宇波彰現代哲学研究所

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「旅券」を使う美術館 ―地方自治体と公共建築の現在― (下)

■NAGI MOCAの思想

この美術館は「招待客」のための分厚い「旅券」をつくった。この「旅券」は磯崎新による解説を含んでいるが、それを招待状とはしないで、「旅券」にしたことに意味を見いだすべきであろう。つまり、この美術館を訪れるひとは、「外国」から来た遠来の客であり、ここはひとつの異国として考えられているのである。もちろんそれは、この奈義町が、辺境の土地にあるという空間的・地理的なことも意味しているが、それと同時に、あるいはそれ以上に、この美術館そのものが、日常的な世界から遠いところにあって、「旅券」がなければ訪れることの不可能な場所であるということを意味していると見なさなければならない。アクセスの悪さに対して、「旅券」という発想があることに注意しておくべきである。
この発想については、問題がないわけではない。というのは、このような考え方にしたがうと、奈義町現代美術館は、すべてが外に向かってだけ開かれた美術館になってしまい、奈義町の住民のことが無視されてしまうからである。これは、美術館は、市庁舎のような住民に対するサービスと直接に結びつく公共建築物とは異なっていると考えられているために生じてくる問題である。
さてこの「旅券」にも、奈義町現代美術館はルーブル美術館・東京国立博物館のような「かつて設置されていた場所から引き剥がされて、一堂に集められた」作品を展示する第一世代の美術館ではなく、また、ポンピドゥー・センター、ニューヨーク近代美術館のような、第一世代の「権威に反抗する姿勢を持って」、19世紀末からつくられた第二世代の美術館でもなく、「第三世代の美術館」であるとする磯崎新の見解が示されている。
「1960年代以降、現代美術の作家たちはさらに新しい思考をつづけます。平面・立体といった物体の枠を越えて、それらが配置された空間(あるいは部屋)そのものが作品として構成されています。そのような作品を展示する美術館はこれまでありません。そこで、在命中の作家の構想する空間をそのまま建築化して、これをあえて美術館と呼ぶのです。・・・・第三世代美術館。(いわゆるMOCAと呼ばれている施設に、いま断片的にこの傾向が見え始めている)」。つまり、ここではあえて美術館と呼ばれてはいるが、実はいままでの美術館とはまったく違ったものだという一種の「第三世代美術館宣言」がなされていると考えるべきであろう。第一世代の美術館は、王侯貴族のコレクションを出発点としており、第二世代の美術館は、一般大衆に美術作品を展示して見せるものである。ところが第三世代の美術館は、「旅券」に記されているように、「建築家とアーティストが共同制作した空間的作品」そのものにほかならないのである。
このように考えてくると、この美術館の思想が見えてくる。たとえば、東京からこの美術館を訪れるためには、かなりの距離の旅行をしなければならない。通常、観光用のパンフレットなどには、交通の便利なことを強調することがあるが、磯崎新は、アクセスの悪さを、観客がわざわざ足を運ぶことによって、よそでは得られないような体験が与えられるという考え方に逆転させている。(逆にいうと、この美術館の近くに住んでいるひとはどのように考えればよいのかという問題が出てくる)。「辺境」の土地にあるということがかえって意味を持つように考え直しているのである。
 また、この美術館では、荒川修作、宮脇愛子、岡崎和郎という3人の作家の作品を、1点ずつ、しかも永久に展示することになっている。したがって、たとえば「ゴッホ展」というような催しは、この美術館では行なわれない。作品が固定されていても、季節や時間によって、その作品は変化があるはずだというのが磯崎新の考え方であるという。つまり、作品が固定されてしまっているということは、通常は変化がないためにマイナスなものと考えられるのを、磯崎新は作品と美術館の不可分性という考え方に逆転させてしまう。いままでの美術館でも、美術館そのものが変化することはなかったのであり、建築は少なくともかなり長いあいだにわたって不変なものであると考えられている。
磯崎新は、建築の不変性を美術作品の特性のひとつに変換してしまおうと考えたのである。いたるところに見られるこのような考え方の逆転もまた、この美術館の特性であると見ることができるかもしれない。

■建築家と住民の意識の隔たり

私は、以前から磯崎新の建築を同時代の思想との関係のなかで考えてきたつもりである。この奈義町現代美術館においても、磯崎新は単なる「箱」としての美術館を否定しようとした。「箱」としての美術館では、「作品」は一定の順序にしたがって、決められた空間に「展示」され、「鑑賞」されるであろう。それは、作品というものについての秩序の存在を前提としている。しかしここでは、もはやそのような秩序は存在しない。この美術館によって、磯崎新がわれわれに対して示そうとしているのは、いままでの美術館そのものに対する批判にほかならない。したがって、この美術館は、メタ美術館と呼ぶこともできるであろう。
また、この美術館では、作品と美術館が一体化していて、両者を分割することはできない。このような発想それ自体も、きわめて現代的な考え方に基づいている。私が示唆しているのは、作品と美術館との相互浸透、あるいは、重層的構造ということである。実はそれらの概念もすでにしだいに色あせてきたのであって、いま現代思想はどの方向に向かえばいいのかを、暗中模索しているように思われる。同時代の思想に敏感であり、また、逆に同時代の思想に絶えず刺激を与えてきた磯崎新が、世界に向かって発したメッセージがこの奈義町現代美術館にほかならない。そのメッセージを、奈義町とその周辺の地域の住民が、どのように受け取るのかという問題が残されていると私は考える。
そしてこの美術館は、単にこのような思想性の問題だけではなく、地方自治体と公共建築物の関係という問題、さらに、ここで述べてきたような建築家の意識と住民の意識の隔たりという問題をも内包している建築ということができるであろう。
(付記。本稿は「建築ジャーナル」1994年4月号に掲載されたものであり、ここにアップしたのは初出のままである。ここで論じている磯崎新の建築は、きわめて不便なところにあり、しかもその周辺には豊かな自然以外にほとんど見るべきものがない。見るべきものがないために高名な建築家の作品を建てようとしたともいえる。
私はこの論文で磯崎新の批判をしようとしたのではない。地方自治体がどのように自らを運営していくかというプロセスに関心があった。今日、多くの地方自治体が財政難に陥り、そうすると夕張市の例にあるように、まず美術館・図書館を廃止することから始めることになる。奈義町もそうするのであろうか。立派な道路が出来ても、そこに美術館も図書館もないような市町村は、人間の住むところではなくなるであろう。2008年5月26日)

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