宇波彰現代哲学研究所

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『ミトロジー』再読 その4

最初に述べておいたように、バルトの『ミトロジー』の基盤のひとつは《集団表象》というデュルケームの社会学の概念である。そしてバルトは1950年代の集団表象の主体として、 「エル」の女性読者のような、小市民階級という集団を考えていた。しかし、もしもそういう集団そのものが崩壊するとすれば、《集団表象》そのものも崩壊することになりはしないか。私がこの小論の最初の方で、バルトが『ミトロジー』を書いた時代以後、《大衆文化と集団表象のあり方はかなり変化したと言わなくてはならない》と書いたのはその意味においてである。いわば現代においては神話は崩壊しつつあるのであって、『ミトロジー』の巻末にある「神話・現代」のなかでの次のようなバルトの主張は、すでに神話の崩壊を或る程度感知していたような印象を与える。《神話学者は、神話の消費者全部と相容れない。……神話が集合体全部に到達しているとき、神話を解放しようとすれば、共同体全体から遠ざからなくてはならない。》(245頁)バルトはここで、共同体から人間が離脱することによって神話が解放されると述べているのだが、現代のわれわれは何らかの意味で共同体から離れつつあるのではないだろうか。
すでに述べたように大衆文化は、大衆が特定の対象に共通の関心を持ち、それについて語ることによって神話を形成することから成り立っている。ところが、私が最近別の機会に何度か論じて来たように、現代文化は非常に多様化・多極化していて、大衆の関心が極度に分散している。川本三郎氏はこれを《マニアの時代》と規定するが、《マニア》相互はもはや連絡の可能性がなくなっている。これは文化の細文化・多様化であると同時に、大衆そのものの多様化でもある。
今さらここに書く必要はないかも知れないが、丸山真男氏は『日本の思想』のなかで日本の文化のあり方をタコツボ型であると規定した。タコツボ型とは、《文字通りそれぞれ孤立したタコツボが並列している型》のことであり、近代日本の学問や文化、あるいは社会の組織形態がタコツボ型になっていることが指摘された。現代文化は、このタコツボ型の激化にほかならない。 (モランは『時代精神』のなかではこれとはまったく反対の立場であって、大衆文化を世界文化として規定しようとする。そういう面があることも否定できない。つまり大衆文化は崩壊しつつあると同時に拡大しつつある。しかしこの小論では、崩壊する面に焦点を合わせたい。)
われわれは何の抵抗もなしに《集団表象》ということばを用いているが、そのばあいの《集団》とは何であろうか。バルトはそれをフランスの小市民階級であるとする。しかしバルトの分析以後、彼らの意識そのものもかなりの変化をして来たに違いない。1973年3月にバルトはモーリス・ナドーと、ラジオでの対談「どこへ・それとも文学は行くか?」を行った。(「みすず」1975年3月号に松島征氏の訳によって掲載されている。)そのなかでバルトは次のように発言している。《二十年前、哲学はまだへーゲルの強い影響のもとにあって、全体化というイデーとたわむれていた。今日、哲学が複数的なものとなった結果、もっと小集団的・ファランステール的なユートピアを空想できるようになった。これらのテクストが流通するのは、したがって、小集団、ほとんどファランステール的な語義における「友愛」のなかである。》(「みすず」183号、16・17頁)
バルトはここで20年前には、哲学が全体化というイデーとたわむれていたと書いているが、ここで20年前というのは1950年代の初期のことであって、彼が『ミトロジー』に収められるエッセーを「レットル・ヌーヴェル」に書き続けていた時期である。バルトは哲学が全体化のイデーとたわむれていたと述べているのだが、その当時のバルトが考えていた《集団表象》の集団もまた、フランスの小市民階級という全体性にかかわるものであったと見なくてはならない。
バルトは現代文化の多様化・多極化という表現を用いてはいないが、1970年代の哲学が《複数的》なものになったことを認めている。哲学はつねに現実のあとを追いかけるものであり、哲学の複数化・多様化は、現実の複数化・多様化に対応するものであると見なくてはならない。《タコツボ》現象は、わが国の文化にだけ見られるものではない。世界の現実そのものが極度に多様化し、また構造化されてしまっている。このような多様化のなかでは、すでに述べたように文化そのものが多様化・細分化するだけではなく、その文化を生産し、消費する集団の側も多様化し、細分化するようになる。バルトはそれを《小集団》とか、フーリエが構想した小さな共同体である《ファランステール》という用語で表現している。バルトはここでは文学のテクストがそのような小集団・ファランステールにおいて生産され消費される状況を、ユートピアとして描いているのだが、それはけっして文学の領域にとどまる空想ではない。現代文化の多くの領域で現実に生じている現象なのである。
そうすると、25年前には有効な考え方であった大衆文化の集団表象という考え方自体があやうくなってくる。柳田国男がその著作を媒介として再現した各地の伝統・伝説は、彼が《常民》と名付けた村落共同体の民衆の集団表象、つまり彼らの集団的想像力の所産であった。そういう集団表象は村落共同体の崩壊とともに、それ自体が崩壊して行く。それと同様に、もしもバルトが言うような《小集団》《ファランステール》が今日成立しうるとすれば、そういう小集団の集団表象、集団的想像力は、いわゆる《大衆文化》における集団表象とはかなり違ったものになるはずである。しかもバルトはそれらの小集団をユートピアとして空想しているにすぎない。事実上はそういう小集団の成立さえかなり困難になっているはずである。おそらくバルトは1950年代に彼が分析の対象としたような《神話》が崩壊して行くのを意職していたはずである。なぜならバルトが1970年版の『ミトロジー』の前書きで書いているように、記号諭は最後には《記号破壊論》になるはずだからである。記号破壊論とは、西欧的記号の究極の意味サレルモノである神の破壊であり、西欧的な秩序の破壊であって、それによって意味スルモノの解放が可能になるのである。
この意味でバルトの作業は、フランスの小市民階級の意識に対する批判から、西欧の伝統的な精神そのものへの批判へと移行して行った。バルトは、すでに言及した「物そのものを変化させる」というエッセーのなかで、このことに触れて次のように書いている。《最初は(イデオロギー的な)意味サレルモノの破願が目標とされ、次には記号の破壊が目標とされた。〈神話破壊論〉のあとに、もっと大きな、そして別のレヴェルでの〈記号破壊論〉が来る。》[「エスプリ」1971年4月号、605頁)私自身も、こういうバルトの思考の変化について論じたことがあるが(北樹出版刊、平井正氏編『文化と文明の哲学』第7章)、西欧的思考そのものへの批判の前提になっているのが、 『ミトロジー』でなされた大衆文化批判なのである。
バルトの思考は哲学的ではないように見える。しかし彼は実際には思想の動きに対して極度に敏感に反応しているように思える。彼が《記号破壊論》と名付けた思考は、同時代のデリダ、フーコー、ドゥルーズなどの思考と多くの点で共通のものを持っている。また、現代文化の間題の考察では、モラン、ボードリヤールに先行している。バルトはけけっして孤立した思考をしていたのではなかった。

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