宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

「ゲーテッド・タウン」の幻想

知り合いの青年たち3人と、埼玉県西北部にある秩父の山奥の村から、群馬県の上野村に向かって車を走らせていたことがある。道路はきちんと舗装されていたが、車はほとんど走っていなくて、また人家もまばらであった。夢にも人に逢わないような山道に沿って数軒の家が見えたが、突然にそのうちの一軒から中年の女性が現れて、われわれに手を振るのである。何ごとかと車を止めると、彼女は「この先の橋をいま工事していて通れません」と教えてくれたのである。これが「親切」というものであり、人と人とが触れ合い、「反応」することである。

最近、私はキーホルダーを落としてしまい、あわてて交番に駆け込んだが、幸い親切な誰かが届けてくれていて本当に助かった。しかし交番の警官は、届けてくれた人の「個人情報」を私に教えてはくれなかった。「親切」に「反応」することができない状況が存在している。

産経新聞(9月1日)に、「ゲーテッド・タウン」についての記事が載っている。欧米ではすでに「ゲーテッド・コミュニティ」と呼ばれる住居が1980年代から作られ始め、特にアメリカでは富裕な老人たちの安全な住居として発展しつつあることは、ベルナール・アンリ=レヴィのアメリカ見聞記にも記されている。また日本でも80年代から作られ始め、私も山本理顕が設計した大阪の大規模集合住宅を見に行って、その閉鎖的で安全な構造をどう考えたらいいのかと悩んだことがある。
産経新聞は、いま世田谷や渋谷で作られつつある「ゲーテッド・タウン」の特徴を次のように説明する。「住宅地の周囲をぐるりと高さ2メートル以上の壁や柵で囲い、入口を数ヶ所に限定し、出入りを制限する」とある。これによって「内部の安全性」は確保される。しかしそれは同時に町のなかに「閉鎖空間」を作ることであり、世田谷区では住民による反対運動も始まっているという。富裕な人たちだけが、安全な空間のなかで暮らせる時代が到来したように見える。

実際に私の家にも数回にわたって泥棒が侵入して、家のなかを荒らしたり、また夜中に何者かが庭に入ってきて大きな石で雨戸を壊していったりという事件があった。近所ではセコムとかアルソックといった警備会社に頼んでいるところもあると聞いたので、アルソックの人に来てもらって話を聞いたが、費用がかなりかかることがわかった。泥棒が拙宅から盗んでいった金額の10倍以上の費用を払わないと1年間の安全(どの程度の安全なのか疑問だが)が保証されないことがわかったので契約しないことにした。

「ゲーテッド・タウン」では、確かに「安全」は確保されるだろう。しかしそこの住民は、ゲート(門)の外側の人たちとの交流をすることができない。またゲートの内側の住民相互が互いに「反応」できるとも思えない。「ゲーテッド・タウン」は「無反応の時代」を加速させる装置である。(2008年9月1日)

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