宇波彰現代哲学研究所

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『ミトロジー』再読 その3

それでは、そのような神話形成者としての大衆・小市民階扱ばどういう意識を持つ者として規定されているのか。バルトは「エル」の読者について次のように書いている。《「エル』の世界では、女性はつねに同質の種属であり、白分の特権にあこがれ、そしてそれ以上に服従を好む一団である。》(52頁)つまり、「エル」の女性読者たちは同質のびとたちであり、ほかの女性と異なることを好まない。このことは「エル」の女性読者に限定されるものではない。バルトは、小市民階級の意識は、つねに同一性へと志向し、同義反復の論理を軸としていると指摘する。未来小説が火星人と地球人と同じ一神教の信者として描くのは、小市民階級の想像力が同一性の枠のなかにあるからである。「プジャード氏の発言」を理解するためには、1950年代のフランス史の多少の知識が必要かもしれないが、このなかでバルトは《方程式の数学が小市民を安心させる》(85頁)と書き、プジャードの演説によって、《小市民階級のすべての神話には他者であることへの拒否、異なったものの否定、同一性の幸福、似たものの評価が含まれる》(87頁)ことが明らかになったとしている。
そしてバルトは、このような同一性への志向に、ファシズムとつながるものを感知する。すでに述べたように、《大衆文化の言語のイデオロギー批判》には、全体主義と通底する小市民階級の意識への批判が含まれているのである。だから日本でも或る時期に多くの聴衆を集めたビリー・グラハムの演説が話題となったのも、《フランス小市民階級の精神的な脆さの表現》(101頁)にほかならない。そしてバルトは、ビリー・グラハムの演説旅行が《マッカーシズムのひとつのエピソードにすぎないこと》(102頁)をはっきりと見抜いていた。
さらにバルトは、ギド・ブルーの旅行案内書という小市民階級の愛用するガイドブックを分析する。この旅行案内書はたとえばスペインに関してはキリスト教の教会についてしか語らず、イスラム教寺院もピカソの「ゲルニ力」も除外されてしまう。こういう旅行案内書は、フランス人の宗教であるカトリック以外の宗教を見ることができない市民階級(この部分では小市民階級ではなくなっている)の意識に対応するものであり、ピカソや市民戦争時代の共和主義者について沈黙ずることによって フランコ体制を擁護しているのである。
このように、《大衆文化の言語のイデオロギー批判》には、神話の形成者である小市民階級の同一性志向に対する批判と、それと表裏一体になっている全体主義的な思考へと批判の両面が存在している。

それではこのような批判の対象となっている小市民階級は何を神話化するのであろうか。バルトが言うように、 『ミトロジー』の素材は1950年代のフランスの日常生活のなかにある。だから、あらゆる現象が、もしそれが何らかのかたちで小市民階級によって語られるものであれば、それはただちに神話として機能する。たとえば「ワインと牛乳」の章では、ワインが集団表象の対象として把握されている。つまり、ワインはフランス人の日常生活に不可欠なものであり、日常性の神話回路のなかに組みこまれてあるから、コティ大統領(一九五四年から五九年まで大統領の職にあった)がワインを飲んでいないでそのかわりにビールを飲んでいると思われるような写真が公表されると、それはフランス国民にとっては非常なショックであり、あたかも国王が独身であるような現象として感知されるのである。ただしここでもバルトは、ワインの生産は資本主義の仕事であって、そこに搾取があるのだと付け加えることを忘れてはいない。
フランスの小市民階級が神話化する対象を列挙してみよう。プロレス・写真・映画・広告・おもちゃ・ワイン・ビフテキ・ポテトフライ・演劇・旅行案内書・自動車・ストリップ……要するに、日常生活で語られるあらゆる物・現象・事件が神話として了解されるのである。(続く)

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