宇波彰現代哲学研究所

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今村仁司とベンヤミン (1)

<思想家の格闘>

すぐれた思想家の思想形成のプロセスには、過去もしくは同時代のほかの思想家との「格闘」があることが不可欠である。また、その人が見つめている現実の状況との格闘も不可欠である。たとえばルイ・アルチュセールの思想をたどってみると、彼がいかに時代の状況のなかでマキアヴェリ、マルクスと格闘して自分の思想を形成していったたかが感じられる。スチュアート・ホールは、アルチュセールのマルクス解釈に関して、「こんな解釈はありえない」と思いつつ、そのアルチュセールとまさに「生死を賭けて格闘した」と書いている。アメリカの哲学者C.S.パースは若いときにカントと格闘し、毎日数時間を『純粋理性批判』の解読にあてたため最後には、このカントの主著を暗記してしまい、そのカテゴリー論が間違っていると判断するまでになったという。今村仁司の仕事はきわめて広範囲に及んでいて、その全体像は容易には把握できないが、少なくとも彼がアルチュセール、ベンヤミンと格闘し、その経験を踏まえて自分の思想を形成していったことは確かである。東京新聞(2007年6月18日夕刊)・中日新聞(6月25日夕刊)に掲載された追悼文でも書いたが、今村仁司は私に対して、「私はアルチュセールの書いたものはすべて読んだ、そしてアルチュセールが読んだものもすべて読んだ」といっていたのである。今村仁司が格闘した主な相手がアルチュセールとベンヤミンであったことはいうまでもない。彼にとって格闘の形式は、解読と翻訳であり、その二つの作業は不可分であった。アルチュセールとの関係の考察は別の機会にゆずるとして、この小論は今村仁司とベンヤミンとの格闘の意義を考えようとするものである。
ほかの思想家との格闘の前提として、対象となる思想家の思想の力を客観的もしくは学問的に「認識」するだけでは十分でない。まず何よりも、相手となる思想家に徹底的に惚れ込んだり、立ち上がれないほど打ちのめされたりする、パッションにかかわる経験がなくてはならない。たとえばアルチュセールは、マキアヴェリの思想に接して「驚き」、ときには「賛嘆」(admiration)ということばさえ使っている。驚きがあり、賛嘆があって初めてその対象との格闘が始まるであろう。『マキアヴェリの孤独』のなかでアルチュセールは、マキアヴェリが「分類不可能」で、「把握不可能」であるとして、その活字をイタリックスにしている。「マキアヴェリの孤独とは、彼が分類不可能と思えるということである」とアルチュセールは書いている(Louis Althusser,La solitude de Machiavel,P.U.F.,1998,p.313)。マキアヴェリには、いままでの思想の型には絶対に当てはめることのできないものがあることに気付いたアルチュセールは、「分類不可能」(inclassable )という形容詞を使うほかはなかった。そしてその思想を把握することも不可能(insassisable)と思われたのである。こうした思考は、既製の枠にはは入らないものであるという判断が前提となる。
アントニオ・ネグリもまたスピノザの思想に驚きをもって接した。彼はそのスピノザ論である『野生のアノマリア』のなかで、しばしばスピノザについて「驚くべきことだが」ということばを挟みながら論じている。スピノザの思想はネグリにとって「アノマリア」、つまり「異常なもの」であった。たとえばスピノザの「神学・政治論」について、「疑いもなく驚くべきもの」だとしている(Antonio Negri,The savage anomaly,University of Minnesota Press,1991,p.92)。この「驚くべきもの」、「異常なもの」は、「見知らぬもの」であり、デリダのいい方を借りるならば「他者(別なもの)の侵入」である。この「侵入」(irruption)は、おそらくデリダが1895年頃のフロイトの思想から導入してきた「事後性」とも深くかかわる概念である。「事後性」は、過去のできごとや記憶(実際には存在しないばあいもある)をあとから修正したり、作り上げたりする作用のことであるが、そのときにその操作を可能にするものが「他者(別なもの)の侵入」であると考えられる。それまでの考えを否定し、破壊するものがあって初めて事後性は成立するからである。それは、「驚くべきもの」「異様なもの」というかたちをとって侵入してくる。この「他者」は、ばあいによってはフロイトのいう「不気味なもの」(das Unheimliche)になる。
1933年から39年まで、毎週月曜日の夕刻5時半からパリで行われていたアレクサンドル・コジェーヴの『精神現象学』の講義には、バタイユ、メルロ=ポンティ、ラカン、ブルトンのほかに、時には岡本太郎、アドルノ、ベンヤミンも出席していたらしいが、講義のあと、受講者たちはコジェーヴのことばの魔力に打たれて、茫然として会場を立ち去ったと伝えられる。その魔力の一端は、コジェーヴのいくつかの著作からもうかがうことが可能である。それは「魔術師」とさえいわれたコジェーヴのヘーゲル解釈が、たとえば、「ヘーゲルの思想には弁証法は存在しない」といった、異常で、聞く者にとってまったく思いがけない内容のヘーゲル解釈であったからでもあると思われる。さらに、デリダもまたベンヤミン、シュミット、フロイトと格闘した思想家であったが、彼のフロイトに対する態度にも「異常なものとの出会い」という感じのものがある。1995年に刊行されたデリダの『アルシーヴの病』は、「フロイトの印象」というサブタイトルのあるフロイト論であるが(この「印象」impression はレーモン・ルーセルの『アフリカの印象』のimpressionと同じく、多義的なimpressionであるが、このことについては私の旧著『引用の想像力』冬樹社,1991、p.126で述べてある)、そのなかでデリダはフロイトが1930年に書いた『文明の病』(これがデリダのフロイト論のタイトルの源泉である)の一節を引用する。そして、それについての解読をするにあたって、「この部分のレトリックと論理はきわめて巧みであり、めまいを起こさせるほどである」書いている(Jacques Derrida, Mal d’archive, Galilee,1996,p.22)。「めまい」(vertige)を起こさせるようなテクストは稀である。そして、そのようなテクストに接して「めまい」を感じることができる思想家もまた稀である。今村仁司はベンヤミンのテクストの魅力あるいは魔力を感じ取ることができる数少ない思想家のひとりであった。ベンヤミンの若い時期の論文「言語一般および人間の言語について」(1916)について、デリダはベンヤミン論である「バベルの塔」のなかで、「あまりにも謎に満ちていて、豊かであり、重層決定されている」(Derrida, Psyche,Galilee,p.211、邦訳は法政大学出版局『他者の言語』に収載されている)と書いている。


(つづく)

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