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宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

戦争画とプロパガンダ

 1月18日から3月1日まで埼玉ピースミュージアムで「描かれた戦争―絵に託した思い―」というテーマ展が行われていた。川口市立図書館にあったフライヤーをたまたま見つけた私は、この展覧会が非常に意味のあるものであると思った。何故なら、私は今迄に戦争画についての拙論を十本程書いたが、戦争プロパガンダとしての絵画という視点からの探究とその波及効果に関する探究は殆ど行っていず、この展覧会を見て、この問題に対する詳しい検討を行いたいと考えたからである。
 東武東上線の高坂という駅を降り、バスに乗り10分程、更にバス停から歩いて10分。展覧会の会場である埼玉ピースミュージアムは小高い丘の上にあった。このミュージアムのウェブサイトのトップページを見ると平成5 (1993) 年に開館したと書かれているが、埼玉県にこのような施設があることを私はまったく知らなかった。展望台からの見晴らしはとてもよく関東平野が一望できるが、ミュージアムの周りは木々に囲まれていて、人家はまったくなかった。
 テーマ展自身は小規模なものであったが、興味深い発見が幾つかあった。その発見についてここでは、«戦争プロパガンダポスター»、«絵葉書になった戦争画»、«戦争画家の描いた雑誌の表紙画» という三つの視点から考察していきたい。 

戦争画のカテゴリー
 戦争画は戦争に関連する事象が描かれた絵であるとするならば、その数は膨大なものとなる。そのため著名な画家たちが戦争関係の作品を描いたものだけを戦争画と見なす場合が多いが、この区分は正当化できるものであろうか。また、画家の描いたものだけに限定するとしても、第二次世界大戦中の作戦記録画とかつての経験を頼りに戦後に描いた戦争関係の絵は同等に語り得るものであるのかという疑問も存在する。更には、比喩的な戦争画や抽象性の高い戦争画はその絵が描かれた背景を知ることなく戦争画と見なすことができるだろうか。こうした疑問に対して明確な答えを出している研究はまったくと言っていい程存在してはいない。
 それゆえ三つの考察視点からの探究を行う前に、戦争画の最もスタンダードな定義に関して一言批判を加えておく必要がある。よく知られた定義としては柴崎信三が『絵筆とナショナリズム』の中で田中日佐夫の研究に依拠しながら提示した以下のものがある。戦争画とは、「①戦争自体、またその前後や個々の事物の情景を描いたもの。②題材となる戦争があった後の時代に描かれた「歴史画」といえるもの。③戦争につながる神話・伝説や象徴的事物を描いたもの。④戦争に対する画家個人の思いや考えを描いたもの」という四つに区分できるとするものである。
しかし、この定義はテーマという側面でしか戦争画を見てはいない。戦争画の持つプロパガンダ性や、ポスター、雑誌の表紙、絵ハガキなどとなった戦争画の副次的効果を示す作品については何も語ってはいない。戦争画を考察する場合、多くの著者は戦争画とそれを描いた画家との関係を強調し過ぎて、戦争画の波及効果という問題が過小評価されているのではないだろうか。今回行われた展覧会を見て、私は強くそう思った。戦争画は画家の個別的な創造性を超えた場所でも様々な作用を及ぼす。それはテーマ的な側面からだけではない。この点をもっと検討しなければならない。私はそう考えたのだ。
 「描かれた戦争―絵に託した思い―」というテーマ展は «従軍画家たちが描いた戦争»、«ポスター・雑誌などに描かれた戦争»、«子供たちが描いた戦争»、«体験者たちが描いた戦争» というように四つに区分がされていた。こうした区分方法も興味深いものではあるが、戦争画の効果というこのテクストで最も考察したい視点が、確固とした形で明瞭化されてこないという問題点があるように私には思われた。それゆえ、ここでは上述した視点に基づきながら戦争画という研究課題に関する探究を行っていこうと思う。
 
戦争プロパガンダポスター
 画家が描いた戦争画は、一般的には特定の戦争をテーマとした作品を美術館などの展示スペースで多くの鑑賞者に提示されるものである。それゆえ、そこに飾られた作品は当然のことではあるが会場に入った人しか見ることができないという特徴がある。また、展示作品の一つ一つには、それを描いた画家の名前が明示されているという特徴もある。それに対して、戦争プロパガンダポスターの場合は、大量にプリントされるためにオリジナルの戦争画作品よりもはるかに多くの人々の目に触れる機会がある。更に、私が知る限りで、ポスターの作者の名前は明示されてはいない。こうした違いはプロパガンダ効果という視点から見て、どのような意義があるものであろうか。
 私が思うに、少なくとも以下のような差異を指摘することが可能である。第一点目として、テーマ選択の差異を示すことができる。戦争画は戦場での戦闘場面が描写される場合が多い。もちろん、横山大観などが描いた戦争画は、象徴性によって聖戦とされた戦争を称賛するものであり、戦争を比喩的に表すことでプロパガンダ性が強調されている作品である。だが、殆どの戦争画はリアリズム的な表現によって見手の興味を引き、そのリアリズム性ゆえに評価された。それに比べて、戦争プロパガンダポスターは戦争そのものの描写が問題となるのではなく、ある特定の宣伝目的を持って作られたものである。今回の展覧会にあった「海軍飛行兵募集」、「勤労報國隊を結成せよ」、「今こそ援護も決戦調」というポスターを見て判るように、そこに描かれたオブジェは戦争遂行のために必要な兵士の募集を求めるもの、兵器生産を鼓舞するもの、銃後の務めを強調するものである。それは戦争イデオロギーの上部構造装置として働くというよりも、その土台となる下部構造装置としての役割を担っていると考えられるものである。
 戦争遂行のためには精神的な陶酔感や衝撃性といった作品の持つ絵画的力と呼べるものがある一方で、そうした高次の力よりも戦争を継続するために必要な兵器生産、銃後の食糧増産援助、兵員の確保といったより現実的な問題と直接係わるポスターなどの手段を通して絵画記号が用いられるケースも存在している。こうした簡潔な命令として作用するスローガンと共に描かれた人物、戦闘機、軍艦といったオブジェは、絵画記号におけるルイ・アルチュセールが述べている国家のイデオロギー装置としての「呼びかけ(interpellation)」として機能しているのではないだろうか。作者の名前がないからこそ、その機能は増幅されているとも考えられる。例えば、藤田嗣治という特定の画家からの絵画的メッセージではなく、国家という抽象的な大文字の主体からの命令という形のメッセージとしてそれは作用しているのだ。そこには戦争画が持つ戦争リアリズムとは別な側面が存在している。
 ジークフリート・クラカウワーは『大衆の装飾』の中で「大衆装飾に組み入れられた人間のフィギュアは、膨張する有機的華麗さと個人的形態性から、ある匿名性へと移住を始めたのである。フィギュアが真実の中に立ち、人間的根底から照射する認識が可視的自然的形態の輪郭を解体するとき、フィギュアはそのような匿名性に変ずる」という指摘を行っているが、戦争画そのものよりも、ポスターに描かれたものの方がかえって戦時中の絵画記号のこうした匿名性を強調し、そのプロパガンダ的特質をより明確に提示していると考えられるのである。
 
絵葉書になった戦争画
 戦争画のオリジナル作品は先程述べたように、ある展覧会場でしか見ることはできないが、複製時代の到来によって戦争画もコピーされ、それが展覧会の図録、画集に掲載されることが可能となった。それだけではなく、絵葉書にも戦争画家達の作品がプリントされ、販売されるようになった。こうした状況を示すものが今回のテーマ展にあった十枚程の絵葉書である。これらの絵葉書は戦争画の認知度を高める働きを担っただけではなく、戦争画を日常生活に潜ませる機能も担ったのではないだろうか。何故なら、こうした絵葉書は実際の絵画作品よりもはるかにわれわれの日常生活の中に紛れ込み易く、こう言ってよければ、われわれの平和な現実を侵食するために有効なオブジェであるからだ。食台や勉強机の上に置かれた、あるいは、壁に貼られた戦争画の絵葉書を思い浮かべてみよう。それは平凡な日常性の中に忍び込んできた非日常としての戦争のシーニュである。それは平和であるはずの毎日の生活に対する戦争からの鋭い一刺しを与える針である。
 ロラン・バルトが『明るい部屋』の中で提唱したプンクトゥムは特定の写真の内部にある特異性としての、ジュリア・クリステヴァの用語を使えば、 意味シニフ 作用ィアンス である。バルトはプンクトゥムを「私を突き刺すもの」と語っているが、こうしたわれわれの日常的な眼差しに鋭い一撃を与えるものは、特定の写真のある部分にだけ存在するとは限らないように私には思われる。それは、ある写真やある絵葉書といったもののテーマや全体像とも関係するものなのではないだろうか。日常化を壊す一撃を内包しているものは部分にだけではなく、全体にも深く係わっているからである。このように考えれば、バルトのプンクトゥムはベンヤミンのアウラという概念へと連続する概念として考えることができるものとなる。だが、注記しておかなければならない点がある。戦争画が印刷された絵葉書、それは高貴な光に包まれた聖性を帯びた対象や、日常的な意味から新たな創造的意味を生み出す鋭利な一刺しとなるものではないという点である。それは平和な日常の安定性を否定し、聖戦遂行の義務を国民全体に指令する警報音のような荒々しさを内包したオブジェの持つ負のアウラであり、そこには強制する力の暴力性が隠されている。それは国家的イデオロギー装置の呼びかけが視覚化され、日常化されて提示されたオブジェなのである。
 こうした絵葉書の生産は、確かに戦争画家達の創作活動とは直接には関係していない。しかし、戦争画家達は自らの描いた絵それ自身だけではなく、その複写品も十分に戦争遂行プロパガンダのための装置として機能しているということをどれだけ意識していただろうかという疑問が沸いてくる。殆ど全ての画家はこうした事実をまったく意識していなかったのではないだろうか。二義的なものに大きな意味はないという反論があるかもしれない。だがもしそうならば、アイヒマンの行為は完全に無罪であるということになってしまう。アイヒマンは直接的には誰一人として自分の手で殺してはいず、上官の命令に従って、強制収容所に何百万人ものユダヤ人を送り込む正確な予定表を作成しただけだったからである。アイヒマンが罪を担ったように、戦争画家達も自分達が描いた作品についての全ての責任を持つべきであると私は考えるのである。
 
戦争画家の描いた雑誌の表紙画
 『週刊少國民』という雑誌は戦前、戦中を通して日本の子供達に大変親しまれていた雑誌であった。今回の展覧会で陳列されていたその雑誌の表紙を飾っている絵を描いた画家の名前を見て、私は少し驚かされた。宮本三郎、向井潤吉、鶴田吾郎、伊原宇三郎といった有名な戦争画家達の名前が並んでいたからである。『週刊少國民』は日本が行っている戦争が如何に重要であり、正当なものであるかということを子供にも理解できるように提示した雑誌である。しかしながら、その説明の殆ど全ては日本の軍国主義政府の自己正当化への追従にしか過ぎず、虚偽に彩られた言説を満載したものであった。この政府見解の正当化作業は言説によってのみ行われたものではない。雑誌に掲載された絵画や写真といった視覚的記号によっても展開された。その役割の一翼を戦争画家達は担っていたのである。
 鶴田吾郎が昭和17 (1942) 年の第1巻・第25号の表紙に描いた絵、宮本三郎が昭和18 (1943) 年の第2巻・第47号に描いた表紙の絵、伊原宇三郎の昭和18年の第2巻・第51号に描いた表紙の絵を見てみよう。今回展示された他の号の表紙もそうであるが (多分、全ての号の表紙について述べ得るものであると思われるが)、藤田嗣治の戦争画作品のような血みどろの肉弾戦は描写されていない (実際には、藤田の戦争画で血は流されていないが、「アッツ島玉砕」(1943年) や「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945年)といった彼の作品の見手は、そこには血まみれの戦場があるというイメージを強く植え付けられる)。だが、戦争遂行のために必要な未知のものを恐れない勇気、逞しい肉体を目指す鍛錬、愛国的忠誠心などを強調するテーマが表現されている。それは完全に戦争プロパガンダの絵である。
 鶴田、宮本、伊原は戦後も日本洋画界の重鎮として、多くの作品を制作していったが、彼らが戦争画を描いたこと、彼らが戦争プロパガンダのために行ったことに対して真摯な態度で反省したことも、語ったこともないように私には思われる。戦時中、確かに、絵画制作行為は制限され、戦争関係の絵以外の仕事は殆どなかったかもしれない。しかしながら、『週刊少國民』という子供向けの雑誌に戦争プロパガンダ作品を堂々と描いたという責任と彼らは真剣に向き合ったことがないのではないだろうか。この雑誌は子供に向けて語り掛けられる国家のイデオロギー装置としての「呼びかけ」であり、そこには政治コントロールとしてのプロパガンダ性が如実に表されている。この「呼びかけ」に協力した鶴田、宮本、伊原をはじめとする戦争画家達は、子供達の未来を戦争という方向に向かわせた「死の画家」と形容できる程、重い罪を背負っているのではないだろうか。だが、彼らの責任問題についてはここではこれ以上論じず、このテクストの最後の部分である次のセクションで改めて詳しく探究しようと思う。
 
 ここまで戦争画家とプロパガンダの問題について考察してきたが、最後に、上記したセクションで詳細に分析できなかった「戦争プロパガンダの普遍性」と「戦争プロパガンダの法則性」という二つの重要問題を検討していきたい。
 第一の問題については、今回の展示ポスターの中にあった「今こそ援護も決戦調」というものと、アメリカで第二次世界大戦中に大きく取り上げられた「リベット打ちのロージー(Rosie the Riveter)」の像 (『サタデー・イブニング・ポスト』1943年5月29日号の表紙に描かれたノーマン・ロックウェルのイラスト) との比較を通して考察していこうと思う。だがそれには先ずは、「リベット打ちのロージー」について語る必要がある。ロージーという女性は実在した訳ではない。彼女は第二次世界大戦中のアメリカで、兵器工場の人手不足に対して女性労働者を募集するために作られた働く女性のシンボルである。2019年に発刊されたフランスの模型付き雑誌『第二次世界大戦中の軍用車両』第2号に、ロージーに関する興味深い記述とそのことと関連したイラストや写真が掲載されている。ロージーの姿は健康的で、力強い逞しさに満ちている。この像と今回展示された「今こそ援護も決戦調」というポスターとは、もちろん、兵器産業労働への女性の参加アピールと銃後の守りを固めよというスローガンの呼びかけという大きな違いがある。それにも拘らず、多くの共通点が存在している。その共通点は以下の四点としてまとめ上げることが可能である。どちらのイラスト画も、①«女性が一人だけ描かれている»、②«その女性は逞しい»、③«望まれる仕事に適した服を着ている (ロージーは労働者用のつなぎ姿で、銃後の女性は姉さん被りに地味な和服姿)»、④«仕事のための用具が描かれている (ロージーはリベット打ちの機械を膝の上に置いており、銃後の守りを担う女性は千人針のための針を持っている)»。こうした共通点をプロパガンダという視点から見た場合、それは何を示していると述べることができるだろうか。
この点に関しては、女性の戦争協力が絶対に必要であり、戦争遂行に不可欠であり、それによって国家が確実に戦争を継続できるという側面が強調されていると述べ得るのではないだろうか。女性の持つ弱さ、可憐さ、繊細さ、儚さといった姿は否定され、男性的で、健康で逞しいこうした女性の像は兵士の像に近いものであり、その健康さは戦争の内包する暗く、陰惨なイメージを完全に払しょくする機能を担っていたと見なせるものである。そこには戦争のイメージを肯定していくための一つのモデルが示されていると考えられる。       
ルース・ベネディクトが『菊と刀』の中で、戦時中の日本の戦争プロパガンダ映画である田坂具隆の『五人の斥候兵』や『土と兵隊』といった国策映画を見たアメリカ人の多くが「これこそ私の見た中で最も優れた反戦映画だ」と語ったという指摘を行っている点は非常に興味深い。そこに欧米の戦争プロパガンダ映画とはまったく異なる日本の戦争プロパガンダ映画の特質が考察されているからである。だが、上記した表紙のイラストとポスターとを比較する限り (多分、このことは一般化も可能であるようにも思われるが、分析資料が手元に少ないため、断言は避ける)、雑誌のイラストや戦時下のポスターに描かれたプロパガンダ的メッセージは、日本でもアメリカでも同質なものであったと述べることができるのではないだろうか。この問題は非常に重要なものであると思われる。
「戦争プロパガンダの法則性」の問題に移ろう。ベルギーの歴史学者アンヌ・モレリが書いた『戦争プロパガンダ10の法則』(永田千奈訳、以下モレリの言葉はこの本からの引用である) という本がある。この本の中で示されている戦争プロパガンダの10の基本法則 (スローガンとも言い得るだろう) は、①「われわれは戦争をしたくない」、②「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」、③「敵の指導者リーダーは悪魔のような人間だ」、④「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」、⑤「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」、⑥「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」、⑦「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」、⑧「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」、⑨「われわれの大義は神聖なものである」、⑩「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」というものである。こうしたスローガンは特定の国だけが行うものではなく、戦時にはどの国も行う普遍的なものである点をモレリは繰り返し指摘している。
だが、こうした法則は言説レベルだけのものではない。例えば、「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」という二番目の法則について考えてみよう。この法則に関して、モレリはこの言説は対立関係にある一方だけが主張するものではない点を強調し、「(…) 敵対状態にある双方が、同じ言葉を用いている (…)」と書いているが、ある記号装置を用いて敵味方が同一のイメージを掲げるという問題は、上記した日本のポスターとアメリカのイラストとの比較で提示した共通点とも通じるものではないだろうか。つまり、こうした言説は言語記号のみではなく、絵画記号によっても、あるいは、映画記号や音楽記号によっても表し得るものである点は注目すべき点である。
それだけではなく、ある記号によって表された戦争プロパガンダは他のある記号によっても繰り返し表されることによって、そのメッセージ性が増幅していくという事実も忘れてはならない問題である。先程挙げた「リベット打ちのロージー」は雑誌の表紙のイラストだけに描かれたものではない。ロージーを巡っては、最初に、1942年にレッド・エバンスとジョン・ジェイコブ・ローブという二人の音楽家が作った「リベット打ちのロージー」という歌がアメリカ中で流行し、それをノーマン・ロックウェルが絵画化したと言われている。ロージーの記号化はそれだけでは終わらなかった。ロージーの逸話を基にして有名な戦争プロパガンダポスター «We Can Do It» がJ. ハワード・ミラーによって描かれ、更にはロージーの映画もハリウッドで作られた。こうして、ロージーを巡る戦争プロパガンダはアメリカの大衆に完全に浸透していったのである。
このように見ていけば、戦争プロパガンダに用いられる言説は戦争を行っている国全てに共通するものであるだけではなく、プロパガンダを真実らしく国民に見せるためにあらゆる記号が動員されることがはっきりと理解できる。だが、こうしたプロパガンダ作品は戦争を行っている国家の指導者自身が作っているのではなく、具体的なある芸術家が作り出している点を忘れてはならない。芸術家は大衆をコントロールする力を持っている。モレリは芸術家に対して、「感動とは常に世論を動かす力であり、彼らは感動を呼び起こす才能をもっている」と述べているが、この感動を起こさせる力が、国家の戦争遂行のために用いられる時、それは汚れた芸術とも形容できる支配装置となるのだ。それゆえ、芸術家の戦争協力に対する責任という問題は些末的な事柄では断じてなく、いや、極めて大きな問題であると断定してもよい事柄なのである。
ここで上記した日本の戦争画家達の責任という問題に戻りたい。ジャン=フランソワ・レイは『レヴィナスと政治哲学』の中で、「生き延びることにおいて、救済において、猶予はない。しかしまた媒介もない。他者が私に救済を頼むのは、人間という類に属する一個体としてでも、普遍的なものの特殊的具現でもない。救済は対話を要請し、対話への手掛かりでもある」という言葉を語っているが、この言葉を責任という問題と関連させて考えることも可能である。何故なら、われわれが対話を求める時、われわれは顔のない他者を対話者に選ぼうとはしないからである。私を見つめ、私の言葉に耳を傾け、私を対話者と認め、私に語ってくれる他者とわれわれは話し合おうとするからである。
それは他者を引き受ける一つの行為であり、対話はバフチンが言うように私と君とを繋ぐ一つの橋となっているのである。その橋を壊さないように対話者は語り合おうとする。こうした対話関係を、戦争画家達の描いた戦争画や雑誌の表紙の絵の中に見出すことは可能であろうか。まったく不可能なのではないだろうか。何故なら、画家達が描いたものは自発的に選んだテーマでもなければ、見手に対話的に語り掛けるために描いたものでもない。確かに、何人かの戦争画家の絵は、見手を驚かせ、畏怖させることはあったかもしれない。だが、それは対話行為とはまったく異なった支配に近い力の誇示であった。
そう、彼らの作品には責任という重みさがまったく存在していなかったのだ。しかし考えてみれば、戦争プロパガンダと責任とは相容れない概念である。支配し、コントロールしようとする権力者の意志の代理人として画家が制作した作品に、画家個人の人間としての責任が反映していたとしたら、もはやそれはプロパガンダ作品ではなくなるだろう。戦争プロパガンダ作品は何処かで必ず匿名的な機能を有するもので、それでなければ、プロパガンダは成功しないのではないだろうか。
では、匿名的な機能を持って描かれた戦争プロパガンダ作品は画家自身の芸術性からは遠い位置にある作品であり、そうした作品を制作したことに対する責任は問えないと言うべきであろうか。そうではないと私は考える。『美術手帖』2015年9月号には『週刊サンケイ』1956年8月19日号に掲載された「僕等は従軍画家だった」という座談会が再録されている。この座談会の参加者は宮本三郎、中村研一、栗原信、向井潤吉である。宮本と向井は今回の展覧会に展示されていた『週刊少國民』の表紙を描いた画家でもある。この座談会の中で、宮本は「そりゃ記録画を描く事は大きくいやァ国民全体の要望だったものね。(…) 小学校の子供から老人から、みんなにワッと感動を与えることが出来たという大きな仕事に対する――全体にアッピールする喜びですね。これはあの仕事をした者だけの体験していること (…)」であるという発言を行っているが、ここには戦争プロパガンダの一翼を担ったことへの責任感がまったく表明されていないどころか、自分の役割を誇り、満足さえしている姿がはっきりと示されている。
こうした戦争画家の態度とエドワード・サイードが『知識人とは何か』の中で語っている言葉とを比較すれば、戦争画家達の態度が如何に無責任で、無知であったかが理解できる。サイードは「(…) 知識人は。集団的愚行が大手をふってまかりとおるときには、断固これに反対の声をあげるべきであって、それにともなう犠牲を恐れてはいけないのである」と述べているが、このような行動は知識人だけが行うべきことなのではなく、多くの人々に感情的なインパクトを与える芸術家も行うべきことである。
戦争画問題は戦争画家の作品だけを研究すればよいものではない。戦争画は必然的に戦争を行っている国のプロパガンダを担ったものである以上、それは絵画作品にだけに限定できない絵画記号によるイメージ操作が内包されている。それゆえ、ポスターも、雑誌の表紙のイラスト画も、あるいは、戦争画を複製した絵葉書も戦争画として考察していく必要がある。このテクストではこうした視点からの基本的な検討だけを行った。しかしその探求範囲は広大なものであり、もっと多くの資料を分析しなければ簡単に結論が出せない問題である。ここではこれ以上の探究は行わないが、最後に一言だけ述べてこのテクストを終わりにしたい。
一旦戦争が始まれば、正義の名の下に国家はあらゆる記号を用いて、戦争遂行が至上命令であるかのように国民を洗脳していく。そのプロパガンダに与することなく、平和を守るためにも、戦中の戦争画家達の犯した過ちを真剣な眼差しで、深く見つめ続けなければならない。私はこのことを強調したいと思う。 


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