宇波彰現代哲学研究所

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ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』を読む

ジャック・デリダの『マルクスの亡霊たち』(増田一夫訳、藤原書店、2007,以下NBと略記し、そのあとに引用したページ数を示す)の原書は1993年に刊行されている。邦訳が待ち望まれていた、1990年代におけるデリダの代表的な著作である。デリダの他の著作と同じように、本書もかなり難解ではある。しかし元来は講演の記録であり、読み返しているうちに、しだいにデリダの情熱のようなものが伝わってくるであろう。この情熱は、本書のあとに刊行された『マルクスの息子たち』(国分功一郎訳、岩波書店、2004、MMと略記)にも継承されている。
本書にはデリダのいくつかの基本的な概念が示されているが、評者はそのなかで特に「遺産相続」(héritage)の概念を取り上げておきたい。デリダのいう「遺産相続」は、与えられた遺産をそのまま引き継ぐことではない。それは遺産を「濾過し、選別し、差異化し、再構造化」(MB.129)することであり、デリダの概念である「脱構築」そのものである。デリダは「遺産相続とは、かたちを変える作用をするフィルターである」(MB.221)とも書いているし、「批判的相続」ということばも使っている。「濾過し、ふるいにかける」という操作は、現在が過去を作り直していくという、うでにフロイトが1890年代から考えていて、ラカンが展開した「事後性」の概念とも深くかかわっている。そのことは、1990年に崩壊寸前のソ連を訪れたデリダのソ連紀行『ジャック・デリダのモスクワ』(土田知則訳、夏目書房、1996)の冒頭でも論じられている。そこでは「合理的な物語」(récit raisonné)という概念が示され、「濾過し、フィルターにかける」(cribler, filtrer)という動詞が使われている。このモスクワ紀行にも、1990年代のデリダの思考方法が明白に現れている。つまり、『マルクスの亡霊たちと『ジャック・デリダのモスクワ』には、共通の方法がある。「事後性」については、拙著『力としての現代思想 増補新版』(論創社、2007)で増補した「事後性論」で詳しく論じてあるが、簡単にいうと、あることがらを「あとから」構成する操作のことである。フランス語では事後性をapres-coupと訳している。米盛裕二のパース論(『アブダクション』勁草書房、2007)第6章で、「仮定が事実を作る」という考え方が示されているが、それは一種の事後性である。
ついでに触れておきたいが、アメリカの哲学者パースは、まだ十分な評価を与えられていない。アブダクションというパースの中心的な概念も、まだ一般に浸透していない。ショシャーナ・フェルマンの『ラカンと洞察の冒険』(森泉弘次訳、誠信書房、1990)は多くのラカン論のなかで注目すべき著作であるが、そこではパースはまだ「ピアス」と表記されていた。つまり、そのころパースはまだわが国では、知的世界に浸透してはいなかったということである。米盛裕二は、沖縄でこつこつとパースを研究し、人工知能の問題とパースの思想を結びつけようとしてもいた方である。勁草書房から1982年に刊行された『パースの記号学』、三巻からなるパースの論文の翻訳はいずれも米盛裕二の仕事であるが、きわめて価値が高い。

・存在としての遺産相続

遺産はそのままに受け継がれるのではなく、未来のために脱構築され、変形されていく。デリダは、『マルクスの亡霊たち』のなかで「われわれの存在が第一に相続である」(MB.130)と述べているが、そのばあいの「相続」には重要な意味が含まれている。存在するとは相続することであるが、その相続は、すでに述べたように「濾過すること」「フィルターにかけること」を必要とする「批判的相続」である。デリダの基本的な認識では「われわれはマルクスの遺産を刻印された世界に住んでいる」のである。「望むと望まざるとを、知ろうと知るまいと、地球上のあらゆる人間は、今日、ある度合いでマルクスとマルクス主義の相続人なのだ」(MB.196)とデリダは断言する。マルクスに対するデリダの「愛」が感知できる印象的なことばである。そしてその遺産のひとつは、「世界を変革する」という思想である。「来たるべき未来」ということばが反復される。存在と遺産相続は等置されている。2007年にアメリカで刊行されたデリダ論集(Mitchel, Davidson ed.,The late Derrida, The Univeristy of Chicago Press, 2007、LDと略記)に収められた論文において、ロドルフ・ガシェ(Rodolph Gache)は、「デリダは、存在が遺産相続の意味であると指摘した」と書いている(LD.73)ここにある「To be is to inherit.」(「ある」ということは、遺産を相続することである)という考えの重要性をガシェがよく認識しているということである。存在は相続であるが、それは必ず批判的相続でなければならず、そこに「責任」が生じている。

・言語遂行論の介入

『マルクスの亡霊たち』でもうひとつ注目しておきたいのは、デリダがオースチンの言語理論を導入していることである。オースチン(1911~1960)の言語遂行論(speech act theory)は言語の機能を「記述的・事実確認的」(constative)と「言語遂行的」(performative)とに分類することであった。デリダはマルクスの言説が、まさに言語遂行的であるとし、その典型的なものが「フォイエルバッハに関するテーゼ」の有名な一節であるとする。「哲学者たちは世界の解釈をしてきたが、肝心なことは世界を変革することである」というこのテーゼこそまさに「言語遂行的」であるとするデリダは、「解釈する当の対象を変化させる解釈」こそ真の解釈であるとした。そのことを論じているデリダの言語が、「論じている当の対象を変化させる」力を持っている。 

付言しておくと、長い時間をかけてなされたという増田一夫の翻訳はとてもいい。これまでのデリダの邦訳のなかでは最高である。
(2007年11月23日)

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TBありがとうございました

拙ブログへのTBありがとうございました。おかげで、とても勉強になりそうなこのブログを知ることができました。TBくださった方は、宇波先生かブログ運営の方かさだかではございませんが、とてもびっくりしました。実は、わたし宇波先生の古い教え子でして、「映像記号論」の92年か93年に出席していました。「就職は決まった?いくところなければ、芸術学科に来ればいいよ」とおっしゃっていただき、お金があればきっと学士入学をしていたと思います。

教養の道 | URL | 2007年11月24日(Sat)19:59 [EDIT]


ご丁寧にありがとうございます

はじめまして。「教養の道」様にTB差し上げた当ブログ管理人の稲見と申します。宇波先生にゆかりのある方にTBをするとは。ネットは意外に狭い世界なのかもしれません。先生にはコメントがあったことをお伝えしましたのでご報告いたしておきます。なお来る28日、明治学院大学言語文化研究所にて宇波先生の定例読書会が行われます。(参考URL:http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bookclub/index.html)お手すきでしたらぜひお越しください。

稲見@ブログ管理担当 | URL | 2007年11月26日(Mon)19:31 [EDIT]


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| | 2008年01月31日(Thu)22:37 [EDIT]


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