宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

「旅券」を使う美術館 ―地方自治体と公共建築の現在― (上)

■辺境のまちと「磯崎新」という記号

奈義町現代美術館は、岡山県勝田郡奈義町の町立美術館である。1994年4月25日に開館が予定されているこの美術館は、たとえば最近刊行された『朝日キーワード 94~95』にも取り上げられている話題の建築であるが、話題になっているのは単にそれが磯崎新によって設計された、きわめて特異なかたちの建築であるからだけではない。いままでの普通の美術館とはかなり異なった考え方でつくられているからである。普通の美術館はしばしば「箱」といわれていて、その入れ物のなかに、何か目玉になるようなヨーロッパの名画を購入したり、また何かひとつのテーマにしたがって、よそから借りてきた美術作品を、一定の期間展示するというシステムで運営される。ところが、この奈義町現代美術館は、そうした既存の美術館とはまったく異なった考え方でつくられ、運用されようとしている。つまりそれは「箱」ではなく、あとで述べるように、美術館それ自体がひとつの作品として存在しているような美術館である。
このような考え方について検討する前に、奈義町とこの美術館の関係について考えてみたい。奈義町は人口8000人弱の山あいの町で、岡山から津山線に乗って、津山で降りたあと、バスでおよそ1時間足らずでこの町に着く。津山まで戻れば、吉田喜重の映画「秋津温泉」の舞台である奥津温泉に行くこともできる。奈義町は鳥取県に接した町で、那岐山の南にあり、自然に恵まれた静かなところである。那岐山はなだらかな稜線をもった美しい山で、奈義町現代美術館を南から見ると、この山がその背後に見えることになる。ただし、美術館の北側には、雇用促進事業団による高層住宅が一棟あって、那岐山の全景は見えない。逆にこの高層住宅に住んでいるひとたちは、いつも南側に磯崎新の建築作品を見ることができる。
しかし、奈義町にはこれといった産業も観光地もなく、宿泊できるところも多くない。そのため、町の「活性化」をめざして、町長を始めとする町の行政にたずさわるひとたちが、何かをしなければならないと考えたのは当然のことであろう。元来この町では、書道美術館をつくる予定であったが、さまざまな事情で、現代美術館を建てることになったと聞いている。そのときに、設計を磯崎新氏に依頼することになったのであるが、それは「磯崎新」という「記号」を用いようとしたからに違いない。大分県の湯布院町では、JR湯布院駅の設計を磯崎新氏に依頼したのであるが、駅にある表示によると、そのためにこの駅の乗降客がかなり増えたということであった。もちろん、湯布院町はその駅だけではなく、そのほかにも見るべき建築物があり、それに何といっても温泉の町であるから、磯崎新という名前だけがひとびとを引き寄せる記号としての価値をもっているわけではない。しかし、建築家の名前と仕事が、魅力をもっていることは確かである。

■まちの「活性化」と公共建築

一般的にいって、地方自治体のさまざまな事業には、共通したいくつかの問題がからんでいる。それは、ここで論じている美術館だけではなく、音楽・演劇のための「文化ホール」の建設についてもいえることである。地方の都市が、莫大な費用を使って建てた音楽ホールが、カラオケ大会にしか使われなくなってしまったというような話はいたるところにある。これは、公共建築物だけの問題ではない。いわゆるリゾート開発についても同じことがいえるはずである。北海道のカナダ村や三重県のスペイン村、新潟県のロシア村など、いまの日本にはいたるところに「異国」がつくられているが、それは、日常的な世界に異国的なものを人工的につくることによって、何とか人を引き寄せようという考え方の表現である。ところが、それらの施設の建築には、地方自治体がからんでくることが多く、美術館や「文化ホール」と同じ問題を抱えている。せっかくつくっても、来る人が少なくて経営難に陥るとういう問題である。
東京新聞(1994年2月25日夕刊)によると、昨年新設もしくは建設中の文化ホールは全国で38あり、43ホールの計画が進行中であるという。それらの公共建築物の建設が、県や市長村の住民のためになっているかどうかは、一概には規定できない。ただし、そうした建築物についての批判の多くは、この東京新聞の記事にも紹介されているような、人口3万人の都市に30億円の費用をかけて文化ホールを建てるといった「身分不相応」が問題とされるのである。最近でも、日本経済新聞(3月7日)によると、1993年に神奈川県平塚市は300億円をかけて市庁舎の新築をしようとしたが、市民団体「フレッシュひらつか21」などの反対によってその計画は凍結されたという。その年の平塚市の一般会計予算は700億円であり、300億円で市庁舎を建設すれば、「行政サービスに支障が出る」という意見が強かったとその記事は報じている。そうすると、人口8000人で、年間の予算が43億円の奈義町に、工費16億円以上の美術館をつくることが、少なくともたいへんな冒険であることが推測できるであろう。もちろん、その建設の費用はすべてを町が負担したのではなく、国からの補助金などが使われたと聞いているが、それにしても、このような建築物は、ただ単に建てればいいというものではなく、その維持・管理に多くの労力が要求されるはずである。したがって、この美術館は、地方自治体と公共建築物の関係という問題を内包しているのであって、単にユニークな美術館ができたといって話題にして終わらせるべきものではない。

■どこにもない「超美術館」

しかし、見方を変えれば、この美術館は、それだけの費用をかけてもつくる価値があるものとして考えられたものであるということになる。つまり、それだけ費用をかけても、あとから十分にそれを回収するだけの価値があると考えるか、あるいは、一切の採算を無視するか、少なくとも軽視して、「芸術」のためには金を惜しまないと考えるかのいずれかである。いずれの場合も、この美術館にそれだけの価値があるのかどうかという問題に戻ることになる。公共建築物の問題は、それを避けてはならないはずである。
そうなると、なおさらこの美術館の特性について考え直す必要があることになる。それによって、初めてその建築の「価値」の問題を考えることができるであろう。「価値」が発見されることがもっとも重要であり、それがあらゆる議論の出発点である。この美術館の特性のひとつは、「日本の現代美術の展示」ということである。つまり、いままでの美術館のように、外国の作品を購入したり、借りてきて展示するという考え方が最初から排除されている。もうひとつは、荒川修作、宮脇愛子、岡崎和郎という3人の作家の作品を「永久に展示する」ということである。(町の住民たちの作品を展示するスペースもあるが、それは広くはない)。
また、磯崎新という建築家の「名前」が大きな意味を持つ建築であるということもつけ加えるべきである。さらに、この美術館が、岡山県勝田郡奈義町という、交通の不便な小さな町の「活性化」のためにつくられたものであるということも忘れてはならない。この美術館には、このような多層的な特徴がある。「BT」(1994年1月号)は、この美術館を「超美術館」として紹介した。この「超美術館」について、一般にもっとも言われているのは、いままでの美術館と異なって、それがよそから借りてきた美術作品を入れるための「箱」ではなく、それ自体がひとつの芸術作品として存在しているという考え方である。
この考え方を知るためには、設計者自身の見解に当たるべきであろう。磯崎新は「奈義町現代美術館コンセプト」(「奈義町現代美術館資料」に収められた磯崎新の談話)の冒頭で、この美術館が「可動性・可変性さえも一切排除したサイト・スペシフィック作品だけの美術館」であると規定している。わかりやすく言い換えれば、よそから作品を持ち込んでくることはなく、作品の展示変えをすることもないということである。そして、磯崎新は次のように述べている。「ほとんど辺境と呼んでいいような岡山県境の町に、観客はわざわざ足を運ばねばならない。そして、この特別に組み立てられた部屋の内部を体験することだけが要請される」。つまり、この美術館は、絶対の存在であり、ほかのものによっては置き換えられないものである。都会からは遠く離れたところにあることそれ自体が、逆にこの美術館のひとつの特性として強調されているのである。「観客」は、自分でその場所に行って、この美術館という作品の存在そのものを直接に体験しなければならない。磯崎新は次のように書いている。「これは美術館の始まりであったコレクションではなく、美術作品がその始原として示していた特性を回復しつつあるといっていい」。美術館は、作品のコレクションを展示する場所ではない、というのがこの建築家の基本的な発想である。この美術館によって、「ミュージアムという制度」が終焉を迎えるであろうとまではいわれていないが、この美術館が既存の美術館を対象化しようとしていることは明らかである。

(つづく)

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