宇波彰現代哲学研究所

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映画「ゴーギャン」を見る



 去る2017年10月31日に,試写でエドゥアルド・デルック監督のフランス映画「ゴーギャン」(2017)を見た。ゴーギャンに扮した俳優ヴァンサン・カッセルはたいへんな「熱演」であった。当日,会場でもらったパンフレットによると,この映画はゴーギャン晩年の生活を必ずしも正確に描いてはいないという。しかし、私の見た限り、この映画はゴーギャンのタヒチでの作品をかなり意識して作られていると思われた。あえて言えば,この映画はゴーギャン晩年の作品を映画化したものである。多少ずれているかもしれないが、映画「ゴーギャン」は,タヒチをテーマにしたこの画家の作品の「活人画」(タブロー・ヴィヴァン)である。つまり、ゴーギャンの絵で描かれている人物を俳優に演じさせている。たとえば、この映画に出演しているタヒチの17歳の女優は、彼の描いたタヒチの女性とよく似ているし、映画の中で、ゴーギャンが彼女にとらせるポースは,作品で描かれているものとほとんど同じである。2016年に東京都美術館などで開かれた「ゴッホとゴーギャン展」に、ゴーギャンの「川辺の女」(1892)が展示されていたが、そこでは二人タヒチの女性が洗濯をしているシーンが描かれている。映画でもそれとまったく同じ情景が写されていた。
 この映画と直接の関係はないが、ダーウィンの『ビーグル号航海記』(島地威雄訳、岩波文庫、1961)のタヒチの部分の記録を読むと,この映画の遠い背景がいくらかわかる。タヒチの自然と人間を、ダーウィンがよく観察しているからである。ダーウィンは、島に到着すると,島民の案内で、山に入り,野宿する。そして動植物の観察を怠らない。島民が入れ墨をしていることにも注目している。
 ゴーギャンは、1848年に生まれ,1903年に亡くなっている。それはフランスの帝国主義の時代である。フランスによるアルジェリアの侵略は,1830年に始まっている。新大陸アメリカとインドでの「侵略」が挫折したフランスは、最初はアフリカに、そして間もなく太平洋の島々に眼をつけた。
 タヒチはオーストラリアと南米大陸の間にある島である。それはヨーロッパ人が来るまで,女王が支配する王国の中心であった。1835年に、ダーウィンがビーグル号に乗って来たときも、女王がいた。(彼女についての描写もある。)そこにはすでにイギリス人の宣教師がいて、プロテスタントの教会も存在していた。てもとにある『小学館万有百科事典』(1975年)には次のように記述されている。「19世紀の前半にはタヒチ島は超部族的国家ポマーレ王朝の所在地であったが、1842年以来フランスの支配下にはいった。」つまりイギリス人のあとにフランス人がやって来て、この島を「征服」したのである。イギリス人宣教師が作ったプロテスタントの教会はどうなったのだろう。とにかく,ゴーギャンがこの島に来た1883年に、この島は完全にフランスの植民地になっていたのである。そうなると、以前にこのブログに書いた,フランスの画家シャセリオーのことを想起しないわけにはいかない。シャセリオーは、1830年にフランスがアルジェリアを植民地化し始めると、すぐにアルジェリアに赴いて描いていたのである。(2017年11月7日) 


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