宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

二つの論文の行方

今年(2008年)の4月から6月にかけて、私はジャック・ラカンにかかわる二つの論文を書いた。一つはラカンのル・サンボリックについてのもので、もう一つはラカンがフロイトから継承してきた「事後性」の問題について考察したものである。ところが相前後して起こった異様なトラブルで、この二本の論文は当分のあいだは公表されない状態に置かれることになった。そのトラブルは、私的なもののように見え、実際にそうであるかもしれないが、同時にこのできごとは、少し時間がたてば哲学的に、つまりまさに「事後的に」考えることもできる問題なのかもしれない。
この二つの論文の発表を待っているひとがいるのを私は知っている。私自身があちこちでこういう論文を書いたと宣伝しているからである。そこでここでは、なぜほとんど同時に私の二つの論文が「ボツ」になったのかを書いておきたい。

一つの論文のタイトルは『ラカンの記号空間』である。私は以前からラカンの「ル・サンボリック」を「象徴界」という日本語に置きかえることに反対であったが、それに代わる適当なことばがないので、「ル・サンボリック」と表記することにしてきた。この論文では、試みに「記号空間」ということばを使ったが、それはル・サンボリックのことである。「記号時空間」という訳語も頭にあった。
この論文は、Aさん、Bさんという二人の編者(ほかにもいるかもしれないが私には分からない)によって編まれる論文集に収められるはずであり、Aさんからの依頼があった時もそのように承知していた。この論文は、ラカンのハムレット論を中心に論じたものである。フロイト以降のオィディプス・コンプレックス重視のハムレット論をラカンがいかにしてガートルードの欲望を中心とする解釈に変えたかを考察したのである。私はかなりの力を込めて書いて、その原稿をAさんに送り、またメールでも「添付」して送ったが、まもなくAさんから届いたメールは私をビックリさせた。そのメールによると、Bさんの意見として、私の文中に「穏当を欠く」ところがあり、ある部分を数行にわたって「割愛」せよというのである。(Aさんのメールは私信であるからその内容をそのまま伝えることはしないが、「穏当を欠く」とか「割愛」ということばそのものは、そのメールで使われているものである。)私はあまり自己主張をする人間ではない。もめ事がある時は、むしろ「長いものには巻かれろ」という気分で対処する。もめことが嫌いであり、ひとと争ったり、喧嘩するのはいやである。要するに気が小さいのである。文章を書いても、たとえば「編者の意向」というものがあれば、なるべくそれに沿うようにしている。実際、私は昨年(2007年)、『像と言語』というかなり長い論文を書き、それはある学会の年刊誌に掲載された。しかしその論文については、その学会の会長であり、またその年刊誌の編集責任者でもある方から、何度も修正・削除・書き直しを求められた。しかしその時に私は、その方のやり方にいかなる不満もなかった。その方の私に対する要請は非常に丁重であり、説明も丁寧だったからである。要するに礼儀にかなった要請だったのである。
ところが、私の『ラカンの記号空間』については、まったく異なった状況になった。私には「穏当を欠く」ということが何のことか分からず、また「この数行を割愛せよ」という高飛車で一方的な「命令」がAさん、Bさんになぜ可能なのかがまったく分からなかったのである。私は「編者」の要求が礼儀にかなったものであれば、いかなる抵抗もしないでそれを受け入れるであろう。それは『像と言語』において実行されていることである。しかし『ラカンの記号空間』では、Aさん、Bさんが私の論文の一部に不満であることは分かり、またそこから削除してほしい部分があるということは理解したが、それを相手である私に依頼する「礼儀」がまったく欠如していたのである。私はAさん、Bさんの私への「要求」そのものに異議をいうつもりはなく、二人の言語表現のあり方に問題があると感じた。
言語には事実確認的(constative)なはたらきと行為遂行的(performative)なはたらきがあると説いたのは、若くして亡くなったイギリスの哲学者J.L.オースチンであった。この二分法ではカバーしきれないものがあることは事実だが、Aさん、Bさんからの私へのメッセージは当然のこととして「行為遂行的」な言説によってなされなければならない。つまり私がこの二人の意向に従って、文章を削ったり書き直すことができるようなものでなくてはならない。しかしAさんがBさんの意向を汲んで私に送ってきたメールは、そうしたはたらきとはまったく反対の効果を持つものであった。Aさん、Bさんはそうでないと思っているに違いないが、そのメールを受け取った私は、最初はビックリし、それから急に怒りがこみあげてきた。私はAさんに手紙を書き、「あなた方に言い方は礼を失しているので、私の論文を撤回する」と伝えた。Aさんからは弁解のメールが来たが、私に容認できるものではなかった。Aさんは電話もかけてきたが、話しているうちにだんだん怒りがひどくなり、とうとう怒鳴ってしまった。
その時いろいろ言ったが、Aさんは私の論文の内容について語っているのだが、私はAさんの言語の使い方、つまり「礼儀」のレベルで話しているので、コミュニケーションは成立せず、私の怒りのことばが空しくひびくだけであった。その時に感じたのは、私には「怒りのボキャブラリー」がまったく欠けているということであった。自分が怒っていることを相手に伝えるためには、むやみに大声をあげたり、わけの分からないことを怒鳴る以外はないことが分かった。
その後Bさんからも謝罪文と覚しき手紙が届いたが、その内容は基本的にはAさんの電話と同じであり、私の論文に対する意見などが主眼のように見えた。私は論文の内容について言っているのではなく、Aさん、Bさんの私に対する礼儀の欠如を問題にしているのが、二人には分からなかったのである。
私はAさんはよく知っているが、Bさんのことはよく知らない。しかし専門領域では「一家をなしている」著名な人であり、彼女を知っている人からは「Bさんはあなたにそんな失礼なことを言う人ではなく、あなたの誤解ではないか」と言われた。しかし別の友人からは、「それはまったく失礼な話だ」と慰められもした。試みに4人の友人(全員女性)にこの論文のコピーを送り、「穏当を欠く」部分があるのか、割愛(削除)すべき部分があるのかを問い合わせてみたが、そのうち返事のあった二人はいずれもAさん、Bさんの意見に否定的であった。
このようなやりとりがあったが、結局のところ私の『ラカンの記号空間』は、私が「撤回」せざるを得なくなったために、掲載されないことになった。

もう一つの論文について書いておきたい。これはラカンの「事後性」の概念について論じたものである。これはDさんという人の翻訳した一冊の本に「解説」として収める予定だったもので、私はすでにその原書を読んでいるからと言って引き受けたのである。ラカンの「事後性」の概念はフロイトの考えの展開であるが、それがラカンのいう「シニフィアンの優位」とどのようにつながるのかを論じたものである。またこの「事後性」とベンヤミンの考えとを結ぶ作業も少し試みた。これも制約された時間の中で、「寝食を忘れて」とまではいかないものの、非常な力を入れて書いたものである。そしてでき上がった50枚超の原稿を出版社に渡した。
ところが、Dさんによる肝心の翻訳の校正刷りを見て私は顔面蒼白になった。およそ「翻訳」とはいえないシロモノだったからである。原文の構文の理解がまったく不足しているので、読んでも意味が通らず、単語を丁寧に辞書で調べるという最も基本的な作業をしていないので、いたるところに「ケアレスミス」(本人のことば)がある。訳していない部分さえある。Dさんはほかにも立派な翻訳の仕事をしているのであり、実力がないとはいえない。つまり、「手を抜いた」のであり、「たかをくくった」のである。適当に訳しておけば、日ごろ親しく付き合っていて、とても温厚で優しい人(私のことである)が何とか直してくれるだろうと思っていたようだ。
冗談ではない!そんないいかげんな仕事をして、私がそれを認めて「解説」を付けるなどと考えていたとすれば、それはAさん、Bさんと同じ、あるいはそれ以上にまったく「失礼」な話なのだ。私はDさんに会って、大きな声で怒鳴った。「こんなものは翻訳ではない!」そして私は即刻に「解説」の原稿、つまり私が熱中して書いた『事後性論』を撤回した。このばあいもDさんには、想定される読者、出版社とその担当の編集者、そして解説担当の私に対する「礼儀」の意識が欠如しているのである。誰だって翻訳に誤りをすることがある。しかし限界というものがあるのであり、Dさんの仕事はいわゆる「やっつけ仕事」としか言いようがない。

こうして私の二本の論文はとうとう二本とも活字にならないことになってしまったのである。私の怒りはまだ収まらないが、それをどう表現していいのかも分からないので、このような変な文章を書いてブログにアップすることにしたのである。(2008年7月12日)

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