宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

哲学の現場

現実には会ってはいないが、手紙や電話でときどきコミュニケーションをしている知人が私には何人もいる。そのなかのひとりである或るロシア文学者から頂いた年賀状に、「今年はロシア神秘主義の勉強をするつもりです」と書いてあった。私はそのひとの書いたロシア語の作文の教科書も持っているが、むしろソビエト構造主義の研究者として知られている方で、その人が神秘主義の研究をしようといわれることに私はひとつの意味があるように感じた。
また、別のロシア文学者から最近頂いた手紙には、「バフチーンをベルジャーエフとナボコフから光を当ててみようと考えている」と書かれてあった。その方のご意見では、この三人がロシアを代表する思想家だというのである。
さらに、最近どなたかのご配慮によって、京都にある行路社という出版社から、私のところへ「ベルジャーエフ著作集」という内容見本が送られてきた。それはたまたまベルジャ-エフとナボコフからバフチーンを見直してみたいという手紙を受け取ったのとほとんど同じころのことであって、私はそこにユングたちのいう共時性の現象を認めないわけにはいかなかった。
そしてまた同じころに、私は若い友人から、ベルジャーエフに関心を持っているという話を聞いたのである。それでふと思い立って書棚を捜してみると、ベルジャーエフの『共産主義の起源と意味』の仏訳本を見つけることができた。書き込みを見ると、それは私が1965年に買ったもので、400ページほどのその本のおよそ4分の3を読んだ形跡がある。そして、ロシアにいるユダヤ人のメシア信仰が、ロシア人のメシア信仰に対して影響を与えたというところなどにアンダーラインが引いてあるのに気づいた。とにかくその頃かなりいっしょうけんめいにこの本を読んだことがわかる。
しかし、若いころの私がなぜベルジャーエフを読んでいたのかは、今の私にはまったくわからない。ただ、その後何年かたって私は、フランスではクリステーヴァなどを通して、わが国では川端香男里氏などによって紹介され始めたミハイール・バフチーンの仕事に関心を持つようになり、そのうちにバフチ-ンについて書いたり講演までするようになった。いま思うと、ベルジャーエフを読んでいたのは、バフチーンに接するための準備であったのかもしれない。未来に来るはずのものを現在が予感し、準備するということはしばしば起こるし、また、後にも述べるように、過去はしばしば現在によって規定される。因果性という概念だけでは、もはや現実のさまざまなできごとを理解できなくなっているのである。
また、私の若い友人で、以前からバフチーンに関心を持っているロシア文学者のひとりは、最近バフチーンをほぼ同時代の西田幾多郎、三木清の思想と関連させて考えようとしている。私はそこにベンヤミンもつけ加えて考えてみてはどうかと彼に提案するつもりである。その友人は必ずしもバフチーンの神秘的傾向を強調しているわけではないが、ホルクイスト、クラークの『ミハイール・バフチーンの世界』(川端香男里、鈴木晶訳、せりか書房刊)には少なくない関心を示していた。つまり、そこにはマルクス主義的ではない立場からのバフチーン像、つまり宗教的なものとの関係から見られたバフチーン像があったからである。1990年に刊行されたホルクイストの新しいバフチーン論では、その傾向がさらに進んでいるように思われる。バフチ-ンについての見方がこのように変化してくるならば、バフチーンを媒介にしてのさまざまな考察の方向もまた変化してくるはずである。私の書棚には、『バフチーン以後』とか、『バフチーン以後のドストエフスキー』といった本が並んでいる。いずれも最近アメリカで出版された書物である
ここに記してきたのは、まったく私の個人的な事がらである。しかしこうした情報が重なってくると、そこから何らかの結論めいたものが見えてくるのは当然のことである。つまり、私と何らかのかかわりのある三人のロシア文学者たちは、程度の差はあってもロシアの神秘主義的なものに関心を持ち始めているのである。
1991年1月7日の朝日新聞の夕刊によると、ソ連では1月になってクリスマスが行われ、ロシア共和国の古都ノブゴロードには、革命後70年たって初めて外国からの聖地巡礼者が訪れたという。朝日の記者は、これをソ連における最近の宗教復興の動きのひとつであると説明している。
今、東ヨーロッパの社会主義体制は急激な変化に直面している。フランスでは、『共産主義から資本主義へ』というタイトルの本さえ刊行されたということである。多くの人たちが、社会主義は終わって、今やわれわれは資本主義の中だけでの選択をしなければならない時代になったのだといい始めた。田口富久治氏は「ペレストロイカの行方」(小学館、「本の窓」、1990年12月号)の中で、ソ連の法学者ボリス・クラシヴィリの説を次のように紹介している。「クラシヴィリによれば、いまソ連は、資本主義か社会主義か、ネオ・資本主義か、ネオ・社会主義かの体制選択問題に直面している」。しかしそれはソ連の学者が言っていることであって、いまや社会主義はユートピアとしての価値を失ってしまったというのがわが国の学者たちのおおかたの意見である
ソ連の人たちの中に「宗教復興」の動きがあるのも、こうした政治情勢と関連させて理解すべき現象であろう。そして日本のロシア文学者たちが、ロシアの神秘主義に関心を持ち始めたのもこうしたことと関係がある
しかしこのような理解の仕方はまだまだ一面的にすぎない。最近刊行された山内昌之氏の、『ラディカル・ヒストリー』はロシアの歴史のなかにあるイスラム的なものの役割を豊富な文献を使って考察したものであるが、これを読むとロシア社会が複雑な要素からなりたっていることをいくぶんかは理解することができる。おそらく、ロシアが持っていた複雑で多様なものは、現代の状況が複雑で多様になってきたためにはっきりと見えるようになったと考えられる。山内昌之氏は『ラディカル・ヒストリー』のエピグラフに、「ある哲学者の言葉」として次のような文章を引用している。「みなさん、我々は未来が輝かしいことを知っています。変わり続けるのは過去なのです」。この言葉が誰のものであり、どのようなコンテクストのなかで語られたものなのかはわからないが、これは私がすでに述べておいたこととほぼ一致する。つまり、過去は現在によって規定されてくるのである。
問題はつねに現在を、同時代を良く理解しないことには過去のことは良くわからないとういうことに帰着する。しかし、それと同時に、過去の理解がなければ現在は理解さえ得ないということも事実である。あらゆることは相互の関係性の中で成立し持続する。ベイトソンがフロイトの精神分析を過去の決定論であると批判したのは、それによって自らの主張する関係性の論理を一層明確にするためであった。いまソ連で現実に起きつつあるできごとをわれわれは遠くから見ているにすぎないが、それがいまやロシアの過去と密接にかかわっていることが、山内氏などの仕事によって少しずつ見え始めている。
哲学においても、現実の世界を熟視するという作業からやり直す作業が必要なのではないだろうか。


(付記。本稿は1992年1月に刊行された「理想」648号に掲載されたものであり、初出のままである。冒頭に言及されている「ロシア文学者」が誰であるのか、いまは記憶が不確実になってしまった。この旧稿を読み返して気づいたのは、私が最近になってしばしば論じている「事後性」の概念が、すでにそこに潜在的に使われていたということである。2008年5月15日)

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する