡本は明確に知っていたのだ。

 近代とは何かという問いに答えるのは容易なことではない。しかし、近代以降世界は均質化した消費社会の上に社会や文化というものを構築しようとしてきたのは事実であろう。「在る」ということから問いを始め、「ない」ということからの問いは無視され続けてきた。しかしながら、「在る」ということのみに焦点をあてた問いには静態的構造として事象を考察しようとするイデオロギーが作動してはいないだろうか。複雑な事象を要素分解し、単純な単位に還元し、そこからシンメトリーな構造を組み立てようとする。それが近代精神の大きな特質であると言うことができるだろう。歴史的展開を見れば、その精神は政治、社会、経済、文明を高度に発展させた。しかし、こうした問題設定の枠内で、われわれの生命を、生活を支える根源的な何かを捉えることは絶対に不可能である。生の源流を求めて、岡本は日本中を旅した。レンズを向け、被写体を撮り、プリントされた数多くの写真。彼はそれらの写真が掲載されている日本紀行三部作と呼ばれている『日本再発見』(1958)、『沖縄文化論』、『神秘日本』(1964) を執筆する。その中でも沖縄で体験したこと、見つめたものに対する叙述は特別なものであった。
 「(…) ぼくの問題にしたいのは、この宇宙世界の内における、現時点、この場所においてのわれわれの生き方と決意です」(『日本列島文化論』)。巨大な対象に対して正面から対峙しようとする探求者の決意がはっきりと示されている言葉である。赤坂は岡本を動物的であると形容しているが、彼は動物というよりも探求者として形容されるべきだろう。その探求には友人であるバタイユ的な生と死との弁証法が色濃く反映されている。「人間が動物を食い、動物が人間を食った時代。あの暗い、太古の血の交歓。食うことも食われることも、生きる祭儀だった。残酷で、燃えるような、宇宙的な情熱が迫ってくる」(『日本再発見』)。生命の最も深遠な問題は生と死との物語である。生きることのすぐ隣に死があり、死によって生が弾け飛ぶ。「私たちは目隠しをして、死のみが絶えず噴出を保証し、それなくしては生も衰退するよりほかはないという事実を見ようとしない」、「生とは、絶え間なき爆発を呼び起こす攪乱の運動なのである」という『エロティシズム』(澁澤龍彦訳) に書かれたバタイユの言葉は岡本の言葉と響き合う。
 儀式のために犠牲となった羊の写真。食べるために殺された何頭ものイルカの写真。沖縄で撮られた岡本の写真には、生き物の死が力強いタッチで描き込まれているものが多い。死は生から生まれ、生は死から生まれる。それこそが沖縄の生活の、日本の生活の、さらには世界に生き、死ぬもの全ての根源ではないか。それは決して静止することがない生命のダイナミズム。流動するゆえに最後には無形となるもの。
 米軍基地のある沖縄。戦争の傷跡が残る沖縄。支配され、搾取され、それでも生きてきた民衆が住んだ、今も住んでいる沖縄。エメラルドグリーンの海、珊瑚礁、白い砂浜、亜熱帯気候の南の島、砂糖キビ畑、シーサーのある石造りの家、蛇味線の音、西表島やヤンバルに生息する珍しい野生動物、泡盛、チャンプル。リゾートの島、沖縄。往々にしてわれわれはこうした側面から沖縄を語ろうとする。だが、岡本太郎と共にわれわれは生きることの根源を見つめられる島として沖縄を語るべきなのではないだろうか。歌う島、踊る島、始まりの島として今も生き続けている沖縄を。

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