宇波彰現代哲学研究所

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寺山修司の詩作品

寺山修司(1935~1983)は、若いときから俳句・短歌を作っていた。やがて、寺山は、前衛的な選劇活動を行なうようになるが、時には競馬についても深い関心を持つなど、ひとつの領域に閉じこもらない多彩で精力的な活動をしたことはよく知られている。その著作は、百冊を超えるといわれている。寺山修司のそうした多面的な活動を支えていた芸術の原理のようなものがあると考えられる。
そのひとつは、近代の日本が過去から引きずってきた、家族を中心とする閉じられた世界観に対する批判である。寺山には、小市民的な感覚に対する、ほとんど生理的なほどの反感がある。『家出のすすめ』という寺山の著作の一冊の題名は、彼の反市民的な立場をよく示している。今日歌われる寺山修司の詩も、一見すると家庭の幸福を歌ったもののように見えるが、実際はそうではない。寺山の第一歌集『空には本』(1958)にすでに次のような歌がある。

   小市民のしあわせなどを遠くわれが見ており菜屑うかべし河口

小市民的なものを否定して、そこから新しいものを作っていこうとする意識は、この第一歌集の末尾に付された「僕のノート」というあとがきのなかではっきりと示されている。寺山はそのなかで、次のように書いているからである。「短歌をはじめてからの僕は、このジャンルを小市民的な呟きから、もっと社会性をもつ表現にしたいと思い立った。」。ここで、寺山は、短歌をもっと社会性をもつ表現にしたいと書いているのであるが、その意識がやがてほかのジャンルの芸術にも拡大されていくことになる。
私は、寺山修司の芸術の二番目の特徴として、彼があらゆる意味での単純な反復を拒否して、つねに新しいものの創造を目指し.ていたことを挙げるべきだと考える。寺山修司の演劇では、普通の芝居にあるような意味での「台本」は否定される。演劇が台本の単純な再現であるならば、演劇の必要はないという考え方が寺山の演劇観の根底にある。寺山修司の書いた「台本」に「巨人対ヤクルト」というのがある。これは、野球の試合の経過をそのまま台本にしたものであって、台本の完全な上演を求める指示があるために、現実には上演できない。上演が最初から不可能なこの台本は、「台本の反復としての演劇」が実は無意味であることを言うために書かれたものである。
もうひとつ、寺山の芸術論で重要なのは、「半世界」という思想である。これは、芸術作品は、それを創るひとによっては半分しか作られていないのであって、残りの半分は芸術の消費者もしくは観客によって作られるという考え方である。寺山は、そのことを実際の演劇活動においても実践し、観客が演劇に参加することを求めた。街頭演劇はその一例である。 
寺山修司には、作詩集『かもめ』(1973)がある。これは、浅川マキ、日吉ミミ、カルメン・マキたちが歌った歌を集めたものであり、「時には母のない子のように」などが収められている。そこでは、寺山修司は、自分の詩が、曲を付けられ、歌われることによってようやくひとつの世界になる半世界であることを十分に意識していたように思われる。
今日演奏される、中田喜直作曲による寺山修司の詩は、膨大な寺山修司の作品のなかでは、小さい位置しか占めていないように見える。しかし、その詩作品の内容はきわめて寺山的であり、また、ここでは寺山修司と中田喜直という意外な組み合わせが実現されているのであって、私はそこにも演劇的なものを感じないではいられない。

(付記。1992年10月11日に、東村山市中央公民館で、寺山修司作詞、中田喜直作曲、歌曲集「木の匙」の演奏会があった。バリトン・倉田博継、ソプラノ・倉田靖子、ピアノ・渕上千里というメンバーであった。本稿はそのときに私が、演奏の前に行なった講演の要旨である。これは私の手元に残っていた原稿のままであり、手を加えてはいない。なお、この歌曲集はかつて伊藤京子によって歌われたことがあり、私もそのテープを聴いた。この歌曲集の存在そのものもあまり知られていないので、あえてここに拙稿を公表することにした。2008年2月16日)

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