FC2ブログ

宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

サリンジャー:エクリチュールの向こう側へ

 僕がこの導入部分を、こんなふうに書き始めたことには、ちょっとした訳がある。訳と言ってもたいした訳ではなく、小さなコメディーと言った方が正確なのだけども。そのコメディーという奴はこうだ。僕は、もうすぐこの近くでは見られなくなるある映画の、多分とてもシリアスだと予想される映画の情報をたまたまキャッチした。上映は朝一回目だけ。そのため僕は早起きをして、髪の毛に櫛を入れ、いつものダウンジャケットをひっかけ、速足で駅に向かい、電車に乗り込み、目的の映画館を目指したんだ。
開演10分前きっかりに目的地に到着。よし、OK。でも、受付のアルバイト野郎は一発お見舞いしたくなるくらい不愛想。それでも、一応、上映ホールの場所を確認するために「ホールはどこですか?」と聞いた。「あっちです」とやはり不愛想にジェスチャーもなく、不親切に答えた。僕は目でホールの方を見た。まずはトイレに行き、携帯の電源を切って、準備万端整えて、席につく。さて、どんなストーリーが展開されるのか。期待と緊張。
 予告編が始まり、いよいよ本篇。「エロスインターナショナル配給」。聞いたことがない配給会社だ。インド映画の予告か。高い山々を上空から撮った風景。ヒマラヤ山脈だろうか。山間部のある村。テレビでクリケットの試合を見る村人たち。パキスタンの勝利。そして口のきけない少女が誕生した。しかし変だ。予告にしては長い。終わるだろう。もうすぐ終わるだろう。だがその期待は、インド映画特有のあの明るく、ダイナミックな、喜びに満ちたダンスシーンが開始されたときに、完全なる絶望に変わった。退室して、正しい上映ホールに向かおうか。でも両端の席は女性客がしっかりとブロックしている。二人とも真剣な眼差しで物語を見ている。僕にはそう思えた。
 こうして僕はインド映画史上世界興行収益第三位の「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を2時間39分間見ることとなった。メインキャラクターの女の子は、チャーミングで愛くるしい少女だったけども、見ようと思った映画が見られなかった失望感の大きさにはかなわなかった。例のバイト野郎に本当に一発お見舞いしたかった。でも、奴は僕の怒りに気付いたために、受付から逃走していた。それで、翌日、僕は改めて目的の映画、「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」(以後副題は省略する)を見るために映画館に向かったんだ。二日連続の早起き。春休み期間の新記録更新さ。 

J.D.サリンジャーという人間
 2017年に制作された「ライ麦畑の反逆児」は、ダニー・ストロングが初めて映画監督を行った作品である。主人公は言うまでもないことだが、ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー。彼の伝記映画。俳優陣の演技は及第点を付けることができ、映像も合格点だろう。しかし、ストーリーが弱過ぎた。と言うよりも、無理にサリンジャーの一生をまとめ上げようとして失敗していた。いつもの私なら、そのことに失望してしまい、この映画のことは奇麗さっぱりすぐに忘れてしまったことだろう。ところが、この映画を見たことによって、それまで村上春樹に次いで大嫌いな作家であったサリンジャーの生涯に興味が湧いたのだ。彼が1919年、第一次世界大戦が終わった年にニューヨークで生まれたこと。第二次世界大戦に陸軍兵士として召集されて間もなく、若く美しい恋人をチャーリー・チャップリンに奪われたこと。ノルマンディー上陸作戦に参加し、その後も続いた激しい戦闘経験によって深刻なPTSDに陥ったこと。何人もの少女にアプローチをかけ、ある少女を口説き落とすと、すぐに捨て去り、別な少女を探すという生活を繰り返したこと。46歳で突然本の出版を止め、ニューハンプシャー州の田舎町コーニッシュにある家に2010年に死去するまで閉じ籠ったこと。こうした事柄が私の好奇心を強く刺激したのだ。
 私は図書館に行き、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳)と『ナインストーリーズ』(柴田元幸訳)、そしてデイヴィッド・シールズとシェーン・サレルノによって書かれた『サリンジャー』(坪野圭介、樋口武志訳)を借りて来た。最初の二冊は30年以上前に読んだはずであるが、小説の内容がまったく記憶に残ってはいなかったため再読した。『サリンジャー』には映画には描かれていなかった重要な問題が何点も記述されていた。その中で私が注目したものは以下の三つの事柄であった。
先ず、サリンジャーは生まれつき睾丸が一つしかなく、この身体的欠陥に生涯悩み続けていたこと。『サリンジャー』には、彼が性的対象として少女を常に追いかけ続けた大きな理由の一つとしてこの欠陥が挙げられていた。さらに、「彼はほとんどいつでも、関係が成就された直後に恋人から身を引き、拒絶されることを回避した。恋人の一人が教えてくれたところによれば、彼は片側が停留している自分の睾丸を「すごく恥ずかしがっていたし、悩んで」いた。彼がメディアの視線を避けた数多くの理由のうちひとつは、間違いなく自身の肉体に関する情報が露呈する可能性を減らすためだった」と書かれていた。次に注目した点は、彼がチャップリンに奪われた恋人ウーナの像をずっと追い続けた点である。この本の中には「(…)決して成就されなかった関係に生涯激しく恋をし続けたことは重要であり、示唆的でもある。彼は「堕罪」以前のウーアのもとを際限なく再訪しては、この破局を何度も何度も繰り返した (…)」という核心的な指摘がある。最後に注目したい点は彼の暴力性の問題である。サリンジャーは戦争体験によってPTSDに陥ったが、それは消し去ることができない傷として彼の心に刻まれ続けた。だが、それと同時に、この経験は彼の持つ暴力性を増幅させていったのではないだろうか。この暴力性は彼の小説、とくに代表作である『ライ麦畑でつかまえて』の中に色濃く反映しているように私には思われたのだ。以上の三つの点に注目しながら、ここではサリンジャーの作品と生涯とについて見つめていきたい。
 
ポスト・ロスト・ジェネレーションと身体的欠陥
 アメリカ文学史の流れの中で、サリンジャーはアーネスト・ヘミングウェイ、F.スコット・フィッツジェラルド、ウィリアム・フォークナー、レイモンド・チャンドラーといった作家たちのすぐ後の時代の文学作品を創造した世代というように位置づけることができる。つまり、ポスト・ロスト・ジェネレーションの文学者の一人と見なし得る。ロスト・ジェネレーションの作家とポスト・ロスト・ジェネレーションの作家の大きな違いは以下の点にあるだろう。フィッツジェラルドが『マイ・ロスト・シティー』の最後で「私はあの私の素晴らしい蜃気楼を失ってしまったことを嘆くことしかできないのだ。もう一度、もう一度、おお、煌めく穢れなき、あの夢を」と書いているように、前者の世代が過去において輝かしい時代を経験したことには大きな意味がある。退廃の中に沈みながらも、その時代の経験に連なる思い出の風景へのノスタルジーを追い求めたのだ。そしてそこには、それが如何に奇妙なものであったとしても、ヒューマニズムの残滓が強く香っていた。それこそがロスト・ジェネレーションの特質であった。それに対して彼らのすぐ後の世代の作家たちにとっての立脚すべき秩序は、最初からぐらぐらと揺れ動いていた。強制的に社会的ルールを押しつけてくる抑圧者に対して、彼らは反逆の一撃をくらわせようとした。もはや「人間」という抽象的な共通基盤は幻となり、私的な世界をどう生きるかが問題となっていったにも拘らず、戦争によって愛国心と自己犠牲が強要されたからだ。美しい過去も持たず、希望に満ちた未来も信じることができず、孤独に今と向き合う自分だけがいた。だからこそ彼らは自分を支えてくれる誰かを強く求め続けた世代でもあった。
 こうしたポスト・ロスト・ジェネレーション世代の作家が抱えた複雑な問題意識に加えて、サリンジャーには先程述べた身体的欠陥があった。この欠陥は子供を作れないものではなかったが、彼が自分を「出来損ない」と見なすのには十分なものであった。シールズとサレルノの本には、サリンジャーがヘミングウェイに語ったと言われている「軍は僕を連れて行ってくれないだろうと思っていました、[なぜなら] 僕は睾丸(こうがん)がひとつしかないんです」という言葉と、彼の恋人だったある女性の「(…)彼にとっては大変なことだった。怪我じゃなかったわ。停留睾丸だったの」という言葉が示されている。これらの発言は彼のコンプレックスの強さをはっきりと表している。自分は劣っている、完成されていない、未熟である、大人の男ではないという意識。この意識は彼の生き方の中核となる部分を決定したと同時に、彼のエクリチュールの中核となる部分も決定したのではないだろうか。サリンジャーの小説の殆どすべての主人公は、10代の初めから20代の半ばまでの少年もしくは青年である。社会適応できずにいるが、何処かで他者を求め、それが不可能であると知ると、精神的に固い甲羅に閉じ籠ろうとするか、自らの命を絶ってしまう若者。その行動を発達障害の物語と名付けることは容易なことである。だが、それを描いたサリンジャーのエクリチュールには、生来の肉体的コンプレックスと戦争によるPTSDが複雑に絡み合っていた。
彼は1944年6月、Dデイに参加する。激しい戦闘。何人もの戦友がドイツ軍の猛攻で傷つき、死んでいった。上陸後、シェルブールに向かった彼が所属する第4師団第12歩兵連隊はその行軍の途中でもドイツ軍の強烈な抵抗に遭い、ノルマンディーに上陸したときに匹敵する多数の犠牲者を出す。それだけではない。その約三ヵ月後にも第4師団はヒュルトゲンの森の戦いで大打撃を受ける。さらに、ヒトラー最後の大攻勢と言われる1944年12月から始まるバルジの戦いでもサリンジャーは激戦を経験している。『サリンジャー』には、こうした戦いについて書いたエドワード・G・ミラーの「戦争のあいだ、第四師団はおよそ一万四千三百名の兵士を保っていた。Dデイから一九四五年五月のあいだに、犠牲者は三万五千名――師団のおよそ二百五十パーセントにのぼった」という発言が載っている。彼はどれだけ多くの仲間が傷つき、死ぬのを目撃したことか。それだけではなく、砲撃の恐怖、乱射される機関銃の恐怖、狙撃兵の一撃の恐怖を何度も経験した。そして、寒さによって凍死する仲間や、道端に放置された何百もの死体を目撃した。しかし、戦争は戦闘での死者の群れを彼の記憶に刻み付けただけではなかった。サリンジャーはカウフェリンク第IV強制収容所に最初に足を踏み入れたアメリカ兵の一人だった。シールズとサレルノは歴史学者のデボラ・ダッシュ・ムーアの「(…)収容所の体験はサリンジャーにとっても不意打ちだった。あのにおいと、積み重ねられた裸体の光景――すべて死体のように見えたが、ときどき音が聞こえてくることがあり、兵士たちは実はまだ生存者がいることに気付いていた」という言葉と、歴史学者のロバート・アブズグの「収容所に入ったとき、アメリカ兵たちのショックはすさまじく、泣き崩れてしまう者たちもいた。地面に倒れ込む者もいた。何人かは直ちに医者の治療が必要になった。収容者たちではない。解放者たちに治療が必要になったのだ」という言葉を彼らの著書の中で引用している。サリンジャーの戦争経験はあまりにも惨たらしいものだったのだ。
 こうした不条理に直面した心は激しく傷ついた。そのため彼はヨーロッパでの戦争が終わった後、1945年7月にニュールンベルクの病院に入院する。二週間というあまりにも短い入院期間ゆえに、神経衰弱と診断され彼の精神的な病が軽いものだったと判断してはならない。その後も彼は戦争体験に苦しみ続け、それがサリンジャーのエクリチュールの基盤となっていく。
 
ウーアとハイティーンガールへの執着
サリンジャーのような身体的欠陥を持つ者はしばしば自らを精神的に未熟なままに留めようとすると同時に、他者に対しても未成熟さを求めるものではないだろうか。さらに戦場で傷ついた心は、ある時以前のある人の若く清らかだった精神と肉体を求めるのではないだろうか。ウーア・オニールは、劇作家で1936年にノーベル文学賞を受賞したユージン・オニールの娘。1941年、サリンジャーは16歳だった彼女と初めて出会う。すぐに彼は彼女に夢中になる。だが、第二次世界大戦が始まり、彼は1942年に軍隊に召集された。ウーアはハリウッドデビューを目指し、当時53歳だったチャーリー・チャップリンと知り合い、恋に落ち、一年後に結婚する。サリンジャーは彼女に捨てられ、戦場へと向かう。彼女を失った痛手は癒えなかったが、それにも増して、過酷な戦場での経験がサリンジャーの心を大きく蝕んでいった。
 ウーアを奪われたことと戦争によるPTSDは表面的には克服されたが、心の奥深くに生涯沈殿したままであった。それゆえ、その重荷を解き放つために、サリンジャーは知り合った頃のウーアと同じ年の、同じような顔つきの、同じような体形のハイティーンガールを求め続けた。そして、ある子を落すとすぐに捨て去り、別の同じタイプの子を探し求めた。こうした行為は彼の生涯に亘って儀式的に何度も何度も繰り返されていった。
 この反復行為と関係して、ジグムント・フロイトが「快感原則の彼岸」(ここでは小此木啓吾等が訳した『フロイト著作集6』に掲載されたテクストを参照している)の中で書いている糸巻車で遊ぶ子供を取り上げるべきであるように思われる (フロイトは、糸巻車をベッドの下に投げ込み「いない (fort)」と言い、それを手繰り寄せ、「いた (da)」と言って喜ぶ遊びを何度も繰り返す子供の姿を提示している)。この問題については心理学だけではなく、哲学や言語学などの多くの研究者が言及しているが、ここではフロイトが指摘した二つの点に注目したい。一つは母親の不在という子供にとって好ましくない出来事を、この遊びによって昇華していると思われる点。もう一つは糸巻車を投げ捨てることは自分を置き去りにした母親に対する復讐衝動と解釈できるとした点である。「うん、行っちまいな、お母さんなんかいらない。ぼくがお母さんをあっちへやっちゃうんだ (…)」という心理分析が可能であるとした点である。
 この糸巻車を使った遊戯とサリンジャーの生涯に亘って展開された恋愛ゲームは、かなり類似したものであるように思われる。サリンジャーのケースもまた、対象=ウーアの不在を心理的に昇華するためだけでなく、ウーアに対する復讐のために、アプローチをかけ、口説き落とした少女を捨て去ることで自分が優位に立つというゲームを繰り返したのではないだろうか。それは子供じみた残酷さによって実行されたゲームなのだ。ただし、そのゲームの意味をサリンジャーは生涯知らなかった。いや、正しく言うならば、知ろうとは決してしなかったのである。フロイトの弟子で、ハンガリー生まれのユダヤ人精神科医シャーンドル・フェレンツィは、『臨床日記』(森茂起訳)の中で、反復される心的外傷について、「反復に変化をもたらすもっとも本質的な要素は、硬直した自らの権威とその裏に隠された敵意の放棄である」と述べている。サリンジャーの場合、表面的には、戦争によるPTSDの症状は無意識の闇の中に沈めることができたように見えた。だが、ウーアを失ったことの痛みと彼女への憎しみは消え去ることなく、子供の代償行為としての遊びと等しい恋愛ゲームを絶えず繰り返すことによってしか、そこから目を逸らすことができなかったのだ。こうした子供じみた残酷さを内包するゲームの反復も、彼のエクリチュールに強く反映している。
 
『キャッチャー』の統計的特徴
 サリンジャーの独特のエクリチュールが最もよく表現されているテクストはやはり彼の代表作『ライ麦畑でつかまえて (The catcher in the rye)』(以後、原文を対象とする場合は『キャッチャー』と表記する)である。この作品を既成道徳や社会的強制力に対する若者の反抗の書であると見做す捉え方はかなり一般的なものである。硬直した旧体制に対する反逆とそれに伴う試練、そして、敗北。だが、この小説の主人公が持つ若者ゆえの未熟さ、性急さ、空想性、アンバランスな正義感といったものを肯定的に見るだけでは小説の一面だけしか捉えてはいない。私はサリンジャーのこの小説の持つ屈折した残虐性と暴力性を強調すべきであるように思うのだ。そのためにここでは二つの統計を示して、それに基づきながら今述べた問題について検討していきたい。
 最初の統計は『キャッチャー』内での主語人称代名詞 « I »の出現率に関するものである。野崎の翻訳では、« I » の訳語である「僕は(が)」という語の出現率はそれほど高いものではない。だが、『キャッチャー』の総単語数はMicrosoft Wordの機能によって検索すると、67441 (« I’ll » などの縮約形は一語として数えている) であり、その中で « I » の使用はざっと目算すると4125回ある (統計言語学の論文では精密な分析を行うため正確な数値が要求されるが、このテクストはそうした論文ではないゆえに大まかな調査方法による考察しか行わないが、それでもここでの検討を行うための十分に貴重なデータは得られるはずである)。つまりは全単語数の約6.1% が « I » である。このパーセンテージを同じように一人称で書かれたフィッツジェラルドの『マイ・ロスト・シティー』の « I » の出現率と比べた場合、その頻度の高さに驚かされるであろう。この小説において総単語数はMicrosoft Word で検索すると3963という結果を得ることができ、その中での « I » の数は93である。つまり全単語数の約2.3% が « I » である。『キャッチャー』の« I » のパーセンテージはその約2.6倍にも上るのだ。一例を挙げよう。チャプター1の終り近くのパラグラフの前半部の « Anyway, as soon as I got my breath back I ran across Route 204. It was icy as hell and I damn near fell down. I don't even know what I was running for­I guess I just felt like it. After I got across the road, I felt like I was sort of disappearing. (とにかく、息苦しいのがなおると、僕は、すぐさま駆け出して、二〇四号国道を突っ切った。バカみたいに寒くって、もう少しでぶっ倒れそうだったな。何のために駆けたりなんかしたのか、自分でもよくわかんない――たぶん、なんということもなく、ただ駆けたくて駆けたんだろう。国道を向こう側まで渡ったときには、このまま消えてなくなるんじゃないかという感じだったな) » において、« I » は9回登場する。総単語数55に対して9なので、この箇所の « I » の占める割合は約16.3% にも上るが、野崎の翻訳では « I » に相当する「僕は」は一度しか登場しない。こうした « I » が連打される箇所はここだけではなく、この小説の中で頻繁に見られるのだ。
 この « I » の過剰さは『キャッチャー』の文体的大きな特徴となっているが、その文体論的効果は何かを考える必要がある。一人称小説での « I » の出現頻度は他の人称を持つ主人公が登場する小説よりも高いことは当然であるが、同じ一人称小説であっても、英語の小説と日本語やフランス語で書かれた小説ではその出現頻度が大幅に異なる。フランス語圏では同一単語の繰り返しを避けるような言語教育が行われているため、一人称小説であっても英語の « I » に相当する « je » の出現頻度は英語よりもはるかに少ない。日本語教育においては、フランスで行われている教育のように繰り返しが厳しく規制されている訳ではない。しかし、一人称を表す語が「私は(が)」だけではないため、さらには、主語人称代名詞の省略が可能な場合が多々あるため、同一一人称主語人称代名詞の過度な繰り返しは避けるよう一般的には指導される。英語の場合はそうではなく、« I » の出現率は高くなるが、『キャッチャー』はその一般的基準をさらに大きく上回る頻度で « I » が用いられているのだ。これはとても興味深い問題であるが、この問題の更に詳しい分析はここでは行わずに次のセクションに委ね、第二の統計を提示しよう。
 第二の統計は文の数に関するものである。『キャッチャー』に書かれた文の総数は目算によれば7049である。先程も示したように単語総数は67441である。これによって、この小説の一文の平均単語数が約9.5語であることが了解される。9.5語とは、例えば、« Then I left and started walking over toward Fifth Avenue » が10語からなる文なので、ほぼこの長さを想像すればよいだろう。この文は決して長くはない。もちろん、『キャッチャー』にも一文が30語以上のものも少なからず存在する。それゆえ、そうした文も含めた平均値が約9.5語であるゆえに、この小説にはかなり少い単語から構成される文が頻繁に用いられていることが理解できる。『マイ・ロスト・シティー』の一文の単語数と比較すれば尚更この特徴が明らかになる。この小説の総単語数は先程も書いたように3963であり、目算による文の総数は152で、一文の平均単語数は26語であり、『キャッチャー』の約2.7倍の単語数である。
 この一文の短さの原因の一つは若者たちの用いる軽い日常会話文が多数登場するからである。一例を挙げると、« "Holden Caulfield. How are ya?" / "Holden! I'm fine! How are you?" / "Swell. Listen. How are ya, anyway? I mean how's school?" » という言表連鎖において、総単語数21に対して文の数は9なので、一文の平均単語数は約2.3語である。異常な短さであるが、こうした短い文の連続はリズミカルで、軽快なディスクールの動きを構築する。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』のような長い文が多用されるテクストでは、読み手の意識の流れは語られたテーマが次第に深化する、あるいは、厳密化する方向で展開される場合多い (サリンジャーはプルーストのこの小説について自らの作品の中で時折触れる場合があるが、彼はプルーストとはまったく異なったエクリチュールを行っている)。一つの対象がゆっくりと明確化されていく方向性に進むのである。それに対して、短い文の連続は、今述べたような利点がある一方で、語られる対象が次々に変化していく可能性が高く、その変化の激しさの中には暴力的なものが秘められているように私には思われるのだ。特に、サリンジャーのエクリチュールにおいては、暴力性がはっきりと表れているように感じられる。この問題は極めて重要なものであるが、ここではこれ以上この問題については言及せず、次のセクションで改めて詳細に検討していく。
 
暴力を内包したエクリチュール
 シールズとサレルノは『サリンジャー』の中で、『キャッチャー』の主人公について「(…)我々は映像化されたホールデンを知らないし、おそらくそれは良いことなのだろう。彼は我々のイマジネーションのなかに住んでいる。だが、ある意味においては、彼はすでに演じられている――『理由なき反抗』、『大人は判ってくれない』、『卒業』、『レス・ザン・ゼロ』その他、心理的な荒地のなかにいる疎外された若者を描いた無数の映画においてである」という指摘を行っている。確かにそうであるが、この指摘には重大な欠落部分がある。それはこういう問題である。例えば、フランソワ・トリフォーの「大人は判ってくれない」を取り上げよう。この映画を見て誰かを殺そうと思う観客はどれだけいるだろか。皆無と言ってよいのではないだろうか。ところが、『キャッチャー』の読者で少なくとも三人の若者が暗殺者となった (多分、今迄にもっと多くの暗殺者がいたのではないだろうか)。ジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマン、ロナルド・レーガンを銃撃したジョン・ヒンクリー、そして女優のレベッカ・シェイファーを射殺したロバート・バルドである。この違いは何処からくるのか。それは『キャッチャー』が内包している暴力性にあると私には思われるのである。この問題はサリンジャーについて考える場合に核心的なものであるゆえに、このセクションはこの問題の詳しい考察にあてられる。
 『サリンジャー』に書かれている犯罪心理学者のJ・リード・メロイの「「インチキ (“phony”)」という単語は、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のなかで三十回以上使われている」という指摘と「「殺す」という単語も繰り返し使われている」という指摘には注目する必要がある。『キャッチャー』を読むと、読者はこの世界が如何に多くの「インチキ」野郎で満ちているのかと感じるのではないだろうか。しかし、「インチキ」野郎とはどんな人間なのか。この小説を読んでもその厳密な定義は見えてこない。それだけではなく、この単語には確固とした意味など存在せず、その単語の音だけが発音され、一人歩きするプラスティック・ワードであることが理解できるのではないだろうか。この小説で使われている「殺す(kill)」という言葉も同じ特性を持つ。「殺す」は実際に「殺す」ことではなく、怒りや、不快さ、不満などを漠然と表明するために用いられる意味のはっきりとしない語であるからだ。こうしたプラスティック・ワードは他にも存在する。この小説においては « I » もそうなのではないだろうか。機銃掃射のように打ち出される « I » は、一人称の語りの位置を示す。すなわち、語る主体の位置を的確に示すために機能する以上に、敵である他者を次々に撃ち殺す機銃掃射の音となっているように私には感じられるだ。
 『キャッチャー』のエクリチュールの暴力性の根源として、多くのプラスティック・ワードの連続的使用が指摘できるのだ。この問題は極めて重要なものであるゆえに、更に厳密に探究してみよう。明確な意味を持たず、その音だけが反復されていく語には、ジャック・ラカンの語っている「シニフィエに対するシニフィアンの優位」という問題が存在している。この優位性は単なる現象ではなく、言語システムの強制によって読み手は語の発音に等価である意味を何とか探し出そうとする。つまり、« phony » にしろ、« kill » にしろ、« I » にしろ、そこにあるのは確固としたシニフィエが空洞化したシニフィアンだけが残ったものであったはずであった。ところが、読者はそのシニフィエの空隙に自らが望むシニフィエを埋め込むのだ。「インチキ」なものは駄目なもの。それが何故かということを問う必要はない。« I » であるサリンジャーが、「私」を唯一理解してくれる彼が、ホールデンを通して語っているのだから。「インチキ」を行う奴は嫌な奴、「私」を苦しめる奴、許されない奴、悪そのもの。だからそいつを「殺す」必要がある。繰り返される音、そして短文の連続はサリンジャーの呪文に尚更強い効果を付与する。自分たちが使う語り口とまったく同じもので、あんなにも短く、正確に語りかけてくれるサリンジャーが、そこに宿っているという幻想が強化されるのだ。空洞になったシニフィアンに自分がそうであると信じるシニフィエが嵌められ、彼の言葉は「私」の言葉になるのだ。『キャッチャー』の中には、暴力の行使を誘う悪魔の囁きとしてのエクリチュールが隠されているのだ。
 サリンジャーはこの悪魔的エクリチュールの持つ暴力性を意識してはいなかったであろう。肉体的欠陥に対するコンプレックス、ウーアの裏切り、戦場での過酷な経験によって引き起こされたPTSD。こうした彼が望まなかった負の遺産を昇華するために編み出したエクリチュールは、彼の内面的荒廃を救済してくれたに違いない。だが、自分の外部の力から受けた不条理な力の記憶は、サリンジャーの内面に沈潜し決して消え去ることはなかった。暴力を受けた記憶を心の奥に隠すことで、彼は日々の生存のためのバランスを取っていった。若い少女と繰り返された恋愛ゲームはウーアとの物語の再現である。獲得した少女を簡単に捨て去る行為は彼が見た何千、何万という死の再現儀式のようでもある。彼の身体的コンプレックス、PTSDもそこ複雑に絡み付いた。しかし、これらの負の遺産が最も強く反映されたものは彼の小説である。彼の怒り、悲しみ、絶望感、復讐心、残忍さなどの過去の彼の全ての感情が押し込められたエクリチュールを持ったテクスト。その中でも、『キャッチャー』は彼の無意識の中に閉じ込められていた強烈な感情を解放して書かれたものであった (その開放のためには、若き子供のままの心をもった主人公が必要だった点も注記しておこう)。それゆえ、この作品が彼にとっては一つの救いだったであろうが、救いであったからこそ、彼はそのエクリチュールの魔力を意識することはできなかったのだ。
 
 魔力を持つエクリチュールの負の力の強い影響を受けたのはサリンジャーではなく、暗殺者となったチャップマン、ヒンクリー、バルドといった子供が持つ空想性を抱き続けた若者たちだ。「インチキ野郎を殺せ」。それが彼らにとっての至上命令となる。自分たちを最もよく理解してくれ、何をしても最後には「ライ麦畑で落っこちそうになる僕」をつかまえてくれるサリンジャーがいるから。サリンジャーはまるで彼らの教団の教祖のようではないか。いや、そうであったからこそ、彼らは殺人を起こそうとし、起こしたのだ。フランツ・カフカのアフォリズム集である『夢・アフォリズム・詩』の中には、「自殺者は囚人である。この囚人は監獄の中庭に絞首台が立てられるのを見て、誤って自分のためのものだと思い込み、夜中に独房を破って脱出し、庭に降りて自ら縊死するのである」(吉田仙太郎訳) という言葉がある。この言葉はサリンジャーのPTSDの特性を示すものとして捉えられるものである。こうした自殺衝動を封じ込めるために彼は書いた。書き続けた。それによって彼は自らの首を自らの手で絞めることから逃れることができた。だが、彼の怨念、憤怒、冷淡さ、悲哀はエクリチュールの中に閉じ込められた。それゆえ、そのエクリチュールは悪の呪文となり得る危険性を孕んでいた。その呪文を聞いた信者たちはサリンジャーの代わりに行動を開始したのだ。
 サリンジャーのエクリチュールの暴力性は抑圧された彼の心の内側が塗り込められた語りだ。このエクリチュールの中には彼が受けた数え切れない残忍な暴力性が隠されている (それはサリンジャーにとって再生のためのステップでもあったが)。だが、その語りが内包する暴力は解放を、もう一度外に放たれることを待ち続けている。解放を行う者はサリンジャーではない。何故なら、彼にはそうした力はもうすでになかったからである。それを行うのは読者の誰かである。この暴力に最も敏感に反応した殺人予備軍である読者の誰かである。サリンジャーの小説は危険である。そう断言することは簡単にできる。しかしながら、その暴力性は潜められ、エクリチュールの奥深くに隠されている。それを見つけ出す者はほんの一握りの読者であり、その暴力性に呼応する者もほんの僅かな読者である。それでもその呼びかけに答えてしまう人間が消え去ることはない。ルイ・アルチュセールは「呼びかけ (interpellation)」という概念が「イデオロギー的国家装置 (appareil idéologique d’État)」の重要な機能であると主張した。しかし、この「呼びかけ」を行うのは権力機構だけではないのだ。一冊の本でさえ、一本の映画でさえ、一枚の絵でさえ、「呼びかけ」となり得るのだ。「呼びかけ」は命令となり、その命令に従って、知らず知らずのうちに行動してしまう。その可能性がわれわれには常に存在しているのだ。さらに恐ろしいことに、その「呼びかけ」を行う主体が、その「呼びかけ」の意味を意識せずに「呼びかけ」を行う場合が多々ある。サリンジャーのエクリチュールはこのことをはっきりと教えてくれる魔力を持ったエクリチュールなのである。
 
僕は僕が言いたかった話をもう終わりにしようと思う。だけども、あと少しだけ付き合って欲しい。ちょっとだけ言い残したことがあるから。本当はたいしたことじゃあないのだけど、それを書かないで終わってしまうと、やっぱり後悔しそうなんだ。だから、余計なことかもしれないけど書くことにする。
小説ってやつは楽しみのために書いたり、読んだりするだけじゃあなく、苦しみを逃れたり、苦しみを押し殺したりするためにも書いたり、読んだりするってことは、実は結構大事なことのように僕には思えるんだ。誰だって悲しいより嬉しい方がいいし、苦しいより楽な方がいい。でも、そうならないことって案外多い。それをどうにかするために書いたり、読んだりすることが必要なときってあるんだよ。
そう考えると、サリンジャーって奴は、とっても寂しい奴だったって思えてくる。嫌な奴、たまらなく嫌な奴だっただろう。それでも、こんなふうに考えれば、少しは許せるように思えてくるんだ。こんな奴もいてもいいかって。
でも、サリンジャーの『キャッチャー』が1968年の反抗のプロローグとなったんじゃなく、トリフォーの「大人は判ってくれない」が反抗のプロローグとなったのは、確かな事さ。余計な一言。本当に余計な一言さ。 

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する