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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

歴史展開における変化と連続:『私の1968年』について

 『私の1968年』のエピグラフに書かれたラテン語の格言「verba volant, scripta manent (語られた言葉は消え去るが、記された言葉は残る)」を読んだとき、私は不思議な印象を抱いた。急激に移り変わる時間の流れの中で、自らが語った言葉は忘れ去られ、消えていく。ある人がある時、何かを思い、誰かに向かって誰かのために語った言葉をいつまでも語り継ぐことの困難さ。だから人は自らの言葉をはっきりと残すために白い紙の上に文字を綴っていくのだろう。しかし、そこには悲しい風景が印されている。そんな印象を持ったのだ。
 鈴木道彦が書いたこの本を読んだとき、私はもう一つ別の印象も抱いた。1968年。私は小学生になったばかりだった。この年とその前年の出来事の中で、鈴木の本に書かれている第三回アジア・アフリカ作家会議、羽田闘争、イントレピッド4人の会、パリ五月革命に対する明瞭な記憶はない。ただ白黒テレビの画面に映し出された金嬉老の顔だけは、何故かは判らないが、鮮明に記憶に残っている。多分、テレビの過去の事件特集で何度かその顔を見たためであろう。1967年と1968年に起きた出来事で、小学生の私にとって衝撃的だったものは、ケネディ暗殺とメキシコオリンピックと三億円事件。そして、「仮面の忍者赤影」のテレビ放映だった。少年期のセピア色の思い出が静かに流れて行った。
1968年とそれに前後する抵抗の季節。その時そこに確かにいたと感じる多くの人々がまだ沢山生きている。生の、直の体験を持つ彼らこそがこの本について語ることができ、その季節とは無縁だった私には1968年について論じる資格はまったくない。そんな批判の声が何処からか聞こえてくる。確かにそうだろうと思う。しかし語るという行為は、過去の実際に経験したことを語るという行為と一致する訳ではない。体験しなかったゆえに敢えて述べ得ることもある。そう思い直した私は、この書評を書くことに決めた。
 だが、異なるいくつもの事件が、1968年というキーワードによって一つにまとめられているテクストを、どのように考察していけばよいだろうか。何かの導き糸が必要である。私は導き糸として「暴力」、「非ヨーロッパ性」、「マルチチュード」という三つの問題を選んだ。何故なら、この三つのものは『私の1968年』の中で大きな役割を担っている出来事と深く関係するからである。「暴力」という言葉はこの本において多用されているが、「非ヨーロッパ性」という語も、「マルチチュード」という語も登場していないではないかという反論があるかもしれない。しかし、この本の中で何度も語られている「植民地主義」という語は植民地化された国やその国の人々の「非ヨーロッパ性」という問題が前提とされている (例えば、エドワード・サイードが語った「オリエンタリズム」という語を思い浮かべてみればよいだろう)。また、度々この本に書かれている「第三世界」という語は、その世界で展開された、展開されている社会運動の流れによって「マルチチュード」と連続している。すなわち、鈴木の1960代的な用語をここではより現代的な用語に変えて、分析装置として導入しようと思うのである。もちろん鈴木はこの三つの側面以外にも今も変わらずに蔓延しているジャーナリズム界における自己批判の欠如と自己保身の問題や、羽田事件を始めとする日本における学生運動を巡る問題などに関しても興味深い論述を行っている。だがこれらの問題を的確に分析する能力を私は持ち合わせていない。それゆえ、ここでは前記した側面からの考察を行おうと思うのである。前置きはこのくらいにして、三つの分析装置に基づく検討を開始しよう。 

暴力を巡る問題
 鈴木はこの本の中でしばしば抑圧された人々による暴力を肯定する発言を行っている。フランツ・ファノンの暴力論に対しての「(…)ファノンが暴力を、すぐれて有効な方法であるばかりか、のっぴきならぬ道、つまり「絶対的実践」として、あるいは全体化の契機としてとらえていたことは、明らかに見てとれる。だが、ファノンの根本的な主張をただ暴力論のみに限定するのは誤りだ。と言うか、暴力論を軸とした『地に呪われた者』に、実はその根底を一貫して、新しい人間の創造という一本の太い線が描き出されていることを見失ってはならない」という言葉の中には、被抑圧者が自らを解放するための暴力、未来を築き上げるための暴力は肯定されるべきだという彼の考え方が明確に表明されている。暴力のための暴力ではなく、何かを築き上げるための暴力が存在することを鈴木は強調しているのだ。この考えがよいか悪いかを語ることに大きな意味があるとは私には思えないが、次のことだけは明確に断言できる。『私の1968年』の著者は革命を信じ、社会主義の可能性を信じていたということだ。それは暴力の向こう側にも希望があると信じていたということを意味する。今は消え去ってしまった革命によるよりよい世界の構築を信じた時代がそこにはあったのだ。
 1960年代及び1970年代、正義の戦いという語は抑圧者と戦う民衆や、植民地主義と戦う人民の暴力的闘争に対して用いられる言葉であった。しかし、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件以降、正義の戦いという言葉が欧米の国家によるテロリズム、特に、イスラム過激派テロ組織と戦うための合言葉となった。21世紀、ファノンや鈴木が信じた暴力の可能性は、もはや存在してはいないのだ。こうした側面から見れば、彼らの主張はすでに過去のものであり、雑誌『ふらんす』の2019年1月号に掲載されたこの本の書評の中で、現代思想研究家の西山雄二が語っている「激動の時代を生きた著者の経験を継承するべく、本書を歴史の灯火として私たちの未来を照らし出したい」という発言には、フランス文学界の重鎮である大学者に対する阿諛追従以外の何物も感じられない。ファノンの経験も鈴木の経験も継承などできるものではない。さらに、鈴木の考えは未来を照らすものではない。現代的視点に立てば、一つの敗北宣言であると見做し得るものであるからだ。
 では、1968年を巡るこの本に書かれた暴力問題について考えることには、化石を発掘するといった意義しか存在していないのだろうか。一面ではそうであると答えざるを得ない。何故なら、この本の中に収められている殆どの論文が発表されてから半世紀余りが経ち、世界情勢は激変したからだ。50年前に語ることができた事柄で、多くのものが今ではもう同様に語ることが不可能になっている。現代において社会主義革命が可能であると思っている人間は皆無に近く、「植民地主義」という言葉もほぼ死語となっている。ソビエト連邦は崩壊し、東ヨーロッパの国々の社会主義体制も終焉した。それとは逆に、例えば、半世紀前には存在していなかったEUという政治・経済・社会・文化を巡る巨大な共同体がヨーロッパに誕生した。こうした出来事を根拠として、この本の主張は時代遅れであると主張することは間違いなく可能なことである。だが、違った側面も存在する。それは歴史の連続性の中での一段階を示す貴重なコーパスとして鈴木の論文が考察できるという側面である。
 歴史の連続性、50年前ならば、それを弁証法的展開と形容することが可能だったかもしれないが、今、それが弁証法的であるかどうかは結論付けられない状況となっている。それゆえ、ここでは歴史の連続性という、より控えめな語で表そう。あの時代は現代にまで通じているという意識。それは時代性を語る上でキーワードとなるものだ。暴力という問題に話を戻そう。50年前も現在も世界は確かに暴力的行為に満ちている。しかし、暴力革命的というイデオロギーは消え去った。国家権力による暴力は依然として続いているが、その様相は変わった。侵略者である兵士が目の前に現れる状況は大幅に減ったが、空から爆弾やミサイルが降り注ぐという形の暴力行為が行われる状況が増大した。何十万、何百万という兵士がぶつかり合う大規模な地上戦は減ったが、局地戦は大幅に増えた。さらに、強大な国家権力に対抗するためのテロ活動はますます激しくなっている。それとは逆に、今も昔も変わらずに刑務所で、収容所で、収監者に対する虐待や虐殺が行われている。こうした世界の様相を前にして、日本に住むわれわれが先ず考えるべき問題は何であろうか。それは欧米諸国で起きている問題以上に、鈴木がこの本の中で多くの紙面を費やして語っているアジアやアフリカや南米諸国が持っている非ヨーロッパ性を基盤とした問題ではないだろうか。

 
非ヨーロッパ性
 今も述べたように、この本に書かれている多くの事柄が非ヨーロッパ性の問題である。帝国主義政策による植民地主義に深く結びついた問題と言えば、より単純化できるかもしれない。しかしこうした用語にもすでにセピア色の色彩が帯びている。近代は西洋による西洋のための西洋を広める時代であった。そこには西洋の真理があり、西洋の正義があった。それを支えたものが理性であった。鈴木は「(…)理性とはまさしく白人のもの、つまりは人種主義者のものであり、理性による解決など到底望み得ぬことは明らかだ。理性を通して偏見と差別をなくそうとしても、理性こそその偏見と差別を生み出した当のものに他ならないのであるから」と述べている。西洋を中心とすることが絶対であるイデオロギーが理性中心主義である以上、理性中心主義は欧米以外の場所では簡単に抑圧の装置に変質してしまうものなのだ。
 植民地主義に対抗するためにはどうすればよいのかという問いに対して、ファノンは暴力の必要性を強調した。鈴木もその考えを支持した。金嬉老の起こした事件を例に取り上げながら殺人という暴力行為について鈴木が語った、「殺人のなかには、国家が行なう死刑という殺人があり、戦争という殺人もあります。その戦争にしても、アメリカによるヴェトナムでの虐殺と、ヴェトナム解放軍によるゲリラの殺人とは、明らかに異なっています (…)。さらには正当防衛による殺人があります。そしてこれらの殺人行為に人をはしらせる理由も動機も、またさまざまにあります。このように個々の状況のなかで行われる殺人を一般化して、まず殺人は絶対悪であるという命題を打ち出し、そのことから金嬉老の行動を裁くなどということはできない筈だというのが、私の考えです」という言葉は彼の主張を端的に表している。こうした認識は1968年当時、社会主義革命の可能性を信じていた多くの人々が共通して持っていたものではないだろうか。しかし、こうした認識は、この言葉とはまったく異なった方向に突き進んでいった歴史展開がある以上、現状打開の考察方法としては時代遅れのものとなってしまった。ここでこの問題を詳しく論じることはあまりにも煩雑な手続きが必要となるゆえに、この点に関しては最後の考察部分でより綿密に検討することにする。
 鈴木にとって最も大きな非ヨーロッパ性の問題は在日朝鮮問題であった (多分、今もそうであろう)。1958年に起きた小松川事件と1968年に起きた金嬉老事件を取り上げながら、彼はこの問題について詳細に論じている。欧米列強の帝国主義に右倣えした日本の植民地主義政策の残滓が色濃く反映されたものが在日朝鮮人問題である。確かに、朝鮮半島の植民地化とほぼ同時期の台湾の植民地化や、それ以前にも琉球王国やアイヌ民族に対する抑圧、支配があったが、戦後も他民族との日本国内での歪な共存が大きく残されたままであり、確固とした目に見える形で存在し続けているものは在日朝鮮人問題である。しかし、上記した二つの事件は在日朝鮮人問題を考える上でどのような特異性を持った事件であったのか、さらには、非ヨーロッパ性を考える上でどのような意義がある事件だったのかという事柄を考える必要性がある。この点に関しては少なくとも以下の点を指摘することができる。戦後すぐから1950年代前半までの在日朝鮮人関係の刑事事件で差別問題と大きく係わるものは、集団的な抗議運動が殆どであった。それに対して1970年以降在日朝鮮人関係の殺人などの大きな刑事事件の数は激減し、殺人事件であっても差別問題とは別の次元で起きたものとなっている (例えば、1995年に起きたオウム真理教幹部村井秀夫刺殺事件の犯人の徐裕行は在日朝鮮人であるが、暴力団員であり差別問題が犯行の直接的要因ではない)。この二つの時代の間に起きた先程挙げた二つの事件の犯人である李珍宇と金嬉老は、自らの犯行の動機あるいは主要原因が在日朝鮮人であることと差別にあると感じていた。こうした時代的変遷は極めて重要な問題である。
この点に注目しながら二つの事件の特異性を検討するためには、アイデンティティーの問題を検討しなければならない。鈴木が引用した金嬉老が語った「天皇の玉音を聞いて泣いたのは、私の感情は日本人のそれと変る処がなかった事と、私の性格 (一本気) から云って、天皇のために兵隊に行って死ぬんだ、立派な (?)手柄を……と思いこんでいた時でもあります。ですから、戦後も、アメリカ兵を敵視する感情が取れず、名古屋の中村遊かくで、奴らの車がむらがっているのを見て、日本女性をアメ公、、、などにと云ういまいましさから、タイヤの空気を抜いてやる事で、そのうっぷんを晴らした事もありました」という言葉と「私が『朝鮮人』として、虐げられた事実は私の記憶の中にも多く残って居りますが、それだけに私は、朝鮮人が嫌いだったし、自分を早く日本人にしてしまいたいと思って、無駄な努力を無駄でないように思い込んでしたのです」という言葉は衝撃的だ。日本人による差別を受けたことによってかえって朝鮮人を嫌い、日本人以上に日本人になろうとする意識。近代以降の国民国家の成立条件である一民族、一言語、一国家というレジームの外側に置かれた人間が、何とかそのレジームの内側に自らを置こうとする悲しく空しい努力がそこにあった。李珍宇に関しては、犯行前、自分が在日朝鮮人であるという強い意識を持っていなかったという説もある。だが、幼少年期から在日朝鮮人として激しい差別に曝されていたことは疑いない事実であり、事件後、刑務所内で在日朝鮮人としてのアイデンティティーに強く目覚めていったことは確かなことである。
鈴木は二人の犯行を植民地主義への痛烈なプロテスト行為として肯定的に捉えているが、同時代に殺人という行為ではない形での在日朝鮮人によるプロテスト行為があったことも注記する必要がある。『在日朝鮮人:歴史と現在』の中で政治学者の文京洙は1970年に起きた朴鍾碩による日立就職差別裁判闘争に言及している。朴は日立製作所が就職試験に合格したにも拘わらず、韓国籍を理由に採用取り消しを行ったことに対する裁判を起こした。裁判は三年半の間に22回の公判が行われ、1974年に朴の全面勝訴に終わる。文は「朴君を囲む会」のメンバーであった崔勝弘の言葉を「この判決を勝ちとった日立闘争を担ったのは、朴と同じような境遇の<在日>と、「日本人としての加害者性を自覚し始め<在日>の問題提起を受けとめようとする日本人青年」からなる「市民運動」であったと述べている」と要約し、さらに、「「市民」という言葉が在日の新しい主体性を表現する言葉として登場しつつあった」という考えを提示している。市民としての在日朝鮮人という捉え方は過去になかった興味深いアイデンティティーである。だが、この点に関しても後続するセクションで再度論述する。いずれにせよ、1970年代以降、植民地主義による偏見、差別、抑圧に対するプロテストが実力行使という形だけではなく、様々な形で展開されるようになったのは確かなことである。この広がりを考える上で大きな意味を持つ概念が「マルチチュード」である。

 
マルチチュードの可能性
 鈴木は「インターナショナル」という言葉は多用しているが、マルチチュードという言葉はまったく使用していない。そもそも1968年代、マルチチュードという概念は存在してはいなかったであろう。しかしながら、権力に対する現代の抵抗運動について考えるためには、この概念は極めて中核的な働きを担うものである。マルチチュードは元々、ニッコロ・マキャベリが提唱したとされる概念で、バールーフ・スピノザが政治概念として定着させ、それをアントニオ・ネグリとマイケル・ハートが発展させた概念である。単一性、唯一性の反意語としての多数多種性や多元性を示す。『マルチチュード』においてネグリとハートは、この概念に対して、「あらゆる差異を自由かつ対等に表現することのできる発展的で開かれたネットワーク、言いかえれば、出会いの手段を提供し、私たちが共に働き生きることを可能にするネットワークである」(幾島幸子訳:以後二人の発言の引用はこの本からである)という定義を行っている。そして、「マルチチュードは、単一の同一性に決して縮減できない無数の内的差異から成る。その差異は、異なる文化・人類・民族性・ジェンダー・性的指向性、異なる生活様式、異なる世界観、異なる欲望など多岐にわたる。マルチチュードとは、これらすべての特異な差異から成る多数多様性にほかならない」という注目すべき指摘も行っている。
 1968年前後の鈴木の考えには、歴史展開の中で、抑圧者と被抑圧者、ブルジョワジーとプロレタリアート、本国人と植民地人といった二項対立図式が止揚されていくというマルクス主義的な構図が強烈に反映されている。しかしながら、現代においてはネグリやハートが言うようにこうした明確な対立図式が拡散され、分裂してしまっている状況がある。例えば戦争という問題に対する二人の「国民国家を相手にした旧来の戦争は、時に他国まで拡大することもあるとはいえ、空間的に明確に限定されており、降伏や勝利、あるいは当事国間の停戦協定によって終結するのが一般的だった。これに対して、ある概念や一連の慣習・実践を相手にした戦争は、いくらか宗教戦争にも似て、明確な空間的・時間的境界をもたない。こうした戦争は、いつどこに拡大し、どのくらいの期間続くのかまったくわからない」という主張は傾聴に値する。二項対立概念を導入し、その対立が弁証法的発展によって止揚されるという図式化は歴史的動きに対する簡潔で判りやすい図式化であるが、それは前提となる二項対立概念が示す実体が確固としたものとして存在していなければ成立しない。しかし、アメリカ=抑圧者であるとしても、それに抵抗しているイスラム教のテロリストは必ずしもISとイコールでも、アルカイーダとイコールでもなく、拡散されたマルチチュード的なネットワークで繋がった存在である。それゆえ、この対立は一組織対一組織として一対一対応したものではなく、ネグリとハートが言うように、こうした対立構造による戦争状態はいつ始まるのかもいつ終わるのかも予想不能なものであるのだ。
 また、「非ヨーロッパ性」のセクションで挙げたように、1968年の時点で鈴木は暴力に関しても、正義の暴力と悪の暴力という二項対立図式を導入していた。ここでもそうした考えが時代遅れとなったことを語っているネグリとハートの言葉を聞こう。二人は「敵が抽象的で非限定的なものであるというかぎりにおいて、味方同士の同盟もまた拡大に向かい、普遍的なものになりうる。地球上のすべての人間が、テロリズムといった抽象概念ないし実践を相手に一同団結するということも原理的に可能なのだ」と述べ、「正義という概念は戦争を、いかなる特定の利害も超えた人類全体の利害にかかわる普遍的なものと位置づけるのに役立つ」と結論している。二項対立図式による歴史展開の可能性が高かった時代において正義の戦いは抵抗者の論拠であったが、現在においては支配体制のプロパガンダにおける中心的なスローガンとして機能しているのだ。
 2000年代以降、マルチチュードとしての主体を構築しているのは、もちろん国家権力と対峙しているテロリストたちだけではない。同性愛者、難民、学生、労働者、NGO団体員、市民といった異なる社会区分によって表わされる人々が、一方向に向かって運動するマルチチュードとなり得る可能性を持っている。前のセクションで論述した李珍宇と金嬉老の抑圧に対する抵抗はあまりにも個人的なものであったのに対して、朴鍾碩の闘争は一人の在日朝鮮人としての彼のアイデンティティーに関係するだけではなく、在日朝鮮人全体、日本人をも巻き込んだ市民運動、つまりはマルチチュード的運動であったと述べ得るのではないだろうか。そこには抑圧者対被抑圧者という二項対立を弁証法的な暴力によって止揚するという近代的革命理論とは別な方向の動きが存在する。グローバリゼーションの時代、ネグリとハートの用語に従えば「帝国主義」ではなく国民国家を超えた統一体である「帝国」が支配する時代において、ずる賢く、不透明なヴェールで世界を覆うことによってわれわれを支配しようとする権力に対する有効な抵抗運動は、マルチチュード的な運動の中にあるのではないだろうか。だが、この問題はここではこれ以上問うことはせず、先行するセクションで論述した問題と一緒に最終セクションでもう一度検討することとする。

 ここまで行ってきた考察をまとめるために、先ず、イギリスの歴史学者のクリストファー・アラン・ベイリが『近代世界の誕生』の中で、歴史を展開させる三大動因として語っている「経済変化」、「イデオロギー構築」、「国家機構によって構成される複雑な力」の関連性について語っている「(…)国家と、人々が国家について作り上げた強力な物語が歴史的変化の「推進力」となった時期があった。また、たとえば一八一五年から一八五○年までのように、流動的で変わりやすい時期があった。あるいは、著しく経済が再編されることによって統治性とそのイデオロギーの方向がしだいに明確になった時期もあった。そして、これらの諸要素の混ざり具合は、時代ごとに異なったのと同様に、大陸を越えて社会ごとに異なったのである」(平田雅博訳)という言葉を提示しよう。ここで挙げられた三つの動因についての説明は経済、思想、政治のそれぞれの側面が、様々な社会で、様々な形態を取って影響し合いながら歴史を動かしていくことを表しているが、イデオロギー的動因に関して言えば、この動因は思想として体系的に理論化されたものである必要性はない点を指摘しておくべきであろう。それはミラン・クンデラがイマゴロジーと名付けたものであっても構わないのだ。
 クンデラは『不滅』の中で「広告代理店。政治家の広報宣伝担当の顧問。新車のボディーラインや体育ホールの設備を企画するデザイナー、ファッション・メーカーと一流の高級婦人服デザイナー、美容師。さまざまな肉体的な美しさの規準を世人に押しつけるショウ・ビジネス、、、、、、、、のスターたち、イマゴロジーのすべての分野がこのスターたちの影響を受けるだろう」(菅野昭正訳)と書いている。ここに挙げられたイマゴローグたちに共通している行為は、イメージ=像を提供することである。それは流行の服であってもよいし、ヒットソングであっても、ベストセラー小説であろうと、コマーシャルに映し出されたある女優の笑顔であってもよい。それが何らかのイメージを与え、それが多くの人を何らかの方向に動かすものであるとき、今述べた事柄は全てイマゴロジーのカテゴリーに括られるものとなる。それはイデオロギーのような論理性はなく、体系化しようと思ってもすぐに腐ってしまう果物のようなものである。だがそうであっても、人々はイメージに動かされる。マルチチュード的主体は多でもあり一でもあるとネグリとハートは主張しているが、そうであるためにマルチチュード的主体はイデオロギーよりもイマゴロジーを優先し、尊重し、イマゴロジーに従い、行動するのだ。このことが、鈴木が書いている1968年と今との差異は何かという大きな問いへの一つの答えとなる。
 ここでもう一度、暴力の問題を取り上げよう。現代におけるテロリズムの問題を考えてみたとき、第二次世界大戦の開始以降、われわれは総力戦の時代に突入したとよく言われる。それは航空機の開発による空爆が可能になり、軍事戦略が大きく変化したからである。この点について軍事評論家の前田哲男は『戦略爆撃の思想――ゲルニカ-重慶-広島への軌跡』の中で、「交戦員と非交戦員の概念は時代遅れである。今日戦争をするのは軍隊ではなく、全国民である。そしてすべての民間人が交戦者であり、全員が戦争の危険にさらされている」というイタリアのジュリオ・ドゥーエ将軍の言葉と、アメリカのビリー・ミッチェル将軍の航空戦の主要目的に対する「戦争の開始と同時に敵の神経中枢を攻撃し、可能な限り敵の神経を麻痺させることである」という言葉及び敵の「国民全体が戦闘部隊であるとみなす、いやみなさなければならない」という言葉を挙げ、戦略爆撃という思想が確立していった背景を語っている。これらの言葉が示すものは、敵国人はすべて一般市民であろうとも敵であり、戦争に勝利するためにはいくら殺しても構わないという考え方である。こうした国家権力のための戦略思想は、現代においては国家だけのものではなくなった。アルベール・カミュは、子供が一緒に乗っていたのを見て、大公の馬車に爆弾を投げつけることを止めたテロリスト、ヤネク・カリャーエフを主人公とする戯曲『正義の人々』を書いた。このテロリストは実在し、彼はカミュの描いた行動を実際に取ったことが知られている。だが、例えば、9.11の実行犯や、2015年のパリの同時多発テロの犯人たちはカリャーエフの考えには賛同せず、ドゥーエ将軍やミッチェル将軍の言葉を支持するのではないだろうか。また、現代においては、たとえどんなに抑圧されている人間であったとしてもテロ行為を行うということが支持されないように、鈴木が『私の1968年』の中で論述している李珍宇と金嬉老の行為を支持したり、理解しようとする人間も殆どいないのではないだろうか。それは彼らの行為がカリャーエフの行為よりも、ニューヨークやパリで起きた同時多発テロのテロリストに近いと判断されるからだ。
 もちろん、マルティニックが生んだ偉大なる詩人エメ・セゼールが『植民地主義論』の中で述べているように、「植民地化とは、ひとつの文明における野蛮な橋頭堡だ。いついかなる瞬間にも、文明の純然たる否認へと通じうる地点である」(砂野孝稔訳) と断固として主張すべきである。だが、グローバリゼーションの蔓延によって植民地主義は様相を変え、より巧妙に、見えない形でその目的を果たすようになっている。それは仮面をつけた植民地主義である。このような時代に、われわれが仮面をつけた植民地主義に対抗するためには、マルチチュード的な運動を行うしかないのではないだろうか。だが、この点に関してここで注記しなければならないことは、1968年にもマルチチュードの萌芽があったということである。それは鈴木が詳細に述べていたパリ五月革命の中にはっきりと見出せる。革命というイデオロギーから革命というイマゴロギーへの転換期に起きた大規模な学生・市民運動。それはマルチチュード的運動に通じている。それゆえ、鈴木の「表向きは自由な民主的国家を装いながら、ほとんど一党独裁に近い少数の為政者の言いなりになっている現在の社会を考えると、今後に想定される日本の未来に、私は暗澹たる気持ちに襲われる。「一九六八年」は、そのようなものへの抵抗が生きていた時代として、今一度見直されてもいいだろう」という言葉は納得できるものではあるが、1968年が「そのようなものへの抵抗が生きていた時代」であったと述べるよりも、「そのようなものへの抵抗が強く表面化した時代」であったと述べるべきであるように私には思われる。鈴木の時代にあった不条理な権力への抵抗の炎の光は、拡散し、小さなものに分裂してしまったが、消え去ったのではなく、形を変え、今も燃え続けているのだから。
 鈴木の主張にはいくつかの疑問点がある。だがそれにも拘わらず、私は鈴木の本の持つ大きな意味を強調すべきであると考える。この本は権力への抵抗の歴史を明確に記録しているからだ。この本をコーパスとして、われわれが鈴木の言説を厳密に分析していけば、われわれは歴史的動きの中でのポリフォニー的系譜やカーニヴァル的系譜を正しく認識することが可能となると思われるのだ。前述した李珍宇と金嬉老の植民地主義への抵抗は日立就職差別裁判闘争へと多くの断絶点を持ちながらも連続していったのではないだろうか。パリ五月革命はそのポリフォニー性によって立ち上がる夜へと通じ、そのカーニヴァル性によって黄色ベスト運動に通じているのではないだろうか。こうした歴史的な動きは弁証法的なものではないかもしれないが、確かにマルチチュードとしての主体がかつても存在し、今も形成されていることをわれわれに理解させてくれる。それゆえに鈴木道彦の『私の1968年』は、それを知るために欠くことができない貴重な本なのである。
 私はこのテクストを書きながら、この本で示されている言説に、言語学者・哲学者であるフレデリック・フランソワがパリ第5大学のセミネールで語っていた次のような言葉を重ね合わせていることに気付いた。「対話的なものの中には、少なくとも発話的流れを連続させようとする動きとそれを変化させようとする動きが存在する。その二つの動きによってテクストの性格は決定する。」多くの声が響き合う世界。それは今も変わらず続いているのだ。 

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