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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

希望の光はもう消えたのだろうか―『立ち上がる夜:‹フランス左翼› 探検記』を読む

 1987年7月7日夜、パリ=シャルル・ド・ゴール空港に着く。今迄に海外に出たことは一度もなかった。それに加えて英語もフランス語も覚束ない私は、何とかRER (地域急行鉄道網) の駅まで行く停留所を見つけ、バスで駅に向かった。駅の切符売り場でパリ行きの切符を買ったはずだが、フランス語で言ったのか英語で言ったのかはっきりとした記憶はない。電車に乗り込むことができた時は夜の9時半を過ぎていたが、日はまだ落ちてはいなかった。私はその時初めて真夜中まで日の落ちない夜というものを経験したのだが、感動はなかった。言葉も地理も判らない外国に来て、3ヵ月間のビザはあったが、語学学校にしばらく通った後のことはまったく決めていなかったからだ。
RERの車両には乗客の姿は殆どなかった。窓の外には広大な農地が見え、人家はポツポツと点在しているだけだった。この電車は本当にパリに向かっているのだろうか。私は不安で仕方なかったが、そのことを確認するためのフランス語が思いつかず、黙って座っていた。それから十数分して建物の数が増えてきて、さらに何分かして、モンマルトルの丘の上に建ったサクレ・クール寺院が見えた。確かにパリに向かっているのだ。サン=ラザール駅に着いたが、人影はまばらだった。夜の10時を過ぎてはいたが、パリという大都会の中心駅の一つが、このように閑散としているとは意外であった。だが、そんなことよりもまずは今夜のホテルを探さなければならない。私は駅を出て明るい夜に包まれたパリの道を歩き始めた。
30年も前の個人的な詰まらない経験を最初に書いたのには訳がある。1987年は第一期フランソワ・ミッテラン政権が終わろうとする年であった。翌年の4月の大統領選挙では最終的に社会党のミッテランとRPR (共和国連合) のジャック・シラクとの決選投票になるだろうと予想されていた (実際にそうなり、二人による決選投票が同年5月に行われた)。左右二大陣営が政権を争うという構図はフランスの伝統的な選挙戦の構図であるが、左派の中心政党は社会党 (PS) であった。私はミッテラン政権時代の数年間を外国人として、パリで過ごした。だが、これから検討しようと思う村上良太の『立ち上がる夜:‹フランス左翼› 探検記』(以下『立ち上がる夜』と表記) の中で示されているパリやフランスの様相があまりにも30年前と異なっているように感じられた。それがこの本についての何かを書こうと思った理由の一つである。
この本の中心テーマである「立ち上がる夜 (Nuit debout)」という社会運動それ自身も大変興味深い運動である。だが、日本人である私はほぼ同時期に日本で起きたSEALDsによる安部政権の安全保障関連法案に対する国会前での抗議運動との比較を行いたいと思った。二つの運動は多くの相違点がある一方で、新自由主義と右傾化する世界への抵抗運動という類似点を持っている。それゆえ、この二つの運動を比較することで世界の現状が見えてくるのではないかと考えたことが第二の理由である。
また、立ち上がる夜も、SEALDsの運動も、ある特定期間に起き、消えていった大規模な社会運動であったが、それが何故起き、何故消えていったのか、二つの運動の遺産はどのように受け継がれようとしているのかという点にも大きな関心がある。この点もこのテクストについて書こうと思った理由の一つである。前書きが長くなってしまったが、ここでは今述べた点を中心にしながら、『立ち上がる夜』というテクストの中で示された論点を考察することによって、フランス及び世界の現状について探究していきたい。 

1981年代以降のフランスの政治社会状況
 立ち上がる夜という問題に関して検討する前に、この運動の背景をよりよく理解するためにフランス現代政治史について手短に触れておくべきであろう。それにはミッテラン社会党政権時代と現在のフランスとの差異について語ることが最もよい提示方法であろう。第一期ミッテラン政権はフランス史上初の社会党 (PS) 政権であるが、この政権は1981年に誕生した。第一回投票 (予備選) で二位であったミッテランが決選投票の結果、51.76%の支持を得て、前大統領のヴァレリー・ジスカール・デスタンを破り当選した。第一回の有権者全体の投票率は81.09%で、決選投票の投票率は85.5%であった。これに伴い社会党は左派政権の中心政党として政権運営を行うことになる。ミッテランの第一期政権の信任投票としての意味を持つ選挙が、前述した1988年の大統領選挙であり、この時フランス国民は社会党及びミッテラン政権を強く支持した。その結果、第一回選挙でトップに立ったミッテランは決選投票で54.02%の支持を得て当選した。第一回の全体の投票率は81.35%で、決選投票では84.35%であった。
 ミッテランの大きな功績は死刑制度の廃止、週39時間労働の実施などの社会政策の充実、欧州連合の創立を定めたマーストリヒト条約の批准と言われている。だが、第一期の社会民主主義的な政策から第二機目には自由主義的な政策へと変更がなされ、さらに、第二期の後半から失業率は10%を超過していった。こうした政治情勢によって左派の支持者の期待が失意へと変わっていったことは否まれない事実であった。そのためその後三期は右派大統領政権が続く。しかしながら、リオネル・ジョスパンが首相であった保革連立 (Cohabitation) 時代を除き、失業率は常に10%を超え、社会保障は切り捨てられ続けた。それに反して、大統領及び政権与党議員は汚職や隠し財産などのスキャンダルを連発し、国民の不満が蓄積し、2012年にフランソワ・オランドを大統領とする社会党政権が再び誕生した。ところが当初は社会民主主義政策を目指し、大統領選挙戦において「金融界と戦う」と果敢に宣言していたオランドが、一転して新自由主義の手先になっていったのだ。『立ち上がる夜』の中で村上は、「オランド大統領は左派の力を結集させて選挙に勝ったのだが、当初からマクロンを経済顧問に招いており、ネオリベラリズムへ転換するための種は最初から蒔かれていたのだ。そしてオランド大統領の政策転換に多くの有権者が「裏切られた」と失望を感じ始めるのである」と書いているが、この失望感は強烈なものだった。
 オランドの変節によって国民は社会党に対する激しい怒りを表明した。それが2017年4月と5月に行われた大統領選挙及び6月に行われた国民議会選挙の結果に如実に現れたが、この問題は後のセクションで改めて語ることとする。村上の本の立ち上がる夜の運動参加者へのインタビューを読むと、2016年のフランスにはあまりにも多くの社会・政治・経済問題が存在していたことが理解できる。前年1月に起きたシャルリ・エブド事件、同年11月に起きたパリ同時多発テロ事件によって、未解決のまま残されていた民族・宗教問題の矛盾が一挙に噴き出した形となり、国家が大きく揺らいでいただけでなく、失業率は相変わらず10%を超していた。労働環境が厳しい状況にあるにも係わらず、オランド政権は労働者の解雇がし易くなり、残業や休日労働の報酬が大幅に減少する労働法改正を実施しようとした。さらに、パリの家賃は高騰し続け、ミッテラン政権の終わりに比べて三倍以上に跳ね上がっていた。民衆のための政治を行うはずの社会党政権が右派政権とまったく違いのない新自由主義政策を押し進め、貧富の差は拡大していた。貧困問題は民族・宗教問題とも絡み合いフランス社会は混迷の様相を呈していた。社会党の変節、新自由主義的弱者切り捨て経済への舵取り、イスラム原理主義の台頭とテロリズムなど噴出した数々の社会問題を抱えたフランス社会。こうした状況の中、パリで起きた大規模な社会運動が立ち上がる夜であった。
 
新しい連帯の模索
 立ち上がる夜には明確な指導者もいず、行動方針もなかった。だが、この運動の仕掛人は存在した。村上の本の最初の部分には、二人の中心的仕掛人へのインタビューが書かれている。経済学と哲学を専門とする学者のフレデリック・ロルドンとジャーナリストのフランソワ・リュファンだ。ここではこの二人のアンガージュマン運動を見つめることを通して、立ち上がる夜の特質について考察していこうと思う。
ロルドンは資本主義が抱える問題点とそれを解決できずにいる現状に警鐘を鳴らし続けている。とくに日本でも有名になったトマ・ピケティの経済理論に対して、欲望や情念という問題が探究されていないという点から痛烈な批判を行っている。『私たちの“感情”と“欲望”は、いかに資本主義に偽造されているか?:新自由主義』(杉村昌昭訳) の中で、ロルドンは「賃金労働する身体は、すべての行動する身体と同様に、動く身体であることは自明に近いことである。(…) ところで動く身体は、欲望する身体、つまり動きの創造的結末を欲望するように決着した身体でもある。そうすると、いかなる感情的影響――いかなる外的なもの――が、この動くという決定の作用因として働いた情動を生み出したかを問わねばならない」と語っているが、この言葉には彼の考えが端的に示されている。資本主義は強力なシステムではあるが、このシステムを動かすものは個別的な主体を持つわれわれ各人である。各人はこのシステムに従っているが、単に従っているのではない、主体の持つ欲望の実現や感情を満足させるためにシステムに従っているのだ。それゆえ、社会・政治・経済状況を決定するものはシステムの強制力だけではなく、主体を持つ個人が如何に他者と係わっていくかという事柄とも密接に関係するものなのだ。ロルドンのこうした考えは立ち上がる夜を構築する一つの大きな理論的基盤となった。
 リュファンは村上のインタビューに対して、「僕がジャーナリストになった動機は物事を変えたいと思ったことでした。人々のものの見方を変えたいと思ったんです。(…) しかし、ジャーナリズムだけでなく、政治的なコミットも始めました。労働組合や様々な運動グループや「立ち上がる夜」との関わりがそうです。僕にとって「立ち上がる夜」はアミアンの工場での闘争と同じことなんです」と答えている。「アミアンの工場の闘争」とはリュファンの住んでいるアミアンでの数々の工場閉鎖に伴う労働争議支援のことであるが、こうした支援は彼が創刊した地方新聞「ファキル」を中心に行なわれている。また、彼の最初の監督作品「メルシー・パトロン」は2017年セザール賞最優秀ドキュメンタリー賞を授与されたが、この映画はルイ・ヴィトンなどを傘下に置くLVMHグループの工場を解雇された50代の夫婦とリュファンが、グループの総帥ベルナー・アルノーを追いかけ、最終的に補償金と正規雇用を勝ち得るまでの経緯をコミカルに撮ったものであると村上は語っている。このように、リュファンには社会問題を鋭く捉える眼差しとその問題を解決に導こうとする行動力がある。そんな彼が、ロルドンの提案を受け入れ立ち上がる夜をコーディネートした。
 二人の他に立ち上がる夜に参加した人々の中で村上がインタビューした放送ジャーナリストのアリーヌ・パイエ、哲学者のパトリス・マニグリエ、音楽家のフレデリック・バルカブ、財務省職員で日本人とのハーフの山本百合、映画作品助監督のマージョリー・マラマクといった人々が何故この運動に参加したのかという理由は様々であった。だが、彼らに共通する参加理由が何点かある。それは大きく分けて以下の三つの点に要約できる。①現在の政治体制への不信と不満、②新自由主義システムによる労働条件の悪化と貧富の差の拡大に対する怒り、③頻発するテロによって起きた民族・宗教・文化的対立への不安。これらの点は現代フランス社会が持つ断層を構成する主要要因でもあるが、この三点を巡る問題は複雑に絡み合い、容易に解決できない状況である。それゆえ、立ち上がる夜という運動が誕生していったと断言しても間違いではないだろう。
 2016年3月31日の夜、パリ、レピュブリック (共和国) 広場。多くの人々が集まり夜通し討論会が開かれる。この討論会は日を追うごとに参加者の人数が増え、広場を埋め尽くすまでになる。立ち上がる夜はこのようにして生まれた。この運動は最初、労働条件の改正を目指すエルコムリ法に反対することを主要目的としたが、参加者が議論しようと望む問題は労働問題だけではなく、住宅問題、LGBT問題、医療問題、教育問題など多種多様なものであった。そのためテーマごとに車座になって討論が行われた。その横では音楽を奏でる集団、ダンスをする集団もいた。立ち上がる夜という総合大衆運動が突如出現した印象を多くの人が持ち、驚きの言葉を発した。しかしながら、立ち上がる夜は決して自然発生したものではなく仕掛人もおり、当局の許可も得たものであった。だが、今迄の大衆運動と異なる点があった。それは先ほども示したように運動のリーダーを持たないこと、運動のスローガンを持たないことであった。すなわち、参加者各人がテーマごとに分かれた討論に参加し、意見交換をすることによって社会を変えようとした点にあった。「毎晩、数千人の老若男女がパリ市内の共和国広場に集まり、今の生きづらい社会をどう変えるか、民意を裏切る政治をどう考えるべきか、そんな硬派なテーマを初対面の人同士で車座になって議論を重ね、新しい社会のあり方を模索し始めたのだ」と村上は書いているが、均質化されない現代社会であるからこそ、問題は多様であり、議論すべき問題は多数あった。そうした問題を顔の見えないインターネットによる意見交換ではなく、実際に顔と顔を突き合わせて対話することが重視された運動が立ち上がる夜であった。「開かれた対話」、それがこの運動の核となったものであり、それが直接参加型の民主主義の一つの方向性を示すものであった。だが、この問題はきわめて複雑に絡み合っているゆえに、後のセクションで改めて詳しく検討する。
 
SEALDsの運動との比較
 高橋源一郎と奥田愛基を始めとするSEALDsの三人の主要メンバーの対談集である『民主主義ってなんだ?』の中で、奥田らはSEALDsが結成された背景を端的に語っている。SEALDs (自由と民主主義のための学生緊急行動) は前身団体であるSASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会) を母体として2015年にできた学生を構成員とする政治運動団体である。SASPLは特定機密保護法に対する反対運動団体であり、SEALDsは安全保障関連法に対する反対運動団体であった。政治にまったく興味がないと言われている現代の日本の学生が大きな政治運動を行ったということでは注目すべきものである。民主主義とは何かを考え、行動したという意味では立ち上がる夜と共通の思想基盤があったと述べ得るが、立ち上がる夜とは根本的に異なる相違点が何点もあった。ここでは立ち上がる夜をよりよく理解するために、この相違点について詳しく見ていきたい。
 二つの運動の相違点としては、以下の三点が重要なものとなると思われる。一点目として、SEALDsのムラ社会的集団性と立ち上がる夜の都市社会的集団性の違いを挙げることができる。SEALDsが大学生と大学院生のみの集団であるため、そこには社会的均質性が存在している。つまり、この運動は異なる年齢、職業、階層の人々との具体的な連帯が生まれ難いものであった。二点目として、一元的問題追及と多元的問題追及の差異が挙げられる。その最終目的が危機に陥った民主主義の救済にあるとしても、当面の目的は特定の法律に対する反対運動であったため、SEALDsの運動は民主主義と新自由主義との関係、社会的マイノリティー問題、教育問題といった立ち上がる夜において討論された重要な社会問題に対するアプローチがない運動であった。三点目として、ポリフォニー性の違いが挙げられる。SEALDsがデモによる法案反対運動中心であったために参加者一人一人の意見が見えにくく、反対声明の表明に止まったのに対して、立ち上がる夜は参加者の対話を重視した。法案反対という形式のSEALDsの運動は反対意見の全体的統一を目指したためモノローグ的側面が強かった。それに反して、立ち上がる夜では対話中心の運動であったためポリフォニー的な側面が全面に現れ、旧来の民主主義体制擁護というよりも新たな民主主義体制の創出可能性の模索の方向性が強かった。
 こうして見ていくと、二つの運動は2015年と2016年というほぼ同時期に起きた政治・社会運動であるが、その性格は大きく異なっていたことが理解できる。しかしながら、どちらの運動も時間の経過と共に解消されていった。それだけではなく、SEALDsの運動の中心問題であった安全保障関連法は国会で成立、その後の選挙でも、東京都議会選以外は自民党が圧勝し、安倍政権が国会に提出した法案の殆どのものが成立している。立ち上がる夜は2017年の大統領選挙までは大きなうねりを見せたが、左派の候補は破れ去り、新自由主義者のマクロンが新しい大統領となり、その数ヵ月後の国民議会選挙でも政権与党であった社会党は惨敗を喫した。こうした流れを見ていくと、どちらの運動も一見すると失敗に終わったように思われる。だが果たしてそう言い切れるものだろうか。村上は『立ち上がる夜』の終わり間近で、「(…) 「立ち上がる夜」は単なる一過性の理想主義の産物として消え去っていく運命なのだろうか。僕はどこかでそんなに簡単にこの運動は消えないだろう、という気がする。というのは「立ち上がる夜」が垣間見せた民主主義の可能性が、たとえわずか数週間であったとしても、人々の心に希望を灯したと思うからだ」と述べているが、最後のセクションではこの点について考察していこうと思う。
 
 左派の崩壊現象は何故起きたのか。より正確に言うならば社会民主主義政党の世界的凋落は何故起きたのか。それは前述したように、社会民主主義政策を取るはずであると考えられた政党が、新自由主義経済の世界的浸透によって、また、頻発するテロリズムによって右傾化し、革新的な政策を支持する人々の期待を裏切り、支持基盤を失ったからである。日本の民主党の低迷と分裂、フランスにおける社会党の壊滅的衰退の理由を見つけ出すことは簡単である。だが、こうした旧来の左派への失望感が強まっていく一方で、国家レベルの右傾化は顕著となり、ナショナリズムやレイシズムに傾く社会情勢とどう向き合うのかという緊急課題を突き付けられた時に、われわれはどのような行動を取ることができるであろうか。その課題に対する一つの答えが、フランスにおける立ち上がる夜であり、また、日本におけるSEALDsの運動であったことは確かである。
 この二つの運動には、東ヨーロッパの社会主義体制の崩壊と西欧の社会民主主義体制への期待、その後に起きた新自由主義体制の勝利とナショナリズムの高揚、さらに、世界的に頻発するようになったテロリズムというように展開している混乱と怒りと憎しみが混じり合う現代史の流れの中で、何某かの希望の光があるように思われる。しかしながら、どちらの運動も目的を達することなく終焉してしまった。これらの運動は一時的な熱狂に支えられた祝祭としての意味しかなかったのか。祭りによって昇華され、変化のない日常がまた連続する。ただそれだけのことであったのか。この問題に答えることは容易なことではない。しかしここでは、イラン出身のフランスの哲学者ファラド・コスロカヴァールの『世界はなぜ過激化(ラディカリザシオン)するか?――歴史・現在・未来』という本の中で書かれている考えを参照しながら、この問題について少し検討してみたい。何故なら、村上のテクストの中には多種多様なフランス人が登場するが、パリの郊外に住む貧しく十分な教育を受けられないイスラム教徒の若者の言葉はない。こうした若者が立ち上がる夜に参加していなかったことは予想がつくが、彼らが参加していなかったことに大きな問題があると思われるからである。また、こうした民族的な対立や憎しみという問題へのアプローチはSEALDsの運動にはまったく含まれていなかった。しかし、コスロカヴァールは錯綜する現代社会において個人の誇りあるアイデンティティの確立が如何に困難であるかという根源的な問題を探究し、この問題に対する鋭い分析を行っているのである。
 コスロカヴァールの本はフランス現代社会の孕む憎しみの連鎖と歪なアイデンティティの成立を許す病巣について語っている。新自由主義のウィルスと破壊される民主主義理念、さらには民主主義を如何に再構築できるのかという点について社会学的な調査に基づき精細な研究を行っているのだ。村上は『立ち上がる夜』の中で、「マルグリエやパイエの主張を聞くと、彼らが目指す民主主義というものは、効率が悪く、途方もなく時間のかかると思えてくる。だからこそ、資本主義の統率者たちはスピードと効率を最大化して選挙に大勝しているのだろう」という指摘を行っているが、この言葉は現代社会を考える上で根幹となる問題性を孕んでいる。民主主義と資本主主義は本来両立可能なものではないことを的確に指摘しているからだ。現代を生きるわれわれが二つの相対立するシステムによって引き裂かれ、誇り得るアイデンティティを上手く築くことができないでいることを示しているからだ。この状況を最もよく反映しているのが、フランスのイスラム教徒、特にパリの郊外に住む貧しく十分な教育も受けられず、まともな仕事もないイスラム教徒の若者たちである。彼らの親たちが移民としてフランスに来た時にも差別はあった。だが、それがどんなものであったとしても仕事はあり、労働者としての何某かの保証があった。フランスは人権を重んじる国であったからだ。ところが、新自由主義の波が世界に押し寄せた。失業者は増える一方であるにも係わらず、富を求めてアフリカから移民がどんどんやって来た。
 フランスの国是は村上も書いているように「基本的人権の尊重、国民主権、政教分離、公教育」であり、それらはフランス革命が生み出した偉大な成果であった。だが、コスロカヴァールはこうした国家理念に支えられた政策によって得られる利益を十分に受けることができない国民が増えている現状を強く糾弾している。そして、テロリストが新自由主義をベースとしたインターネット社会で、テロリズムを正当化するプロパガンダを自由に行っている問題点について指摘している。では、イギリスや日本のように法律によって言論の自由に制限をかけるべきなのか。コスロカヴァールは「今後、言葉を駆使することが、民主主義によって保証されて言論の自由な表現より、「言葉による行為」と見なされることになりかねない。もしも、この表現の自由の制限が何十年も続いたら、将来の世代にはそれが当たり前のことと受け止められ、民主主義の創設者たちが当然と考えた言論の自由が限度つきのものとなってしまうだろう」と述べているが、それは民主主義の崩壊への道ではないだろうか。コスロカヴァールはまた、「(…) 現代社会の不安とは、デュルケームが社会的つながりの切断という観点に立ち、本質的に不平等の大衆文化の中で起きる経済的疎外と結びつけて説明したものであり、われわれの社会が極めて不完全にしか制御できない新しい害悪を生み出している結果なのである」とも語っている。激変する政治・経済・社会状況に民主主義システムは存亡の危機に立たされている言っても過言ではないだろう。
民主主義システムは擦り切れ、疲弊し、冒涜されている。そうした瀕死の状態になった民主主義システムをどうするべきかという答えは出てはいない。しかし、立ち上がる夜という社会運動はわれわれがこのシステムとどう向き合うべきかという一つのヒントを与えてくれるものであったのではないだろうか。SEALDsの運動には存在せず、立ち上がる夜の中にあったものがある。それはわれわれがこれから向かうことができる方向性を教えてくれるものではないだろうか。その方向性を考えるために村上の本は最適なガイドブックである。この本を読むことで多くの声が聞こえ、私の内部でその声を総合化していく声も誕生していく。それゆえ、この本はポリフォニーを呼び覚ますテクストである。民主主義的精神はまだ完全には死滅してはいない。この本を読みながら、私はもう一度希望の光を見つめようと思った。 

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