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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

目の呪縛からの解放:池田龍雄の絵画について

 京王線仙川駅近くにある東京アートミュージアム (TAM)という小さな美術館で4月6日から6月30日まで、「池田龍雄展―場の位相」が開催されていた。展示されていた作品はオーナー所蔵のものだけで多くはなかったが、ドキュメンタリー映画監督の孝壽聡が制作した「The Painter」と「華開世界起」という映画のビデオが上映されていた。時間の都合で前者の作品しか見られなかったが、このビデオは大変興味深いものであった。
 池田龍雄の絵は昨年の4月から6月まで練馬区立美術館で行われた「戦後美術の現在形:池田龍雄展-楕円幻想」というタイトルの展覧会ですでに見ていたが、そのときは彼の絵画について十分に検討することができなかった。今回は上記した池田の作品制作過程を映像化した「The Painter」を見ることもでき、彼の絵画に関して何らかの考察ができると思い、このテクストを書き始めた。
 「The Painter」の中にはアメリカ軍空母に体当たりする特攻機の記録映像が挿入されている。1928年に現在の佐賀県伊万里市で生まれ、16歳のときに特攻隊員となった池田の過去を示すための挿入である。終戦後、彼は徹底的に戦争反対を訴えるようになる。彼の反戦的主張はその後も変わることはないが、池田の絵画スタイルとテーマは時間と共に大きく変わっていった。彼の絵画スタイルとテーマは、「揺籃期」、「ルポルタージュ絵画期」、「目による呪縛期」、「目からの解放期」というように四つに区分できると私には思われる。第二期と第三期は重なるのではないかという反論や、第三期と第四期との境界を厳密に設定できるのかという批判が出るかもしれないが、この区分は池田の作品を年代的視点から見た区分というよりも、彼の絵画スタイルとテーマとを分類するという探究視点に基づいた区分であり、この分類によって池田の絵画変遷を十分に分析できると思われる。
 最初の「揺籃期」は池田の画家人生の中で習作と呼んでよい絵が描かれた時期である。第二期の「ルポルタージュ絵画期」の作品には戦争の直接的経験と現実の不条理さへの憤怒の感情が大きく反映している。私の意見では、第三期の特徴は目の持つ強烈な語りである。この時期は異常な身体を持つ化け物じみた生物たちを描いた作品が登場する時期であるが、その異様さの中でも、特に目は注視しなければならない強いメッセージ性が込められているように私には感じられる。第四期は目という特異な対象が次第に消えていき、新たな創造世界を構築するように制作方向が転換した時期である。ここではこの四つの時期を追いながら池田龍雄の絵画作品の展開について検討していくが、先ずは画家としての創作の基盤ができた彼が画家になる以前の体験も含めた「揺籃期」について次のセクションで考察することとする。 

揺籃期
 「The Painter」の冒頭、熾火が映し出される。最初、私はそこに映されたものが薪ではなく、人間の骨が焼けているような印象を受けた。その後に続く映像が先程書いた特攻隊の映像であったためであろう。このモンタージュによって導かれる問題は池田の戦争経験の大きさである。池田は『池田龍雄の発言―絵画のうしろにあるもの』の中で、特攻隊員となった時の心境について語っている。彼は幼い頃から戦前の軍国主義教育を受けて育った。そして、「(…)私の場合は、少年時代、正確に言えば十四歳十一カ月のとき、海軍航空隊 (海軍甲種飛行予科練習性 [※ママ])に志願 (させられ)、一九四五 (昭和二十)年、特攻隊に (志願)させられ、出撃間近で戦争が終わって、幸か不幸か、残念ながら生き残ったのである」と述べている。この発言は国のために死ぬことが絶対的真理であるという洗脳を受け、それができなかったことがいつまでも消えることなく池田の内面的な傷となったことをはっきりと示している言葉である。
1945年、戦争が終わりすぐに佐賀師範学校に入学するが、翌年、終戦時に下士官以上だった者は教職につくことを禁じるというGHQ命令により、師範学校を退学させられる。池田は上記の本の中で、このGHQの不条理な決定に対し強く抗議をするが、その決定が覆ることはなかったと書いている。「結果に於いて、そのことがわたしを、外圧によって、あるいは命令によって動かされることのない、自由な世界、芸術・表現の世界、その中にある絵画の道へと進ませることになったわけだ (…)」と彼は語っているが、それと共に、政治権力によって踏みにじられた二番目の傷として、この出来事も以後池田の記憶に残り続ける。1948年、幼少年期から興味があった絵画制作を本格的に行おうと思い多摩造形芸術専門学校 (現在の多摩美術大学)に入学した彼は、以後画家としての道を歩む。
池田は『芸術アヴァンギャルドの背中』の中で、多摩美の一年であったときの担当教官だった伊原宇三郎 (伊原は満州事変から始まる十五年戦争の間、多くの戦争画を描いている)に、「こんな絵を描くなんて生意気だ、駄目だよ。点数つけられん!」と言われたと述べているが、学生時代及びルポルタージュ絵画を描く以前、池田は1948年に入会した岡本太郎や花田清輝によって発足した「アヴァンギャルド芸術研究会」の影響の下でシュールレアリズム的な前衛作品を作り続けていた。この時期の彼の絵画はルポルタージュ絵画を制作するようになった1950年代前半のような社会・政治問題と直接向き合う姿勢を感じられる作品は少ないが、「無風地帯―壊された風景」(1951年)や「沈めるものたち」(1952年)といった油絵には先程述べた区分の第三期の特徴である目の力を中心とする絵画構成の萌芽が見られる。シュールレアリズム的な構図を持ちながらも、そこには不気味な目の存在が表現されているのだ。しかしながら、この時期の池田の絵画のテーマも形態も奇抜性はあるが、あまりにも抽象的であり、彼が同時代人として政治や社会問題を訴えかけようというメッセージ性はまだかなり弱い。
 
ルポルタージュ絵画期
 2010年の6月から7月まで山梨県立美術館で、2010年10月から翌年の1月まで川崎市岡本太郎美術館で、また、2011年1月から3月まで福岡県立美術館で開催された池田龍雄展の図録の中には、山梨県立美術館学芸員の太田智子の「1950年代のペン画―大型ペン画まで」と福岡県立美術館学芸課長の川浪千鶴の「池田龍雄と「石炭・炭鉱」をめぐる作品群―ルポルタージュ絵画の展開として」という池田のルポルタージュ絵画に関する論文が掲載されている。前者の論文では、池田の多くのルポルタージュ絵画がペン画であることが重視され、インクの線によって描き出されているデフォルメされた現実の様相と池田のこの世界の悲惨な実相に対する告発の声との力強い共鳴性が正確に考察されている。後者の論文においては池田の政治・社会的実践としての絵画という側面の重要性が的確に論述されている。いずれの分析も納得のいくものではあるが、池田の絵の時間的変遷におけるルポルタージュ絵画の位置という問題については何も触れられていない。このセクションではこの視点を中心として彼のルポルタージュ絵画作品の考察を行っていこうと思う。
 池田は『視覚の外縁―池田龍雄文集捨遺―』の中に収められている「ルポルタージュ絵画の目指したもの」というテクストの中で、1953年に彼自身が書いた「絵画におけるルポルタージュの問題」というテクストを引用しながら、ルポルタージュ絵画を新しいリアリズム的制作方法と見なしていたと述べている。1950年代後半から1970年代前半までは社会的、政治的矛盾に対する怒りの声が民衆の中から強く沸き上がった時代である。その時代に相応しいリアリズム芸術としてルポルタージュ絵画を池田らは位置づけたのである。しかしながら、「(…)ルポルタージュは文字にこそふさわしい方法である。現実は、動かない「もの」として存在するのではなく、刻々変化する「こと」として現れるのだから、二次元の平面上に動かない形象として表現する絵画には不向きの方法というべきだろう」と「ルポルタージュ絵画の目指したもの」の中で語っているように、ルポルタージュ絵画は絵画史的に見て、確固とした新しいリアリズムを確立するまでには至らなかった。それでも、このジャンルの絵画を制作したことは池田の絵画変遷にとって極めて重要な出来事であった。
 彼のルポルタージュ絵画は先程も指摘したようにその殆どの作品がペン画である。鋭角的で細い線とテーマとなる対象を幾何学的にデフォルメして画面に配列しているコンポジションはオブジェの示す負の側面を強調する効果を持っている。「怒りの海」(1953年)、「坑口」(1955年)、「黒い機械」(1956年)などの作品は今述べた特徴が明確に表れている。基地問題、原爆問題、炭坑問題といった当時の大きな社会問題を取材し、悲劇と矛盾、被害者の憤りといったものを描き切るために池田のペンは鋭利な剣のようにそうした問題を切り裂いていった。だが、その成果も反響も大きくはなかった。前記したテクストの中の言葉にあるように、「芸術は、たしかに外部の現実の変革のために、直接的には何ほどの力にもなり得ない」からである。その反面、彼は「だが、少なくとも内部の現実=意識の変革に絵画が果たす役割は決して少なくはないのである。二次元の広がりゆえに一目瞭然、単刀直入、毒にも薬にも、正にも負にも作用し得る。そして、その可能性はリアリズムにこそ大きく期待できるのではあるまいか」とも語っている。最終的には「(…)新しいリアリズムのためのルポルタージュの方法は、絵画においては、いささか困難であり、試みられた限りにおいて特筆すべき優れた成果が得られなかったことは確かだ」という事実を認め、ルポルタージュ絵画から彼は脱却していくのである。
 ところで、池田はルポルタージュ絵画制作期以降、シリーズ化して作品を描くようになる。前記したような現実を描写するための絵画の持つ欠点を克服するためには空間表現である絵画記号を連続させるべきであると彼が考えたからではないだろうか。このように創造された作品には、デフォルメが強化され、一つ一つの社会問題にではなく、個々の問題を総合化しながら問いかけていくという絵画姿勢が見られるようになる。絵画制作ポジションの大きなチェンジがそこにあったのである。シリーズ化することの意味について簡潔に提示することは困難である。だが、グスタフ・クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」やエドヴァルド・ムンクの「生命のフリーズ」といったシリーズ化した絵画を注意深く観察すれば、これらの作品は連続化によって絵画テーマが深化され、物語性がより豊穣になっていることが理解できる。池田のシリーズ化した作品群に関しても同様のことが述べ得る。池田のシリーズ化した作品に対しては、物語の豊饒化と形容するよりもテーマの先鋭化と形容した方が適切な言い方であるだろうが。
 
目による呪縛期
 強烈な目の呪縛力と言うことも可能な、描かれたオブジェの目の力は、1955年から翌年まで制作された「化物の系譜シリーズ」、1957年に制作された「禽獣記シリーズ」、1958年に制作された「虫類図譜シリーズ」、1959年から1963年に制作された「百仮面シリーズ」といった作品群の中で最もよく表現されている。ルポルタージュ絵画制作をきっかけとして池田の作品の連作化が始まるが、1950年代後半から2000年頃までの各シリーズの作品全体の動きの中で、目の力は次第に弱まっていくが、それでも尚、描かれたオブジェの目の呪縛力が常に存在していた点は特筆しなければならない。確かに、創作された対象が化物じみたものであり、そこに描かれたものが人間であっても極端に醜くデフォルムされており、見手はその奇怪な姿に最初に目がいくかもしれない。しかし、いかに奇怪なものであっても、そこに示された対象は何かを見つめている何らかの主体性を持った存在である。目がそこにあるからこそ、その存在の強烈さが紙の上に、あるいは、キャンバスの上に刻印されているのである。
 目は主体を明示する。フランスの哲学者のミケル・デュフレンヌは『眼と耳―見えるものと聞こえるものの現象学』の中で (以下、デュフレンヌの言葉の引用はこの著書からである)、「メルロ=ポンティは、よく知られた書物の表題に精神という言葉を使っている (…)」(棧優訳)と述べ、モーリス・メルロ=ポンティが『眼と精神』という象徴的タイトルの著作を書いたことの重要性を暗示している。「眼と精神」という言葉には目と精神が密接に結びついているという関係性が端的に表されているからである。精神の問題は主体性の問題である。絵の中に描かれたオブジェの目は、そのオブジェ全体の意識が向かい行動しようとする方向性を示す。それゆえ目が閉じている場合であっても、そこには何らかの意志が表明されている。存在するものにとって目の力、眼差しの力は強大なものだ。池田のシリーズ化された2000年よりも前の作品群は、このことを明確に表してはいないだろうか。
 「化物の系譜シリーズ」の「巨人」(1956年) を例に取ろう。この絵は顔に多くの目を持った巨人の顔が描かれた作品であるが、池田の第二期の作品の中で呪力とも呼び得る目の力が最もよく表現されている絵である。クローズアップされたいくつもの目のある巨人の顔から、われわれはギリシア神話に登場するアルゴスを思い浮かべるのではないだろうか。全身に100の目がある巨人で、それぞれの目が眠るために交互に目を閉じるため、すべての目が閉じられることが決してない巨人である。アルゴスはその特性のため時間的にも空間的にも死角を持たない巨人と言われている。そのアルゴスに似た池田が描いた巨人は常に見つめ続ける目を持った怪物のイメージをわれわれにもたらす。何時でも何処でも監視の目を光らせる不気味な力を宿す怪物。われわれの前にあって、われわれの時間も空間も支配しようとする醜い権力の象徴としての装置。この化物は普段われわれに気付かれないようにそっとわれわれを監視続けるカメラの目を思い起こさせる。いくつものカメラの目はわれわれの自由を奪う目であるが、そのカメラの実体として、この絵の中では巨人の顔が描かれている。
 確かに、「化物の系譜シリーズ」、「禽獣記シリーズ」、「虫類図譜シリーズ」、「百仮面シリーズ」の中に描かれている奇怪な生物のすべてが多くの目を持っている訳ではなく、また、目を閉じた姿が描かれているものもある。だが、作品の中に登場するオブジェのその醜悪な様相だけではなく、それぞれの化物が持つ目の力はどの絵の中でも強力な支配装置の象徴の核となってはいないだろうか。デュフレンヌは「見ることは或る種の力の行使である。つまり事物に距離をおき、あらゆる接触を予告することだが、それは知的にも物質的にも支配を確認するためであり、時には他人を威圧するためである」と書いているが、この見るという行為を遂行する目という器官の特別性は支配力と直結したものである。それゆえ目の持つ力は強大なものになり得るし、見つめられた対象を威圧し、恐怖させることも可能なものである。それは見つめられたものを呪縛し、服従させようとする力であり、そうした権力を池田は告発しようとした。
 
目からの解放期
 池田は半世紀近く妖怪じみた生物の目の持つ特異な力を描いていった。しかしその目の暴力的意味は次第に弱まり、描かれる対象は妖怪じみた生物ではなく、受精卵のようになり、さらには、線と点とが組み合わされた立体派的コンポジションになり、2000年代手前以降は線のみによる世界像が創作されるようになった。この目の存在の喪失の意義は大きい。もちろんそこには池田の仏教への傾倒という思想的大転換も含まれているが、ここではより多角的に池田の絵の中での目の喪失という問題に関して考察していこうと思う。
 池田の絵画変遷を追うとき、怪物たちが描かれなくなった直後の一つのシリーズがある。それは1960年代中期に創作された「楕円空間シリーズ」である。このシリーズはまるで受精卵のような卵型の図形が表象されている作品群であり、それ以前の作品とは異なり、表されている球体自身が一つの目のようになっている作品群である。それゆえ目の存在性が消えた訳ではないが、その様相は以前のものとはかなり違っている。このシリーズの絵に対して支配者の眼差しというイメージを見手が抱くことはないだろう。誕生のイメージをそこに抱くのではないだろうか。しかしながら、今も述べたように卵は目の形に類似している。この類似性は単なる一致ではないと考えられる。視覚の持つ存在性についてジャン=リュック・ナンシーは『肖像の眼差し』の中で、「眼差しは外へ出てゆくモノ(ショーズ)であり、出口の問題(ショーズ)である。――さらに、より正確を期すならば、眼差しとは現象的なものではない。むしろ反対に、眼差しは、主体が主体になるのに不可欠な、自己の出口という物自体である」(岡田温司、長友文史訳)と主張している。このナンシーの主張は目の存在性はその眼差しにあり、それこそがその目を持つ力の源泉であることを示している。それゆえ、卵型のオブジェはその形態全体が目となった作品と見なすことが可能である。そこには目の呪縛性がまだ残存している。
 目の力は「楕円空間シリーズ」に続く1970年代から1980年代に制作された「BRAHNAN連作」では弱まり、生命の誕生の根源に遡ろうとする池田の意志が感じられるようになる。目は細胞内の核に置き換わろうとしているようである。2000年代以降に作られた「場の位相シリーズ」の初期作品では画面上に目というよりも点が線の中に配置されている。だがその後、次第に点すらも消え、線のみの構成による作品が制作されるようになる。それは目の呪縛からの完全なる開放であるように私には思われる。世界のチェンジ。こう言ってよければコード化のチェンジがそこにあるのではないだろうか。現実世界の支配と被支配の関係、攻撃する側と攻撃を受けるものとの関係、略奪する側と略奪される側との関係といったものを超えて新たな世界像の創造に向けて池田が歩み始めたことを示すものが「場の位相シリーズ」のように考えられるのだ。
ヘラはアルゴスの死を悼んでアルゴスの目を孔雀の羽に刻印し、美しい文様として永遠に残した。それとは逆に、池田は数えきれない目による無数の眼差し、つまりは、主体性のマークの可視性を拒み、オブジェのトポロジカルな変遷による新たな空間の構築に創作方向を転換させていった。多木浩二は『眼の隠喩:視線の現象学』の中で「視線とは「文化」であり、私たちの住む世界を構成するものである」と書いているが、眼差しが世界を構成するものであるということは、それが世界観を表すことでもある。眼差しを持つ目の存在からの解放によって、池田はより根源的な世界に向けて筆を取ることになる。
 
 ここまで池田龍雄の絵画変遷を追ってきたが、彼にとって最も大きな問題は目の持つ眼差しの力との格闘であると述べ得るではないだろうか。アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグは『オートバイ』という小説の最後で、「途方もなく大きな微笑を浮かべた一つの顔が (底知れぬ悲しみに等しい、無数の歓喜をもって彼女を見つめている)、一人の人間の顔が、それとも人間ばなれした顔が、世界の最後の、おそらく真実の顔が次第に彼女を飲み込んでいく」と書いている。主人公のレベッカ・ニュルがオートバイから前方を走るトラックに向けて投げ出された瞬間の描写である。死 (あるいは死神)が自分を見つめている眼差し。特攻機に乗った若者たちは敵艦に体当たりする前に、レベッカと同じように死からの眼差しを受けたのであろうか。池田は敵艦に向けて飛び立った仲間たちが見たであろう死からの眼差しについて、何度も何度も問い直したではないだろうか。死の目が持つ眼差しも支配を誇示する眼差しであろうか。その目は絶対的な力の眼差しである。だが、それは権力者が自らの力を示し、他者を服従させようとする力の行使である眼差しとは本源的に異なる。それはマンディアルグが書いているように不気味な優しささえも内包する眼差しである。
死に呑み込まれ砕け散った友たちの眼差し。その眼差しを池田は忘れることなく抱き続けている。「The Painter」の冒頭の熾火が映されるシーンの後で「画家は夜も火を焚き 昼も火を焚く」というキャプションが入る。誰のために、画家池田龍雄は夜も昼も火を焚くのか。それは死んだ戦友のためであるという答えが暗に映像の中で語られているシーンである。しかし、何故、火を焚き続けるのか。それは見つめるためではないだろうか。かつてそこにあった友の眼差しを。その眼差しはもうここにはない。だが、火を絶やさないことで、光がそこにあり続ける。光がずっとあれば、あの眼差しが鮮明に心の中に映し出されるかもしれないからだ。池田はこんな詩を書いている。
君の眼は
何を見つめているのか
火もなく水もない
暗闇の中で
君の魂は
何に燃えているのか
凍てついた
底知れぬ
迷宮の奥で
闘う人々よ
それは幻想かもしれない。だが、幻想は絵を生む。
様々な眼差しをした様々な目が存在する。その一つ一つを描き切ることは難しい。抑圧者の目への憎悪、支配者の目への反抗、死の目への畏怖、友の目への哀惜、弱者の目への憐憫。あまりにも多くの目があまりにも多くの意味を投げかけ、その眼差しを向けられた者はあまりにも多くの感情を抱く。目はそれゆえにあまりにも複雑で、あまりにも捉え難い存在である。しかし、目は点に還元できることも事実である。始まりの点として。ワシリー・カンディンスキーは『点・線・面―抽象芸術の基礎 (カンディンスキー著作集2)』(西田秀夫穂訳) の中で、「(…)われわれの観念にある幾何学上の点は、沈黙と発言との最高且つ唯一の結合なのである」(訳文の「,」は「、」に変更している)と述べているが、点は語りが終わる終点であると共に、語りが始まろうとする準備段階でもある。語りは線として続いていく。それゆえ、線は点を超えていく。
 池田が描く目が、点となり、点が終わり、線が始まるとき、新たな創造世界が開示していくのではないだろうか。一つの創造世界はシリーズの流れの中で一旦は完結したように見えて、再び語りの線として再生していくからである。目である点から新たな物語を語る線へ。池田の新たな創造世界はこれからも線状的なうねりの中で静かに続いていくのではないだろうか。あの熾火がゆっくりと燃え続ける限り。 

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